35.大魔法使いダルセニオンの部屋にて(2)
意外な名前が出た。
「お前、あの商人を知っているのか」
いつにないフェルの真剣な様子にダルセニオンはたじろぐ。
しかし、ここは引かずに答える。
「……それは、無理だ。
南方のヴァルナ地方は黒魔術の本拠地だ。魔物も多い。私も初めて行く。
どうしたら一番安全に行けるかエスプリに相談した。
エスプリは、魔法にかからない子を知っていると言う。
私も半信半疑だったが、他の骨董商人も加えてテストをした。そうしたら、あいつの能力が一番だった。
幻惑魔法が全くかからないという人間に会ったのは初めてだ。何があるか分からない旅に、連れて行かない手はない。
……行き先や目的も伝えてしまった。それに、出発は明日だ。陛下の許可も得た」
ダルセニオンが説明しているうちに、フェルの勢いも少しずつ削がれていくのに、ダルセニオンは少しほっとする。
「……でも、だから、なんでその黒魔術の本拠地で魔物も多い危険なところに、アッチェルが行かなきゃいけないんだよ。
アッチェルは今まで普通の生活を送って来たのに、なんで突然、命令だからって行かなきゃいけないんだよ。そんなの横暴じゃないのか?
なんの旅の経験も無いし、魔物のことなんて何にも知らないアッチェルが危険な目に遭うかもしれないなんて、俺は嫌だよ!」
「だが、もし連れて行かないとなると、その分、私とエスプリとリゾルーテンと姫の身に危険が及ぶ可能性も高くなるというわけだ。
私は姫の身の安全を一番に考えたい。
それに、この旅が成功するか否かが陛下の今後の健康を左右し、ひいてはこの国の未来がかかっているのだ」
「うっ」
フェルは返答に詰まった。
「だから、無理だ。アッチェラードは、連れて行くぞ」
「うう~」
フェルは頭を抱えて、そのままソファーにどっかと座り込む。位置を確認せず遠慮もせずに座り込むのは、この部屋に来るのに慣れているからだ。
「アッチェルを危険な目に遭わせたくないんだ。でも、お前や姫が危険な目に遭うのも嫌だ。陛下には元気になってもらいたい! 俺はいったいどうすればいいんだ~!」
「背に腹は代えられぬからな」
ダルセニオンは追い打ちをかける。
フェルはため息をつく。
「……ああ、俺はどうすればいいんだ。……アッチェルを危険な目に遭わせたくないのに、アッチェルは行かなきゃいけないのか?」
「そういうことだ」
理解してくれかけている様子に、ダルセニオンはほっとする。
「だが、アッチェラードがお前の……知り合いだったとは知らなかった」
フェルはその言葉のわずかなためらいを捉えて顔を上げると、
「友達だと思っていたのは俺の方だけでな、向こうにとっては単なる知り合いに過ぎなかったらしいけどな」
と自嘲的に言い捨てた。
言い捨てた後で、姿勢を正すと、
「いや、こんな言い方は良くないな。アッチェルは別に悪くないんだ。俺が勝手に友達だと思っていただけで、アッチェルは悪くない。アッチェルは本当にいい奴だよ」
そう、言い直したのは、アッチェルに対してダルセニオンが悪い印象を持つといけないと思ったのだ。
そんなふうな心遣いを見せるフェルに、ダルセニオンの目は思わず細くなる。これは滅多に笑わないダルセニオンの微笑なのだ。それを知らない人は微笑んでいるとは気づかないだろう。
「お前らしくないな。友達を作るのは得意じゃなかったのか」
「そのつもりだったんだけどな」
フェルはため息まじりだ。
フェルは人懐っこさとめげない性格とで、ダルセニオンまでも友達にしてしまったほどなのだ。
「あーあ。俺、厚かましい奴になっちゃったかな」
いつもはこんな形で失敗はしないのだ。人気者のフェルとは友達になりたい人が多いし、いつもなら相手の方が、フェルの馴れ馴れしさに勘違いをして、それが女性の場合はたいてい、フェルが自分のことを異性として好きなのかと思ってしまうのだ。そのため、女たらしという悪評が立ったこともある。
フェルとは友達になりたい人も多いが、逆にその人気をやっかんだり、北国出身の外国人であるのに剣の腕前の良さから重用されていると、同じ剣士仲間の中では対立をして、陰口を叩く一団もいる。
だが今回は、そんなやっかみや対立とは無縁のアッチェルなので、友達になれるはずだった。
なのに、フェルの方が友達になった、と、一方的に勘違いをしていたらしい。と、少なくともフェルの方はそう思っている。
そんなフェルに対してダルセニオンは一つの疑問を口にする。
「お前は……、アッチェラードが女だと知っているのか?」




