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最終節

「……はあ」


 忍が去った後、リゼは大きく息を吐いた。

 覚悟は決めた。手には託された復讐の刃がある。

 父母を殺された、その憎悪では彼を殺せなかった。

 だが今胸に在るのは、弟の託した皆の復讐の意志だ。

 アゾル特有のものだろう、薄く細い刃を順手で持つ。

 待ち構えていたリゼの正面から、彼は静かにやって来た。


「なんだ、行かなかったのか」

「逃げられた方がよかった? ドレスで戦争をするような花嫁は願い下げでしょうしね」

「あれはお前が……男が殺し合ってでも奪い合いそうな容姿が気に入らなかっただけだ」

「三国を滅ぼしておいて随分弱気ね。戦争がそんなに恐ろしいの?」

「戦うことは恐ろしくない。恐ろしいのは失った後の空白だ。それを埋めるために、人は激情に手を伸ばす」


 その言葉に嘘は無いだろう。ああ、でもやっぱり――


「それさえも利用した国を、あなたは作るのでしょう?」

「ああそうだ。今までトレスヴァレアが、俺が失わせてきたものの対価を払う。それを以って国とし、それを以って絆とする」

「付き合わされる方はいい迷惑ね。対価なんて、払えると思っているの?」

「抱えられるのは俺一人の分だけだ。他は敗者として順当に滅んでもらう。それが侵略であり、勝者の権利であり敗者の責任だ」


 自分勝手なもの言い。

 だがそこに彼は、勝者としての彼は入っているのだろうか。


「傲慢ね。自分一人でそこまでを果たせると思うの?」

「果たすさ。それが侵略者レーベンスの統治だ」

「泣き場所も、休みどころもわからないのに?」

「休む必要などない。自分で決めた激情に、身を任せるだけだ」

「傲慢で、そしてバカね。人は走ってばかりではいられないのよ。復讐も、それがいかに強力であろうとも、力を溜めずには果たせない。そんな力を受け止め続けて、あなたはいつ休むと言うの」

「受け止めた力が俺の力だ。全員が憎悪を俺に向ける限り、俺は倒れない。俺は死なない」

「勝手ね。すごく勝手。そんな事ができると信じているのだから、あなたは他人の人生を狂わせる侵略者に違いないわ」


 リゼは思い出す。

 気ままな昼寝でさえ気を抜かないレーベンスの在り様を。

 安らぎなどない。救いさえない。癒されることなく復讐の渦中に身を置き続ける彼の在り方を。

 そして自分の復讐と、胸に抱いた失われた者たちの復讐を思い出す。

 このままではいけない。

 レーベンスとリゼの間は三歩。構え、踏み出し、腕を伸ばせば互いの心臓に手が届く。


「ねえ、一つ聞いていい?」

「なんだ」

「あなたは侵略を続けるの? 三国を滅ぼして、次の国を悲劇に巻き込むの?」

「……侵略は、始まりは父が行ったことだ。俺の統治では巨大となった我が国の維持に全力を注ぐ。禍根を排し、憎悪を受ける。それが多くの復讐をもたらした者の責務だ」


 レーベンスは捻り出すようにして口にした。

 悲劇を増やすことなく、清算し、安寧を目指す。

 彼はどこかで知ったのだろう。自分の行ってきた事の意味を。失わせてきた自分の罪を。

 罰に自分から進んで身を晒す。それが対価になどならないとわかっていて、それでもそうする彼の在り方が、リゼには堪えがたかった。

 ああ、やっぱり。

 このままではいけないのだ。

 リゼは決意し、不意に、レーベンスが反応できないほど自然にその距離を詰めた。

 間は三歩。構え、踏み出し、手を伸ばし、そして――


「――!?」


 レーベンスは身に二つの感触を得た。

 一つは胸に置かれた拳。こちらの服を掴むようにして、忍刀を落とした拳が決して離れぬと強く、強く握られている。

 一つは口元に、独特の柔らかな感触が押しつけられていた。

 刃を突き通される事さえ覚悟した一瞬の後の静寂に、レーベンスはなんの反応を返すこともできなかった。

 歴戦の悪魔は魅入られたように動きを封じられ、唇を放してこちらを見つめ上げてくる女を見返す。


「これは呪いよ。一つの呪い」


 リゼは視線をそらさず、レーベンスをとらえる。


「あなたはいずれ、その復讐の前に倒れるわ。自分の責務は果たしたと満足して。一人勝手に満ち足りて死ぬ」


 いかにレーベンスが屈強だろうとも、絶対に死なないなどという保証は無い。

 今はまだいい。屋敷の住人であればタイミングにも手段にもある程度の検討がつく。

 だがこの先はそういった区別もルールもなく、王になった彼を復讐の徒が襲うだろう。

 時、手段の区別なく。傷つき、疲弊した彼が倒れた時、残されるのは空虚を抱えた臣民だけだ。

 彼にもそれはわかっているだろう。

 後の救済を考えず、ただ復讐に応える事だけをしているのは単に自分の満足のために国を、自らを滅ぼそうとしているからに過ぎない。

 真に救おうとするならば、勝者は傲慢でのみあればいいのだ。国を富ませ、それを以って答えとすればいい話なのだ。

 そうしないのは、彼が失わせた罰を求めているからに過ぎない。

 だから彼はこのままではいけない。


「そんなあなたの守るものを、わたしが一つ増やしてあげる。あなたはわたしを守るために、余分を抱えて長く復讐に抗いなさい。余計な苦労をして、強く国王で在り続けなさい。それがわたしの復讐。あなたの生を強く呪いで縛ってあげる」


 でも足りない。より強く復讐に抗わなければいけないならば、そのための力もまた必要なのだ。


「わたしが守られてあげる。あなたの休む場所になってあなたを長く支えてあげる。あなたが長く苦しむために。あなたが強く抗うために。復讐を受け止めるあなたが途中で死に逃げないために」


 このままではいけない彼を支え、長く苦しめる。休息を与え、より過酷な戦場へ送りだす。


「安直な場所へは逃がさない。わたしという呪いに、あなたは苦しみなさい」


 リーゼンティアは、その生涯を以って復讐を遂げる。

 レーベンスが、永遠に復讐の途にあることを、ここに呪って縛りつける。


「これがわたしの復讐。あなたへの答え。どう? お気に召した?」


 雲に隠れていた月が顔を出し、月光が薄く彼らを照らす。

 浮き上がった闇の中でレーベンスは言葉もなくリゼを見返していたが、やがて声を上げて笑いだした。


「俺を、俺を支える!? それがお前の復讐だって言うのか!?」

「ええ。絶対に逃げられないように。首に縄をつけて縛ってあげる」

「はっ! それはいい。ああ、それはいいことだ!」


 止まらぬ様子で大口をあけて笑うレーベンスに、リゼは澄ました様子で付け足す。


「まずは子供かしらね。母子を置いて死ぬような真似、トリスヴァレアの英雄がするわけないでしょ?」


 その言葉にレーベンスは動きを止め、木陰で彼ら見守っていた家人たちは諸手を上げて賛同した。




‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡




 桃色の花弁が舞う始まりの季節。

 第二王子レーベンスの婚姻から一年を迎え、侵略国トリスヴァレアは新たな歴史を刻もうとしていた。

 王都王宮では王子の正式な婚姻を迎え、王位継承、戴冠の式が行われていた。


「継承者。トリスヴァレア王、レーベンス・セス・オーナ・トリスヴァレア」


 父王に呼ばれ、レーベンスがその身を前に出して膝をつく。


「王妃。リーゼンティア・フィウ・リード・トリスヴァレア」


 隣に膝をつくリゼは、故国から持ち込んだ鞄の一番下にあった、シェルシード伝統の花嫁衣装だ。

 英雄レーベンスの戴冠の儀とあって、彼の認めたものに口を挟める者はいなかった。


「以上の者を、トリスヴァレア現王として認める」


 冠を与えられたレーベンスが、大きく胸を張る。

 隣に立つリゼは新たな命の根付く自身の身を優しく撫でていた。


「逃げないでくださいね」


 王妃が傍らの若き王に向けて呟く。


「誰が逃げるか。そうでなくても、お前が逃がさないのだろ」

「ええ、いつでも狙っていますから」

「……こいつは本当に、人が気を抜いてるとすぐに襲いかかって来るから困りものだ」

「それがあなたの選んだ生でしょう? 休むべき時には許してあげているのだから、少しはわたしにも付き合ってください」


 リゼは小さく舌を出して笑い、懐にある新調したシェルシード式の短剣の柄をのぞかせた。

 最近はこうした得物にも興味を持ってしまったせいか、適度以上の休息を許してくれたことはない。

 加えて、リゼはレーベンスの縁者としてたとえ自分が狙われても微動だにしない。それを守るレーベンスの苦労は際立って増えた。人ひとり抱えて、その身を守り生きるのは想像を絶する苦労だった。


「あなたの罪はこんなものではないはずよ。わたしやこの子が狙われても、しっかり守って苦しんでくださいね」


 微笑む姿は既に母としての暖かみを持っている。

 守るものが増え、復讐にたえる日々はさらに辛く過酷になっていくだろう。

 だがそれでいいとレーベンスは思う。それでこそ対価だと、与えてくれたリゼに感謝する。

 決して口には出さないが。

 見ると屋敷の侍女長から王妃のお付きとなったメイラが式場の端で小さく手を振っていた。

 家臣は全員が王宮に職場を変え、今日もレーベンスの隙を窺うのに余念がない。

 と、城内が急に騒がしくなった。

 レーベンスはテラスに出て、手を振る民衆を見下ろしながら、「さて、今日も生きのびるか」と、四方より現れた刺客に向けて礼服のまま剣を抜いた。

読了ありがとうございます。

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