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すべてわたしたちの手の中にあって、わたしたちが守るのだ

 あの控えめなハルヤの兄が、あんな感じの悪い集団の中にいるなんて、予想外だった。


 放課後に3Bの教室へ行き、小立野シュウイチの所在を聞くと、尋ねた生徒は苦笑して「どうせ廊下に溜まってるよ」と教えてくれた。その言葉に嫌な予感がしたものの、実際に確認するとやはり廊下に溜まっているのは先日見た、あの感じの悪い男子集団しかいなかった。声を掛けるのをやめようかと思ったけれど、ここまで来たら引っ込みがつかない。何が楽しいのかぎゃあぎゃあと笑う五人の男子を、少し離れたところから眺めているわたしはきっととても居心地が悪そうな顔をしていることだろう。


 騒ぎが一段落したところで、水中に潜るときのように息を整えて近付く。彼らはわたしが近づくと一様に意外そうな表情を浮かべたけれど、すぐに面白がっている内心を隠すように元の顔に戻った。


「なに?」


 ユキオミとは違う、やさぐれた感じの金髪が尋ねてくる。


「小立野シュウイチ君に話があるんだけど」


 そう言ってこの中の誰? と目線だけで尋ねる。すると、「おれだけど」と唯一の黒髪が名乗りを上げた。そういえば、以前ユウリに似た子が2Aにいると言っていたのは彼かもしれない。シュウイチは意外なほどハルヤと似ていない。ハルヤの鋭利さとシュウイチのねっとりと絡みつくような視線は相容れないものを感じた。


 早速用件を切り出そうと口を開くと、「せっかくだし二人で話そう」とシュウイチはわたしの腕を掴んでぐいぐいと引き摺り始めた。他の男子たちの冷やかすような笑い声が後ろに聞こえて屈辱を感じる。どうしてこんなに恥ずかしい思いをしなくちゃいけないんだろう。


 廊下をしばらく歩いて人気のない非常口の扉の前に辿り着くと、ようやくシュウイチは手を離した。その時点でわたしはかなり彼の雰囲気に気圧されていた。彼の内心から溢れるパワーは薄暗い中でも翳らない。内心の自信がそうさせるのだろうか。向き合った彼はまじまじとわたしの全身を舐めるように見るから、こっちは目線を靴先に求めるしかなかった。それにしても背が高い。ひょろりとしていて脚が長い体型だけは弟のハルヤと似ている。


「あんた、涌波ミナミだな。あんたがおれを知らなくても、おれはあんたを知ってる。ユウリから色々聞いた」

「ユウリと仲が良かったの?」


 思わず彼の目を見る。ユウリがこんな不良と親しかったなんて信じられない。シュウイチはにやりと笑ってわたしの髪に手を伸ばした。ごみがついていたんだ、と自分に言い聞かせたけれど、彼の手はいつまでもわたしから離れない。犬猫を愛しむようなその手つきに苛立ちつつも、彼の力強い雰囲気がその手を払うことを許さない。窓の外に目をやると、夕陽の赤さが目に焼きついた。


「おれとユウリは、それはそれは仲よしだったんだぜ。詳しくは言えないけど、色々なことを二人でやったさ。最終的にあいつは嫌気がさしたみたいだけどね……。ユウリは綺麗な女だったよ。でも、おれはミナミみたいな子も嫌いじゃないぜ。猫みたいで」


 猫で悪かったね。


 くすくす笑うシュウイチの手を、わたしはようやく振りほどくことができた。彼が優秀だという評判はデマだと思い始めていたので、もうこのまま帰ってしまおうと思っていたけれど、彼の方から本題に触れてきた。


「カナミズチームにおれを誘おうっていうの? なんでおれなの?」

「なんでわたしがメンバーを集めてるって知ってるの?」

「おれに知らないことはない。こっちの質問に答えてよ」

「あなたの弟の友達に、あなたが優秀な傘師だって聞いて。ハルヤ君とそのユキオミって子はうちのチームに入ってくれるって」

「ハルヤが? へぇ、それは兄としては聞き逃せない事実だな。それでミナミはおれに入って欲しいわけ?」

「いまは誘ったことを後悔してる」


 シュウイチは自身の顎をつまんでくすくすと笑った。


「正直だねぇ。それにしてもユウリの代役なんて、面倒なことを押し付けられたな」

「しょうがないよ。ユウリは転校しちゃったんだから」

「本気で信じてるわけ? 転校したなんて」

「え?」

「転校なんて本当にあると思ってんの?」


 ユウリは転校した。

 確かに先生たちはそう言っていた。


 シュウイチは夕陽を浴びて妖しく笑った。夕陽の赤が、彼の顔の鋭利さ――それはハルヤと通じるものだ――を浮かび上がらせる。わたしは思わず彼の顔をじっと見てその続きを待った。


「ユウリは転校したんだよ。他に何がある」


 自信に満ちた声がそう言った。

 けれどそれはシュウイチの掠れ気味の声とは別の、深い声だった。

 声のした方を振り返り、もと来た廊下を見る。


 そこには幼なじみの出羽シキトの姿があった。


 幼なじみはそう断定すると静かな足取りでこちらに近付いてきた。そのままごく親しい三人組のような自然さでわたしとシュウイチの会話に加わる。


「逆に転校以外の何がある。ミナミ、シュウイチはカナミズチームに入ってくれたの」

「誘ってない。上手くやってける気がしなかったから」

「言うねぇ」


 シュウイチは先程の妖しさを引っ込めてからからと笑った。もう彼はユウリの話をしないだろう。それが嘘であれ本当であれ、彼が何を言おうとしていたのか無性に気になった。でもそれを聞くタイミングは永遠に失われたのだ。いまばっかりはちょっとシキトを恨む。


「おれはシュウイチが入ってくれればいいと思うけど」

「お前がそう言ってくれるなんて嬉しいよ。ところで、どうしておれたちがここにいるって分かったの?」

「外から見えた。お前ミナミに掴みかかってただろ」


 シキトは窓を指差す。確かに視力さえよければ、裏門から校舎の方を振り返るとここが見えるだろう。たまたまシキトが校舎を振り返ったときに、わたしたちが目に入ったというところか。


「掴みかかってなんかいないさ。見間違えたんだろ」

「そうならいいけど」

「じゃあ、お誘いもされなかったおれは退散するぜ」


 シュウイチはにやり、とわたしとシキトを交互に見ると、そのまま廊下へと姿を消した。残されたわたしとシキトはなんとなく窓の外を眺めた。夕陽に沈むカナミズ地区の街並み。ビル群も、繁華街も、すべてわたしたちの手の中にあって、わたしたちが守るのだ。


「ねえ?」

「なに」

「ユウリは本当に転校したんだよね?」

「逆に転校以外の何がある」


 シキトは先程と同じ言葉を繰り返した。

 まるでそれが、わたしたちの身を守る呪文であるかのように。


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