爆発
「そろそろ動き出しますよ」
牛山健二がぼく起こしてくれた。
これで8回目の12月29日を迎えたことになる。
頭の側面からこめかみにかけて、ハッキリと痛みを感じていた。
待機列から西館4階までの道すがら、“前回”の出来事を思い出す。
あれからシュウジは閉会の4時まで手際よく人助けをし続けていた。4時からシュウジは片付けに向かうため、そこで別れることになったが、その際に彼は「俺の“任務”を手伝ってくれないか」とぼくとミズキに持ちかけてきた。きょうの閉会直前にエントランスプラザで合流して、その返答をすることになっている。
ぼくはこれから西館4階入口の待ち合わせ場所でミズキと落ち合い、どうするかを相談する予定だ。
待ち合わせ広場に入ったぼくは、少し速足で歩き、小男が出てくるのを待った。小男が小走りに広場を横切ると、準備会スタッフの声に驚いて紙袋を落とそうとする。ぼくは瞬間的に手を差し出して、紙袋が通路に落ちる寸前にキャッチした。
「あ、あ、ありありが……」
小男は顔を真っ赤にして、お礼を言おうとしている。ぼくは右手を軽く上げて、愛想笑いでそれを制すると、ほどなくしてミズキが姿を現した。彼女はスタジャンにジーンズで、コスプレはしていなかった。
「よう。コスプレはもうやめたの?」
「うん……。いくら可愛い衣装でも、知らない作品だと味気ないもの」
「そういうもんか」
「そうよ。それで……どうするの?」
「ああ、ぼくは協力しない」
「あら。どうして?」
「シュウちゃんは100回以上も同じことをしていて、反復を脱け出す手がかりを見つけていないんだ。彼に同行しても、ぼくらが帰るヒントは見つからないと思うんだ」
「それもそうね」
「ミズキはどうするの? やっぱり元の時代に帰りたくない?」
「うう、ん。それなんだけど、わたしも帰ろうかな……って」
「うん」
「晴海で着られなかったラムちゃんも、じゅうぶん着たし」
「そっか」
「なんだか反復するたびに、頭痛がひどくなっているし」
やっぱりミズキもそうだ。最初は違和感くらいにしか思っていなかったけど、目覚めたときの頭痛はだんだん重くなっている。人間は眠ることで記憶の整理をしているというが、眠れずに反復して記憶だけが蓄積していくぼくらは、それだけ脳に負担をかけているのかもしれない。
すでに100回以上も反復しているシュウジは、いったいどれほどの頭痛を感じているのだろうか。彼の脳は、完全に過重負荷状態ではないだろうか。想像すると、恐ろしくなってきた。
「で、ノアはどうなの?」
「え?」
「1998年にいたいわけじゃないけど、何か心残りがあって?」
自分でも気づいていなかった部分を見透かされたみたいで、ぼくはギクリとした。
正直に言えば、そういうところはある。
ぼくは未来を知っている。2001年の9月11に何が起きるのかも、2011年の3月11日に起きる出来事も、それから父親が死ぬことも。そして、それらの知識が、この時代では役立てられないことも。
ぼくの中に帰りたくない気持ちがあるとしたら、未来の知識を役立てられないことへの口惜しさが元になっていると思う。ぼくはそれら一切をミズキに話した。
「そう……。でもね、世界を救うことはできなくても、あなたのお父さんには何か伝えることができるんじゃない? お父さんは、何で亡くなったの?」
「無理だよ」
「どうして?」
「ALSだから」
ミズキはハッとした表情を見せた。看護系の学生だから、さすがに知っているようだ。
ALSは、正式には「筋萎縮性側索硬化症」という。父親がその病気にかかるまで、ぼくもその名前は知らなかった。運動神経が侵される病気で、徐々に体が動けなくなっていき、寝たきりになり、最後は呼吸ができなくなる。この病気の原因はわかっていないし、治療法も確立していない。何年か前に、アイス・バケツ・チャレンジで啓蒙していた難病だ。
予防だってできないし、治療も難しい。そんなことを本人に伝えて、何になるのだろうか。
「やっぱり過去は変えられないな」
「う……ん、わたしにとっては未来なんだけどね」
「そう、か。そうだよな」
「歴史に正解なんて、あるのかしら」
ぼくたちは、それきり、その話題をしなくなった。
いままで訪れたことのないサークルスペースを、ふたりで見て回った。ミズキは、つとめて明るく振る舞ってくれている。
優しい人だな。
ぼくはつくづくそう感じていた。
3時50分。
ぼくとミズキはエントランスプラザに出て、シュウジと再会した。
「シュウちゃんは、今日はどうしてたの?」
「いつもどおりだ」
「ひとつ確認しておきたいんだけど、朝起きたときに頭痛は?」
「だんだん長引いているな。起きた瞬間は身動きができないくらいだ」
やはり、だ。反復し続けると、身体に悪影響が出てくる。この反復は無限に続くように思えたけど、先にこちらの精神がマイってしまう可能性がある。
「イレギュラーを排除しようというシュウちゃんの考え自体には、同意するよ」
「そうか」
「ただ、ぼくらもこの時代にとってはイレギュラー要素なんだよ。だって、本来はこの時代にいちゃいけない人間なんだから」
「それは、そうだな」
「だからぼくたちは、帰る手段を探すことを優先したい」
シュウジは表情を変えずに聞いている。感情が読み取れない。
「まあ、ミズキはあんまり帰りたくなかったみたいだけど」
「だって! 3年になったら就職活動だってあるのに、いつまでも円高不況で景気は良くならないんだもの。来年から男女雇用機会均等法が施行されるってニュースで言ってたけど、それだってアテにならないわよ」
「大丈夫だよ。景気は良くなるよ。詳しくは言えないけど……なあ、シュウちゃん」
「そうだな。“良いあとは悪い、悪いあとは良い”と言うしな。そうか、85年はバブル前か」
「ヤバいよシュウちゃん、あんまり未来のことを教えちゃ」
「お、そうか。いまは就職氷河期で求人倍率は最低だけど、これもそのうち良くなるよな?」
「あ、うん、そうね。いや、どうだったかな?」
「……おい」
「ねえ、わたしたちの国って、いつも景気悪いの?」
「いや、つまり、未来のことはわからない、ってことだよ。勝手にあきらめて希望を失うのはよくないよ。そういうことだよな?」
ミズキの推論――この世界がシュウジの見ている夢で、ぼくらはそこに呼ばれた――が正しいと仮定した場合、ホスト役のシュウジを刺激するのはよくない。できるだけ穏便に話を進めたい。
「シュウちゃんはこれまで100回以上も反復しているわけだろ?」
「ああ」
「それで、この反復を脱け出す手掛かりは見つかった?」
「まだだ」
「でもシュウちゃんは、普段の行動を変えるわけにはいかないんだろ?」
「ああ」
「だったら別行動をしたほうがいいかな、と思うんだ。毎日、情報交換はするとして」
「……そうか。お前たちとなら状況を変えられると思ったんだが。残念だ」
シュウジの表情が、一瞬、苦悶にゆがんだように見えた。
次の瞬間、後方で大きな爆発音がした。
ドカン!
逆三角形をした建物――コミケのシンボルともいえる会議棟から、もうもうと黒煙が吹き出ていた。ビッグサイトの入口付近にいた参加者たちは、いっせいに逃げまどっている。
まさか。
この時代のコミケでテロが起きたなんて、そんな歴史はない。
ぼくはあわてて視線を会議棟からシュウジへと戻した。
「……すごい、まるで特撮だ……」
シュウジが、そうつぶやいているのが聞こえた。
女性の叫び声が遠くで聞こえる。地下鉄でカーブを曲がるときの音によく似た、甲高い声だった。




