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正しさの証明  作者: 虚名
第二章 正しさの在処
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第二十二話 残熱の微笑み

 警察署の廊下は、昼間の喧騒が嘘かと思うほど、静寂に包まれていた。

 神谷は浅倉の身柄を同僚に引き渡し、必要な書類を整えて引き継ぐと、ようやく大きく息を吐き出した。重い身体を駆使して、気だるい足取りで廊下を歩く。

 隣には、先程まで全容解明の報告に立ち会っていたアイがいつもと変わらない静かな足取りで並んで歩いていた。神谷が肩にのしかかる疲労感に顔を顰めていると、アイが足を止めて神谷の顔を覗き込んできた。

「神谷主任。かなり疲弊しているように見受けられます」

「一仕事終えたからな。人間ってのは疲れるんだよ」

 気怠げに応じる神谷に対し、アイは小さく小首を傾げ、瞬き一つせずに神谷の言葉を咀嚼した。

「疲労は感情や思考にも影響を及ぼすのですか。私が想定していたよりも人間は遥かに複雑ですね」

「ああ。だが、感情だってちゃんとメリットがある。人間は他人の痛みに敏感だからこそ、時にはこうやって事件解決の糸口にも繋がるんだ」

 神谷は苦笑いすると、アイはそうですかと呟き、ゆっくりと胸元に手を当てた。

「神谷主任。私は今回、佐伯凛さんの境遇や児童養護施設の施設長による不同意性交罪のデータを処理した際、システムログに定義不能なノイズが発生しました。それに、刑事部長の命令に反して捜査を続行するなんて、本来のアルゴリズムではあり得ない挙動です」

 いつもの機械的なトーンの中に微かながらも揺らぎが含まれている。

 アイは、瞬きを二つすると、神谷をジッと見据えた。真っ直ぐで綺麗な瞳が神谷という刑事が持つ泥臭い観察眼を値探っているようで、同時に未知の概念を必死に学習しようとしているようにも感じ取れた。

 アイは胸に当てていた手を下ろすと、小さく息を吐いた。

「そのノイズが何だったのか、未だに最適解がありません。ただ、あの時、私は命令違反のペナルティを考慮しても『事件を解決すること』を最優先事項として選択していました」

 本来、Aiに求められているのは捜査の合理化や適正化であり、同時に上層部の意向に沿った迅速な処理のはずである。だが、彼女の根底にある「事件を何が何でも解決したい」といった執念にも似た目的は、神谷の信念と完全に一致していた。

 神谷は胸中に潜ませていた緊張を少しだけ緩めた。

 更に、アイは自身の膨大なデータベースをもってしても導き出せなかった問いを重ねた。

「神谷主任。あなたは浅倉結人を真犯人だと特定しました。私の解析結果では及ばなかった判断です。その根拠を教えてください」

 システムが弾き出した「佐伯凛が犯人ではない」という事実から、神谷が見抜いた刑事の直感がどのような論理に基づいていたのかを、彼女は知りたいらしい。神谷はポケットからタバコを取り出すと、そのまま指先で弄んだ。

「まずは、凛の指先だ」

「指先……ですか?」

「ああ。現場で聴取した時、血の気が引いていたせいもあったが、爪の隙間まで蒼白だった。ガラスの灰皿で人間の頭部を叩いてみろ。手元も血で汚れるはずだ。あの短時間にパニックになった少女が爪の奥に残る血まで完璧に洗い流せるはずがない」

 アイは黙って神谷の言葉に耳を傾けている。まるで、非科学的な刑事の勘をデータ化しようと試みているみたいだ。神谷はフッと息を漏らして話を続けた。

「それに、施設という地獄から逃走したのに、いくら行く宛がないからといって、すぐに父親という別の地獄に戻るとは到底思えなかった。だが、警察や児童相談所に保護された記録もない。それなら、どこかに『彼女を匿っていた何者か』がいると考えた」

「なるほど。論理的な推論です。ですが、それだけでは浅倉結人が犯人であることが繋がる理由にはなりません」

「アイ。あいつの供述を思い出してみろ」

 神谷は人差し指を立てて、続けた。

「浅倉の部屋を訪ねた時、あいつは『佐伯さん、死んだって本当ですか』と訊ねてきただろ。おまけに『俺がわざわざ殴らなきゃいけないんですか』と来た。ほら、怪しいと思わないか」

 そこで、ようやくアイの双眸に光が宿った。

「秘密の暴露ですね」

「ああ。ニュースや広報では『市内のアパートで男性が自宅で殺害されているのが発見された』といった程度しか流していないのに、何で『佐伯が撲殺された』といった情報を知っているのか、不可解だった」

 神谷は挟んでいたタバコを口に咥えようとしたが、アイのじっと見つめる視線に気付き、パチンと大袈裟な音を立てて箱に戻した。

「あとは、部屋の違和感だ。俺たちが踏み込んだ時、部屋には淹れたばかりのコーヒーの匂いが漂っていたが、シンクには使い終わってから随分時間が経ってると思われるコーヒーカップが置かれたままだった」

「要するに、誰かとコーヒーを飲んでいた形跡があったということですね」

「ああ。コーヒーカップが山程あるかもしれないが、それにしては未使用の歯ブラシのストックが一人暮らしにしては多すぎるとも思った。あれは誰かと一緒に住んでいた形跡だ。まあ、おまえが付近の防犯カメラの映像を確認してくれるまで、半信半疑の勘だったがな」

 神谷は一気に語り終え、ゆっくりと息を吐き出した。

 アイはしばらく沈黙し、神谷の言葉を反芻するように視線を落とした。

「私は感情こそが捜査の妨げになる不要な要素と考えていました。ですが、感情があるからこそ違和感に気付き、真実に辿り着けるのだとしたら、それは必要不可欠なのかもしれません」

「だろ。人間の感情を完全悪だと判断して排除する法律ができて、最適化と合理化を備えた捜査用Aiがバディになった。正直、あんたとのコンビも最初はどうなることかと思ったよ。だが、アイの情報量と判断の速さは認めてる。こうしてAiと人間が共存すれば、警察組織も今よりずっと良くなるだろうな」

「共存……あなたらしいですね」

 淡紅色の唇がゆっくりと不器用なほど優しく弧を描いた。

 それはプログラムされた機械的なものではなく、体温と魂が宿った人間の美しさを感じたと同時に、神谷の言葉を真に理解されたという嬉しさが込み上げた。

 神谷は気恥ずかしさを誤魔化すように、神谷は頭をガシガシと乱暴に掻いた。

「それより、事件は解決しただろ。おまえこそ、メンテナンスに向かうべきじゃないのか」

 ぶっきらぼうに話題を切り替えたところで、背後からアイを呼ぶ声がした。

 その声は、神谷にとっても耳馴染みのあるものだった。

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