カリン:罰
さっきまでの怒りが過ぎ去り、残ったのは底なしの絶望だけだった。
膝から崩れ落ちたことにも気づかない。
どうしてリズなんだ。どうして…
「どうして?うーん」
口から言葉が漏れていたことにも聞こえない。まるで、自分の身体が自分のものではない感覚。
ユユは、わざとらしく顎に手を置く。
「胞子の適合ができる遺伝子が、限られてるんじゃない?かわいそうだなぁ!」
絶望から逃れるための感情を探しても、辿り着くのは"それ"ばかり。
目を瞑っても頭に響く声。耳を塞いでも脳裏にこびりついた顔が僕を覗く。
心臓が冷たく沈んでいくのに、身体だけが熱を帯びている。
怒りも、悲鳴も、何もかもが、下腹部の不快な熱に塗り潰されていく。
「…おい、カリン!」
師匠に肩を揺らされて、我に返る。ユユとリズはもう居ない。
さっきまでの広場は、虫が数匹歩いている。
「師匠…リズは…」
「ユユは取り逃した。すまない…他の住民の避難を優先する。立てるか?」
「だって…僕…リズが…」
目線の隅では、ケラ喰いが虫を殺してる。
「……タネ」
「列車まで歩くんだ。もう虫がなだれ込んでいる」
「……はい」
師匠に背中を押されて、その勢いだけで石垣の階段を下りる。
ほとんど転げ落ちるように地面に辿り着いて、ゆらゆらと走る。
どこかで火が出ている。その火が次の建物に伝播して更に広がっている。
聞こえてくる金切り声が、人なのか虫なのか、それとも、僕の幻聴なのか。
それすら分からない。
見慣れたはずの町は、その炎に照らされてもう見る影もない。
鼻につく血の匂いで、リズの安否を心配する。
耳鳴りがやんで、やっと聞こえてきた音は、クチャリと言う気味の悪い音だった。
条件反射で、思わず見てしまう。
人の形をした何かが、そこに座り込んでいた。
頭の部分は、微かに蠢く虫の卵の嚢のようなものに覆い尽くされている。
その嚢が、時折クチャリと音を立てる。
その人の手の中に、マグカップがあった。縁に3つの3角が着いた。それは確かに、あの時僕が旧市街で拾った、3つの耳の猫のマグカップ。
「あぁぁ…そんな……」
前にこのマグカップを届けたとき、泣きながら礼を言われたのを思い出す。
あの時は救えたと思ったのに。
嚢の蠢きで、人の形がバランスを崩した。
前のめりに倒れたその人の身体に押し潰されて、パリンと小さな音が鳴った。
その衝撃で、僕の心臓まで割れていくように響いた。
倒れた衝撃で、頭の嚢が破裂する。
透明な液体をこぼし、膨らんだ嚢が萎んでいく。萎んだ嚢が頭に張り付いて、中にあるはずの表情を張り付けた。
「嫌だ…嫌だ……」
僕が願ったことも、誓ったことも、もう何一つ残ってはいなかった。
ただ、リズを守りたかっただけなのに、それすらも遠くに奪われていく。
そのための強くなれたと、そう思っていたのに、結局僕は何も出来なかった。
何をしても届かない。僕は無力だ。
「おい!カリン!」
呼ばれた名前が自分だと気づくのに、少し時間がかかったと思う。
キキョウさんが居る。少し遠くにピンクの煙が立ち上っている。誘導煙具だ。
「生きてるな、何をしている」
「…なんで…僕がこんな目に会わないといけないんですか…」
何も出来ない、何も成し遂げられない、何をしたって、失っていく。
そんな無価値で無意味なら、いっそ。
「何をされたかを考えるのは、何をして何を出来なかったか理解してからだ。順番を履き違えるな」
キキョウさんのメガネは割れていて、片方はレンズが無い。
その歪んだフレームの向こうの目が、僕を睨む。
「理解してます…僕は…皆さんに色々与えて貰ったのに…特別な力もあったのに…」
左手の、無くなった小指を見つめる。これすらも、僕が無力だから無くなったに過ぎない。
「結局…なんにも守れなかった…」
「よく分かってるじゃないか。なら次は上手くやれ」
「…無理です…もう僕には…」
「気力が無いと嘆くのは動いてからにしろ。この惨劇を見るのは、初めてじゃないはずだ」
頭から血を流して倒れる父を思い出した。僕が殺した。あの時の僕は、きっと笑ってた。
結局僕は、人を選んで悲しんでいる。
「罰ですね…僕の」
「そうだカリン。これは弱くて阿呆な僕たちの罰だ。だから僕は、自分の罰を遂行する。カリンを、ほかの人たちを死なせない」
キキョウさんの目は、粗暴な方では無く、いつもの患者さんを見る目に変わっていた。
それぞれの戦い方。それぞれの贖罪。
震える脚で立ち上がる。嘆くのは、リズを取り返した後だ。それが僕の罰だ。
「カリンは列車に行け、道中の逃げ遅れた人には声をかけていくんだ」
「…僕も、避難誘導に参加します」
「……」
キキョウさんが、僕の目を見る。その目を睨むように見つめ返す。
「…わかった。頼む」
「はい」
ちょうどその時、誰かが走ってきた。ホルンだ。
よろよろになりながら、こちらに真っ直ぐ走ってきた。
既にボロボロと涙を零し、震える手で僕の服の裾を掴んだ。
「……お母さんが…」




