黒船の兵士たち
目を覚まして飛び起きる。
視界の端で、軍服の金髪の女が目を丸くし、ぱっと笑顔になる。
「起キタ! 死ンダカト思イマシタ!」
拙い日本語の抑揚が、思いのほか耳に心地いい。彼女は両手を広げてから、他の仲間たちを呼びに走っていった。
どこから倒れたのか、記憶が抜け落ちている。
横に座るカリン、そしてその後ろからルンクとヴィンがこちらを覗き込んだ。
「師匠! 良かった…」
「……あれが本場の外国人か。やっぱ俺らは日本人なんだな」
「……そうだね」
「僕はいつから寝てた?」
「10分くらいかな? あのお姉さんが“栄養剤”ってのを口に入れたら、すぐ目ぇ開いたぜ」
言われてみれば、口の奥に甘味がかすかに残っている。起き上がり、身体を確認するが、傷口は開いていない。ただ、動き詰めだった疲れが一気に出ていたのだろう。
視線を向けると、ジニアとユウトはトラックの残骸を漁っている。
ユウトがこちらに気づき、歩み寄ってきた。ベルトのポーチと刀が、軽く音を立てて揺れる。
「随分と傷が多いな。これ以上の戦闘はやめた方がいい」
「君と違って、僕は戦うのが本業じゃないよ」
「軍人は守るのが仕事だ。俺らも戦わなくていいなら、そうする」
「その割には、随分派手に破壊したな」
「……それは本当に、すまなかった」
嫌味を口にした自分に、少し後悔が走る。深呼吸をして、肩を伸ばし、背骨を鳴らした。
「私ハ、エヴェリン・ハーグローブ。コッチが相棒ノM41。Bettyダ」
仁王立ちした彼女が自己紹介をし、隣の戦車の車体を撫でる。
砲塔の鋼が鈍く光り、履帯には瓦礫と泥がこびりついている。ベティと呼ばれたM41は、まるで生き物のようにそこに立っていた。
「本隊の指示により、君たちの護衛を任された。良ければ同行させて欲しい」
ユウトが改まった声で言う。ジニアはまだトラックの残骸に手を突っ込んでいた。
少し離れた場所で、タネとユユがマンティバと呼ばれた蝿の焼けた肉を、不味そうに噛みちぎっている。
「…僕は別に構わないよ」
「…いいんですか? ベェさん」
「ジニアがなんて言うかだな」
「構わん」
「いいんだ」
「俺たちにとって、貴重な力になる事に変わりない」
ジニアが持っていたのは、煤にまみれたボロボロのトランプだった。燃えずに残ったらしい。
受け取ったそれを、無言でカリンに差し出した。
「いいんですか? 大事なものでは?」
「帰って、リズ達と遊んでやってくれ」
「……ありがとうございます」
ベティの後ろに腰を下ろすと、振動が腹に伝わる。
風が顔を撫で、排気口からの油と金属の匂いが鼻を刺す。
乗組員のほとんどは日本語が分からず、同行から外れて、エヴェリンとユウトだけだ。
操縦席ではカリンとルンクが交代しながら操作を習っている。
ヴィンが先頭に立って道を案内し、残りは徒歩で西へ戻る。自分だけこうして座っているのは、どこか申し訳なさを感じた。
「ユウトは日本人なの?」とシライシが尋ねる。
「大学を出てから渡米した。今回の来日で特別に徴兵された」
「エリートだ…」
「向こうに行ったら、世界の広さに驚かされたよ」
キューポラからルンクが顔を出す。カリンと交代らしい。
「運転はどうだった?」
「坑道で触ったトロッコと似てた。…そんな事よりあの姉ちゃん、昔見せてもらったすけべ本の女に似てて…俺はダメだ」
「いや、それ正常だろ」
「そういう事じゃねぇよ…」
戦車はアスファルトを噛み、軽い段差を越えて進む。鉄の腹の奥から低い唸りが響き続けていた。
地鳴りがして、ベティが止まった。
前方の道に、要塞種が影を落とす。
「…迂回するか?」
「構わん、ここで殺す」
ユウトが前へ出る。
まるで空気の密度が変わったかのように、周囲の音が遠のく。
その背中は、今まで見たどの戦士よりも迷いがなかった。
腰の刀を引き抜く音が、乾いた金属音となって耳に届く。
漆黒の刃は抜かれた途端、じわりと赤く熱を帯び、刃先から淡い陽炎が揺れる。
鉄を焼く匂いが風に乗って鼻を刺し、思わず息を止めた。
一歩、また一歩と踏み込むたび、アスファルトがかすかに鳴る。
要塞種も気づいたのか、脚をわずかに上げた。
しかし、その動きよりも早く、ユウトの影が伸びる。
次の瞬間、鋭い踏み込みと共に、甲殻を焼き切る匂いが立ち上った。
赤熱化した刀は、まるで溶ける氷を裂くように、硬い脚を真っ二つにする。
バターなんて生易しいものじゃない――焼け爛れた殻と筋肉が、音もなく分かたれていった。
巨体が傾き、頭部が無防備に地面へ落ちる。
ユウトは一切の躊躇なく、その額へ刃を突き立てた。
刃先が甲殻を貫き、内部を焼き潰す。
じゅう…と不快な音がして、甲殻の隙間から黒煙が立ち上る。
要塞種の光る複眼から、瞬く間に光が消えていった。
それを見届けると、ユウトはゆっくりと刀を引き抜き、赤熱のまま鞘に収めた。
熱で空気が歪み、その姿はどこか幻のように見える。
「…強すぎない?」
「回収員は、これから戦闘をしなくて済むかもな」
「名前の割に、最近全然もの拾いしてないですからね」
息一つ乱していない背中が、こちらへ振り返る。
あの瞬間だけ、映画を見ているような気分だった。
「よし、行くか」
もう動かない要塞種の脚を、ベティは易々と踏み越えて進んだ。
ユウトが走行中のベティの砲塔にひらりと飛び乗った。
エヴェリンがキューポラから顔を出し、視線だけで何かを確認する。
ユウトは無言で手袋を外した。指先から覗いたのは、鈍く光る金属の義手だった。
袖を捲ると、装甲のようにがっしりとした銀色の腕が露わになる。
関節部の隙間からは、赤熱した放熱板が淡く光を帯び、熱で空気がゆらめいていた。
「任せて、ユウト」
エヴェリンの声は不思議と落ち着いている。
「……すまん」
腰の工具袋から器具を取り出すと、エヴェリンは迷いなく義手の肘関節を外側から固定し、締め具を外して内部へアクセスする。
金属板の間に差し込まれた冷却ユニットがカチリと外れると、じゅっと音を立てて白い蒸気が吹き出した。熱気が頬を撫で、焦げた金属の匂いが鼻をつく。
彼女は手際よく小型ファンで排熱を促しながら、焼け色のついた部品を軽く叩いては位置を調整していく。
何度か微調整のために義手を曲げ伸ばしさせ、その度に油膜の光沢が関節を滑らせた。
「ロック解除」
短く告げられた言葉とともに、肘の辺りで固く閉ざされていた安全機構が外れる。
最後に手首部分を念入りに動かし、指先がしなやかに開閉するのを確認すると、エヴェリンは満足げに頷いた。
ユウトは何も言わずに手袋を嵌め直し、砲塔から飛び降りる。その背中を見ながら、この二人の間にある長い戦場の時間を、ほんの少しだけ覗き見た気がした。
TRC-5(Thermal Reactive Cutter-5)
通称「トルク」
熱反応カッター試作5号
カーボン複合材製の抜刀剣で、鞘から抜くと黒い刀身が瞬時に赤熱化。
硬質な虫の甲殻や、重装パワードスーツの装甲すら溶断できる。
鞘に仕舞えば自動で充電され、赤熱状態の持続時間はおよそ40秒。
熱効率はお世辞にも良くなく、連戦には全く向かない。
日本人のユウト専用に、暇を持て余した技術者が試作したワンオフ兵器だ。
そのためユウトは、普段はナイフによる機動戦を主軸にし、
「ここぞ」という一撃必殺の場面だけ、この刀を抜く。




