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恨みたかった、恨まれたかった。

本日二話更新しています。

 イジドールの部屋を退室した三人の間には重たい沈黙が流れた。

 ガスパルは暗い面持ちの二人を振り返って、努めて明るく声をかける。


「あー……リョーカちゃん。かなりショックだったと思うけど、これが現実だ。俺も、エヴラールも、リョーカちゃんの生活を全力で助けるからさ。それに、元の世界のことだってもしかしたら何か方法は見つかるかもしれない。だから、な、前向いて行こうぜ」


 涼夏はその声に少しだけ顔を上げたけれど、またすぐに下を向いてしまった。

 ガスパルはがしがしと乱暴に頭をかくと、エヴラールにも声をかける。


「エヴラール。お前もそう暗い顔をするな。お前がリョーカちゃんを拾ったんだ。ちゃんと最後まで面倒見てやれ」

「……あぁ」


 涼夏もエヴラールもずっとこんな調子で、ガスパルは嘆息する。

 帰りの馬車を前に、先に馬車に涼夏を乗せたガスパルは、エヴラールに向かい合った。


「お前、先に騎士団に戻ってろ。リョーカちゃんは俺が送ってく」

「いや、それは」

「だってもクソもねぇ。一番つらいのはリョーカちゃんだ。お前の辛気くさい顔を見せられちゃあ、リョーカちゃんも落ち込むに落ち込めねぇだろ」

「だけど……っ」

「お前の意見は聞かん、この脳筋。帰ってスクワットでもしてろ」


 そう言うと、ガスパルは容赦なく馬車の扉を閉めてしまう。

 エヴラールの呆然とした顔に鼻をならしていると、涼夏が困惑した表情でガスパルを見た。


「ガスパルさん、エヴラールさんは……」

「先に騎士団に帰らせた」


 そっけなく言い切ったガスパルに、涼夏は軽く目を見開いた。

 でも正直、今はエヴラールの顔を見ていたくなかったから、ガスパルの心遣いには感謝しかない。

 ガラガラと走り出した馬車の中で、二人は向き合う。

 舗装された石畳に時々車輪が跳ねるのを感じながら、ぼんやりとした表情で窓の向こうの景色を見ていた涼夏は、そうっと言葉を落とした。


「……異世界でも、空は青くて、太陽が昇るんですね」

「当たり前だ。ずうっと昔からそうだ」

「そうですね。でも、太陽が落ちれば夕方になるのに、夕焼け小焼けの歌は聞こえないんです」


 そうこぼしだ涼夏の言葉は宙に浮いて消えた。

 ガスパルやエヴラールには絶対に共有できないものが涼夏にあって、それこそが涼夏が元の世界に戻りたいと願ってやまない、根底にあるものだ。

 大人びた表情で窓の外を見つめ続ける涼夏が、この異世界の風景を見て何を思うのか、ガスパルには分からない。

 だけどガスパルは、涼夏を見つけた一人として、責任だけは果たさないといけないと思った。

 じっと窓の外から視線を外さない涼夏に、ガスパルは声をかける。


「……リョーカちゃん。正直な気持ちを聞かせてほしい」

「なんですか」

「イジドール様はああ言ったけど、最終的にリョーカちゃんを元の世界に帰せなくしたのはエヴラールだ。あいつが何も考えずに君と契約術を結んだせいだ。リョーカちゃんはあいつを恨む権利があると、俺は思う」


 涼夏がようやく窓の外を見るのをやめて、ガスパルの方へと視線を向ける。

 そのまなざしはどこまでも淡々としていて、それでもまっすぐに意思を伴っていて、それは年下の少女がもつようなものじゃなかった。

 ガスパルは一つ小さく深呼吸して、告げる。もしかしてこんなことを言うのは、涼夏に対して愚弄してることになるのだろうかと思いながら。


「……リョーカちゃんは、あいつを恨むか? もう二度と会いたくないと思うのなら、エヴラールと君を会わせないようにしてやることくらいはできる」


 ガスパルの言葉に、涼夏は一度だけ、瞬きをした。

 それから自分の手のひらに視線を落とす。

 ガスパルの言葉を反芻した涼夏は小さく答えた。


「……分からないんです」

「分からない?」

「どうするのが、正しいのか。私が帰りたかった場所はもうないなら、この世界で生きていくことを決めないといけなくて。だからといって、エヴラールさんたちにいつまでも甘えていいのかっていうのは、違う気がして。あの部屋を出てからずっと、そういうことばかり考えてるんです」


 とつとつと話す涼夏の言葉は、存外しっかりとしたもので、ガスパルはじっと耳をすませて涼夏の言葉を受け止めた。

 あくまでも前を向き続ける涼夏はそれ以外のことを考えてはいなかった。

 だから今、ガスパルに言われて、そういう考え方もあるのだと気づいたけれど。

 一度言葉を区切った涼夏は、困ったようにガスパルに微笑んだ。


「悲しいですね。恨むには、私はエヴラールさんの心に触れ過ぎちゃったんです。可愛いって言ってくれるエヴラールさんの言葉が、私のことを心配してくれる心が、大切にしたいと思ってくれる仕草が、たくさん、たくさん、私に伝わってきちゃってるんです」


 エヴラールの手から伝わる体温はいつも温かった。

 暗闇の中で聞こえてきたエヴラールの言葉は光だった。

 涼夏を映す海色の瞳はいつも綺麗で、優しかった。

 一つ一つのことを思い返すたびに、やっぱりどうしたって、エヴラールに募っていた気持ちはくつがえったりはしなくて。

 それがより一層、帰りたいと訴える涼夏の本心と喧嘩をしてしまうのだけれど、どれだけ考えたって涼夏がエヴラールに対する思いは一つだけしか残らない。


「私、エヴラールさんのことが好きです。元の世界に残して来た人たちと、同じくらい。話を聞いてすぐは後悔しましたけど、でも、エヴラールさんがくれたものを数えるたびに、やっぱり出会えたことを無かったことにはしたくないなって思っちゃうんです。だから私は、エヴラールさんのことを恨めません。恨みたくないんです」


 そう言い切った涼夏は、少女のようなあどけなさなんてなくて、蛹から羽化した蝶のように凛とした、大人の女性の強さを持っていた。

 ガスパルはその力強さに目を眇める。

 涼夏の強さは誰もが持てるわけじゃない、気高くて、優しい強さだ。でもそれ故に、ひどく脆いこともガスパルは気づいていて。


「そっか」


 一言うなずくと、ガスパルは腕を組んで瞑目した。

 涼夏もそれきり、会話がなくなる。

 ガタゴトと揺れた馬車は、沈黙のまま帰路を辿った。






 涼夏を姉の元へ送っていったガスパルは、その足でさっさと騎士団へと折り返した。

 もうこの時間になると日も傾いていて、騎士団の任務や訓練も一通り終わりへと向かっていた。

 一足早く訓練が終わったらしい同僚の騎士たちにお疲れ様と声を掛け合いながら歩いていたガスパルは、ちょうど寮の自室に入ろうとしていたエヴラールを見つける。

 その顔色は昼に比べて少しだけ悪くて、魔力が過剰気味になりかけていることがわかった。


「エヴラール、面貸せ。お前の部屋でいいや」

「ガスパル? いつの間に……」


 突然のガスパルの強襲に驚いたエヴラールが顔を上げた。

 ガスパルは時間が惜しいと言わんばかりに、エヴラールの襟首をひっつかんで彼の部屋へと強引に押し入った。

 ガスパルにむりやり引きずられたエヴラールは、たたらを踏みながら自分の部屋へと入る。

 簡素な部屋の中にガスパルは足を踏み込むと、後ろ手にドアを閉めた。

 それから訝しげに立ち尽くしているエヴラールに問いかけた。


「お前、これからどうするつもりだ」

「どうするつもりって……それは涼夏のこと?」

「当たり前だろ。それ以外に何がある」


 ガスパルは遠慮なくエヴラールの部屋を横切ると、部屋の奥にあるテーブルと一揃えの椅子へと座ってエヴラールをジト目で見た。

 エヴラールは少しだけ肩をすくめると、自分はベッドの縁に腰かける。そうしておもむろに口を開いた。


「どうするって言われても、涼夏がどうしたいかが重要だ。先生はああ言っていたけど、結局の所、涼夏の希望は僕が握りつぶした。僕のことを恨んでいるなら、それまでだ。魔力供給は僕じゃなくたってできる。涼夏は自由に生きる権利を持ってるんだから、僕にこれ以上縛られる必要はない」


 聞き分けの良い優等生のような答えが返ってきて、ガスパルは不機嫌そうに机に頬杖をつく。

 エヴラールはガスパルのその態度の悪さに眉を寄せた。


「……なんでガスパルが怒ってるんだい」

「別に怒ってねぇよ」

「怒ってる顔だろう、それは」

「んじゃ、一言だけ。お前、ばか」


 いきなり暴言を吐かれたエヴラールはひくりとこめかみを引きつらせた。


「理由もなしになじるのはひどいと思わないかい?」

「理由ならある。日和ってんじゃねぇよヘタレ男」


 ガスパルの言様にエヴラールはカチンときた。


「……僕のどこが、日和ったヘタレだって?」

「そのまんまだろうが。これまで散々一蓮托生だとか、僕が守るから〜とか言ってリョーカちゃんの拠り所になっておきながら、今ここであの子の手を離すつもりか? 逃げてんじゃねぇよヘタレ野郎」

「それは涼夏が求めていたからだ。だけど求めてくれないなら手を差し伸べる意味もないだろう。むしろ僕のせいで涼夏を苦しめるなら、僕は彼女のもとを去るべきだ」

「それが日和ってるって言ってんだ。リョーカちゃんは別にお前を恨んでなんかいねぇよ」


 まるで涼夏の気持ちを代弁しているかのようなガスパルの言い方に、エヴラールはむっとする。


「そんなの分からない。涼夏にでも聞いたのかい?」

「聞いた。恨めないって、恨みたくないって言っていた」


 なんとも涼夏らしい答えだと思った。

 だけどエヴラールはそれを苦い気持ちとともに吐き出すように、否定した。


「表面上ではいくらでも言えるさ。本心は分からないじゃないか」

「お前、リョーカちゃんの言葉を否定するのか?」

「ガスパルは言葉を聞いただけだろう? 言葉はいくらだって取り繕える」


 すました表情のエヴラールの言葉に、思わずガスパルは椅子から立ち上がる。

 それから先程の不機嫌さなんて気にもならないくらいの、怒りの表情を浮かべた。


「てめぇ……ふざけたこと抜かすのも大概にしろよ。リョーカちゃんの言葉を否定してやるなよ」

「いいや、ガスパルはもう少し人を疑うべきだ」

「はぁ? お前、リョーカちゃんが嘘をつくって言いてぇのか!?」

「違う! 僕が!!」


 売り言葉に買い言葉で、思わずガスパルがエヴラールに掴みかかってベッドに押し倒す。けれど叫び返したエヴラールに、ガスパルの動きが止まった。

 組み合って下敷きになったエヴラールは、苦しそうにその美しい顔を歪める。


「僕が、嘘つきなんだ。僕は涼夏にとって悪にしかならない、最低な人間さ。彼女が帰れないと知って、僕は何を思ったと思う? 嬉しいと思ってしまったんだよ。彼女が絶望に落とされた横で、僕は彼女の悲劇を喜んだ。これでまだ一緒にいられるって、喜んだんだ!」


 そう吐き出したエヴラールに、ガスパルは目を見開く。

 イジドールの部屋を出たあの時の表情の裏でそんなことをエヴラールが思っていたなんてつゆほども思っていなかったガスパルは、ひどく戸惑った。

 困惑するガスパルが掴んでいた胸ぐらをにわかに緩めると、エヴラールはさらに言葉を続けた。


「ガスパル、失望してくれ。こんな人間、涼夏のそばにいるべきじゃないんだ。彼女の不幸を喜んで、彼女の幸いを邪魔するなんて最低だ。自分でも自分が嫌になるのに、どうしたって僕は涼夏と一緒にいたくて……もう、自分がぐちゃぐちゃだ……」


 腕で目元を隠して、憔悴したように囁くエヴラールは得体のしれない何かを抱えているようで、ガスパルは言おうとしていた全ての言葉を飲み込んだ。

 その代わりに出てきた言葉は、自分でも驚くほどに馬鹿な言葉だった。


「……お前、リョーカちゃんのこと好きすぎるだろ」

「やめてくれ。分からないんだよ。好きという感情で言い表せるなら良かったのに、涼夏に感じるこの感情はもっと大きくて、ひどく残酷なもので、僕はこんな感情、知りたくも、欲しくもなかった……」


 空いていた腕で胸をぐっと掴んだエヴラールに、ガスパルは嘆息すると、椅子へと戻った。

 深く椅子に腰掛けながら、ガスパルはぽつりという。


「そんなもん持ってたら、確かにリョーカちゃんには重てぇな。確かに離れるのも一つの手だ。……だが、お前はそれで納得するのか?」

「納得するしかないじゃないか。僕は自分が嫌だ。自分の利益だけを求めて涼夏を潰してしまうのが怖い。それになにより、魔力をつなげてこの醜い本心を暴かれるのが、一番怖い……」


 結局のところ、エヴラール自身が自分の感情の大きさに戸惑って、それを恐れている。

 ガスパルから言わせてみれば女々しいの一言に尽きるけれど、エヴラール本人からすれば、見過ごせないほどに大きいものには違いなくて。

 ガスパルはそんな情けないエヴラールの本心を垣間見て、呆れたように頬杖をついた。


「今まで散々女共にきゃーきゃー言われていた氷の騎士様がこんなに奥手とは。城の侍女たちもびっくりだわ」

「……ガスパル、もういいだろ。僕のことは放っておいてくれ。涼夏のことは、全部君に任せるから。……僕はもう、涼夏に関わらない」

「お前がそれでいいならそうするが……」


 ガスパルはエヴラールの言葉に、微妙に納得がいかないままではあるけれど、本人があそこまで深刻に悩んでいるのであれば今は何も言わないことにした。

 これ以上、話すことはもうないと思ったガスパルは、おもむろに立ち上がる。

 ベッドに倒れたまま、微動だにしないエヴラールを横目で見ながら素通りした。

 部屋を出るとき、小さくエヴラールの囁きが聞こえる。


「……愛してるんだ。恨んでくれたら、救われたのに」


 切実すぎるエヴラールの声に、ガスパルは静かに目をつむって部屋を出た。

 あまりにも不器用すぎるエヴラールに、彼の情緒が心配になったガスパルは、彼に投げてしまった暴言の数々を少しだけ後悔する。


 涼夏も、エヴラールも。

 お互いに心をつないでいたはずなのに、一番大切なものはうまく隠して、拗れてしまっている。

 上手くいかない二人の関係に、ガスパルは大きくため息をついた。


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