『安心』の裏返し
「ただいま~」
「おかえり、姉さん。もう夕食作っておいたよ」
「わっ、ビーフシチューだ! 急いで手洗ってくる!」
小走りで洗面台に向かい制服を脱ぐ。
部屋着に着替え手を石鹸で洗ったら御馳走だ。
「今日は学校どうだった?」
「体力測定があったぐらいだよ。どれも平均値にしておいたから問題ないよ」
「そっか。お疲れ様」
「姉さんは?」
「う~ん、A級ゲートを攻略したぐらいかな」
「へぇ、ボスは何だったの?」
「千年鳥だよ。飛行が面倒だったから最初に機動力奪ってあとは『ナーヴァ』と『ロク』で少しずつ体力奪って終わり。良質の核も手に入ったし。あ、コア欲しい?」
「ほんと? 丁度餌切らしそうだったんだよね。有難く頂戴するよ」
「最近学校で気になることはない?」
「特にないよ。まぁ、スキル等級で階級を作る制度に至っては意味が分からないけど」
「外も内も変わらないってことよ。どうせどんぐりの背比べなんだから気にしたら負け。私のクラスにもそういう輩はいるけど、№006に似て殺したくなっちゃう」
「№006に?」
繊晦の目つきが変わる。
私の干渉できないところで何度か殺されかけたせいか過剰に反応するのだろう。
「でもやっぱり小童よ。そうカッかしないの」
頭を撫でると落ち着いたのか食事の手を進める。
「姉さん、そいつに何もされてないよね?」
「あはは、う~ん…。この間加減ミスっちゃってそれから絡まれたり~、なんちゃって」
「今すぐ殺してくるよ」
「あぁもう! そうすぐ殺しちゃダメでしょ!」
必死で殺しにかかろうとする繊晦を止める。
なんでこう短気な子になってしまったのだろうか?
「塵芥にも満たない分際で姉さんの思考を一部とはいえ奪ったんだよ? そんな身の程知らずを生かしておく価値って、なに?」
「面倒だから! それに繊晦の手をアイツの血で汚れるのは、嫌」
「…分かったよ。そんな顔顰めないで」
食事が終わるとお風呂に肩までつかる。
こうやって日々ゲートの支配化に成功しているとはいえ、№が生きている限り必ずいつかは交えるときが来るのだろう。
憂鬱な気分でお風呂に沈み込む。
長い黒髪が水面に浮いて重い。
お風呂から上がって髪を乾かすと入れ替わりで繊晦が入浴を始める。
その間に洗濯を済ませるのが基本だ。
繊晦が上がると一緒にアイスを食べて肩を寄せ合いながらテレビを見る。
十一時を過ぎたら同じベッドで身を寄せ合って眠りにつく。
実験所時代からの癖は今になってもそう簡単には抜けない。
呼吸、脈拍ともに完全に眠りについたことを確認した後に、ひっそりと兎のぬいぐるみを持ってリビングのソファに戻る。
幾ら平和な「日常」を手に入れたとしても、いとも容易く崩れ去っていくことは私が一番知っている。
だからこそ、…怖い。
また連れ戻されたら「お仕置き」では済まない。
もし処理命令を下されたら繊晦を守れないかもしれない。
私の手の届かないところで、大切な人が死ぬのを黙って見ていることしかできなかったら私は自我を失ってしまう。
見境なく人を殺すことによってしか快楽を得ることのできない醜い怪物に、なりたくない。
表情筋を動かすことは無かったが、その代わり見開き続けた瞳から涙がつたった。
そしてそのまま眠りに落ち、ソファで眠った私を繊晦が優しくベッドまで運んでくれた。
夜の記憶は曖昧だけど、たまに不安に押しつぶされそうな精神的ストレスを感じればどこか意味もなく徘徊する癖があるのは自分でも知っていた。
だけどこれに明確な治療法があるわけでもなく、経過観察として処理している。