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番外編


 ある晴れた日の、午前十一時三十分。本日の俺の最重要任務は、変異種の駆除ではない。

 出張先の食堂で、名物のカツ丼を、心ゆくまで味わうことである。


 ことの発端は、三日前にデスクへ回ってきた、一枚の出張命令書だった。

 隣町、黒岩地区。かつて栄えた鉱山の跡に空いた、過疎ダンジョン。そこに変異種が湧いた、という。

 本庁は「費用対効果が低い」の一言で、長らくこれを放置していた。が、放置した魔物が坑道の外へ這い出る兆しを見せたため、しぶしぶ駆除命令が出た。担当――三船町管理出張所、新条蓮治。要するに、誰もやりたがらない仕事が、いつも通り、俺のところへ流れてきたわけだ。


 俺に、不満はない。

 なぜなら黒岩地区には、創業六十年、知る人ぞ知る『お食事処 やまびこ』の、伝説のカツ丼があるからだ。


 ……いや。順序が、逆だな。

 出張であれば、昼食は「戦闘糧食費」として経費で落ちる。つまり、合法的に、あのカツ丼を食べに行ける。であれば、ついでに変異種の一匹くらい、処理して差し上げよう。それが、社会人としての筋というものだ。


 黒岩ダンジョン、第一坑道。

 苔むした岩肌の奥から、地鳴りが響いてくる。やがて姿を現したのは、全身を鉱石の鎧で覆った、岩の巨人――Bランク変異種『ロック・オーガ』。坑道いっぱいの巨体が、丸太のような腕を振り上げた。


 俺は、欠伸を噛み殺しながら、型落ちのタブレットを起こす。

 もっさりとした動作で、見慣れた行政UIが立ち上がった。岩の巨人の輪郭が、青いワイヤーフレームへと置き換わり、脆弱性が赤くハイライトされる。


「誠に恐れ入ります。あなたは『鉱山保安法』、ならびに当該区域の立ち入り制限に抵触する、不法占拠物に該当します。これより、システム監査に基づき、執行停止――デリートいたします」


『不法占拠物排除申請書』を呼び出し、対象を選択。決裁アイコンを、ダブルタップした。


 虚空に、白い文字列が走る。


『Error 404: Object Deleted』


 岩の巨人が、ピクセル状のブロックノイズへと分解された。悲鳴も、爆発もない。坑道を揺らしていた巨体が、不要なファイルのように、音もなく虚空へ吸い込まれて消える。


 所要時間、十二秒。俺は時計を見た。十一時二十八分。


「……よし。昼休憩に、間に合う」


『お食事処 やまびこ』は、坑道を出てすぐの、街道沿いにあった。

 暖簾をくぐる。運ばれてきたカツ丼は、丼の蓋が閉まりきらないほどの大盛りだった。黄金色の衣、とろりと半熟の卵、つやめく割り下。

 ひと口、頬張る。


 ……うまい。


 さくりとした衣の歯触りの奥から、肉の旨味と、甘辛い出汁が、じゅわりと染み出してくる。世界に変異種が湧こうが、本庁が地方を見下そうが、この一杯の前では、すべてが些事だ。

 九百八十円。安い。むしろ、安すぎる。


 俺は、米の一粒も残さず平らげると、店主に告げた。


「ご馳走様でした。領収書を、一枚いただけますか。宛名は『ダンジョン省』で。但し書きは――『戦闘糧食費』で、お願いします」


 店主が、怪訝な顔で筆を走らせる。

 受け取った領収書を、俺は財布の最も大切な場所へ、丁寧に仕舞った。

 これは、労働の対価である。坑道で変異種と相対し、それを処理した俺が、その直後に摂取した、正当な栄養補給。立派な、戦闘糧食だ。経費で落ちないわけが、ない。


 午後五時十五分、三船出張所。

 俺はきっかり定時にタイムカードを押し、デスクで、本日最後の事務作業に取りかかった。

 様式第八号、旅費精算書。カツ丼の領収書を、所定の枠に、まっすぐ貼り付ける。九百八十円。完璧な書類だ。

 これが後日、本庁財務課によって、にべもなく『否決』されることになるとは。このときの俺は、まだ、知らない。


 ポケットの端末が震えた。妹の琴音からだ。『お兄ちゃん、出張おつかれさま! 今日の晩ごはん、何がいい?』。俺は少し考えて、返信した。『カツ丼以外で』と。


 帰り支度をしていると、デスクのモニターに、本庁からの通達が一件、灯った。


『三船町管理出張所宛。来週付をもって、本庁より新人職員一名を配属する。氏名、氷室綾乃。階級、Sランク。現場指導を一任する』


 ……Sランクの新人が、こんな過疎の出張所に。

 何かの間違いか、あるいは、本庁の厄介払いか。

 まあ、いい。誰が来ようと、俺の業務は変わらない。八時三十分に登庁し、坦々と事務処理をこなし、十七時十五分に退庁する。それだけだ。


 俺はモニターを閉じ、財布の中のカツ丼の領収書を、もう一度だけ、確かめた。

 うん。明日も、定時で帰ろう。


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