SP1.モブから見たハーツイーズ国・後編
カイベルクに到着すると再び自由時間となった。荷馬車の主人はここで詰んできた品物を下ろし、ハーツイーズに持ち帰る商品をたんまり積み込むのだ。
夕方に再び集合とのことで、二人は久しぶりの人間領を堪能することにした。彼らの出身はここよりさらに南下した村だが、さすがにそちらまで行く時間はない。というか、見るものも無いのでこちらの方が断然いい。
「お、見ろよあれ」
昼過ぎ、メインストリートを歩いていると、友人がこちらを肘で小突きながら視線を誘導した。
見れば葦毛の馬に乗った青年が、市民に手を振り正門から入って来るところだった。民衆に絶大な人気を誇る、勇者エリックである。
目の前を通り過ぎた横顔は男の自分から見ても嫉妬してしまうほどに精悍でムッとしてしまう。それを察した友人はからかうように言った。
「カッコいいよなぁ、うちの魔王とくっつけようだなんて話も一部じゃ持ち上がってるらしいぜ」
その言葉に、勇者エリックに寄り添う魔王の姿を想像してしまう。驚くほどしっくりくる、お似合いの二人だ。
一度浮かんだイメージはやけに頭に固執して、勇者の立ち位置をスライド式に次々と入れ替えてしまう。幹部を送った後、最後に自分が隣に立つ妄想をしてみたが、それまでの組み合わせと比べて悲しくなるほどそれは貧弱だった。
己の妄想に打ちのめされ気分が沈む。ずーんと暗くなりはじめた青年に気づいたのか、調子のいい友人はケラケラと笑いながら背中をドーンと叩いてきた。
「やー、お前ほんっとマジなのな。そりゃそうか、豊穣祭の演劇でどさくさに紛れて告白するぐらいだもんな」
「あっ、あれは!」
誰かに聞かれては居ないかと慌てて周囲を見渡す。幸いなことにざわめく通りは賑やかなもので、こちらに注意を向けている者は誰も居なかった。
それはそうかと我に返る、自分はただのモブ。もしハーツイーズを舞台にした物語があるとするなら、自分は名前も出てこないような脇役でしかないのだろう。
「……わかってるさ、うぬぼれた考えだってことぐらい」
割とマジなトーンに、友人はそれまでのからかうようなニヤニヤ笑いを少しずつ収めて行った。そして急にグイッと肩を引き寄せると真面目な声でこう言い出す。
「まぁそう卑屈になるな相棒。お前に可能性が無いだなんて誰も言ってないだろ」
「うるせぇぇよ、万に一つもねぇぇんだよぉぉ」
「だああ、大の大人が情けねぇ声だすんじゃねぇよ!」
急に体の向きを反され、真正面から額を突き合わせるような体勢に移行する。すぐ目の前にある友人の顔は真剣だった。
「いいか!? 女は押しに弱い、しかも相手はあのアキラ様だ。たとえこっちが平民だろうと熱いハートで真正面からぶつかっていけば、無碍に切り捨てられるってことはないだろう!」
「お前……」
「と、思う! たぶん! ダメだったらドンマイ」
「そこは断定しろよぉ!」
とは言え、友人の激励は先ほどまで感じていた卑屈根性の尻に蹴りを入れてくれた。そうだ、当たって砕けたとしても、彼女の中に自分という存在を少しでも残せるのではないだろうか。
表情が変化したのを見たのだろう、友人はこちらの肩に肘を乗せニィッと笑った。
「どうよ、俺様の演説は。勇気出たか?」
この幼なじみのデリカシーの無さが時にうっとおしいこともあった。だけど、心の底ではいつだって自分の事を気にかけてくれているのだ。
それを改めて認識した青年は、少しだけ笑ってポケットに手を突っ込む。激レア品だと欲しがっていたそれを取り出すと無造作に手渡した。
「……ストラップ分ぐらいの価値はあったから、やるよ」
***
往路も難なく護衛することができ、荷馬車はハーツイーズに無事帰還を果たす。集合場所でもあった南門にたどり着く頃には陽が沈みかけていた。
「それじゃあお疲れさん、報酬はファーガー社の窓口で受け取っておくれな」
任務完了のサインを受け取り、依頼主に別れを告げる。酒場に直行しても良いのだが、まずは旅の汚れを洗い流そうと言うことで意見が一致した。街中を抜け丘を登り、城の大浴場を目指す。
まだ入浴には少し早い時間の為か、城前の噴水広場は閑散としていた。正面玄関から中に入ろうとしたところで、ちょうど出てきた人物に鉢合わせる。ぶつかりそうになった瞬間、それが誰だか気づいた青年の頭は爆発した。思わず持っていた紙袋を取り落としカサッと大きな音が辺りに響く。
「うわっと、ごめんなさい。大丈夫?」
「はっ、アッ、あわっ!?」
魔王アキラは反射的にしゃがんで紙袋を拾ってくれる。それを受け取ることもできずに青年は意味不明な言葉を漏らした。
それとは真逆に、抜け目ない友人はこのチャンスを逃さないようだった。青年の背中をドーンと叩き元気よく話し出す。
「どうもどうも魔王様ごきげんよう。俺たち今カイベルクから帰ってきたばっかなんですよ」
国のトップであるにも関わらず、気さくな魔王はニコッと笑って少し首を傾げる。
「へぇ、護衛の仕事か何か? 変わった事は無かった?」
「そらもちろん! 俺ら自警団の努力の賜物でェ、今日もハーツイーズは平和でーっす!」
お調子者っぽく発言する友人に、アキラはクスリと笑いを漏らす。今日の彼女は銀紗で織られたヘアバンドを付けていて、大判のストールを羽織っていた。中に着ているクリーム色のブラウスはキルトブランドの新作だろうか。
おしとやかな服装もイイ……などと考えていた青年は、友人の次の言葉に噴出しそうになった。というかした。
「そうだ、その紙袋、コイツから差し入れだそうです」
「ぶほぁ!?」
とっさに何を言い出すのかと言いかけるが、その前にアキラは手に持った紙袋の中身をゴソゴソと漁り始めてしまう。
「え、なになに?」
「あっ、そのっ」
いや違う。それは単に自分のおみやげ用に買ってきただけのものであって、まさか今日偶然この場で魔王様に逢えるだなんて想定すらしていなかったわけで、
「おーっと! そういえば護衛の払い出しがまだだったー! 俺ちょっといってくるカラナー!!」
「ちょっと待っ……」
状況に混乱しているというのに、発端となった友人は急に説明口調で大声を出す。シュタッと手を上げると坂道を猛烈なスピードで下って行ってしまった。わざとらしいにもほどがあるが、アキラはそれよりも袋の中身に興味を持ったようだった。顔を輝かせながら一つ取り出す。
「わぁぁ、冷めてもおいしいキッシュだぁぁ」
キラキラと子供のような笑顔が見れただけで、友人の突飛もない行動を赦せる気がした。じーんと感動していた青年は、目の前の彼女から聞こえたぐぅぅ~と豪快な音に目を瞬く。
「あ、あはは……この時間ってお腹空くよね」
ごまかし笑いを浮かべる魔王は、チラッとこちらを見上げた。
「いま一個貰っちゃってもいいかな?」
ダメと言える男が居るのなら連れてきて欲しい。悶絶する内心を表に出さないように必死な青年は、コクコクと頷く事しかできなかった。
噴水の縁まで移動し並んで腰かける。オレンジ色の太陽を背にして座るアキラは元気よくキッシュに齧り付いた。
「頂きまーす」
むぐむぐと食べる彼女は小動物のようで見ていて癒される。一緒に食べる? と、言われたが、喜んでもらえるのならと全部譲ることにした。このぐらい安いものである。
「カイベルクのメインストリートにあるパン屋さんでしょ。あそこクロワッサンも美味しいんだよね」
一応の返事は返すが、その横顔に見惚れていた青年は完全にうわの空だった。
噴水のさざめく水面に夕焼けが反射して拡散する。砕けた光が彼女の背に、頬に、髪に揺れている。
指通りの良さそうな黒髪がサラサラと流れ、舐めとる指先が瑞々しい唇に触れる。すべてがさやかにキラキラと映り、青年は目を離すことができなかった。
(同じだ、あの日ここで優しくしてくれたのと一緒……)
まだ照りつける陽射しが容赦なかった夏の日。彼女は凍らせたタオルを自分の肩にかけてくれた。その時から彼女の周りが輝いているようで、世界が急に明るくなった気がした。
「あっ、アキラ様!」
「うん?」
意気込んで立ち上がり、拳を握りしめる。あぁいや待て、まずは名乗りからだ。
「魔王様からしたら自分なんかご存知ないかもしれないですがっ、俺はそのっ……」
「え、あなた確か、ラスプのところの――君でしょ?」
言い当てられた名前に面食らう。まさかこんな些末な存在を認識していてくれたとは。感激で固まっているとアキラは目を細めて言った。
「ラスプが嬉しそうに話してたよ、アイツは根性あるって」
(だ、団長~~!!)
赤毛の狼上司に脳内で感謝をささげる。明日からはヘタレじゃなくて見る目のあるヘタレと認識を改めよう。
「あなたみたいな人が自警団に居てくれるから、みんなが安心して暮らしていけるんだよ。いつも本当にお疲れ様」
柔らかく微笑まれた瞬間、他の全てはもう目に入らなくなった。それまで逸っていた心臓がキュウウッと締め付けられ、辛抱たまらなくなる。すぅっと息を吸い込み、この気持ちを一つも取りこぼすまいと感情を乗せる。
「魔王、様!」
ああ、今だけは、目の前のこの人が、俺に意識を向けて耳を傾けてくれている。全身全霊で伝えなければ。
「俺、これから、もっ、この国で頑張ります! だって」
きつい鍛錬をこなしたのだって、最初は様子見だった移住を定住に決めたのだって、全部全部あなたが――
「大好きだから……っ!」
青年の声がアキラにまっすぐに届く。噴水広場を掛ける子供たちの楽しそうな声が響く中、魔王は満面の笑みを返した。
「そんなに好きになってくれて嬉しい、ありがとう」
***
「いやぁぁ、ほんっとマジあの時のアキラ様の顔ったら、お前にも見て欲しいぐらいだったぜ!」
その晩、酒場には再び酒を呷る二人の姿があった。一世一代の告白をした青年は天にも昇る気持ちだった。いつもよりハイペースで空けているせいか陽気になっている。
ところが、お膳立てをした友人は逆に静かだった。チビチビとグラスを傾けながら歯切れ悪く話し出す。
「いや、俺も陰から見てたから知ってるけどよ……」
「そうかそうかぁ! 俺の雄姿を見たかぁ!」
ご機嫌で肩なんか組んでくる青年をやんわりと押し返し、友人は言いにくそうに返した。
「お前あれさ、言いにくいんだけど……」
「なんだぁ?」
「愛国心あふれる宣言にしかなってなかったぞ」
「んん?」
何を言っているのかと笑顔で顔を傾けた青年は、次の言葉に次第に真顔になっていった。
「『大好き』が国にかかってると思われたろ。確実に」
――俺、これからもこの国で頑張ります。だって大好きだから!
パタリと手が落ちる。確かに「あなたが」とは言わなかった。前後のセリフを繋げれば国が好きと捉えられるだろう。というか、そうとしか聞こえない。
「う、うおぉぉ……」
「ドンマイ」
有頂天から一転、机にずーんと沈んだ青年の隣で、友人はその背を叩いた。
偶然にもその隣の卓では、まったく同じような構図で鎧が蛙になぐさめられていた。
『我が輩の特集は……?』
「ま、当面は諦める事だの」
今日の店内はやけに沈みがちだ。マスターはグラスをキュキュッと磨きながらそんなことを思った。