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サークルチェック

 ぼくは慌ててバックパックから、持参したコミケカタログを取り出した。

 表紙には「2016 WINTER 91」と、開催時期と回数がセットで表記されている。

 そのルールを当てはめるなら、いまぼくが拾ったカタログの「1998 55」は、「1998年に開催された第55回目のコミケ」を意味する。なぜこんな年代物が無造作に投げ捨てられているんだ?

 拾ったカタログの企業ブースのページを開くと、さきほど目にした企業が名を連ねている。

 ぼくは拾ったカタログを手に、もう一度西館4階の内部を見て回ることにした。


 ふと、ある事実に気づく。

 どの企業ブースでも「テレホンカード」というグッズを売っている。

 コンビニで売っている「Amazonギフト券」とか「GooglePlayギフトカード」みたいなものだろうか。おそらくコードを入力して料金をチャージするタイプのカードだと思う。電話料金用かな? いろいろな絵柄があって、実用的だし、かなり魅力的だ。

 いや、今はそんなことはどうでもいい。

 カタログの地図と実地でのブース配置を照合したところ、この西館4階には「1998年のコミケ」が再現されていた。誰がなんの意図でやっているのかは皆目見当がつかないが、そこでぼくは3つの仮説を立てた。


【仮説1:映画かドラマの撮影】

 “ファビュラス”な超有名セレブ芸能人姉妹が来場するくらいだから、いまやコミケの一般認知度はものすごく高まっている。コミケを舞台にした映画やドラマがつくられたって不思議じゃない。だけど、3日間で50万人以上が来場するような空間を再現しようと思ったら、いったいどれだけのエキストラを雇うことになるか。関ケ原の合戦と同じ規模の動員が3日間も続くのだ。

 それに、コミケには権利的にも倫理的にも映しちゃいけないものが多い。コミケを舞台にした作品なんて、映像化のチャンスを最初からフイにするようなもの。そこんとこ、わかってるよね?

 いちばん簡単な方法は“現地で撮影する”だ。

 だけど、疑問は残る。この会場には撮影クルーがまったく見当たらない。カメラはどこにあるんだ? はた目にはわからないような撮影方法をしているのだろうか。

 それに、これだけ大掛かりなことをやっているのに、参加者の誰もが思い思いに動いているところも気になる。「今回のコミケでは撮影をします、皆様ご協力ください」みたいなアナウンスが、事前にあったのだろうか。ぼくが見逃していたのかな?


【仮説2:夢】

 夢みたいな出来事に直面したとき、いったいどれくらいの人が実際に頬をつねってみるのだろう。アニメやマンガのように、頬をつねるだけで夢と現実の区別がつくのだろうか。少なくともぼくの場合は、犬の口のように皮膚が伸びるだけだった。あと、頬がちょっと痛い。

 夢にしては、感覚的な情報量が確かすぎる。冷たかった海風も、並んでいる来場者の汗の臭いも、コスプレイヤーのきらびやかな衣装も。経験したことのないものがこれだけ詳細に出てくる夢なんて、ちょっと記憶にない。


【仮説3:1998年にタイムスリップ】

 青いタヌキはまだ見ていない。



 そして、ここがいちばん重要なんだけど、どの仮説が正しくても、ぼくは限定グッズを買うことができない。いったいなんのために夜明け前から並んでいたのか!

 最悪だ。

 どこからどう考えても、最悪。

 不意に、館内に井上陽水の歌が流れた。

 夢の中へ行ってみたいと、ぼくは思わない。これが夢なら早く覚めてほしいくらいだ。


「一斉点検の時間です、身の回りに不審物がないか確認してください」


 準備会スタッフが安全確認を呼び掛けている。

 ぼくは気持ちを落ち着かせるために、自販機で飲み物を買うことにした。


 カタン。


 何度投入しても、硬貨が戻ってきてしまう。戻ってきた500円玉を見ると「平成二十四年」と刻印されていた。

 1998年が平成何年だったか、すぐに計算できなかった。

 まさかと思い、製造年が昭和の100円玉を2枚投入したら、ランプが点灯し、ペットボトルの緑茶が取り出し口に落ちてきた。映画やドラマの撮影って、ここまで小道具を徹底するものなの?

 冷たいお茶が、のどを通過していく。


 少し冷静になって考えてみると、いまぼくは、とても貴重な場にいる気がしてきた。テレビ局か映画会社か知らないけど、これだけ忠実に「1998年のコミケ」を再現してくれているんだ。どのくらい正確に再現されているのかはわからないが、いまのところ誰からも咎められることなく、ぼくはその中を自由に動くことができている。

 限定グッズが買えないのは残念だけど、こんな世界を体験できるなんて滅多にあることじゃない。


 1998年は、平成10年だ。

 ぼくが生まれた前年だから、計算するまでもない。

 念のため計算しても「西暦の下2桁-88」は10。平成10年でまちがいない。

 コミケのために小銭をたくさん用意してきていたので、念のため「平成十年」以前の硬貨だけをポケットに選り分けておいた。

 1785円。

 とりあえずこれだけあれば、館内を動き回るには十分だろう。

 この「1998年のコミケ」の再現は、西館4階だけなのか。それとももっと広範囲に渡るのか。どこまで徹底されているのか、ひとつ見てやろうじゃないか。

 せっかくだから遊び歩こう、というわけだ。

 そう考えれば、最初に思ったほど状況は最悪じゃないぞ。



 ぼくは拾ったカタログでサークル配置を確認した。

 29日(火曜日)の西1~2ホールには「ゲーム(RPG)」「スラムダンク」「幽遊白書」が配置されているらしい。そして東1~3ホールは「FC(ジャンプ系)」「アニメ(少年)」「FC(小説)」、東4~6ホールは「FC(少年)」「邦楽」「アイドル」「ガンダム」「トルーパー」。

 トルーパーってなんだ? 

 まずは現在地の西館4階から1階まで下り、西1~2ホールのサークルを見て、それから東ホールに移動してみよう。


 最初に西2ホールを訪れた。

 ここもカタログどおりに『スラムダンク』『幽☆遊☆白書』の同人誌を頒布するサークルが配置されている。つまり4階の企業ブースだけでなく、西館すべてが「1998年のコミケ」になっているわけだ。

 同じ光景は東ホールでも繰り広げられた。会場の一部分だけを撮影用に使用するのとは、わけが違う。全館が「1998年のコミケ」になっている。

 そして撮影クルーやカメラは、ついにひとりも、1台も見つけることができなかった。

 あきらかに異常だ。

 それなのにサークル参加者も、一般参加者も、いま目の前にある「コミケ」をリアルタイムで楽しんでいる。この圧倒的な“現役感”のある熱気は、撮影用に出せるものではない。

 誰が好きこのんで18年も前のコミケをまるごと再現しているのか?

 というか、2016年のコミケはどこで開催されているんだ?


 そうだ。会場の外はどうなっているんだろう。

 ぼくはコミケ会場を後にして国際展示場駅へと向かった。バックパックからスマホを取り出すと、相変わらず「圏外」と表示されていたが、時間は確認できる。

 16時15分。

 駅へと吸い込まれていく行列の流れに乗ったものの、改札口にたどり着くまでにゆうに30分以上はかかった。ひどい混雑だ。それに改札機にICカードをタッチするパネルが見当たらない。Suicaを手にしながらうろたえていると、駅員が「オレンジカードは券売機でご使用ください」と声をかけてきた。

 オレンジカードって何だ? 


 オレンジカードとかテレホンカードとかトルーパーとか、頼むからググらせてくれ!

 ネットに接続できなくなってから7時間。糸の切れた凧みたいな気分だ。


 駅の券売機でも「平成二十四年」の500円硬貨は使えなかった。ポケットから小銭を取り出して、とりあえず初乗り料金の乗車券を買い、再び改札機に向かう。

 広場の南の上空はまだ青く、白い月が浮かんでいた。

 人波に押されるようにして、ぼくは改札を通過して電車へと乗り込む。幸いなことに座席が空いていたので、シートに身体を沈めることができた。


 どっと疲れが出る。

 【仮説2:夢】ならいい。いずれ目が覚めるはずだ。

 しかし、もし【仮説3:1998年にタイムスリップ】だったら、このまま家に帰るのも問題がある。事前に「早めに帰るよ」と電話するべきだろうか? ざっと18年ほど早い帰宅になるけれど。

 電車の足元のヒーターが眠気を誘う。

 ウトウトしながら、ぼくは一日の行動を振り返ってみた。始発で国際展示場駅に着いたときには、たしかにSuicaをタッチして改札機を抜けたはずだ。ということは、広場でひと眠りしているあいだに、世界は変わってしまったのかもしれない。電車の揺れに身を委ねていると、ぼくはいつしか眠りに落ちていった。

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「そろそろ動き出しますよ」


 起こしてくれたのは、隣に座っていた男だった。

 目を覚ましたぼくは、はじめ自分がどこにいるのかわからなかった。

 夢。長い夢を見ていた。

 馬鹿な夢を見たものだ。18年も前のコミケにタイムスリップするなんて。

 それにしても、自分が生まれる前の時代のコミケなのに、やけに細部に至るまでリアルだった。リアルすぎる夢は精神的に疲れる。体育座りの姿勢のまま眠っていたせいなのか、それとも師走の寒さのせいなのか、両脚が痺れていて感覚が鈍い。

 強烈なデジャヴに襲われる。

 ぼくは隣の男に、おそるおそる尋ねた。


「えっと、すいません。年が明けると何年でしたっけ?」

「ら、来年? ノ、ノストラダムスだよね」

「ノスト……え?」

「そうそう、世界滅亡」


 なにを言ってるんだ、こいつ。

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