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先代様の置き土産  作者: 鈴寺杏


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第一話 プロローグ

「待て!」


 柔らかな日差しの中。草花の息吹を感じる空き地で飛び回る虫たちを目で追い、時々捕まえようと手を伸ばしたりと暢気に時間を過ごしていたはずの俺。気が付くとなぜか先ほどまでとは逆に追われる立場なっていた。


 追ってくる者は、いかつい顔で筋肉質の男。鎧などを纏ってはいないが、服の質感などからそこいらのごろつきとは違うことは想像に容易い。衛兵とも違うだろう。この辺りの衛兵の顔は概ね把握できている。それに彼らは俺を追ってくることはない。


 後ろを走る男は何者なのだろう。

 追われている理由がわからない。何か悪いことをしただろうか?

 生憎と思い当る節がない。

 相手が子供であれば多少は理解もできるのだが……。

 変人、もしくは誰かに雇われた者か?

 とすれば最低でも何でも屋。もしかするとそれ以上の立場だってあり得る。


 少々厄介だな。

 そんな言葉が頭を過った。


 だがそういった相手とて、俺が全力を出せばもちろん簡単に逃げ切ることが可能だ。しかしそれではいずれまた追われることになるだろう。

 それならば、しばらく追いたくもなくなるくらいに心を折ってしまうのが良い。


 路面にはみ出した形で置かれている看板や木箱などを華麗なステップで躱しながら下町である俺の生活圏を駆け抜け、追いかけて来る男との距離を測る。


 そうしているうちに目の前に現れた二メートルほどの壁。程よく設置されている木の板を足場に飛び上がり、壁の上部へと着地。そして少し進むと後ろを振り返る。 

 相手の男はこうした状況でも簡単に諦める様子はないらしい。先ほどの俺と同じように壁に飛び掛かり、上部に手をかけて上がろうとしている姿が見えた。


 ずいぶんと必死のようだ。だがこうでなくてはならない。彼にはもっと苦労してもらう必要があるのだから。


 相手が壁に上り切り歩き始める姿を捉えると、近づき過ぎない距離を保ちながら逃げる。壁の上という不安定な場所での移動であれば、身軽なこちらの方が当然有利だ。


 しばらく走ると壁の端に到達する。下を見ると、走っている途中別の高い壁の方へ飛び移ったということもあり、高さは三メートル近くになっている。周囲を見渡せば、建物の二階部分と同じくらいの位置に自分はいる。

 それらが常人には飛び移れる距離にないことは明白だ。


 立ち止まったこちらを見てか、足から伝わる相手からの振動は先ほどまでと変わった。徐々にゆっくりと。こちらを追い詰めるように。

 振り返り見た男の表情は、俺の顔が不安そうにでも見えるのか「もう逃げられないぞ!」と言わんばかりに僅かに口角が上がり自信に満ちた目をしていた。一見すると悪役のような顔。

 

 しかし残念。

 俺は壁に手を付きながら、そのまま三メートル近い高さとて躊躇なく飛び降りる予定だ。何故なら今の俺は猫なのだ。この程度の高さから飛び降りたとて何のことはない。


 後ろを確認しながら、ギリギリの距離まで相手が詰めてくるのを待つ。

 そして「今だ!」というタイミングでフライハイ!

 少しの浮遊感。人とは違ったボディは、多くの空気を受け止める。

 ざまあみろ!

 やってやったという感情は快感となり、自然と瞼が下がる。毛を撫でつける抵抗すらも気持ちいい。


 このまま着地しようと瞼を上げ、手を伸ばしたところで意図せぬ硬いなにかにぶつかる。

 驚き目線を上げると、碧い瞳の女の子と目が合った。


「捕まえた」


 気付けば脇の下から手を回されてしっかりと掴まれている。手を伸ばした瞬間を上手く捉えられてしまったらしい。

 奴の仲間、もしくは協力者か。しくじった。


 これはまずいとばかりに逃げ出そうと腰を捻り暴れようとすると、胸元まで移動させられがっちりと抱えられてしまった。

 だがここからでも全力を出せばまだ逃げられる!


 しかし、しかしだ。そうしてしまうと、目の前のお嬢さんを傷つけることは必然。よって少しばかりの葛藤。


 柔らかい感触に、惹きつけられるような優しい香り。

 男の俺にとってこの状況は悪くはない。

 それにだ。捕まったとてその気になればいつだって逃げ出せるはずなのだ。猫はきまぐれ。先ほどまで逃げていたが、しばらく大人しく様子を見るのもまた一興。


 そうした判断を下した俺は、女性にしばらく抱えられたままになるのだった。

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