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「茜さん、今晩はわたくしの布団で一緒に寝ませんか?」
小春がそう切り出してきたのは夕餉を終えて自室に戻ってきた後、すっかり日も暮れて辺りは夜の帳に包まれている時間帯だった。
部屋の灯りを付けて静かに書物を読んでいた茜は、その言葉に思考が追い付かず口をぽかんと開けて動きを止めた。
一緒の布団で寝る。それはつまり恋人同士の― いや、そうじゃなくても同じ布団で寝ることはある。
そう、元の世界にいたころはパジャマパーティーなる言葉もあったし、寄り添って眠るからといっていかがわしい事柄があるわけじゃない。これは友愛を深めるために誘ってくれたものなのだ、と理解する。
小春の表情を見ても情欲の色があるわけでもなく、至ってただ単純に一緒の時間を過ごしたいと言っているようだった。
でも、それを理解したとて返事をどう言えばいいかすぐに決まるわけでもなく。
結局次の言葉も小春の口から続いた。
「茜さんと色々お話ししてみたいこともありますし、せっかくこうして共に暮らしていますのでどうでしょうか」
「…………えっと、それじゃあ、わたしも賛成です」
ほら、やっぱりそういう理由じゃなくてお互いをより知るための機会なのだ。
茜はそう考えて納得する。いや自分を納得させると言ったほうが良いか。
そうして茜が小春の布団に入ったのはそれから十分ほど後のことだった。
今晩は自分の布団が必要ないからと押し入れへ片付けて、そうしている間に緊張する気持ちを抑えて。
それから襦袢に乱れがないか確認して、寝る前だけど髪も整えて。
それから小春が布団に入ったのを見届けて、部屋の灯りを消してしまえばいよいよ戻れなくなる。
布団の半分空いた部分に茜はゆっくりと入り込んだ。
暗い部屋の中、隣にいる小春の存在を肌と空気で感じる。
まだ暗闇に慣れていない目はその輪郭しか映さないけれど、小春がこちらを向いていることはわかった。
「茜さん、わたくしの布団へようこそ、です」
「えっと、お、お邪魔します」
「わたくし、人と一緒に寝るのは初めてなのですが……二人だと暖かくて落ち着きますね」
初めてなのに自分から誘ってきたのか。それに少し驚く。
でもそれくらい自分のことを好いてくれているというのが茜は嬉しかった。
「小春さんは、急にどうしてですか? わたしと一緒なんて」
「今日食事処で他の方のお話を聞きましてね。巫女たちの中には同室の者同士で寄り添って眠っていることもあると言っていたので、わたくしも茜さんと試してみたいな、と」
「じゃあ、その人たちも仲良しなんですね。わたしたちみたいに」
「ええ、そうですね。ふふっ」
肌が触れ合っているわけではないけど、二人分の体温で満たされた掛け布団の中はほんのりと暖かくて、このまま動きたくなくなってしまうくらい心地良かった。
「あの、茜さん。わたくし、聞いてみたいことがあるのですが」
「は、はい……なんでしょう」
やがて目が暗闇に慣れてきた頃、こちらへ少し身を乗り出した小春がそう尋ねてくる。
眠る前の様子とはなにか違う、真剣な色を帯びた瞳から目が離せない。
「茜さんはこの国での暮らしにも慣れて、満足しておられると思います。ただ、だからこそ気になるのです。元いた世界に未練はないのかと」
小春に言われて、この話題をあえて考えないように意識の外に放り出していたことを実感させられる。
そう、茜は元いた世界について考えないようにしていた。
女神の国という場所は茜の性格に合っていて、本当に穏やかな心持ちで暮らせるとても良い場所だ。
ここで寿命を終えるまで暮らしてもいいと思っている。思っているのだが。
ただ、一つだけどうしても茜の脳裏にちらつく影がある。
もちろん彼女のことだった。
「未練は、ほとんどありません。ただ、一個だけどうしても忘れられないことがあって」
「……幼馴染の方のことですか?」
「……よくわかりましたね」
そう返すと小春はくすっと笑って言葉を続けた。
「初対面の時、わたくしが見た中で茜さんの一番感情が表に出ていた時がそこでした。わたくしをその方と勘違いして必死に語り掛けるところが。ずっと茜さんを見てきましたが、その時のように感情が大きく揺らぐことはなかったように思います」
「……小春さん」
「それでよいのです。女神の国は静かに心穏やかに過ごせる場所です。むしろ感情に揺さぶられず、自分を落ち着いて保てるのはよいことなのです」
小春の目が伏しがちになって、小さく呟くように、でも茜の耳には届くように言葉を紡ぐ。
「ただ、少しだけ不安だったのです。茜さんの心がいつも不安になっているのではないかと。せっかくこの地で暮らしているのに、辛い思いをしているのは悲しいことですから」
小春はどこまでも茜のことを思いやって考えてくれている。
そんな彼女に自分はどう言葉を返したらいいだろうか。心の中でゆっくりと考える。
「確かにまだ彼女のことを考える時もあります。でも、普段の暮らしにはとても満足していて、静かに暮らせているので、そんなにたくさん思い返したりすることはないです。だから、小春さんが心配するようにはなっていません。安心してください」
「そう、ですか」
少しだけ寂しそうな表情をした小春の意図を理解してしまう。
未練があるのにそれを忘れさせようとしてしまっているこの国と自分に対する負い目。
「元の世界に帰る手立てはありませんし、わたし、ここに来れて良かったと思ってるんです」
「茜さん……」
「だから、小春さんが気に病むことはありません。いつもわたしと一緒にいてくれてありがとうございます」
そう言った自分の顔はうまく笑えていただろうかと茜は少し心配になるけど、これが今の正直な気持ちなのでちゃんと届いていることを祈る。
そうしてそれを受け取った小春は少し考えて、それから納得したように頷いてみせた。
「そうですか。茜さんが苦しんでいないのであれば、わたくしはそれで安心しました」
「はい。小春さんが悩んでいてもわたしも辛くなりますから。じゃあ……よしよし」
「……!」
茜が小春の頭を撫でる。いつか眠れなくなった小春をあやした時のように。
絹みたいにサラサラの髪の毛が指の間を流れていく。
でも、撫でられている側の小春はなにやら納得しないようで、むくりと頬を膨らませている。
「……わたくしも、茜さんの頭を撫でたいです」
「じゃあ、はい。どうぞ」
「…………あっ、茜さんの髪、柔らかくて気持ちいいです」
自分の頭を差し出すように動かせば、小春の手がそれを静かに撫でていく。
髪を褒められるのはなんだか気恥ずかしいけど、それで小春が喜んでくれるのなら嬉しい。
そうして身を寄せ合って、他愛もない話をしながら二人は夜を過ごした。
喋り疲れたように眠りに落ちたのは布団に入ってから1時間以上過ぎてからのこと。
ただ、眠りにつく前の茜の思考の片隅をまた彼女のことがよぎる。
そういえば穂香とこうして一緒に眠ったことはあっただろうか、と。




