知恵の実
相変わらずケラ喰いも虫も居ない、静かな路地を歩く。
カリンは今のところ大丈夫なようだ。あれだけ暴れた後なのに、ケロッとしている。
「ジニアさんのところに戻らなくていいんですか?」
カリンの問にヴィンが反応する。
「…ルンクに場所は教えてもらった。大丈夫」
「それに、カリンが暴れても抑えられない状態のまま合流は出来ない」
「そう、ですね…ごめんなさい」
昔、胞子環境下でガスマスクが外れたことはある。
だがその時、別にカリンのようにはならなかった。あの暴走は、カリン特有のものだろう。
「カリン。それについて心当たりはあるか?パンデミック前とか」
「……分かりません。ごめんなさい」
「そう何度も謝る必要は無い」
「…着いたよ」
ユユが立ち止まる。その顔には、ほんのわずかに緊張が浮かんでいた。
広い立体駐車場の跡。地下から涼しい風が吹き上がってくる。
「私はこれ以上は行かない」
そう言い残し、ハヅキは道の隅に座り、着ている服を指先で弄るように見ている。
その横でヴィンがスケッチブックを取り出し、黙々と何かを描き始めた。今はそれで構わない。
地下駐車場は床が水没しており、殆ど中には進めない。
ケラ喰いの死体が何体も浮いている。
暗い中、天井の穴から射し込む僅かな光が、腐った水面を鈍く照らしていた。
「師匠…あれ……」
カリンが指差す方向は言われなくても分かる。
水面の中央、極彩色の楕円形がうずくまり、微かに蠢いている。
節だらけの細長い突起が何本もそこから伸び、天井や壁に這い付いている。先端は骨ばった指のように細く分かれ、周囲を探るようにゆっくりと動いていた。
その奥、暗がりの枝には無数の水色の実がなっている。
ユユがカリンに食べさせたものと同じだ。
「なるほど、ユユが来たがらない訳だ」
「どうするんですか?水を突っ切りますか?」
「いや、それはしない」
アンカーを射出して、実の近くの壁に刺す。ワイヤーを張って固定する。
「タネ。このワイヤーを辿って取りに行けるか?」
小さく頷いたタネは、ワイヤーの上に手足を着き、背部腕で器用にバランスを取ってゆっくり進んでいく。
時折吹く風が、ワイヤーを揺らす。落ちそうになるタネを見る度に、ドキリとしてしまう。
何とかタネが実のある地面にたどり着く。
実を何個か取り、ジャケットのポケットに入れる。
「師匠!」
カリンに呼ばれて振り向くと、ケラ喰いが居る。4本個体だ。
暗がりから、天井を張って出てきた。警戒しているようで、攻めてこない。
「タネ!戻れるか!?」
タネがワイヤーを急いで渡る。その時バランスを崩して落ちかける。不味い。
何とかワイヤーにしがみついたが、頭が少し水面に触れた。
その瞬間。極彩色の物体がモゾモゾと動き出す。微かな光に照されたそれは、巨大な芋虫だった。
細い節がタネ目掛けて襲いかかる。タネが天井に跳んで天井に張り付くと、そこに張り巡らされた節が再び動く。
ワイヤーを巻きながら近くの砂利石を水にばらまく。
こちらに節の手を伸ばして来たと思えば、後ろのケラ喰いを捉えた。
節の手でケラ喰いを掴み離さない。ワイヤーに重い衝撃が来る。
別の節の手がワイヤーを掴んだ。引っ張られそうになるので斧でワイヤーを切り落とす。
「タネ!」
タネがこちらに跳ぶ。手を掴んで引っ張る。
少し触れた水面に、再び節の手が迫るのを、背中を向けて逃げ出す。
後ろでグチャりと潰れる音がした。ここにもう用はない。
「だから!私に生殖器は無いんだ!」
「…なら、どうやって繁殖するのさ?」
「それは、あれだ。相手を見つけたら出来る」
「…相手って?」
「それは…あぁ、戻ったか」
こちらに逃げ場を見いだしたようにユユが立ち上がる。平和そうでなによりだ。
「あんなヤバいのがいるなら、教えてくれても良かったろ」
「あれに殺される用じゃ、この先やってけないよ」
「あんなのが、まだ居るんだな?」
「そう。ここ数ヶ月で湧いてきた変な力を持った虫たちだ。私たちは今、あれを殺して此処を平和にしないと行けない」
「ケラ喰いも大変なんだな」
「だから、これは協力みたいなものなんだ。人間を利用すれば、勝てるかもしれない」
「利用って言ったな」
ユユは無視して、タネが取り出した実を見つめる。瞳の柄が、縦長に変わる。
鈍い水色で、萎んでいるのか皺がある。美味しそうでは無い。
これが、胞子を殺す実。
「カリンの身体は、胞子が入ると暴走するということか」
「多分ね、こいつのあの時の目は、私たちと同じだった。胞子を受け入れたって事」
疑問だったことを聞いてみる。
「ユユは、元々人間なのか?」
「まさか。私は産まれた時からタネだよ」
「胞子を受け入れるって言うのは?」
「そういう人を探せって、ママが言ってた」
そういう人を探せに、カリンが少したじろぐ。
ママ。その言葉にタネが僅かに反応を示す。
1粒手に取り、食べてみる。タネも1粒食べる。
…不味い。渋柿みたいな不味さだ。水が飲みたい。
タネも渋い顔をして吐き出しそうになるが、嫌そうに飲み込む。
「おい、全然美味しくないぞ」
「それは、私は、美味しいと思ってる」
小さな袋に幾つか入れて、カリンに渡す。
「ヤバくなったら食べるんだ」
「…分かりました。ありがとうございます」
これで、とりあえずの危機は去ったと思いたい。
「行こう。ジニアが待ってるかもしれん」
「…うん」
タネが返事をした。思わず振り返る。目が合い、キョトンとされる。
「…タネ?」
「うん」
今まで、相槌こそしていたが、明確に返事をしたことは無かった。
実の影響なのか。ユユはこれを食べているから、上手く話せるのだろうか。
バツの悪そうに目を逸らしたユユが、苦し紛れに口を開く。
「で、その合流はどこ?」
「…ここだよ。案内する」
ヴィンがスケッチブックを開いた。ここまでの道の動線、周りの建物を地図にしている。
記憶を辿って、これの正確さに驚く。
「すごいな、ヴィン」
「…ルンクがうるさいから」
そう言って歩き出すヴィンについて行く。
ユユは、僕らに隠し事があるのは確定した。
完全な信用は出来ないが、分かることがあるかもしれない。
「胞子を殺す実」
胞子環境下で稀に自生する小粒の果実。葉のない枝に無数の実をつけ、陽の当たらない涼しい場所を好むと考えられている。
摂取すると体内の胞子が死滅する。
普通の人間は胞子を取り込んでも無害なため、ただの美味しくない果実でしかないが、ケラ喰いの中にはこれを求める個体も存在する。
環境を整えて栽培しても育たず、発見例も少ないため、その由来や成長条件は不明のままだ。
この実は、ある種の「理性」の象徴であると同時に、それの脆さをも見せつけてくる。




