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正しさの証明  作者: 虚名
第二章 正しさの在処
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第二十三話 冷めた瞳

 振り向くと、そこには久我がいた。

 いつもの制服姿ではなく、仕立てのいい高級スーツを纏っている。彼の背後にはAiを彷彿させるほど一切表情を排した男が二名、久我の影として控えていた。

 異様な佇まいに、神谷は反射的に身構えた。

「久我、あんた……」

「なぜ、非番のあなたがいるのですか」

 神谷より先にアイが同じ質問を投げかけた。冷めた表情で一点を見つめるアイに対し、久我は薄い唇の端を持ち上げ、開口した。

「つれないですね。これでも神谷主任より長い付き合いでしょうに」

 やはり、アイと久我は顔見知りなのか。胸裏に抱いていた疑惑が確信となって苦く広がっていく。神谷は喉の奥に絡まったものを吐き出すように、圧し殺していた言葉を絞り出した。

「おい。今日は何の用だ?」

「疫病神みたいに言わないでくださいよ」

 神谷の鋭い視線に、久我は普段通りの軽い口調で返答し、続ける。

「鷲津部長の命に従って、アイを迎えに来ました」

「迎え?」

「ええ。彼女は優秀な捜査用Aiです。データが汚染される前にメンテナンスする必要があります」

 そう言って浮かべた笑みには、上層部の犬としての従順さと底知れない冷徹さが同居していた。

 なぜ、単なる地域警察官が刑事部長の直命で動いているんだ。こいつは一体何者だ。神谷の脳裏にいくつもの疑念が渦巻く。

 反面、アイは久我の言葉に一切の疑問を差し挟まず、ゆっくりと歩を進めていった。

 アイは久我が連れてきた二名の男たちに挟まれながら廊下の奥へと向かう。規則正しい足音が遠ざかっていく。先程まで人間の感情について語り、微笑みを浮かべていた彼女が、一瞬でただの機械に戻ってしまったという冷たさに喉が渇いた。それでも神谷は黙って彼女を見送るしかなかった。

 アイの姿が見えなくなると同時に、久我が小さく息を吐いた。

「アイが上層部の命令に反するなんて驚きました。これまでそんなエラーはなかったはずですが……」

「エラーだと?」

 神谷は苛立ちを隠さないまま鼻で笑ってやった。

「Aiは捜査の効率化や適正化を目的として導入されたんだろ。あいつは事件を解決しようと思い、忠実に従っただけだ」

「あなたはそうやってまた新しい相棒を破滅させるのですか」

 久我が神谷の言葉を遮り、一歩、また一歩と神谷へと歩み寄った。

「どういう意味だ?」

 訝しげに睨みつける神谷に、久我は敵意の視線を真っ向から受け止めながらも、表情ひとつ変えずに淡々と答えた。

「捜査行動基準法が施行される約一年前……丁度、庁内でAiの実証試験があった頃、あなたにとって忘れたくても忘れられない事件が起きましたよね」

 廊下の空気が一瞬で凍り付いた。神谷は無意識に下を向き、歯軋りをする。久我は冷徹な光を宿した瞳で神谷の反応を観察しながら、なおも続けた。

「神谷主任の相棒だった、溝口真司さん。ある事件捜査を独断で行い、真実を知った故に、前刑事部長の息子を殺害し、直後に拳銃自殺しましたね」

 鼻腔の奥に硝煙の臭いと血生臭さが蘇る。

 忘れたくとも忘れられない。久我の言葉が呪いのように心臓に深く突き刺さる。手先が氷のように冷たくなり、頭痛で視界が歪んでいく。神谷は奥歯を噛み締めることで倒れそうになるのを必死に堪えた。そうすることでしか今にも折れてしまいそうな心を支える術がなかった。

 久我は神谷の動揺を察しながらも、言葉を重ねた。

「あの事件は、警察組織の最高幹部の身内が絡むという最悪の不祥事として世間に晒されました。だからこそ、捜査行動基準法第三条が施行前に加わったと言えるでしょう」

 捜査行動基準法第三条「捜査員は、判断の偏り及びリスクの最小化を図るため、原則として二名以上で行動するものとする。」

 これは、神谷に科せられた枷であり、過去の過ちを突きつけ続ける罰そのものだった。

 もう二度と、あんな風に一人で暴走する仲間を出さない。神谷は身を以って思い知った。それでも、次に配置された相棒は己の正義を貫くために被疑者を暴行して左遷された。

 まるで、神谷自身が相棒を破滅へと引きずり込む、呪いそのものに成り果ててしまったような錯覚さえ覚えた。

 久我は更に一歩足を進めると、神谷が必死に蓋をしていた痛みを容赦なく引きずり出していく。

「アイは試験実施期間中に発生した大規模な窃盗・強盗事件の匿流グループを特定し、壊滅へと追い込んで、犯罪の抑止に多大な貢献をしました。世間的にも認められた捜査用Ai。思えば、あなたがアイとバディを組まされたのは必然だったのかもしれませんね」

「おまえ、アイの何なんだ?」

 神谷は明確な敵意を孕んだ声色で問い詰める。

 久我は苦笑し、両手を肩まで挙げて、降伏のポーズをした。

「そんなに警戒しないでください」

「警戒するなと言われて、できると思うか?」

「手厳しいですね」

「あの事件を掘り起こしてきやがって、一体何が目的なんだ」

「目的……ですか」

 久我は敵意ですら面白がっているような色を残し、首を少し傾げた。

「そうですね。僕はただ、彼女がなぜ変わったのかを知りたいだけです」

「変わった?」

「そうですね。あなたには話すべきでしたね」

 久我はそこで言葉を切り、神谷をまっすぐ見据えた。

「私は、アイの相棒でした」

「相棒……?」

「はい。あの事件の解決は彼女の並外れた分析と冷静な事件捜査のおかげです。少なくとも僕と組んでいた頃の彼女は上司の命令に反するという不合理な真似はしませんでした。それが『神谷悠真』という人間に感化されたエラーだとしたら、非常に興味深いと思いましてね」

 久我はゆっくりと両手を下ろし、スーツのシワを伸ばして身なりを整えた。

 神谷は怒りを顕わにすることもなく、ただ久我を睨みつけることしかできなかった。

 そんな神谷を久我はまるで獲物の値踏みでもするように眺めると、冷ややかな笑みを浮かべた。

「それに、あなただって本当は気付いているでしょう。鷲津部長がわざわざ僕に彼女の回収を命じた意図を……」

 久我は一礼して神谷の脇を通り過ぎていった。

 遠ざかっていく革靴の音がいつまでも耳朶に響く。

 神谷は一人、暗い廊下に立ち尽くしていた。

 真実を追い求める先には、事件の真相だけでなく、過去の贖罪という名のバケモノが待ち受けている。

 神谷は拳を固く握り締めながら、深い溜息を夜の闇へ溶かした。

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