森から、海へ
その日のことはあまり覚えていない。
ある日、村の入り口に道ができていた。
消えかけていた獣道ではなく、馬車なら三台は横に並べられそうな立派な道。
たった七軒の掘立小屋から、なにごとかと這い出してきた住人たち。
目の前には二十人のドワーフがいる。
先頭にいる男が話しかけてきた。
「ここはかつて王国が海を目指した開拓団の村か」
「はい」
これは、きっと。
でも、まさか。
その意味はわかるが、信じられなかった。
次の言葉を聞くまでは――
「待たせたな。王都からの道が開通した。これで皆帰れるぞ」
声は出なかった。
ただ、涙がとめどなく溢れて止まらなかったことだけは覚えている。
海を目指す開拓団の村、住人の手記より。
東の森に王都から舗装道路が開通した。
王国初の自動車専用道路。
命懸けで数週間かかる決死の旅は、約二時間のクルージングとなったのである。
最初の二週間は、開拓団の住人のケアに明け暮れた。
一応無事ではあったものの、程度の差こそあれ、全員が瘴気の影響を受けていた。支援物資がなければ助からないものも多くいたという。
翼竜騎士団隊長の独断専行は、この瞬間に英断へと変わったのである。
報告を受けた陛下は、手厚く治療しろと厳命。
王都で治療を受けることになり、光治郎は手持ちの車を総動員して患者たちを運ぶことに。日本だったら救急車は消防署の管轄だが、ラクタルの消防団には消防車しかない。
それでも、エミリアは団員たちを呼ぼうとしてくれたのだが、光治郎はそれはを止めた。専門知識がない上に土地勘のない王都と東の森の往復は混乱の元である。
結局、エミリア一人だけが王都に残り、パレッタの手伝いで搬送中の患者の付き人をしてくれたのである。
「隊長の知り合いはどうだったんだろ。カイウェル、何か聞いてる?」
「無事だそうです」
「そいつは良かった……けど、このままじゃこっちが倒れちまうわな」
光治郎はこの三日間で五回目の東の村行きに飽き飽きしていた。浩史もアレクもピートも疲労困憊。最初は舗装道路のドライブに浮かれていたが、こう同じ道を何度も往復するのは退屈を通り越して苦行である。
「いい加減、運転できるやつを育成しないとな」
「ええ、一回こっきりなら楽な道ですから」
(目指してるのは楽しいドライブ、なんだけどな。早く海を見たいもんだ)
「何か言いました」
「いや、なんでもない。まだまだ大変だと思っただけさ。ちゃんとデータは録ってる」
「はい、大丈夫です」
走行中、カイウェルは魔法陣が記載されている小さな紙を窓の外に貼り付け、五分後に取り込むという作業を繰り返している。
紙が黒くなれば、瘴気はまだ濃いので危険。青ければマスクをつけた人は歩くことはできるが、馬は持たない。
すでに十回以上データを取っているが、いずれも紙の色は青。
「ダメですね。もう、帰ってもいいんじゃないですか」
「流石にそうはいかないさ。彼らだけがここを使うわけじゃないんだ」
「どう言うことです」
それには、答えず光治郎は車を停めた。
目的地に到着したのだ。
「着いたぞ。その話は後にしよう」
カイウェルは車を降りて周囲を警戒、ひとまず安全と見るや荷台に積んである箱を台車に乗せて、魔木の根元に置いた。
それだけで、うねうねと動く枝がこちらから遠ざかっている。
箱の中身はアスファルト。
小さなスコップで撒いていくと、声にならない悲鳴が森から上がり魔木の幹がみるみる萎れていく。それを何度も繰り返し、道路の脇に20m四方の広場を確保する。
患者の搬送が終わっているのに、こんなところに来たのは休憩所を開設するためである。
「できました。お願いします」
「わかった」
カイウェルの作業が終われば、今度は光治郎の出番だ。
簡易のお供え台でパンパンと柏手を打ち、神様にお願いするとガソリンスタンドが出現した。
あとは水飲み場を設け、周りを掃除していく。
休憩所の完成である。
「簡単なもんですね。でもこんなことしても無駄じゃないですか」
「いや、運転しててガス欠は怖いから」
「そうじゃないでしょう!」
光治郎はまあまあと宥めつつ、集まった魔法陣のデータを順番にみていく。
「実際に使うことになるのは早くて半年後になるだろうがな」
「ざまーみろですよ」
東の森の最深部にあったのは、村とも呼べない掘立て小屋の集落だった。
人々が救われたのなら放棄すればいい。そう主張するものもいたが、待ったをかけた一団がいたのである。
「代々の王に遣わされた部隊が残してきた遺品を保護する必要がある」
名乗り出たのは正聖騎士団。
舗装工事に参加もせず、今回の成功すら信じていなかった彼らの点数稼ぎと取るものも多かった。
だが。
「陸路が確保された以上、我々が現状の保存と村の安全を保証する。経費は騎士団の運営費から賄うゆえ、ぜひ任せていただきたい」
一見すると正論に聞こえる。
実は森の村に残っているものに価値などありはしないのだが、代々の王が遣わした部隊の遺産と言われると陛下も閣僚連中も反対する理由が見つけられなかった。
世間の評判は翼竜騎士団に傾きつつあるが、国の守りのメインである正聖騎士団をないがしろにすることはできない。
仕方なく許可したのだが、彼らの次の一言で首を縦に振ったことを後悔したと言う。
「では、フォレストラインに騎馬隊及び馬車を通す許可をいただきたい」
今日はそのための仕事なのだが、カイウェルの言う通り正聖騎士団の思惑は外れてしまった。
休憩所設置は完了したが、馬が通るにはまだ瘴気の影響が強すぎるのだ。
「海を見たくないか」
「コージロー殿。なんです。唐突に」
「俺のいたところにも海があったんだよ。懐かしくなってな」
かつて日本にあった三峰モータースのガレージは海沿いの国道近くにあった。
サビとの戦いになるあの気候には恨み言を言いたい時も多かったが、修理が済んだ車を試走するときはとても気持ちが良かった。
「なんで、今、そんなことを」
「最深部の村の人たちが王都に搬送された時、多くの老人が詰めかけてさ。なんだろうと思ったら、かつて東の森の中で暮らしてた、って言うんだよ」
「それで?」
「彼らは、村の人たちが助かったことを心底喜んでいたんだけどさ。もう一つ、俺に聞いてきたことがあるんだよ。『これで森に帰れるようになりますか』って」
結局、東の森に残った村は最深部の一つだけだったが、かつては多くの村があったという。
その数は時代とともに減っていったが、彼らは三十年から五十年前にはまだ存在していた村に住んでいたのである。
「彼らを返してやろうと思うんだ。あの休憩所を広げて宿を作る。アスファルトを撒いてその上に柵を立てて、ぐるっと囲めばそれなりに安全な村を作れるんじゃないかと思ってな」
「いいですね。それなら私も反対しません。どうせなら、村の周りだけ瘴気を払ってやればいいんじゃないですか。奴らの馬は通んなくていい」
「まだ言ってる。でも、それだと村の収入がなくなっちまうぞ。自動車なら、途中で停まる必要がないんだからな」
「あっ、そうか」
カイウェルは頭を掻いた。
光治郎は笑いながら、車のドアを開けた。
今日の仕事はこれで終わりだ。
王都に引き返す道の途中、カイウェルは塞ぎ込んでいた。
「まだ、気にしてるのか」
「なんか、スッキリしません……いずれ奴らの馬が通るようになれば、こんなスピードでここも通れなくなるんですよね」
「そうだな」
「悔しくないんですか。連中の中からも離反者がでているそうですよ。つるんでいた反対派の貴族出身の騎士とか。今がチャンスですよ」
弾劾裁判では原告側に回った彼らも、隊長の罪が晴れ不利を悟ると翼竜騎士団に対し頭を下げた。あの時、手を組んだ自動車反対派の貴族とは袂を分かったと言う。
貴族の中には、この手のひら返しを快く思わないものも多く、さまざまな噂話には尾ひれかついていた。
それは光治郎の元にも届いたが、はっきり言ってどうでもいいことだ。
「いいんじゃないか。やりやすくなったし。連中、俺が作った王国の交通規則にまでケチをつけてたからな」
「ほんとですよ。平民と貴族で罰が同じなのは気にいらないとか、何様だよ」
「貴族様なんだろ」
「ははは……」
バカ話に愛想笑いを返すカイウェルは隣の光治郎を見た。
その声に元気がないように思えたのだ。
「故郷に帰れない、ってのは辛いことだからな」
未練などないつもりの光治郎にも日本を思う気持ちはある。
この森の村に彼らが帰ってくることができればいいと思う。
「カイウェル。実際、半年でこのフォレストライン全線を馬車が走れるわけじゃないはずだ。途中で泊まるところが必要になる。その時にこの森に帰りたい人たちの村があればいい」
「わかりました。もう、いいません。正聖の連中が馬車で通るのも反対しません」
「無理しなくていいぞ」
「いえ……」
道の向こうに光が見える。
森が切れれば、王都まではもうすぐだ。
「そうそう。お前に贈る車を決めたんだ」
「どんな車なんですか」
「スカイライン、って言うんだけどさ」
日産 スカイライン
どの時代でも、とにかく車を愛し、走りを楽しむ人々にとってかけがえのない車。
たとえ、フォレストラインでスピードを出せなくなったとしても、次に作るシーラインは違う。陛下と約束した海辺を走る車専用の高速道路なのだ。
風を受けて海辺を走るならこの車が一番じゃないか、と光治郎は思う。
「それは楽しみです。名前もシーラインを走るのにぴったりですね」
「違いねぇ」
長かった王国の道路工事はもう少し続く。
光治郎とカイウェルには、その先が少しずつ明るくなっているような気がしていた。




