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5分後のセカイ

「問題は起きた……、って、どういうこと?」

「いや、説明はあとだ。いまは、やることがある」


 シュウジは左手首にはめたG-SHOCKで時間を確認すると、足早に歩き始めた。

 ぼくとミズキは、あわててシュウジのあとを追う。

 西1ホールと2ホールをつなぐ通路では、ほかの準備会スタッフが、段ボール箱をいくつも積載した台車を押しているところだった。カーブを曲がろうとしたときに、段ボールが崩れ落ちそうになる。

 危ない!

 そう思った瞬間、シュウジが手を差し伸べて、段ボールの瓦解を防いだ。


「あ、ありがとう!」

「うん。気をつけて」


 台車を見送ると、再びシュウジは腕時計で時間を確認し、またもや足早に歩き始めた。エスカレーターの前でしばらく立ち止まり、何人かがエスカレーターに乗るのを見送った後、おもむろにステップに乗り込んだ。シュウジの前には若い男性グループがいる。そのうちのひとりが、ふざけあってバランスを崩すと、シュウジが若い男性の背中をそっと押して、転ぶのを防いでいた。

 5分後。5分後。シュウジは「チート・デイ」のテクニックを使って未来を“予知”し、まるでネトゲの効率厨のように、会場内で起きる“ミッション”を次々と手際よく片付けていく。


「いまから5分後に、このエスカレーターの下に気分を悪くした女性がうずくまる。彼女を保護して救護室に連れて行ってくれないか? 江古田さん、女性がいたほうが相手も安心だろう」

「わ、わかったわ。アナタはどうするの?」

「5分後に4階の外で喧嘩が起きるので、仲裁してくる。あとで救護室に行くから、そこで落ち合おう。君らがいると手分けできるので助かる」


 ぼくとミズキは追い立てられるように屋上展示場に向かうと、はたしてそこには大きな荷物を抱えた女性がうずくまっていた。きっかり5分後。女性は顔色が真っ青だ。


「大丈夫? 気分悪い? わたしにつかまっていいから、救護室に行こっか」

「すいません。助かります」


 ぼくたちは救護室まで女性を連れて行くと、外に出てシュウジが来るのを待っていた。

 顔を見合わせると、ミズキは力なく微笑んできた。


「あの……さっきはごめんね」

「さっき?」

「言い合いみたいになっちゃって」

「ああ、気にすることないよ」

「ほかの人と違って、やり直しがきかない相手なのに、あんな言い方するなんて」

反復ループでやり直せなくても、謝ったり許したりできるからいいんじゃない?」

「そう……そうね! それで、ノアは……、彼のことはどう思うの?」

「彼って、シュウちゃんか」

「そう」


 ぼくはミズキの質問の意図をはかりかねていた。


「どう……とは?」

「彼、なんかちょっとヘンじゃない?」

「そうだな」

「でしょ?」

「でもな、ミズキ。ここはコミケだぞ」

「知ってるわよ?」

「基本的に、ここにはヘンな人しかいない」

「そうかもしれないけど、いや、そういう話じゃなくて」


 ミズキは少し押し黙ったあと、うつむいたまま、ひとつひとつ確認するように、ゆっくりと話し始めた。


「わたしね、やっぱりこの世界は夢じゃないか、って思うの」

「ぼくも最初はそう思った。でも、ぼくらはそれぞれ意識を持って行動しているし、記憶の継続性もある。夢というには辻褄が合わないんじゃないかなぁ? 違う時代の人間が同じ夢を見ている、ってこと?」

「夢を見ているのはわたしたちじゃない、としたら?」

「どういうこと?」

「誰か別の人が夢を見ていて、わたしたちは違う時代から呼ばれたんじゃないか、って考えたの」

「この夢にはホスト役がいて、ぼくらはゲストってことか」

「ヘンかな?」

「面白い。考えもしなかった。普通、夢といったら自分が主役だと思い込んじゃうもんな」

「だとしたら、その、ホスト役? 夢を見ている人は彼なんじゃないかな、って思ったの」

「シュウちゃんが? ……たしかに思い込みは激しそうなタイプだな」

「彼、この時代の人だし」


 そのときぼくは、タルコフスキーのSF映画『未来惑星ソラリス』を思い出していた。映画好きの叔父さんから勧められて近所のレンタルショップで100円で借りたけど、ぼくには難しすぎてサッパリだった。

 この映画に出てくる「ソラリスの海」は有機的な頭脳をもった高等生物で、近づいてきた人間の潜在意識を実体化できる。ソラリス調査に赴いた主人公の前には、10年前に自殺した妻が現れるのだった。

 この“有明の海”で夢を見ているのはシュウジで、シュウジが潜在的にぼくとミズキに助けを求めたので、ぼくらはこの夢の中に呼ばれた。そんな可能性はないだろうか?


「わたしたちが彼の“潜在的な欲求”なの?」

「仮説だけどね。“ぼくとミズキ”がピンポイントで呼ばれたというよりは、もっと大雑把に“違う時代の人”なら誰でもよかったのかもしれないけど。だから、シュウちゃんの願いがかなえられて、彼が満足のいく12月29日を送ることができたなら、12月30日を迎えられるんじゃないか、と」


 ぼくとミズキが、答えの出ない話を続けていると、ほどなくしてシュウジがやってきた。


「女性は?」

「無事だよ。ミズキが付き添ってくれた」

「そうか、よかった」

「シュウちゃんはさ、毎日あんな風に、この会場の中を人助けして回っているの?」

「そうだ」

「毎日、同じことを?」

「まったく同じではない。反復ループするたびに、人助けの人数を増やしている。効率を重視して、時間を管理して行えば、より多くの人助けができる」

「なんでそんなことを?」

「全員に快適な一日を過ごしてほしい」


 コミケの準備会スタッフは、運営組織によって雇われた被雇用者ではない。全員がボランティアである。それも、当日より前に準備集会に何度か足を運ぶことで、ようやく登録できるものだ。多少なりとも利他的な心がなければ、そもそもスタッフになることができない。ただシュウジの場合は、いきすぎな感もある。


「あの、シュウジさん、それはすごく立派なことよ。だけど、なんでそんなに張りつめているのかしら? わたし、最初ちょっとアナタが怖かったわよ」

「うむ、すまない。先ほど言いかけたことでもあるんだが、このコミケでは問題が起きた」

「そう、その問題ってなに?」

「午前中に火炎瓶を持ち込んだ男が逮捕された」

「え?」

「まだあまり表沙汰になっていないが、逮捕者が出たのは事実だ」

「なんで、そんな」

「今年の夏コミでは発火装置が仕掛けられたり、その前から脅迫状が届いたりしていた。だから準備会スタッフは、今回のコミケはかなり厳戒態勢で臨んでいたし、参加者に呼びかけて一斉点検をやるようになったんだが、残念ながら……」

「でも逮捕したんでしょ? それで一件落着じゃないの?」

「俺は、“まだ”だと思っている」

「どうして?」

「これまでに届いた脅迫状の数から考えると、単独犯とは思えない。コミケに恨みや不満を持つ人物は大勢いる。まだこの会場には、俺たちが見落としている何かがあるような気がしているんだ。オタクやコミケに対する世間の風当たりは強い。ここで何か問題が起きたら、コミケが開催できなくなる可能性だってあるんだ」


 ぼくは、バックパックから2016年のコミケのカタログを取り出した。


「いいか、シュウちゃん。これを見ろ」

「カタログ?」

「そう、2016年のコミケのカタログだ。裏を返せば、2016年までコミケは続いている。開催日数だって、この1998年には2日間だけど、ぼくの時代は3日間開催になっているだろ?」

「うむ」

「わたしの時代は1日開催だったわよ」

「サークルカットの数だって、この時代より多い。いまシュウちゃんが言ったみたいに1998年時点で何かあったとしら、未来にここまでコミケは発展していない」

「そう、そうよね。よく気づいたわ、ノア。えらいわ!」

「だから安心してほしい。これ以上のことは何も起きない。それは歴史が証明している」


 シュウジは、しばらくカタログに目を落としていた。その表紙に記載されている開催日時を、指の腹でゆっくりとなぞっている。


「ノア。お前の言いたいことは分かった」

「そうか、じゃあ……」

「特撮……」

「はい?」

「たとえば『仮面ライダー』でも『レインボーマン』でもいいんだが、世界は滅亡の危機に瀕するよな?」

「う……ん。何の話?」

「それでも現実の世界は何事もなかったかのように続いている。なぜだと思う?」

「……えーっと、ヒーローが人知れず世界を救っているから?」

「そうだ。そういうことだ。ノアの時代に何事もなくコミケが続いているのはなぜだと思う?」

「それは、準備会スタッフが人知れずに頑張っているから?」

「ちがう。ここでは全員が参加者だ。サークル参加者も、一般参加者も、準備会スタッフも、参加者全員がこの場を守ろうとした結果だ」

「そ、そうか」

「2016年までコミケが続くなんて、すばらしい未来だ。それが“正しい歴史”だとしたら、俺たちはそこに導かなければならない。いまはその未来ににつながっていないから、12月29日を反復ループしているんじゃないか?」


 なんだか禅問答のようになってきた。


「これ以上、何事も起こらないという確証が得られない限り、俺はいまのルーチンを変えるつもりはない。会場を警備し続けるし、人助けをし続ける。イレギュラーな要素は排除し続ける。ノア、お前のことも最初は秩序を乱すイレギュラー要素だと思っていた。すまない」

「それはもういいんだけど……」

「しかし、この広い会場をひとりで守るには限界がある。どうしても目の届かないところもある」

「そりゃ、そうだろ」

「同時代の人間にこれから起きる出来事を説明しても、気味悪がられるだけだった。そこにお前たちが現れた。先ほど手伝ってくれたのは、本当に助かった。俺はお前たちのような存在が目の前に現れることを、心のどこかで望んでいたのかもしれないな。これで安心して、より警備に専念できる。お前たちには感謝してる」


 なんだか話の雲行きが怪しくなってきた。

 やはりミズキの推論どおり、シュウジがホスト役なんじゃないだろうか?

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