カリン:「クラウス」(後半)
そのとき僕は、殺した父のことを思い出していた。
母はいないと教えられて育った。
狭い部屋の窓はいつも閉まっていたけど、父と二人で食べるカップ麺は、それなりに好きだった。
妹ができたと知ったのは五歳のとき。
それから父は変わった。
妹はよくお腹を押さえて泣いていた。僕は見てるしかなかった。少しずつ、目が覚めていくような気がしていた。
パンデミックの夜、父は僕にだけヘルメットを被せて言った。
『リズは置いていけ。お前だけでも助かれ』
背を向けた父を、殴った。
殴った。
頬の衝撃で目を開けると、後ろ向きで進んでいる。タネの背中に担がれて動かされていた。
「タネ、ありが…」
もう一本の背部腕で頬を叩かれる。
下ろしてもらいタネとリズの所に向かう。ムカデから少し離れた瓦礫の凹み、リズが倒れている。
「リズ!」
近寄って確認する。うっすらと目を開けていて頭から血が出ている。呼吸はある。
「骨は大丈夫だよ。さっき起きたばっかりだ」
横で座り込んでいるサルビアさんを見て固まる。
右腕が力なく垂れていて黒い痣が大きく見える。
シャツが破けて腹部の肌が覗く。お臍の辺りから縦に縫い目。
僕の視線に気付いてサルビアさんはジャケットの前を閉めた。
「…で、あのムカデは?」
瓦礫の向こうでは、ムカデが今も地鳴りを響かせて動いている。遠くに行く気配は無い。
「1つ、思いついた作戦があるんです」
「へぇ。聞かせてよ」
傷だらけなのにサルビアさんは変わらない笑顔を見せる。少し怖くて、少し頼もしかった。
ポケットから信号弾を取り出す。
「…あの補給支援砲台を、あいつにぶつけてやりましょう」
「…いや、あれは正確な位置には落とせないよ。誤差150m程度は発生する」
「それは、僕も知ってます」
もうひとつ、ポケットから取り出す。ピンク色の煙具、虫のフェロモンで誘導する物だ。
キキョウさんからの貰い物。さっき使おうか迷っていたが、使うならここしか無い。
「これを使って、僕が今から、あいつと150m競走をしますよ」
「…じゃあ、よーいドンはボクがしてあげる」
僕も、何だか笑ってしまった。サルビアさんが左手で顎を触る。
「もう一押し、確実に殺せる様にしたいね」
「それは決めてます」
答えを聞くより先に、サルビアさんはまた笑った。
「……そういうぶっ飛んだ所、ベェの弟子って感じ」
起きたリズに説明をする。心配そうに僕を見るリズに頑張って笑い返した。
「リズは、ボクの右足と右腕になって」
右半身を庇いふらつきながら起きるサルビアさんに、リズが右から支える。
「…カリン」
初めてタネに名前を呼ばれた。
「大丈夫、信じて。信じてるから」
ムカデの前に立つ。今も、補給物資の残りを食べている。
「おい!クソムカデ!!」
適当に拾った瓦礫をムカデに投げつける。
甲殻に弾かれるが、こちらを向いて口を開けた。
長い紐を持って後ろに走る。背中から大きな揺れで足がふらつきそうになるのを必死に堪えて走る。
「…ここだ!」
振り向いて紐を思い切り引っ張る。
ムカデのちょうど足元、さっき集めたボンベに繋がった紐が外れて、ボンベが破裂する。
ムカデは少し足を止めた。それでも脚が2本程度吹き飛んだだけ。
でもそれでいい。止まったムカデにタネが飛び乗る。
甲殻の隙間に指を掛け、ムカデの頭に取り付いた。
しっぽでムカデの左側、突き刺さったメイスにしっぽを伸ばした。
その瞬間に、信号弾を上に撃つ。赤い煙が立ち上り、白くなりつつある空に彩りを与える。
ムカデが背中の異物を退かそうと暴れているのを、タネは必死にしがみついている。
横から、矢が飛んでくる。ムカデの脚に刺さった矢で、ムカデの動きが鈍くなる。
サルビアさんはリズに支えられながら、左手で弓を持ち、矢を口で咥えて弓を引く。
「次」
「…はい!」
リズがサルビアさんの腰に付いている矢を取り出し番える。それをサルビアさんは口で引く。
「…上手くいかねぇ、あの人たちみたいには出来ないね」
ムカデが各方面からの攻撃に混乱している最中、上から白い煙を上げて流れてくる1つの流星。
『これ、大きい虫にぶつけたら強いんじゃないですか?』
『僕もそう思った』
シライシさん。師匠。やってみせますよ。
「カリン!前に100m!!」
サルビアさんの声でムカデに向かって走り出す。横を通り過ぎながら、風に揺れる火種を手で覆い、ピンクの煙具に火をつける。
ムカデがこちらを向いた。長い身体を這わせながら、背中に迫ってくる。
後ろは見るな。みんなを信じろ。
喉が痛い。でも、僕はひたすら走るだけだ。
何度も転びそうになって、その度に足を踏ん張る。
地響き、矢が飛ぶ音、甲殻を剥がそうとする音。
耳を塞ぎたかった。背中に小さな子石が当たる。
この手は、人を殺すためでも、耳を塞ぐためのものでも無い。
「そこだ!!!」
サルビアさんの怒号に振り返る。タネが、ムカデの頭の甲殻の左側を外す。
チラリと見える甲殻の隙間に、引き締まった肉が見える。
白い尾を引く流星は、見上げる必要も無い程すぐそこまで迫ってきていた。
「タネ!」
「カリン!!」
こちらに伸ばしたタネのしっぽを掴んで、思い切り引く。タネを抱きしめて、頭を伏せた。
轟音が響いて、ムカデの頭に流星が堕ちる。
「クラウス」(Klaus)
分類:終末種
外見:ムカデ。でかすぎる。
体長:25メートル以上(正確に測ったやつは死んだ)
(某国の現地調査員が残したメモより)
もし君が、「地面が動いてるな」と思ったら、それはクラウスだ。逃げろ。
こいつは巨大なムカデで、特に変な能力はない。だが、何でも喰う。建物も、他の虫も、場合によっては君も。
食欲は無限。好奇心はゼロ。つまり、迷わず一直線に襲ってくる。
装甲はタンク並みに硬い。脚は比較的脆いが、「全部落とせば止まる」とかいう攻略法は、都市伝説の域を出ない。
百本以上ある脚をすべて潰す前に、君の方が潰される。安心していい。
戦車並に硬い甲殻をぶち抜ける何かがあるのなら、正面に立ってやってみるといい。
その前に、遺書は書いておけ。家族のためだ。




