これからのこと
帰りの電車の中で読んだ胞子についての研究記録は、思ったよりも気味の悪い生態だった。
死体に入り込んだ屍操因子は、その生き物の遺伝子情報を解析するために、その主のいない身体を動かす。
そのゾンビに傷を付けられた生き物は、屍操因子の免疫低下機能を受けて、傷が治らずに死に至る。
その死体が、次のゾンビになるのだ。
「でも、俺らは今、傷を受けても死にませんね」
「確かに。胞子のルールがあるんだろうな。ユユ、分かるか?」
ユユは静かに首を振る。
そうして遺伝子情報を解析している途中、稀に生きてる生物と上手く噛み合う時がある。これを"適合"と呼んでいる。
それぞれ隔離した屍操因子は、そのケースの中で生きたネズミの適合生物が出てくると、そのケース内では、免疫機能の低下を引き起こさない結果が出ている。
「つまりは、東の旧市街では、既に生きた適合生物が存在しているという事か」
「それが、カリン?」
「だが、カリンは常に旧市街には居ない。それが関係するかは分からんが」
カリンは静かに資料を読んでいる。
まるで「胞子の王」のようだと、ふと思った。
これがカリンへの言葉の暴力になるのでは無いかと、口を閉じる。
「それか…ケラ喰い」
ユウトがボソリと口にした。
「ってことは、胞子と適合した誰かが、ケラ喰いを作った…」
では、誰が?そんな問いは、今目の前の驚異とは一切関係のない話だ。それなのに、僕の頭には、あってはならない仮説が浮かんでいた。
「それは、もしかしてヒ…」
「ベェ、辞めて」
マリーに止められる。その名前が分かるのは、今ここに居る回収員のメンバーだけ。
「そんな嫌な想像は、したくないの」
「…聞かせてくれ」
ユウトが前のめりになるが、俯く。
「…リーダーの指示に従う」
「…そういう事じゃない」
車内に凍り付いた雰囲気が広がる。気を利かせたシライシが、次のページをめくる。
研究員「鉢杜 蓮」の娘「鉢杜 莉珠」が、屍操因子に対して適合する事例が確認された。
しかし、主な身体の変化は見られず、血中の屍操因子が、むしろ彼女の生存力を向上していることが分かった。
莉珠。その名前に、カリンが目を丸くした。
「リズ…蓮…」
「…もしかして、カリンの」
「父の名前です。苗字も、確かこんなだったと思います…」
生存力を向上。この結果を得るために、リズに何をしたのか。想像はしたくなかった。
コミュニティについて、カリンの指をキキョウに診てもらう。
「どうだ?」
「どうと言われましても…」
カリンの失った指の表面を削ると、白い粉がこぼれる。カリンが痛がる様子は無い。
「硬化した胞子、という説は、僕には少し理解出来ないですが…」
「…そうか」
自分の中でも、上手く考えがまとまらない。
横に来たリズが、カリンの手に触れた時、カリンが反応する。
「…何があったの?」
「…なんでもない」
下手な強がりだ。何も無いのに指が無くなるわけが無い。
カリンの指の白い物は、それ以上の侵食の兆候は見られない。ただ「止血の為に引っ付いてる」かさぶたのようなものだと判断された。
「そうだキキョウ。これから古参で話し合いがある。来て欲しい」
メガネを拭きながら、キキョウは渋い顔をする。
「患者が多いのに、何の用だ。わかりました。行きましょう」
「リズ、君も来て欲しい」
「…はい」
カリンと目配せをする。あまり良い話では無いのを、キキョウは察したようだ。
「…何の話ですか?」
「胞子と、ケラ喰い。それとこの2人の事だ」
一時的に、レストランのハナは貸し切りにしてもらった。
古参の他に、カリンとリズ。タネとユユが居る。
話を聞いたジニアは、椅子から立ち上がる。仕込みをしていたアジサイも、手を止めていた。
「……それは、つまり」
「…」
マリーも僕も、何も言えない。実際、あまりに惨い仮説だ。
ジニアが落ち着きを取り戻して、椅子に腰かける。
「…ユユは、何も知らないのか?」
「あんたらの知り合いかどうかなんて、わかる訳無いでしょ?」
「胞子が言葉を運んできたと、言っていたな?ユユ自身は、中央に行ったことは無いのか?」
「無い。強いやつほど真ん中に寄る。でも、今の混乱の中なら、行ける可能性はある」
「タネは以前、同類を殺さないとママにはなれないと言っていた。それとは関係あるのか?」
タネは、こちらを見ながらもアジサイの料理をたべている。
初めは手でしか食べられなかったが、今は不器用ながら銀器をつかっている。
「…ママになれるのは、一体だけ」
「…ママになるには、単一個体で良いのか?配偶者は?」
「それは、分からない。中央に行けば、分かるのかも?」
言葉から動揺が見える。嘘か誠かはさて置いて、隠し事があるのは間違いないだろう。
「…そこじゃないだろ」
ジニアが声を荒らげた。
「こいつらの繁殖方法よりも、大事な事だろう。ヒマワリが、もしもこいつらのママだとしたら…」
「やめて。ジニア」
マリーが冷たく言い放つ。2人が睨み合う。
「もしもそうだとしたら、ジニアはどうするの?」
「決まっている」
ジニアがポケットから、向日葵の種を取りだした。
それを見て、ユユが目を輝かせるのを見逃さなかった。
「ヒマワリの追いかけた夢を、一緒に叶えに行く。それが俺たちの、最期で最初の約束だったろ?」




