Chapter 0.9 — Beyond the Echo
Sランク冒険者になった。
それが正式に発表されたのは、二人が二十三歳になった年のことだった。
五十階層の攻略。
Sランク級の守護者との戦闘。
そして、これまでの活動実績や魔力制御能力などを含めた審査。
そのすべてを乗り越え、二人は正式なSランク冒険者として認められた。
「……本当にSランクになったんだな」
自宅のソファに座りながら、蓮司が認定証を眺める。
「そうね」
玲奈は隣から認定証を見る。
「もっと喜べよ」
「喜んでるわよ」
「全然そう見えない」
「あなたが喜びすぎなの」
「それはそうかもな」
二人は顔を見合わせて笑った。
冒険者を目指した頃。
Sランクなんて、自分たちには遠い存在だと思っていた。
それでも、気がつけばここまで来ていた。
しかし――。
「……でも」
玲奈が呟く。
「まだ終わってない」
蓮司が玲奈を見る。
「第零階層か」
玲奈は頷いた。
「ええ」
二人はすでに、そこへ到達していた。
通常のダンジョンでは確認されていない領域。
第零階層。
名前だけなら、研究者の間で何度か噂になっていた。
だが、実際にそこへ辿り着いた者はほとんどいない。
そして二人は、その場所を踏破した。
――それでも。
「結局、あそこは何だったんだろうな」
蓮司が言った。
玲奈はすぐには答えなかった。
第零階層。
そこにあったものを思い出す。
壁。
床。
天井。
一見すれば、普通のダンジョンと変わらない。
だが、決定的に違うものがあった。
魔物がいなかった。
魔力石もなかった。
それなのに、そこには異常なほど濃い魔力が満ちていた。
そして――。
「……あの扉」
玲奈が呟く。
蓮司の表情が変わる。
「覚えてる」
二人が最後に見つけたもの。
階層の最奥に存在した、巨大な扉。
扉には文字もなければ、鍵穴もなかった。
ただ中央に、一つだけ奇妙な紋様が刻まれていた。
円の中に描かれた、見たことのない記号。
玲奈が魔力を近づけた瞬間。
その紋様が、ほんの一瞬だけ反応した。
「……あれは、俺たちを認識したのか?」
「分からない」
「じゃあ、何だったんだ?」
「それも分からない」
玲奈は首を横に振る。
「ただ、一つだけ確かなことがある」
「何?」
「私たちが見つけたのは、第零階層の終点じゃない」
蓮司が黙る。
「……どういう意味だ?」
「地図上では、そこが最奥だった」
玲奈は静かに答えた。
「でも、魔力の流れは……あの扉の向こうへ続いていた」
「……」
二人の間に沈黙が落ちる。
踏破した。
そう記録されている。
けれど――。
本当に、あれで終わったのか。
二人にも分からなかった。
「いつか、もう一度行こう」
蓮司が言った。
玲奈は少しだけ笑う。
「ええ」
その約束を最後に、二人は第零階層について話すのをやめた。
*
それからしばらくして。
二人の生活に、大きな変化が訪れた。
「……蓮司」
「ん?」
「話があるの」
いつもより少し緊張した玲奈の声。
蓮司は振り返った。
「どうした?」
玲奈は一度だけ息を吸う。
「子どもができたみたい」
「…………」
蓮司が固まる。
「蓮司?」
「……本当に?」
「本当よ」
「俺たちの?」
「当たり前でしょ」
蓮司は思わず立ち上がった。
「そっか……」
しばらく言葉が出てこない。
やがて、蓮司は小さく笑った。
「俺、父親になるのか」
「そうね」
「……怖いな」
「珍しいわね」
玲奈が笑う。
「あなたが未知のものを怖がるなんて」
「未知だから怖いんだろ」
蓮司も笑った。
「でも……」
玲奈の隣に座る。
「二人なら、なんとかなる気がする」
「私もそう思う」
二人はこれまで何度も、未知の場所へ進んできた。
怖くても。
分からなくても。
二人で考えて、二人で進んできた。
それは、これからも変わらない。
「名前、どうする?」
「もう考えるの?」
「大事だろ」
玲奈は少し考える。
「男の子だったら?」
蓮司は少しだけ照れながら答えた。
「……悠真」
「悠真?」
「うん」
「どうして?」
「自分の道を、真っ直ぐ進んでほしいから」
玲奈はその名前を何度か口の中で繰り返した。
「……いい名前ね」
「だろ?」
「でも、女の子だったら?」
「それは玲奈に任せる」
「ずるいわね」
二人は笑った。
*
そして、その年。
一人の男の子が生まれた。
病室に、小さな泣き声が響く。
蓮司はゆっくりとベッドへ近づいた。
玲奈の腕の中には、小さな赤ん坊がいる。
「……男の子です」
その言葉を聞いて、蓮司は息を吐いた。
「悠真……」
玲奈が赤ん坊を見る。
「うん」
小さな手。
小さな指。
何も知らない顔。
蓮司がそっと指を伸ばすと、赤ん坊の小さな手がそれを握った。
「……強いな」
「まだ何もしてないわよ」
「それでもだよ」
二人は笑った。
そのときだった。
病院から少し離れた場所。
誰もいない研究施設の奥で、一台の古い観測装置が突然起動した。
――ピッ。
表示されていた数値が、ゆっくりと変化する。
魔力反応。
通常なら無視できる程度の、小さな反応。
しかし、その数値には一つだけ奇妙な点があった。
記録されていた過去のデータと、完全に一致していた。
【第零階層――反応値照合】
【一致】
【アクセス――】
そこで画面が途切れる。
誰かが装置の電源を切ったのか。
それとも、別の理由なのか。
その答えを知る者は、まだいなかった。
*
病室では、何も知らない二人が我が子を見つめていた。
「名前、もう決めてあるんだろ?」
蓮司が言う。
玲奈は頷いた。
「ええ」
そして、二人でその名前を口にする。
「黒瀬悠真」
父――黒瀬蓮司。
母――黒瀬玲奈。
そして、その二人の間に生まれた少年。
黒瀬悠真。
この日。
一人の少年の物語が始まった。
まだ誰も知らない。
その少年が、やがて第零階層に残された謎へ触れることになるなど。
ただ一つだけ確かなことがある。
――あの扉の向こうには、まだ何かが残されている。
そして、その残響は。
今も消えてはいなかった。
――Chapter 0 完。




