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断片その一(10)

 狭いが愛する我が家に戻っても、いつものように、とまでリラックス出来ないのは、そこに家族以外の誰かが居るからだろう。かと言って、疎ましく思ったりはしない。

 それは、まだ過ごす時間が浅いからなのか、私の性格的な問題なのか、相手に寄るのか、判らないけれど、帰りに自販機で買ったスポーツドリンクをがぶ飲みする私は、そこそこに気を抜けていて、それで満足である。いやしかし暑い。


 自販機に驚くフェルさんの可笑しさは、普段なら大いに笑うとこだっただろうが、私は反省中であるのもあって、苦笑しか出なかった。私が置いた、空になったグラスを見て、彼は漸く自分の分に口を付けた。

 一口飲んで、じっとグラスを見つめるその様子を横目に、立ち上がる。もう、4時を過ぎていた。


「私、晩ご飯の買い物に行きますけど、フェルさんどうします?」

「あ、ああ、迷惑でなければ、共にさせて欲しい」

 いいですよ、の代わりに頷く。するとフェルさんはグラスを一気に煽ってから、立ち上がった。




◆◇◆◇




「何か欲しい物があったら言ってくださいねー」

「……………………」


 苦笑する。

 先ほどの大通りにあるスーパーは、近隣で一番大きく、時間帯も夕方とあって込み合っていた。このスーパー、彼には電気以来の大きな衝撃だったようで、入り口で目を剥いたまま、私の声も耳に入らないようだった。

 かごを持ち、何にしようか献立を考える。と言っても私の料理の腕なんて、たかが知れているんだけど。



「フェルさんフェルさん、食べられない物あります?」

「え?」

「食べられない物ありますか」


 呆然と辺りを見回しながら、店内に入ったフェルさんの服の袖を、小さく引く。と、彼は漸く私を視界に入れてくれた。

 言われた言葉を改めて考えているのか、数度瞬き、何か言い掛けて、そのまま何かに目を奪われ、凄い、呟いた。おおーい。


「フェルさん」

「え、あ、すまない。此処は、ええと、スーパーと言ったか」

「はい」

「夢のような場所だな」


 わあ、買い物中のおばちゃん振り向いたー……。

 えっ、って顔のおばちゃんを一瞥し、慌てて口を開く。


「なんかリクエストあります? 出来れば簡単なもので!」

「リク、なに?」


 ああそうだった横文字駄目なんだった。チラリ、さっきのおばちゃんを見れば目が合って、向こうがさっと逸らした。わざとらしく顎に手を添え、目の前の棚にあるレタスを、吟味している素振りをみせる。盗み聞きみたいで気まずかったんだろう。

 しかしそこは他人事。その内おばちゃんは本来の目的――此処では買い物――に戻り、さっさと隣を過ぎて行った。私ももうフェルさんを放置し、トマト安いとかそんな事を思っていた。


「トマトサラダにしよーっと」

「ミホ殿、ミホ殿」

「はい」


 カートを引く別のおばちゃんが振り返ったが、いいもう気にしない。


「此処はどうしてこんなに食材を集めているんだ?」

「どうしてって、スーパーだから?」


 胡瓜をかごに入れる。


「いやそうでなく、一体どのようにしてと、こんなことが可能なのか?」

「ああはい、可能可能」

「まるで小さな市場ではないか」

「うんそうですね、あ、鶏肉安い」

「私の国の市場全部を集めたようだ!」

「よし親子丼にしよう。フェルさん卵とか大丈夫ですか?」

「なんと卵まであるのか!」

「うんすみません、フェルさん声でかい」

「スーパーとは本当に凄い!」

「いやだからフェルさん」

「電気といい、此処はなんと偉大な国だろう!」

「うっさい!」


 拳握って興奮中のイケメンを、思いっきり叱り付けた後。周りの静けさと刺さる視線に泣きたくなりました。


「フェルさんちょっと」

「うん? え、ミホ殿?」


 がしりと彼の腕を掴み、そそくさとその場を後にして、調味料コーナーでしゃがみ込む。隣に同じくしゃがんだ高テンションお兄さんを、鋭く睨み付け、小声を発した。


「フェルさん」

「うむ?」

「お店では静かにしてください」

「了解した」


 ほんと判ってんだろうかこの人は。


「それとやっぱりその殿はやめてください。目立ちます」

「…………しかし」

「私の為を思うならやめてください。本当にお願いします。このスーパーに来れなくなるのは困るんです」

「ミホど」

「違います」


 此処は譲れない。じっと青を見上げる。


「本当なら、フェルさんが自分で納得するまで、待っていようと思ってたんです。貴方の警戒する気持ちも、判るから」


 フェルさんが、僅かに息を詰めた。それに構ってあげられないのは、悪いと思う。こんな、急速に距離を縮めるやり方は、私だってしたくなかった。

 でも悪目立ちして、これから何度もお世話になるであろう、このスーパーに来れなくなるのは、本当に困るのだ。


「それ、は」

「いいんです。貴方が私を疑うのは、当然だし、必要な事です。フェルさんは、私の事を知らない。だからそれでいいんです。でも、フェルさんが此処で過ごす以上、従ってもらわなければならない事もあります。納得していなくても、です」


 無理矢理頷かせるのは、それが必要だとしても、やはり気分がいい訳ではない。けれど私が揺らいでは、右も左も判らない彼の為にならない。車の件が良い例である。

 高慢と思われようが、横暴と言われようが、これと示さなければならないのだ。私は。ああ嫌な気分。


「……わか、った」


 謝りそうになって、慌てて口を噤んだ。ちゃんと、責任を果たそうと思ったのだ。彼を改めてちゃんと、引き取ろうと決めたのだ。

 ままごとではない。これは、他人の人生の一旦を担うという、とても重い問題なのだ。だから彼がどんなに苦し気でも、私は逃げ道を作ってはいけない。私絶対教師とか出来ないな。辛過ぎる。


「ミホ」

「へっ」


 間抜けな声が出た。

 彼を見れば、随分真剣な、うわ、ちょっと、今のはちょっとあなた。


「……少々、ぎこちなくはあるが、許して欲しい」


 そう言って彼は瞳を伏せた。

 自分で言っておいてなんだが、私は狼狽えていた。だって、これまでの彼の言動からいって、いきなり呼び捨てとは思わないし、かなりの不意討ちでしょうよ。つまるところ、うっかりときめいたのだ、多分。多分でしかないのは、名前を呼び捨てられたくらいで動揺するなんて、した事がないからである。しかし何か、何か言わねば。


「あ、い、いえ……」


 わあ……これは、これは酷いな自分。口下手とかのレベルではない。落ち込みそうだ。


「変だな」

「え、な、何が?」

 ふっと笑った気配を感じて、未だ動揺を消せないまま、隣を見上げる。


「立場上、私は人を呼び捨てて呼ぶ事が多いのだが……」

 綺麗な青が、ふと思い出したように此方を向く。

「慣れている筈が、貴女を呼ぶと緊張する」

 すいません!


 うううやっぱり無理強いは良くない。良くないよ。いやでも外で殿は困るし。でもでも、ああああどうしよう……!

 私は早くも折れそうで、心の中で苦悶する。その葛藤が、顔に出たのか、フェルさんが再び口を開いた。



「ああ貴女が気にする事ではない。何と言うか、私にはこういう間柄の異性が居なかったんだ」


 え、こういう間柄ってなんだ? 私とフェルさんの間柄……家主と食客? そんなの、私も初めてですが。て言うか普通にそんな間柄、滅多にないんじゃ……。


「ええと、それは、女性に養われるとかそういう」

「えっ?」

「えっ?」

 驚いた顔で見返され、ちょっと戸惑う。あ、あれ? 違う?

 私が聞き返すと、フェルさんは慌てて首を振った。


「い、いやそういう意味ではない。違う違う、私にとっての異性は、部下であり、上司であり、その間柄以外にない」

「あ、そういう……」


 私が納得すれば、何処か必死だったフェルさんは、ほっとしたように息を吐く。そんなに勘違いされるのが嫌だったのだろうか。


「つまり、部下でも上司でもない異性、女性と付き合うのは初めてなんだ。だから、そういうのを抜きにした付き合いというのが、その、判らなくてだな……」


 フェルさんは俯きがちに、私をチラチラと伺う。それが、なんだ、えーと、そう、まるで思春期の中学生みたいで、可笑しくなって、小さく吹き出す。と、フェルさんの頬が赤く染まった。わあ、何その可愛い反応。


「わ、笑うな」

「す、すみません」

「………………」

 中々笑いの治まらない私を、むっとした顔で睨む。しかし、頬が赤いままでは迫力に欠けた。


「そんなに怒らないでくださいよ。……そうですね、そんなに変わらないと思いますよ」

 すっかりいじけてしまった彼は、醤油の棚を睨み付けていたが、私がそう言うと片眉を上げて此方を向いた。


「異性じゃなくたって、フェルさんにも友人はいるでしょう?」

 頷いたのを確認して続ける。


「それとあまり変わりませんよ。例え部下でも上司でも友人でも、それぞれに付き合い方があるように、誰とどう付き合うかが大事なんだと思います」

「どう、付き合うか」

「私フェルさんは、話せば判る人だなーと思ってます」

「え……」

 一番安い醤油を手に取って、振り向く。


「あと真面目だなって。だから私も、ちゃんと真面目に答えなきゃなって思います。ついでに言っちゃえば、それがフェルさんの警戒を解くのに役に立てばいいなーとか、ちょっと下心あったりします」


 にへら、とだらしなく笑う。フェルさんは面食らったようにパチパチ瞬いて、は、と短く息を吐き出した。


「……貴女は、」

「はい。あ、調味料は一色揃えないと駄目ですねぇ」


 かごに醤油を入れてから、上の段に顔を向ける。こっちはみりんか。みりん風調味料とどう違うんだろう。値段以外に差が判らないこの私の女子力の低さよ。

 結局、判らないので無難にみりんへと、手を伸ばす。と、その手が掴まれた。掴まれた?


「え」

「ミホど、ミホ」

「あ、はい」

 私の手をすっぽり覆ってしまうような大きな手は、勿論フェルさんのものだ。何事だと彼に視線を移す。


「すまなかった」

「…………はい?」

 謝られた。意味が判らなかった。きょとんと首を傾げれば、ふと、彼が微笑んだ。そして私はときめきましたちくしょうこのイケメンが。


「いや、何でもない」

「え……いや、いやいや、なんすかその意味深な笑みは」

「何でもない」

 えええー……。私の手をあっさり離して、彼は立ち上がると、目の前の棚に視線を移す。


「ミホ」

「は、はい」

 私も立ち上がるが、見上げなければならないのは一緒で。


「どうやらこの世界は……――」


 そして棚から目を離さず、彼は言ったのだ。


 ――私の世界と文字が違うようだ、と。

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