イブリンの場合 エピローグ 幸せ、諦めなくてもいいですか?
学生時代、私はいつもあなたを見ていた。
図書館の書架や壁から顔を覗かせて。
時には茂みの中に身を潜ませて。
思えばいつも見ていたのは後ろからや横顔や左右どちらかの斜め横からの姿ばかり。
真面に正面から見たのなんて、階段で助けられた時かあの肌を合わせた夜だけ。
彼のアメジストの瞳って、こんな色をしていたのね……なんて感心したけれど……。
それがどうして今、こんな真っ正面から見る羽目になっているのっ!?
「イブリン」
「オースティンさん、この距離は些かおかしくはないですか?」
「おかしくはない。あの夜はもっと近かっただろう」
「っ……今は仕事中です!」
私は今、彼のオフィスで世に言う壁ドンという奴をされている。
正面きって、面と向かって。
登省して来た彼に速攻で捕らえられた。
「俺はキミの隠れんぼや逃亡スキルには散々煮え湯を飲まされているんだ。このくらいしないと落ち着いて話が出来ない」
「この姿勢で仕事の話ですか?斬新ですね」
「この姿勢で大切な話だ。昨日はキミがさっさと帰ってしまうのだから仕方ないだろう」
「……私でなくても良かったはずです。どうせあのお綺麗な女性秘書官さんに誘われたんでしょう」
「あのとはどの?……あぁ、そういや居たな。やたらと香水臭いのが。確かに誘われたが断った」
「え?どうしてです?あんな美人なのに、めちゃくちゃオースティンさんに色目を使っていたじゃないですかっ」
「あのな、俺は誘われたら誰でもいいわけじゃないぞ?あの夜はキミだったから……」
「……え?」
思いがけない言葉を聞き、私は思わず聞き返す。
だって聞き違いなんて恥ずかしいから。
「信じて貰えないかもしれないが六年前、階段でキミを助けた拍子に触れた魔力に惚れた。一目惚れと同義だと受け取ってくれて構わない。以来俺はずっとキミを探し続けてきた」
「う、嘘でしょう……?」
「嘘じゃない。あの夜、キミの方から声をかけてくれて、俺がどれだけ奇跡というものに感謝したかキミには分からないだろうな」
「だ、だって……」
「いや信じられないというのは分かる。俺だって魔力で異性に恋をするなんて考えた事も無かった。でも考えてみてくれ、外見での一目惚れがあるなら、触れた魔力に一瞬で惚れてもおかしくはないだろう?」
「た、確かに……じゃなくて!」
卓越した(自分で言う)ストーキングスキルは持っていても恋愛スキルゼロの私には、この怒涛の急展開はとてもじゃないが付いて行けない。
この場をどう逃げようか…その算段を頭の中で始めたその時、
コンコン…とまたオフィスの扉を叩く音がした。
「悪いが今は留守だ」
「居留守が通用するわけないでしょう!仕事中ですよ!」
いけしゃあしゃあと言うブライトに私は思わずツッコミを入れた。
その際に壁との間に囲われていたブライトの腕の中から逃れる。
またまた「チ、」という舌打ちが聞こえが今回も無視だ。
扉を開けると、今日はブライトではなく私への用向きであった。
入省時から同じ法務で働く同期の職員が告げる。
「イブリン、先月決裁した術式譲渡の書類について至急確認したい事があるって課長が呼んでるの。申し訳ないけどちょっと来てくれる?」
またまた渡りに船とはこの事だ。
私はブライトを仰ぎ見た。
「との事です。少し席を外してもよろしいでしょうか?」
「……仕方ないな。了解した」
「では失礼します」
私はそう言ってそそくさとブライトのオフィスを出た。
本当に丁度良かった。
こちらの件を片付けている間に対策を練ろう。
ーー子どもの事を告げるかどうか。
私と同じように六年前から好きだったみたいな事を言ってはくれているけれど、
交際も始まっていないのに妊娠したなんて……想定外だと引かれたら軽くトラウマになる。
交際はしたいが結婚までは考えていない。
大概の男性が付き合う前はそう考えているのだと週刊誌の“奥様セキララ雑談広場”に載っていた。
ーーやっぱりジュエルの存在を隠したまま、彼の出向が終わるまでのらりくらりとやり過ごす方がいいのではないだろうか……私はそう思った。
そんな事を悶々と考えながら昼食抜きで仕事を片付けていた所為だろうか、
先ほどから悪心と指先などの末端の冷えを感じ始めている。
ーーいけない、空腹で悪阻が悪化しそう。とりあえず何か口にしようか……チョコとかビスケットとか……
そこまで考えて、私の目の前は急に暗転した。
あの夜から、
瞼を閉じると必ず思い出す事がある。
絡められた指と互いの熱い吐息。
彼の…ブライトの声が吐息と共に耳朶を擽る。
「イブリン……俺はキミと……」
だけとその言葉が最後まで告げられる事はなかった。
もしかして告げられたのかもしれないけれど、生まれて初めての絶頂を迎えた私は正気を保ってはいられなかったから。
あの時、彼は何を言おうとしたのだろう。
私と、何……?
ねぇブライト。
あなたは私に何を言おうとしたの……?
「イブリンっ」
「っ……!」
力強く名を呼ばれ、私の意識は唐突に覚醒した。
自分の手がしっかりと握りしめられているのが分かる。
見ればベッドに横たわる私の隣にブライトがいた。
「オースティン……さん……?」
「今、俺の事をブライトと呼んでいたよ……だからキミの名を呼んだんだ、意識が戻ったのだと思って……」
「私……なぜ……?」
「覚えてないか?仕事中に倒れたんだ」
「あー……なるほど……」
そう言って身を起こす私の背を彼が支えてくれた。
「貧血が原因で倒れたそうだ。ここは個室の医務室だよ」
ブライトがそう告げる。
「そうですか……」
「……倒れたと聞いて肝が冷えたよ……貧血だと聞いても心配で。キミに何かあったらどうしようと……」
そう告げる彼の顔は少し青ざめていた。
そんなに私の事を心配してくれたのか……。
……聞いてもいいだろうか。
あの夜、彼が私になんと言ったのかを。
それを聞けば、答えが出るような気がした。
「あの……オースティンさん…「ブライトと、」え?」
「ブライトと、そう呼んで欲しい」
私の言葉を遮って、まるで希うように告げる彼の真剣な眼差しに引き込まれてしまいそうになる。
「……はい」
気付けば素直にそう返事していた。
それが私の背中を押したのか、私は彼に正直に訊ねてみた。
「あの夜、私に言った事を覚えていますか?」
「キミに?」
「ええ。最後まで聞き取れなかったんですが、“キミと……”と確かに聞こえた気がしたんです。あの時、あなたは私に何と言ったのですか?」
その言葉を聞き、ブライトはすぐに記憶と結びついたようだ。
彼は少し照れくさそうにしながら、ずっと握ったままの私の手を更にしっかりと握ってこう告げた。
「キミと共に生きていきたい、俺はあの時そう言ったんだ」
「私と……何故?」
「六年ぶりに奇跡的に再会して、やっぱり変わらずに……いやますますキミに惹かれた。そんな相手がそうそういるとは思えない。俺は、キミと共に生きていく人生をあの夜すでに渇望していたんだ」
「共に……渇望……」
今の言葉、聞いたままを受け止めていいのだろうか。
私は勇気を振り絞って彼に確認した。
「本当、ですか……?私と……?それって、け、けつ、けつこ、結婚したい、という事デスカ……?」
勘違い女を発動したらどうしようという一抹の不安を胸に思い切ってそう告げる。
するとブライトは徐に私のこめかみにキスをした。
「!?」
「そうだよイブリン。本当ならあの朝、起きたらキミにプロポーズしようと思っていたんだ。それが出来なくなって……夜のうちにキミに求婚しておけば良かったと死ぬほど後悔したよ」
「あの朝にっ!?……そ、それは……ごめんなさい……」
「いや、いいんだ。どうせ、逃すつもりはなかったし」
「え?」
「それで……だなイブリン。この際率直に訊く。キミのお腹の中には、俺との子が……?貧血はその影響か?」
「えぇっ!?どうしてそれをっ!?」
「すまない、敢えて避妊をしなかった。キミを……どうしても俺のものにしたくて」
語られた真実に私はただ目を丸くするしか出来なかった。
私は自分には子が出来ないと思っていたから何も気にしなかったけど、彼がそんな事を考えていたなんて……。
これは……もう、
素直になるべきなんじゃない?
妊娠出来ないと言われていた私が彼の子を身籠もって、
彼は私と子どもを育てる人生を最初から考えてくれていた。
これで日和っていたら、幸せなんて手に出来ないわよね。
じゃあ、諦めなくてもいいですか?
私にも、人並みの幸せを手にする事が出来ると、信じてもいいですか?
「イブリン。愛してる。もうずっと、ずっとキミに恋焦がれてきた。どうか俺と結婚して欲しい。一生俺の側にいて欲しい。そして俺にも、お腹の中の宝ものを愛する権利をわけて欲しい」
彼のアメジストの瞳が一心に私を見つめる。
今度は私が彼の頬にキスをした。
そして耳元で教えてあげる。
「私たちの赤ちゃん、胎児ネームはジュエルというの。でも生まれたら、名前は二人で考えましょうね」
そう告げた次の瞬間、
ブライトは泣きながら私を抱きしめた。
イブリンの場合 終わり
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補足です。
身重のイブリンを慮って、二人は入籍のみですぐに夫婦となりました。
そして順調な妊娠期間を経て、イブリンは元気な男の子を生んだそうです。
結局名前は胎児ネームそのまま、ジュエルになったそうですよ。
(このシリーズは妊娠中のみを描きます)
次は『シェリーの場合』
恋人の浮気相手は自分☆なかなかパワフルなヒロイン登場です。
よろちくび♡