第一話 午後0時
あの日のことは、鮮明に覚えている。
この日に会話したことや出来事だけでなく、クラスメイトの表情や声、教室に広がる匂いや机の天板の感触まで、鮮明に覚えている。
それは、忘れてはいけないと思い、何度も何度も思い出した記憶だからだ。
でも、その記憶は、子供の時に書いた漫画の写し書きのように、思い出す度に形が変わり、本当は全く別の形をしていたのかもしれない。
私は思い出す度に、その日から遠くなっているのだ。
小学六年生の7月5日。あの日は給食がない早帰りの日だった。
四時間目の授業が終わり、他のクラスメイト達がランドセルを取り出して帰りの支度をする中、私は席を立たずに考え事をしていた。
「……ミナ!、……ミナ!」
前の席に座る友人の咲良の呼びかけにようやく気づき、私は慌てて後ろのロッカーからランドセルを机に運ぶ。
「今日のミナって、随分ぼーっとしてるよね。」
急いで帰りの支度をする私をみながら、咲良がため息まじりに言った。
「髪のリボンもなんか曲がってるしさぁ」
そう言いながら、咲良は私のハーフアップに不器用に結ばれていたリボンをほどき、きゅっと結び直してくれた。
縁に茶色の刺繍が施された、赤色のリボンだ。
「いつもはお母さんに結んでもらうけど、今日の朝は時間がなくてさ」
結びなおされたリボンに施されている銀色のストーンを指で触りながら、誤魔化すように笑った。
その時、後ろから興奮した様子の美月の声が耳に飛び込んできた。
「ねえねえ、二人とも見て見て!!」
手には授業用のタブレットを持ち、YouTubeの画面を開いていた。
「ほら、これUFOなんだって!昨日スカイツリーの上に出現したらしいよ」
そう言って、見せられた動画にはスカイツリーが映っていた。梅雨空の厚い曇のすき間から、小さく左右に不自然に動く光が見えた。
「なんかの自然現象でしょ。それか、AI動画」
咲良が冷たくと言うと、美月はいかにもつまらないと言った様子で口を尖らせた。
「ミナは信じる?」
「えっ…………」
私の考える隙も与えず、担任の怒った声が教室に響いた。
「まだ教室に残っている人!!あと5分で教室から出てくださいね!」
時計を見ると、針は12時を指そうとしていた。今日の最終下校時刻は12時10分。
「もう帰ろう」
咲良がそう言うと、美月は慌ててタブレットをランドセルの中にしまった。
私も机の上に置いてあったランドセルを背負う。
その時、聞き馴染みのある音楽が窓の外から聞こえてきた。
ソドー シーラーソー ラーシドミーミー ファーレードー
「そういえばこの曲、『スコットランドの釣鐘草』っていうらしいよ」
美月がそう言った。
そうなんだ。この曲にも名前があったんだ。
昼の12時ちょうどの時間になると毎日流れる町の防災無線の音楽。
幼い頃から聞いているが、何の曲かは知らなかった。夕方の6時にも流れる。外で遊んだ日、この曲が家に帰る時間の合図だった。
スコットランドって、どこにあるんだろう?
遠い場所の曲を、知らずにいつも聞いてたんだ。
そんなことを考えて、いつもは聞き流していた防災無線の音楽をその日は注意深く聞いていた。
どこか落ち着く、優しいメロディー。
しかし、教室を出た瞬間、そのメロディーが低く歪み、不気味に耳に鳴り響いた。
それと同時に目の前が幕を閉じたように、真っ黒になった。
思わず立ち止まった。
…何、怖い………
ふっと視界が戻った。
ソー ミドミソミソー ドー
元の響に戻り、静かに音が消え去ると、ふと我に返った。
「……え…………」
小さく発した声が、教室に響いた。
私は教室で一人になっていた。
さっきまで話をしていた咲良も美月も、教室にいた他のクラスメイトも、先生も、みんなが一瞬でいなくなったのだ。
時計の秒針がうるさく響く。
空っぽになった教室から一歩も動けずに、しばらく立ち尽くすしかなかった。
ーーこれは、私が見た地球最後の日の記憶だ。




