マンティバ
ジニアが足を止める。それにルンクがぶつかる。
「…ベゴニア。これを見た記憶はあるか?」
「…無い。少なくとも、2年前には無かった」
道を穿つ大穴は、中央が窪んでいる。抉れたコンクリートは、まだ小さな火が上がっている。
「…こんな事出来る生き物が居るのかよ」
「どうだかな」
火の匂いと焦げた鉄の匂いが鼻を刺す。
誰も言葉を足さず、俺たちはその穴を避けて進んだ。
数ブロックほど進むと、周囲の空気が妙に澄んでいることに気づく。
耳に届くのは、風が擦る音と、どこか遠くで水滴が落ちる音だけ。
「ここまで何も居ないと、サクサク進めますね」
「理由のわからん進歩ほど怖いものは無い」
「わかった時に考えましょ」
「その時生きてればな」
そう言われて初めて、その異様さを意識する。普段なら鬱陶しいほど響く羽音や足音が、まるで消し飛んだみたいに無い。
「初めから居なかった…て訳では無いか」
虫の巣の跡を見ながら、ルンクが呟く。
ジニアの杖は、相変わらずここに他の生き物が居ない事を示している。
「…トンボも飛んでいない。狩られたか、逃げたか…」
焦げ跡のついたビルの角を曲がると、アスファルトがねじ曲がって溶けた一帯があった。
そこに落ちていたのは、焼け爛れたケラ喰いのしっぽ。胴体は無く、切断面は鋭く、何かによって一閃されたようだ。
「………」
「…火?」
「そんな生き物居ます?」
「何を今更」
「…もうすぐだ」
記憶にある看板を見つける。この道も、2年前に通った道だ。
あの日以来、奥のことは考えないようにしていた。目先のコミュニティの発展だけを考えていれば、昔のことも、ヒマワリのことも考えずに済んだからだ。
その、僕らが置いてきた"あの日"が、この角を曲がった先にある。
「……見つけた」
大通りの脇に停められた1台のトラック。薄汚れた荷台に、みんなで落書きした時のまま遺されていた。
その道の中央。トラックの少し手前に、大きな虫が居る。
存在感のある複眼に、真っ黒な体。その体に絡みつくような、血管のようなツタ。
翅の部分は、巨大なハエ取り草のような形をしている。
蝿が、ハエ取り草を背負っている。
「…キモ」
「あれが報告にあがってた虫か?」
「…こんな所で出くわすとはな」
「あれ、飛べるんですかね?」
ジニアが唇を噛む。蝿は前脚を小刻みに動かしながら、頭を左右に振っている。
ハエ取り草の先には、血肉がべったり付いている。ケラ喰いだろうか。
「ボンベの予備はあるか?」
「帰りのことを考慮するなら、おすすめはできません」
「空気銃でどこまで行けるか…何にしろ、トラックから引き剥がす」
ジニアが空気銃を構えたその時、遠くでカタカタと音がする。
「…なんの音?」
小さな震動がして、マンティバの後ろから、鋼鉄の車が顔を出した。
アスファルトにくい込みながら進む履帯。上部に着いた砲塔がこちらを向いた。戦車だ。
「…え?」
「…伏せろ!」
「やめ…」
耳を劈く轟音を轟かせて戦車が揺れる。その刹那、巨大な蝿から火が吹き出し、蝿はバラバラになった。
耳を裂く衝撃音が世界を塗り潰す。衝撃波で肺が震え、鼓膜の奥で何かが弾けた。
一瞬の出来事だった。燃え上がる炎に虫の血肉や草が焦がされる。鼻に付く匂いに目眩すらする。
横にあったトラックに火がついた。煙を上げ始めたそれを見て、走り出そうとするジニアを止める。
「離せベゴニア!すぐそこなんだ!!」
「やめろ!もうダメだ!!」
「お前なら分かるだろ!2年だ!ここまで来るのにどれだけ…」
空気が爆ぜる音がして、トラックのエンジンから火が出る。そのすぐ後に、僕たちの思い出は赤い炎に包まれて爆発した。
「Clear! That thing’s now, quite literally, fly-sized.」
戦車から出てきた女は、高らかに笑う。
砲塔から上半身を乗り出した女は、煙と炎を背にして笑っていた。瞳は氷のように冷たく、それでいて楽しげだ。
その金色の髪を靡かせて、こちらと目が合った。
「Japanese contact, send Yuuto, over.」
外国の言葉だ。何を言っているかは分からない。
ジニアが立ち上がり声を上げる。
「貴様ら…今更やってきて何のつもりだ!!」
戦車の影から、男がでてきた。軍服にベルトを巻いて、腰には黒い刀をぶら下げている。
こちらに近付いてくる。激昂しているジニアをミナトが後ろに下げる。
「怪我は無いか?」
「…あぁ」
「俺たちは旧日本奪還部隊、通称"黒船"。ユウトだ」
「…ベゴニアだ」
「ベゴニア?コードネームか?」
「そんな所だ」
頭が痛い。視界が白んできた。
ユウトと名乗る男と会話しながらも、目線の先は燃え上がるトラックだった。
「…もしかして、あのトラックは君たちの?」
「…そうだ」
「それは…本当にすまなかった」
深々と頭を下げられると、僕もジニアも何も言えない。顔を見る気にはなれない。
「……クソッ」
「頭を上げてくれ、もういい。あの蝿を殺してくれてありがとう」
「あぁ、マンティバか。こちらにも生息しているんだな」
「…そっちも、同じなのか?」
「いいや、他の国で報告が上がっている。だが、その化け物は旧日本にしか報告が上がっていない特例だ」
ユウトは後ろのユユとタネを指さす。
「…旧日本じゃない。ここはもう、なんの名前もない旧市街だ」
「そうはいかない。世界的なパンデミックによりほとんどの国が同じような有様だ。だが、希望を捨てるのは早い」
「…希望を捨てない為に、名前は捨てた」
耳鳴りが収まらない。気を抜いた一瞬、視界が大きく揺れた。
背中に触れたものが地面だと、気づくより先に意識を失う。
「マンティバ」(Mantiba)
分類: 終末種
体調: 8m~
見た目: ハエ取り草の付いた蝿
(現地調査員の残したメモ書きより)
あれだけ巨大なハエ取り草は、基本的にマンティバだ。構わず燃やせ。
他の生き物をハエ取り草で捕食し、本体の蝿に送り込む。故に背中には大きな口がある。
飛行能力は失っているが、代わりに潜伏をし、獲物を待っている。
1番手っ取り早いのは、そのでかい背中の口にグレネードを放り込んでやる事だ。
やつに最後の晩餐を食わせてやれ。
P.S. 口に何か突っ込む時は、ちゃんとピンを抜くのを忘れるな。昔の同僚はそこを忘れて、ただの“おやつタイム”にしてしまった。




