それにしても変な夜
ルイの漕ぐ自転車はすいすいと無人の歩道を進む。わたしはその後ろで彼女の小さい肩を掴んで身を預けている。ポニーテールがたまに鼻先に当たってくすぐったい。
わたしの案内で、自転車はわたしが生まれ育った港町の方へ進んでいる。繁華街の喧騒が遠ざかるにつれ、現実すらもふわふわと遠ざかっていくようだった。ユウリのいない部屋の余韻が、心を静めたり表面に波紋を広げたりする。
「風が気持ちいいね」
「優雅なことね。こっちはちょっと疲れてきちゃった」
「がんばって。帰りは代わるよ」
「当然でしょ」
まばらな民家の明かりが近付いては遠ざかる。かつてわたしが住んでいた場所が近付くにつれ、懐かしさが胸の内に広がって叫び出したくなる。もしかすると、どこかで小学生の頃のわたしが買い物袋を提げて歩いているかもしれない。そう錯覚してしまうくらい、この地域は昔から何も変わってない。道幅は徐々に狭まり、いまでは車とすれ違うのもやっとなほどだ。たまに道脇に現れる電柱の心許ない明かりが、薄暗い行く先を照らす。
「家族ってどんな感じだった? きょうだいいた?」
過去を懐かしむわたしの気持ちが伝播したのか、ルイがそんなことを尋ねてくる。
「いないよ」
「でしょうね。あなたって一人っ子の代表みたいな感じだもの」
「何それ。君もいないでしょう?」
「残念。妹がいたわ。あの子には傘師の素質はないみたいだけど」
傘師の素質は遺伝によるところが大きい。両親のうち片方でも傘師なら、その子供はほとんどの場合傘師になると聞いたことがある。わたしのように、傘師でない親の子から傘師が生まれることだってまれにあるけれど。
「家族、好き?」
「あたりまえでしょ。ミナミは嫌いなの?」
わたしは曖昧な笑みを返事とした。ルイには無言と捉えられたらしく、振り返ろうとした彼女の茶色のポニーテールが素早くしなった。けれど結局、後ろを向くことは諦めたようだ。
「あたし、いまでも頻繁に手紙のやり取りをしてるし、できることなら家に帰りたいと思ってる。この学校の友達も大切なんだけど、やっぱり何の見返りもなく優しくしてくれるのは家族しかいないと思う」
「そう……、そうだね」
わたしがそう言ったタイミングで、自転車が突然不安定な感じに揺れた。「危なっ」と呟いたルイは素早くハンドルを切った。地面に目を落とすと、コンクリートの上にぼろぼろの傘が打ち捨てられているのが目に入り、すぐに見えなくなった。傘師の誰かが任務の帰りに捨てたのだろうか。それにしても、いかなる障害物があっても減速することのないルイはすごいと思う。
「あんなとこに傘を捨てる傘師はダメね」
「日傘かもしれないよ。傘師はあんなことしないよ」
「なによミナミ、妙に傘師の肩を持つのね。さては傘師だってことに誇りを感じてる?」
「割と」
割と、というより、かなり、だ。
だって傘師には他の人々にはない特別な能力があるのだから。
雨を体に受けても平気なところや、特別な力を発揮して雨雲を払うことができるところ。
そう、傘師は平和を守っている選ばれた人間だ。
こんな素晴らしいことってあるだろうか。
傘師であることに重圧を感じることもあるけれど、傘師になれたから家を出ることができたし、自分の人生も捨てたもんじゃないと思えた。
わたしは嫌だったんだ。堕落的なあの家で過ごすのは。
「割と、傘師になれて良かったと思ってるよ。傘師には誇りがあるから」
「誇りねぇ……。でもあのゴミを捨てたのは誇り高い傘師よ、きっと。ここらに捨ててあるってことは、きっとカナミズチームの傘師の仕業よ。いまはグループ編成の時期だから、去年度の人たちのせいかな」
「あ!」
カナミズチーム。
その単語に、自分の使命を思い出したわたしは声を上げた。
「な、なによ。突然大きな声出さないで」
ルイの動揺が自転車を左右に揺らす。わたしは彼女にしがみついた。そしてその肩にぐっと力を込め、声にも力を込める。
「ねえルイ、カナミズチームに入らない?」
「へ?」
「訳あってわたし、カナミズチームのリーダーになったんだ。いまメンバーを募集中してるところ」
「へ? 何言ってんの?」
「とにかくカナミズチームに入るのはどう? カナミズ第一高校のある場所を守る、花形のチームだよ」
ルイは首をひねってわたしの目をちらりと見た。あなた大丈夫? と彼女の目は無言の内に尋ねていた。
「ねえ、もうチームのメンバーなんてとっくに集まってないとだめな時期よ。来週から任務開始なんだから。それに手当たり次第誘ったりしたら、まとまったチームにならなさそう」
「そんなこと分かってる。でもそうも言ってられないんだよ。ねえ、だめ?」
「あたしもう他のチームに入るって言っちゃったもの。それに花形なんてあたしには似合わない。カナミズチームってそんなに注目されるわけ?」
去年もカナミズチームだったわたしは答えに窮した。答えはイエスでもありノーでもある。世間は一定の周期で傘師の高校生に対して同情したり非難したがる。高校生らしい生活が送れていないのが可哀そうだとか、傘師だからといって他の未成年にはない権利を有しているのはおかしいだとか(未成年であっても、傘師なら飲酒喫煙の権利が法で守られている。わたしはどちらもしようとは思わないけれど)。そういった問題が取り立たされたときにクローズアップされるのは決まって、傘師発祥の地とされているカナミズ地区であり、その地を守っているカナミズチームになる。ちょうど半年前くらいに、わたしとユウリを含む去年度のカナミズチームのメンバーがテレビカメラの前に引っ張り出されたことがあった。美しいユウリの顔が新聞の一面を飾ったこともあったっけ。だけどそれはとびきり美しい少女がカナミズチームにいたからであって、毎年そんなことが起こるわけではないだろう。
「そんなことはないよ。去年はたまたま傘師の問題がうるさかっただけだし、ユウリがあまりに綺麗だったから世間が注目しちゃったんだ」
「ふうん、ユウリねえ」
ルイはどこか気に食わないように呟いてから、気を取り直したように言葉を続ける。
「でもあたしもう他のチームに入るって言っちゃったから、やっぱりだめ」
「でもでも、学校から近いから、遠くまで雲払いに行かなくてもいいよ」
「あー、それは魅力よねえ。移動に電車やバスを使うのってめんどくさいし。でもやっぱり……」
「そしてそして、朝早くから任務だとしても、ぐっすり寝てられるよ。移動に時間がかからないから」
「うっ、それは魅力。すっごく」
わたしの苦し紛れのアピールは、思いのほか鋭く彼女の心に刺さったようだった。顔は見えないのに、彼女が悩み始めたことが手に取るように分かった。なるほどルイは寝起きが悪いのか。そうと分かればもうひと押しすることもできる。
「任務の日はわたしが起こしてあげるよ。なんなら任務がなくたってわたしが起こしてあげても……」
「乗った」
ルイは最後のひと押しであっさり誘いを受け入れた。自分が働きかけておいて何だけど、彼女のその決断に信じられない思いがした。そんなに簡単にチームを変えてしまっていいんだろうか。
「ほ、本当にいいの?」
「あたし、起きるって行為が何より苦手なの。このままじゃいずれ朝の授業に出られなくなっちゃって、卒業できなくなるかもってくらい」
「やったあ。よかった、嬉しい」
わたしは予期せぬ幸運に快哉を叫んだ。
それにしても変な夜。
突然、夜の散歩に誘われたと思ったら、いともあっさりチームのメンバーを増やすことができるなんて。そしてユウリがいなくなって以来、久しぶりに人とゆっくり話せた。わたしの中に、まだ人と話すことを楽しめるわたしがいるなんて。それはユウリが連れて行ってしまったものと思い込んでいた。
自転車は話をしている間にも進み続け、いまはもう潮風の中を走っている。
「あ、ちょうどこの坂を下りると海が見えるよ」
「よし、じゃああたしの背中にしっかり掴まっててね」
まさに下り坂に差し掛かろうとしているのに、ルイは一向にスピードを緩める気配がない。目の前にぽっかり空いている闇にわたしの不安は嫌でも煽られる。
「ちょっとスピード緩めない? 結構急な坂だし、二人乗りなんだからさ」
「この自転車、ブレーキが壊れてるの」
「ん?」
一瞬、ルイが何を言っているのか分からなかった。
ぶれーきがこわれている?
「あたしの自転車じゃないのよ」
「そんなこと関係ないよ!」
「寮の近くに置いてあった、誰のか分からないヤツなの」
「どうしてここまで来ちゃったの?」
「途中で気付いたんだけど、引き返すのがめんどくさく……」
ルイの言い訳の言葉は途中から悲鳴に変わった。
あまりの恐怖にわたしも叫んだ。
風がすごい。
何も見ないように上を向くと、ジャケットの襟と風がビシバシと首を叩いた。怯えるわたしのことを笑うかのように輝く、無数の星が空に見える。いままで話したことのなかった隣人と、いまこんなに近くにいてこんな危ないことをしている。
ほんとに変な夜。




