無表情娘の恋路を応援大作戦 5
ところで、現代日本の無法地帯と言えば、何を連想するだろうか。
セールが告知された瞬間、全てを踏みつぶせと言わんばかりに殺到するファッティなおばちゃん集団?
否。
同人誌即売会の日に始発電車から、アキレス腱が切れてもかまわんと言わんばかりに走る運動不足のオタク連中?
それも否。
もっとわかりやすいものがある。それは日常的に発生する。それはよほどの限界集落でない限り発生する。そして今、この中世ヨーロッパの世界に、本来の歴史より数百年も早く発生した。
すなわち、自転車の違法駐輪である。
俺は今この瞬間、確信をもってそう言えた。この王都内でバイクが流行する速度はなかなかに早かったようだ。考えてみればそれは当然で、これまで個人の移動手段としては自転車すらもなく、町の中という狭い範囲を馬で移動するのは大袈裟に過ぎた。
そこに、自転車を通り越して便利なバイクの登場だ。現時点では運転免許証なんてものも必要なく、この王都内においてバイクは、まるで現代日本における自転車のような気軽さで用いられていた。
当然ながら事前に法整備など一切行われていない。加えてここ数ヶ月、王宮からすれは半年も前からグリプス元王国との戦争に備え、そして戦後は戦後で処理にてんやわんやしていたので、未だにこの惨状が解決する目途が立っていない。バイクの運転やら駐輪場所やらのあってしかるべき道路交通法が制定されるのは、果たしていつの日になるだろうか。
結果として、大量のバイクがそこらの道路や店先に、住人の迷惑も顧みず、大量に駐輪されているのである。
もちろん、俺たちが駐輪するような場所などあるはずがない。
「……これは想定しておりませんでしたわね」
グレイたちが乗っていた馬車は、事情がバイクとは完全に異なる。既に適切な施設に駐車され、本人たちはミュージカル会場へと足を運んでいる頃合いだろう。こんなところで時間をかけている場合ではない。
ところで、俺は小心者だ。
《感想:嘘ですね》
―――嘘ですわね。
喧しいよ馬鹿。俺は小心者だ。この違法駐輪、いや、まだ法整備されていないから違法ではないので、迷惑駐輪と言うべきか。愛車ローズラビット号をこの迷惑駐輪の輪の中に入れるのが躊躇われる程度には。
みんなやってるからいいよね、という倫理観の欠如、駄目だと思うんだよね。
―――この人、鏡を見たことないんですの?
《感想:自己評価としてはある意味間違ってはいないかと。大勢がやっていようと関係なく、自由に我が道を行く人ですからね……》
そうして駐輪場所に困って、ゆっくりと移動しながら周囲を見渡していると、俺たちに向けて大きく手を振っている男を見つけた。
「あ、親衛隊の人ですよ。前に見たことがあります」
バイクから降りて手で押しながら、その男の側へと近付く。髭面の30代くらいの男だ。今回は流石に第一王子親衛隊の白い制服は着ておらず、そこいらにいる目立たないモブ村人のような、野暮ったいクリーム色の麻のシャツと、焦げ茶色のズボン姿だった。
「どうも、お嬢様がた。乗り物はこちらにお隠しください」
そう言って親衛隊の男が案内したのは、かなり大きめの馬車だ。雌型騎乗士が二機か三機がかりで運ぶような代物である。運搬用の騎乗士の姿は見当たらない。荷台にある荷物には幌がかけられており、俺たちはスロープを使ってバイクを荷台にあげ、その幌の中にバイクを隠した。
俺たちがバイクを停めている間に、親衛隊の男は通信機でどこかと連絡を取っている。そして彼は俺たちの方を振り向き、
「お急ぎを。例の二人は既に会場に入ったそうです。会場担当の隊員が、三人分のチケットを準備して待機しています。そいつからチケットを受け取ったら、すぐに入れる手筈になっていますんで」
「分かりましたわ。では、また後で」
「ありがとうございます!」
「あざっス!」
三者三様に返事をして、俺たちはミュージカル会場へと急ぎ足を運んだのだった。
●
件の隊員からチケットと「二人は中央の前から7列目に座っています」という情報を受け取り、俺たちはミュージカル会場の中に入った。
会場は既に薄暗い。人気作という訳ではないのか、客の数もさほど多くなく、そこら中に空席が目立つ。舞台の上では大仰な身振り手振りで動く、赤いドレス姿の女にスポットライトが当たっていた。演劇は既に始まっているのだ。
俺たちは一番後ろの席、それも端の方に座る。
「見つけました」
アリスが即座にそう言った。左目を閉じ、右目で右手の人差し指を曲げて作った極小の輪を覗いている。俺とリアもオペラグラスを取り出して、アリスが見ているのと同じ辺りを覗き込んだ。
俺も見つけた。グレイとターニャの後頭部。かなり前の方に座っているせいか、オペラグラスの類は使っていないようだ。
「そういえばっスけど」
オペラグラスを覗き込んだまま、リアが言う。
「これ、なんてタイトルの劇っスか?」
そう言われて、俺も劇の中身を気にしていなかったことに気が付いた。なにせ今、現在進行形で生のドラマを見ている気分だったからな。
チケットを見る。薄暗いが、文字が見えないほどの暗さではないので、辛うじて書かれた文字が判別できた。
入場済であることを表すはんこが押されたチケットには、こう書かれていた。
『七の稲光を駆けた二人の姫』と。
……あれ?
…………うん。
これ、俺たちが題材じゃね?
となるとなんだ、あの部隊の上で白い服を着た男はもしかしなくてもリギアを演じていて、そいつに腰を抱かれてイナバウアーみたいにのけぞっている赤いドレスの縦ロール女は俺を演じているのか? もう一人の赤いドレスのツインテールはフラウなのか?
おおお、なんか急に背筋がぞくぞくしてきた。すごく気恥ずかしい。
「グレイ様はなんてものを見に来ておられるのですか……!」
「いや、いい方法だと思うっスよ。だってターニャを相手に、自分が戦争でどんな活躍したかを自分で説明するの、よほど心臓が強くないと到底出来ないと思うっスよ」
なるほど、リアの意見にも一理あった。
「それはそれとて、実はウチってこの国のミュージカルって初めて見るんスよね。へー、センパイたちってあんな風にやってたんスね」
「あの、リア? 恥しいのであまり見ないでいただけると……。あと、何を話したかなんてのは普通に軍事機密なので、あそこで演じているのは100%想像上の物ですわよ」
「えっ?」
「えっ?」
リアが座るのとは反対側、アリスが突然そんなことを言ったので、俺も思わずそう言ってしまった。
「あの、マリア様たちが忙しくしていた頃、取材をしたいという方がいらして、あたしとグレイ君たちを含めた4人でそれを受けたんですけど……。その旨はマリア様にも伝えたはずなんですけど」
……そう言えば、そんな報告を受けた記憶がある。
『ラララ~~~♪ 獅子の尾を踏んだ愚か者の末路を~~~♪ 歴史に刻んで差し上げましょう~~~♪』
どこかで聞いたことのある台詞が、音楽と共に俺の耳の中に入ってきた。
じ、地獄か……!
●
俺はグレイとターニャに集中することにした。正しくは、ミュージカル以外に気を払うようにした。舞台を見ていると精神がガリガリと摩耗していくのが自覚できるからだ。
ミュージカル会場はイチョウ型、円を四等分にしたような形をしている。中央部分に部隊があり、そこに向かって大量の椅子が並んでいる形だ。
椅子は3割程度が埋まっていた。あまり人気がないようで幸いだと思ったが、ふとチケットを見てみると、この演劇は既に一ヶ月ほど前から公演されているらしい。単に時間が経って見る人が減っただけなのではという考えを、俺は首を振ってかき消した。
「……うん?」
人が増えた。俺たちより後、俺たちが入った出入り口とは逆の角から、男と思しき二人組が会場に入ってきたのだ。そしてその二人は俺たちのように、出入り口近くの角に座った。そしてオーケストラを見るでもなしに、二人して会場全体を見渡し始めた。
自分たちも同じ行動を取っていたからよく分かる。
怪し過ぎる。
演劇が始まって、おそらく30分程度が経過している。この劇は約一時間半の予定だ。全体の3分の1が終わっているのに、このタイミングで劇場に入ってくるのは明らかにおかしい。
スタッフかという想像を、俺は即座にかき消した。なんせ、二人組はそろってオー・ド・ショース……カボチャパンツを履いていたからだ。一部の貴族が好んで着るような、あんな格好の職員がいるとは考え辛い。
そして貴族であるのならば、このタイミングで入ってくるのは、なおのこと怪しいと言える。というのも、少し前までは多くの貴族が過労死寸前なほどに多忙となっていたが、未だに忙しいのは極一部の連中だ。具体的にはレオニスとヴァイト周り。
つまりここにいる時点で暇を持て余している貴族であり、暇を持て余している貴族であるならば、既に3割を消化した劇を途中で見るよりは、次の公演が始まるのを待つのが理にかなっているはずなのだ。
そして3割ついでにもう一点、おかしい部分に気付いた。それは、この劇場の状況だ。
王都で行われるミュージカルとなれば、おおむね二つのパターンに振り分けられる。
人気作が何年も、場合によっては何十年も続く場合。いわゆるロングセラーと呼ばれるものだ。当然ながら、こんなガラガラになることはない。
もう一つは、今回のような新作が公演される場合。この場合も、同じくこんなにガラガラになることはない。何故なら、人が集まらなくなったなら、即座にロングセラー作品に切り替えてしまうからだ。
なので今のように、席が3割程度しか埋まっていないというこの状況自体が既におかしいのだ。
そして、客席に座る人々の座る位置。
グレイたちを除いて誰も彼もが、中央付近に座るのを避けている。最初は都合がいいと思ったが、こうして違和感に気付くと、この状態も異様と言えた。そして客席に座る連中を観察していると、もう一つの傾向がある。
前方、グレイたちより前に座る者たちは、周囲の人間と談笑しながら劇を観ている。おそらく普通に劇を観に来た客だ。ああ、マナー違反というなかれ。ここは現代日本の映画館ではないので。この国では、劇の最中に今のシーンはああだ、いやこうだ、と劇を観ながら感想を言い合うのが文化なのだ。それもあって同じ作品を何度も見に行くという状況が発生するのだし、結果として客席が中途半端に埋まるということは殆ど無くなる。
一方で、グレイたちより後方に座る連中は、客と呼べるかも怪しい。この国の演劇の多くは、演劇の進行中にでも客が歓談出来るようにと、話に緩急が付けられていることが多い。今行われている『七の稲光を駆けた二人の姫』もそのお約束を踏襲している。そして、件の連中は劇の盛り上がりどころであろうとステージを見ずに、周囲の相手と顔を突き合わせて小声で話している様子が見受けられるし、話がゆったりと進んでいる時に静かに前を見ているのだ。これではあべこべだ。
―――間諜か、あるいは妨害工作のための下見でしょうか。
あー、それはありえそうだなぁ。これって要するに、俺たちがどんな流れでどんな戦いをしたかっていうののダイジェストでもあるんだよな。他国の連中なら喜んで見に来るだろう。演劇を、ではなく軍事的な情報収集の一環として、だ。
そう考えると、盛り上がりどころ、つまり過剰な演出シーンではなく、そこに向かうまでの流れを重視するというのは分からないでもない。どんな戦いをしたかという部分が派手になり過ぎていて、現実的な参考にはならないからだ。
……いや、この怪しい状況も、あの怪しい二人組のことも今は置いておこう。重要なのはグレイとターニャだ。ぶっちゃけこれ以上の厄介ごとは御免蒙りたい。
俺が改めてそう考えた時である。
ターニャの身体がふらりふらりと不規則に揺れ、こてん、と、その頭をグレイの肩に預けたのだ。




