選んだ、決別した。
最近、エヴラールと会っていない。
日課になっていた魔力吸いはすっかりなくなってしまっていて、今は最低限の魔力をジネットやガスパル、他にもボワレー商会で働く人々から分けてもらいながら、涼夏は生活していた。
非番の日には様子を見に来てくれるガスパルにエヴラールのことを聞いてみても、ガスパルは言葉を濁すばかりで教えてはくれない。
なんだか釈然としないまま、涼夏はこの世界に馴染むための日々を粛々とこなしていた。
まず涼夏はこの世界の文字を覚えた。英単語の代わりに、ノートには異世界の言葉が増えた。
次に手に職をつけた。複雑な計算ができることを評価された涼夏は、ジネットに誘われてボワレー商会の会計士の一人として働けることになった。
今はまだジネットの好意に甘えて、ジネットのお屋敷の一画に住まわせてもらっているけれど、お金がたまったら居候をやめて、一人暮らしをしようと考えていた。
そうして忙しなく過ごしていれば、自然とエヴラールが会いに来ない日々が普通になる。
気がつけばすっかりと右手の怪我も治っていて、エヴラールと出会った日を遠く感じるようになってしまった。
それでも胸に残るエヴラールへの思いは変わらないまま。何も言えずに去ってしまったあの日の出来事を後悔して、もう会いに来てくれないのだろうかと不安になる。そんな気持ちを募らせながら、涼夏は仕事の合間や街に出た時など、エヴラールとよく似た薄氷色の髪を見つければ、つい視線で追ってしまった。
そんなある日のこと。
仕事中の涼夏の元に、一羽の鳥が降り立った。
どこから入り込んできたのか、涼夏はぎょっとする。
周りの先輩会計士たちもぎょっとして、みんなで鳥を囲んだ。
「えっ、鳥? どこから……」
「リョーカさん、これ、手紙鳥だよ。魔術師が使う手紙だ」
「て、手紙?」
どこからどう見たって鳥なそれに、涼夏は目を白黒させる。
見かねた先輩会計士が鳥を撫でるように助言してくれたのでその通りにすると、鳥はするりと形を変えて一枚の手紙になった。
涼夏がぽかんとしていると、先輩会計士が手紙をのぞきこむ。
「なになに……『リョーカ・スズミヤ様。エヴラール・バラントが意識不明。今すぐ城内医務局に来られたし。イジドール・ラスペード』。おい、これ魔術師団の正式印も入ってるぞ」
涼夏の手紙を読み上げた先輩会計士の言葉に、周囲がざわめく。
ざわざわとざわめく会計士たちの真ん中で、涼夏は受け取った手紙を読んで呆然とした。
―――エヴラール・バラントが意識不明。
その文字の意味を理解した涼夏は顔をあげると、バタバタと外出支度を始める。
「すみません、お城に行ってきます! こっちの書類が終わってるやつで、こっちが未計算のやつです! 何かあれば連絡ください!」
「おおう、仕事はこっちに任せな!」
「リョーカちゃん馬車はどうする? 相乗り探す?」
「ちょっと待ってろ、仕入れで空いてる馬車がないか聞いてきてやる」
周囲も文面の不穏さから、緊急を要するものだと理解してくれたようで、上司先輩問わずに全員てきぱきと必要な手配を整えてくれた。
涼夏はたくさんの人に助けられている。この優しい上司や先輩たちに心からの感謝を述べながら、涼夏は手配された馬車へと乗り込んだ。
ガタゴトと揺れる馬車の中、涼夏はぎゅっとスカートの裾を握りしめる。
体は反射的に動いてくれたけど、頭の中は同じことばかり反芻している。
エヴラールが倒れたって、どうして。
唯一、心当たりがあるとすれば、ガスパルからの連絡じゃなくて、魔術師団長であるイジドールからの招喚であることだろうか。
心臓が怖いくらいにばくばくとして、涼夏は左胸を押さえた。
もし、もし、エヴラールがいなくなってしまったら。
そう考えただけで胸の奥に冷たい澱みのようなものがとぐろを巻く。
城への道のりがひどく長い。
涼夏は唇をかみしめて、大きく車輪が跳ねる馬車に一人揺られた。
涼夏のことは通達があったのか、城門での身分証明はすんなりと通った。医務局がある建物まで馬車を走らせてもらって、はやる気持ちを抑えながら建物に入ると、医務局内は騒がしかった。
やたらと女性の往来が多くて困惑しながらも、涼夏はエヴラールがいる場所を探す。
日本の病院のような受付がない上に、病室に名前も書いてないようで、涼夏は右往左往しながら、エヴラールのいる病室を尋ねて回った。
だけどタイミングが悪かったのか、すごくうんざりとした表情で「君もか」「部外者は帰れ」と言う人ばかりで、涼夏は半泣きになりながら医務局を歩き回るはめになった。
そしてようやくたどり着いた病室の前には、女の人がたくさん、押しかけていて。
部屋を間違えてしまったのだろうかと涼夏が不安に思いながらその人混みに近づくと、かしましく話す女性たちの言葉が拾えた。
「エヴラール様がお倒れになったんでしょう?」
「わたくし、エヴラール様がガスパル様に抱かれて医務室に運ばれたところを見ましたわ!」
「エヴラール様にお見舞いの品をご用意いたしましたの」
「ご看病の手は足りていて? なんでもしますからお部屋に……」
涼夏の表情が引きつる。
この人たち、みんなエヴラールの見舞い客?
この中を割り込んでいかないといけないのかとげんなりしたけれど、涼夏は一つ深呼吸して覚悟を決める。
涼夏はイジドールに呼ばれてきたのだから、堂々とすればいい。
涼夏がまっすぐに姿勢を伸ばして病室に近づくと、一番最後尾にいた緑の髪の女性が涼夏に気がつく。侍女服に身を包んでいる彼女は、親切心なのか、涼夏に声をかけてくれた。
「あら、あなたもエヴラール様のお見舞い? でも残念ね、今面会謝絶みたいで、許可のある方しか中に入れないのよ」
「そうなんですね。なら少し場所を譲ってもらってもいいですか? 中に入りたいので」
涼夏が素っ気なく女性に言い返せば、女性はむっとした表情になる。
「あなた、わたくしの話を聞いていた? 許可のある方しか中に入れないって言ったのよ」
「許可なら頂いてます」
「へぇ、誰に」
「イジドール・ラスペード様です」
涼夏が答えれば、女性は一つ瞬きをしたあと、笑い声をあげだした。
病室に押しかけていた女性たちが何事かと涼夏たちの方をふり返る。
「おほほほ! 冗談はおよしなさいな! 魔術師でもないあなたがイジドール様に呼ばれて来たですって? ここは医務局ですわ。向かう場所を間違えていらっしゃいましてよ!」
「間違ってないです。イジドール様からエヴラールさんのところに行くように言われました」
どこまでも真面目に答え続ける涼夏に、緑髪の女性はひくりとこめかみを引きつらせた。
「エヴラール、さん、ですって? あなた、馴れ馴れしすぎではないかしら?」
「……えっ?」
唐突に声のトーンを落としてよく分からない指摘をした女性に、涼夏は困惑した。
身に覚えがないと言わんばかりの涼夏の表情を察した女性が、ぴしゃりと言い放つ。
「あなた、その身なりからして、どこからどう見ても庶民でございましょう? そんなあなたが侯爵家子息であるエヴラール様とお近づきになれるわけがないじゃない。うぬぼれにも程がありましてよ」
涼夏は女性の言葉に目を丸くする。
薄々勘づいてはいたものの、涼夏はこのとき初めてエヴラールの身分を知った。
首がなかったとき、モーリア侯爵家に話を通すのなら自分の方が都合がいいだろうとエヴラールが考えていたり、とっても偉い魔術師と個人的なつながりがあると聞いていたから、ひょっとしたらとは思っていた。
お城に行くときにドレスを着せてくれたジネットの言葉を思い出す。
―――むしろこのくらいしないと、あなたはエヴラール様の隣に立つなんて難しいのよ。
その意味を今、理解した。
緑髪の女性の言葉に、周囲の女性たちも涼夏がただの出しゃばり女だと思ったのかくすくす嘲笑いだす。
涼夏は笑われたことが恥ずかしくなって顔をうつむきかけるけれど、ぐっと唇を噛みしめた。
たとえ場違いだと笑われようと、涼夏は顔をあげる。
涼夏はここにいる正当な理由があるのだから、恥じるようなことはない。
「……それがどうか、しましたか」
泰然と答えた涼夏に、先程まで優位に立っていたと優越感に浸っていた緑髪の女性は頬を引きつらせた。
「……なんですって?」
「それがどうかしましたか、って言ったんです」
涼夏は女性から視線をそらさない。
深い夜のような黒い双眸に射抜かれて、女性はたじろいだ。
そんな女性に、涼夏はもう一度主張した。
「私はイジドール様から呼ばれてきました。エヴラールさんに会うように言われています。証拠もあります」
そう言って、涼夏はまるで印籠のようにイジドールから送られた手紙を見せつける。
それには先輩会計士の言っていた魔術師団の正式印が入っていて、当然この場にいる女性たちはそれが意味するものが何か、分からないわけではなかった。
静かにざわめき出す周囲の人たちに、緑髪の女性が顔を真っ赤にさせる。
「こ、こんなものどうせ偽造でもしたんじゃないの!? いったいあなたみたいな庶民の小娘が、エヴラール様とどんなつながりがあるって言うのよ!?」
「私とエヴラールさんのつながり……?」
ヒステリックに叫ぶ女性に、涼夏は一度口を閉じた。
それを見た女性が勝ち誇ったかのように胸を張る。
「ほら、無いんじゃないの。それならそれも、偽造か、誰かのものを盗んだかしたものに決まって……」
「―――私とエヴラールさんは、一蓮托生、です」
女性が言葉を言い切る前に、涼夏は言い返した。
いつの間にか二人を囲むように見ていた女性たちは声をひそめている。
そんな中で涼夏は凛と背を伸ばして、臆することなく女性を見返した。
「いちれん……?」
「一蓮托生なんです。私にはエヴラールさんが必要で、エヴラールさんにも私が必要なんです」
「そんなの、あなたの妄想ではないの!?」
「……そうですね。そうかもしれない。でもそれはエヴラールさんに聞いてみないと分かりません」
馬車の中で、エヴラールに会えない日々で、涼夏がずっと考えていたこと。
それは涼夏がこの世界に生きるための理由。
何度も、何度も、自問した。
元の世界に帰れないと知って、涼夏はどうしたらこの世界に悔いなく笑って生きることができるだろう、と。
生活するだけなら、大変だけどできる。だけど元の世界に囚われないような生き方をするには、涼夏が涼夏の意思でこの世界に生きる意味を見つけないといけなくて。
そんなとき、不意にエヴラールが言ってくれた言葉を思い出した。
―――もし僕が、この世界にいてほしいと言ったら、君はこの世界を選んでくれる?
言われたときは、涼夏の身勝手で否定した。
エヴラールに涼夏は必要はないと。
でも今は、その言葉に手をのばしたい。
エヴラールに必要だと言ってほしい。
側にいることを許してほしい。
元の世界よりも、エヴラールを選んでいい理由がほしい。
「……私はわがままで、身勝手で、ひどい自己中な女です」
「な、なによ」
「それでも私は、この世界で一番、エヴラールさんのことが好きなんです。その人が私の助けを必要としているんです。私の邪魔を、しないでください!」
涼夏の声はすっかり静かになってしまったこの場所によく響いた。
涼夏と相対していた女性は、涼夏の迫力に一瞬気圧されたかのように言葉に詰まるけれど、すぐにわなわなと肩を震わせはじめた。
緑髪の女性の顔が、憤怒に彩られる。
「あなたっ、そうっとうっ烏滸がましいわねっ! 庶民のくせに、貴族であるわたくしたちを差し置いてふざけたことを言わないで頂戴っ!」
「ふざけてなんか……っ」
緑髪の女性が手を振り上げる。
これは叩かれると思った涼夏が自分の顔を守るように腕を上げる。
その瞬間だった。
「うるっせぇ! 病室の前で騒ぐんじゃねぇって何度言わせんだ!?」
聞き慣れた声が涼夏の耳に入る。
ざわざわと周囲の女性たちがさざなみのように割れていくと、病室から出てきた人が涼夏に気がついた。
「は? リョーカちゃん? なんでここに?」
「ガスパルさん……」
ほっと息をついた涼夏に、ガスパルはすぐに視線を周囲に走らせる。
すると涼夏の目の前にいる緑髪の女性を見つけて、ガスパルは大きくため息をついた。
「またあんたか、コレット嬢」
「またとはひどいですわ、ガスパル様。わたくし、この庶民に身のほどというものを教えていただけです」
コレットと呼ばれた緑髪の女性は、ツンとそっぽを向いてガスパルに言い返した。
ガスパルはやれやれといったていで額をおさえると、軽く頭を振る。
「とにかく、コレットに限らずここで騒がないでくれ。必要のないやつが医務局にいる意味はないし、ここにいてもエヴラールには会えない。持ち場に戻るんだ」
「まぁ。せっかく皆様、エヴラール様が心配で参りましたのに。ひと目くらい会わせていただくこともできませんの?」
「できません。さぁ戻ってくれ」
ガスパルが重ね重ね言えば、集まっていた女性たちが散り出した。
その中で涼夏が気まずそうに立ち尽くしていると、ガスパルは涼夏に声をかける。
「それでマジでなんでリョーカちゃんがいるんだ? 仕事は?」
「えっと、それは……」
「ああ、それは私が呼んだんだ」
ガスパルの後ろから柔らかい声が聞こえた。
馴染み深い黒髪が見えて、涼夏はほっとする。
「イジドール様」
「さぁ、中に入ってくれ。彼は奥のベッドにいるから」
イジドールにエスコートされて中に入っていく涼夏に、ガスパルは納得した。
自分も部屋へと引き返そうとすると、眦を吊り上げたコレットがガスパルに噛みつく。
「どうしてですの! あの庶民がよくてわたくしがだめな理由がありますの!?」
「はぁ?」
呆れたようにガスパルが振り返る。
怒り心頭といった様子のコレットに眉をひそめたガスパルは、ふとこれはエヴラールによりつく虫を追い払うのに良い機会なのではと思い直す。
ガスパルは中にいる不器用な二人を思ってひと肌脱ぐことにした。
未だちらほらとうろつく女性たちにも聞こえるように、ガスパルは言う。
「そんなん決まってんだろ。彼女はエヴラールの特別だ。可愛くて可愛くてたまらない、掌中の珠だよ。あいつは自分の唯一をもう決めたんだ」
ガスパルはそう言うと、病室の扉を閉めた。
ピシャリと閉められた扉に、残されたコレットやその他の女性たちは呆然とする。
やがてそのうちの一人である魔術師の女性が、思い出したように声を上げた。
「……私、あの子見たことあるかも」
「なんですって」
コレットは魔術師の女性を睨みつけるように見た。
魔術師の女性はその迫力に思わず視線をそらすけど、口早に言う。
「ちょっと前にエヴラール様とガスパル様に連れられて魔術師団に来てました。その時はドレスを着ていて……その、エヴラール様の瞳のお色のドレスを」
魔術師の女性は思い出した。
あの時、エヴラールの隣に、エヴラールの色を身にまとった少女が立つのを見て、ひどく羨ましいと思ったことを。
ぽそぽそと話した魔術師の女性に、とうとうコレットも肩を落とす。
どうやら、ガスパルの言うことは本当らしい。
これまで高嶺の花だった美貌の騎士エヴラール。
それが最近表情が明るくなり、以前よりも親しみやすくなったと思ってアピールをしていたのに。
その高嶺の花はすでにあの少女によって手折られた後だったのかと理解して、その場にいる女性は皆、ショックでしばらく枕を濡らすことになるのだった。





