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Vine  作者: 四家
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vine chapter1-7

「それは新社長の就任式のことでした。当時新社長となった前社長の長男は、来て間もない自分が会社を世襲することに対して以前からの社員に反感を買うのではないかと心配していました。若かったですが、組織のトップを快く思わない人間がいれば、必ず組織の不利益になるということを知っていたました。そこで、新社長は会社の人間、特に勤続年数の長い社員の心をつかもうと社員の家族も招いたパーティー形式の就任式で、社員の家族にもアピールを行おうと考えたのです」

 私はただこくりと頷いた。

「今だったら信じられない話でしょうね、会社に社員の家族まで積極的に関わらせてくる社長。むしろ反感を買いそうなものです。しかし、当時の中小企業は社員との関係は会社と個の関係ではなく、会社と家族の関係だったのです。当時高校生だった男は、ひねくれたところもないし、父の会社の人たちに以前から可愛がられていたので、素直に家族と共に就任式へと足を運びました。子ども扱いされるのは少し癪な年齢でしたが、久しぶりに会った父の同僚たちは男の高校での成績が良いことを褒め、丁寧に扱ってくれました。とても楽しいパーティーでした」

 内田はそこで息を吐き、ゆっくりと吐いた分以上の息を吸い込んで、次の言葉を発した。

「ですが・・・」

 内田のトーンが変わった。逆接の言葉とその内田のトーンが、これから男の野心の源へと触れていくのだろうということをわかりすぎるほどに知らせていくれた。私も息をのんだ。

「男にとってはその就任式は、生涯忘れられない不快な記憶へと変わります」

 ごくりと唾を飲む音が、普段より大きかった。

「宴もたけなわであったとき、新社長は社員一人一人に声をかけてまわり始めました。男から見た新社長は、一つ一つの行動が作法にのっとっていて、それを見るだけで彼の人生がどれほどの荒波を乗り越えてきたものかを感じるほどで、男もこの人ならばきっと会社は大丈夫だと思いました。経営の難しいことなどわかりはしない高校生ですが、人を見る力はきちんと養われていたようです。ところが、ついに男の父親へと新社長が声をかけた時、男は自分の中に抑えようのない感情が湧きだすのを感じました。いえ、その時男はそれが感情だということすら自覚しませんでした。なぜなら、それは感情というにはあまりにもじわじわと、じくじくと男の体の隅から隅へといきわたったからです。激しさなどどこにもない、けれど信じられないほど不快な何かが、火口から噴出された粘り気の強いマグマのようにゆっくりと確実に自分の全身へといきわたっていく、そういう感覚です」

 私はその時の男になったつもりだったが、どうにもピンとこなかった。当然だ、そんな感覚に陥ったことは一度もない。ただ、内田の表現が間違っているとも思えなかった。

「新社長が男の父親へと取った行動や態度は、はた目には素晴らしく社交的なもので、その場にいた人間でそれを不快に感じた者は誰もいませんでした。男の父親ですら不快感などまったくなく、むしろこの人とならば残りの会社員としての時間も有意義にすごせると感じました」

「では・・・」

 そう言いかけた私は、それを口の中で飲み込んだ。

 内田は話を続けた。私の様子を見て少し微笑んだようにも見えなくはなかった。

「男はあまりの不快感に目が回り、その場に立っていることが辛くなってトイレに逃げ込みました。吐くようなものはこみあげてこず、不快感がただひたすら吐き出すことさえできずに男の体を巡りました。男はトレイでうずくまってしまいます。男はしばらくすると、不快感の正体を見極めます」

 一定の間隔で話続けるけれど確かな迫力をもった内田の語り口は、その時確実に周囲の時を止めていた。しかし、次の瞬間に私はものすごいスピードで現実の世界へと引き戻された。まるで、素晴らしい映画を見終わって場内が明るくなった瞬間に、前の席が自分の一番嫌いな人間だとわかったときのようだった。

「それは父親の安心と新社長の余裕でした」

 驚くほどピンとこない理由だった。ぐいぐいと引き込まれるような先ほどまでと違い、突然手を離され、ここからは自分で歩きなさいと言われたようだった。

 安心と余裕がなぜ人をそんなにも不快にさせたのだろうか、それも会話の相手ではなく、はたから見ていただけの第三者に。突然手を離された私は、困り果ててたちすくんだ。

「訝しがるのも無理はありません。先ほど言ったように、その不快感を感じた本人ですらもそのことに気づくのに時間がかかったのですから。私がどの程度うまくそのロジックを伝えられるかはわかりませんが、可能な限りお伝えしますと、父親の安心感とそれを見た新社長の余裕から、自分の父親と新社長との間に絶対的ヒエラレルキーが存在することを感じた、というところでしょうか」

 私はまだ納得がいかなかった。社長と社員、ヒエラルキーなど、意識するまでもなくある。そして子どもだって17にもなれば、社長が社員よりも偉い存在なのだということくらいわかるものだろう。

「…純粋すぎたんです、男は」

「はあ」

 私は間抜けな返事をした。男の心境が理解できなかった。

「腑に落ちませんか?」

 内田は少し苦笑しながら尋ねてきた。

「まあ、正直に言うと。社長と社員なんて、違いがあって当たり前ですし、社長が余裕がなかったら嫌という人のほうが多いでしょうしね」

 内田がうつむいた。すごく悪いことをしたような気分になった。

「私の伝え方が悪かったです、なんといえばいいでしょうか、男は父親が新社長から哀れに思わったという言い方もできるかもしれません、そして父親はそれを良しとし、哀れまれていることにも気づかず、ニコニコしていた、というと少しは伝わるでしょうか」

「哀れむ?」

「ええ。新社長は男の父親を見てこう思ったわけです、この男は自分より長く生きてきて、自分より長いこと真面目に働き、自分以上に苦労を重ねてきた、それでもこの男は永遠に自分より上に行くことはない、思えばこの人もかわいそうなものだ、と。多少は男の心情をくみ取れますでしょうか?」

 そう言われると、少しわかるような気がして私はあいまいに頷いた。わからなくはない。だが、それまでの素晴らしい内田の語り口から比べると、男の心情の説明はどこかチープで、こちらを引きずり込む何かがないように思えた。

 内田は困ったような顔をしていたかと思うと、ちらりと腕時計を見た。

「すいません、お時間になってしまいましたね。とにかく、この出来事が男の中に野心を生み出したきっかけです。もし自分が会社員として働くのであれば、新社長が父親に向けたあのような目を、何度も耐えなくてはいけないのか、と。それは自分には耐えられそうにない、と」

 私も腕時計を見たが、それはポーズでしかなかった。私の頭は今の時間よりも、男の当時の心境ばかりを気にしていた。

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