バディズキャンプ
0:バディズキャンプ
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高槻:走るのが好きだった。風を切る感覚も、次第に足が重くなっていく感覚も、目の前から人が居なくなって、心地いい風だけが俺を迎えてくれる。この感覚が、最高だった
高槻:「―――はぁ、はぁ、はぁ。あれ、もう、終わってる?」
柴谷:ゴールを知らせる音が鳴った。1着の選手名がそこら中に響き渡る。
柴谷:「高槻 一々(たかつき いちい)」
柴谷:一番になる為に生まれてきたみたいな、そんな名前。世の中は凡人で溢れかえってる。だから皆努力するんだ。泥だらけになって、生傷作って、前へ前へと必死に努力するんだ。
柴谷:そんな努力が無駄だと分からせる天才が、居るんだ。そんな天才の走りってのは、まるで翼が生えたみたいに綺麗で、速くて、なによりかっけぇ
高槻:「――はぁ、はぁ、はぁっ!」
柴谷:100m走、10.8秒。文字にしたら分かりにくいかもしれないが、とんでもない数字だ。高校生でこの数字は、確実に世界を狙える。向かうところ敵無し。縦横無尽にトラックを駆け抜けるあいつは、楽しそうに走るんだ。楽しそうに、楽しそうに
高槻:「―――っ…!?」
柴谷:楽しそうに。
高槻:視界が90度回転した。何が起こったか分からなかった。ただ分かるのは、風を切る感覚は無くなって、足が重い感覚は鈍痛に変わり、目の前の誰もいない景色は、何人もの背中で埋め尽くされていく事だけ。
柴谷:俺は。天才が嫌いだ。
0:ー
0:数ヶ月後 教室
高槻:「…ぅおっ!めっちゃ寝てた。びっくりさせんなよ。お疲れ、部活終わり?おぉ、え?カラオケ?あー、どうすっかな。いや、アリだよ。全然アリ、だ、な。ちょっと遅れて行くわ!おう、またな。ほい、おつかれー」
柴谷:「よお。カラオケ行くのか」
高槻:「…?ごめん、誰だっけ?」
柴谷:「覚えちゃいねぇか。俺は柴谷 真琴。隣のクラスだよ」
高槻:「あー。あー、あーあー!陸上部だったよな確か!」
柴谷:「そーだよ。天才のお前と違って目立ちもしない短距離選手」
高槻:「いやぁごめんごめん、あんまり誰かと話してるイメージ無くってさ。どうしたの?」
柴谷:「やめるんだろ。陸上」
高槻:「あぁ、うん。知ってたか。来月には」
柴谷:「なんで」
高槻:「この前の大会で膝やっちまってさ。もう前みたいに全力で走り続けるのは無理かもって医者に言われた」
柴谷:「で。諦めんの?」
高槻:「あぁまぁ。でかいレース二本も逃しちゃったし、何か萎えちまった」
柴谷:「あ、そ。」
高槻:「おう。で、柴谷くん?だっけ。要件はそれだけ――」
柴谷:(食い気味に)「ざまぁみろ。」
高槻:「…え?」
柴谷:「俺さ。天才、嫌いなんだよ。お前の事は中学の頃から知ってる。走り出したその時から負け知らず、家じゃトロフィーの置き場に困るってインタビューで言ってたなぁ。身長は180くらいあんのか?足長いし、筋肉もつきやすい体質だろ。体幹も天才的だってコーチが言ってた
柴谷:だからざまぁみろ。高槻 一々」
高槻:「…ああ。なんだ。ちょっと気分悪いな、嫌味言いに来たわけ?」
柴谷:「そーだよ。嫌味を言いに来たんだよ。なにが二本レース逃して引退だよアホらしい。きっっしょ。あー、せいせいするね。お前みたいな天才肌で「俺はお前らとは違う」みたいな顔したやつが部活から居なくなんのは」
高槻:「あのさぁ。俺らあんま話した事ないと思うんだけど。その言い草は流石に失礼ってもんじゃないの」
柴谷:「別にいいだろ、だってお前もう走らないんだし。」
高槻:「そういう問題じゃないっしょ。人としてどうなんだって話してんの」
柴谷:「なにマジになってんだよ、なに?陸上に未練あんの?」
高槻:「っ。なんでこんな話お前にしなきゃいけないんだ。もう帰る、どけ」
柴谷:「っと。じゃあなー負け犬」
高槻:「うっさい。」
0:高槻は激しく扉を締める
高槻:「…気分悪ぃ。なんだあいつ」
高槻:…くそ。イライラするな。柴谷?名前も聞いたことない、選抜にも出てない雑魚だったんだろ。そのくせ、なんだあの言い様。ああ、もう。
柴谷:(回想)「なに?陸上に未練あんの?」
高槻:「~~~っ!あーーもう!うっぜぇなぁ!」
高槻:「…もしもし?あぁごめん、やっぱ今日のカラオケ無しで。うん、ごめん。またな」
0:場面転換
0:グラウンド
柴谷:「はぁ〜〜。清々した。そぉれ練習練習。ストレッチ、は、よくしないと、誰かさんみてぇになっちまうから、な。っと
柴谷:(深呼吸)…。うん、調子ぁ悪くない」
柴谷:ふとももは大きく上にあげる。膝から下はリラックス。軸足はまっすぐに。地面を捉えたあとはしっかりと蹴り上げる。蹴り上げた後は素早く引き上げる。
柴谷:俺は凡人なんだから、基礎を繰り返せ、反復に次ぐ反復だ、成果を求めるな!凡人だからっ!
柴谷:「―――はぁ、はぁ、はぁ、っ。何秒!?」
高槻:「13秒だよ。ゲロ遅」
柴谷:「は?高槻?」
高槻:「よォ凡才」
柴谷:「カラオケ行くんじゃなかったのかよ」
高槻:「聞こえてたのかよ。行かねーよ、今月ピンチなんだよ」
柴谷:「バイトしろよ」
高槻:「今日休み。つーかいつまでやってんだよ。もう20時だぞ馬鹿。もう全員帰ってる」
柴谷:「学校開いてんだからいーだろ別に。冬はさっさと部活終わっちまうから全然時間足りないんだよ」
高槻:「は?お前まさか冬の間ずっとこの時間までやってんの?」
柴谷:「?そーだけど」
高槻:馬鹿だ。バカがいる
柴谷:「茶化しに来たなら帰れよ。邪魔」
高槻:「嫌だね。俺、努力ってしたことないから。見てみたいんだよ、努力しないと何も出来ない凡人の頑張ってるところ。」
柴谷:屑だ。クズがいる。
高槻:「ほれ、俺の事気にしなくていいからさっさとやれよ」
柴谷:「なんだよ、未練ないんじゃなかったんですかぁあ??」
高槻:「どこで何してようが俺の勝手だろさっさと走れよ凡凡んん」
柴谷:「あーーームカつく!これだから天才は嫌いなんだよっ。もういい、邪魔だけはすんなよ!まじでっ」
高槻:「はいはい」
柴谷:(ブツブツ言いながらスタートラインへ戻る)
高槻:はぁー。あ、インスタ上げてる。楽しそー、カラオケ行けばよかった。ていうか、そうじゃん。昨日バイトで全然寝てないんだった、今日ずっと眠かったし。さっさと帰りたい。けど、なんかあいつより先に帰んのムカつくんだよなぁ。ほんと、まじで、ああ。何やってんだろ、おれ…
0:
高槻:「――っ!さっっむ!めっちゃ寝てた、今何時だっ。22時ぃ!?ばかばか、風邪ひくって!」
柴谷:「――はぁ、はぁ。はぁ。」
高槻:「…は?」
柴谷:「なんだ、起きたのかよ、そのまま朝まで寝て凍死すりゃ良かったのに」
高槻:「何やってんだお前」
柴谷:「いやだから練習」
高槻:「何時だと思ってんだよっ」
柴谷:「あ?22時だろ?お前が今言ったじゃん」
高槻:「いや、あの、馬鹿じゃんっ。ほんまもんの馬鹿じゃんっ。職員室ほとんど明かりついてねーってっ。」
柴谷:「22時半までは使っていいって言われてるしいーの。」
高槻:「はぁぁ…?付き合ってらんねぇ…。俺帰るからな」
柴谷:「勝手に帰れよ」
高槻:「っ。ほんと、お前。友達いないだろ」
柴谷:「お前に言われたくねーよバカ」
高槻:「あー、もう!知らん!死ぬまで走ってろバカ!」
柴谷:「お前がバカなんだよバカ!」
高槻:「うるせぇなさっさと走ってこいよ凡!」
柴谷:「凡って呼ぶな人のことをっ」
高槻:「あーあーあー!聞こえませんっ。じゃーなぁ凡凡凡」
0:高槻 帰宅
柴谷:「…ったく。未練タラタラじゃねぇか。よし、ラスト三本っ。気合い入れて行くぞ、気張れよ柴谷 真琴っ」
0:
0:翌日
高槻:…やっっべぇ。やべぇな。帰ってすぐ寝たから課題やってねぇ。やべぇ。ちゃんとやべぇ。どーーすっかなぁ。全部あいつのせいなんだよ、しば、しぶ、柴谷?
高槻:「くそっ!柴谷ぁ!!」
柴谷:「なんだよ、うっさいな」
高槻:「あ?」
柴谷:「おは」
高槻:「あ、ああ。おはよう」
柴谷:「よく寝られたか寝坊助」
高槻:「寝すぎて課題やってねぇよ、どうしてくれんだよ」
柴谷:「そりゃ残念。俺のクラスは今日課題ない」
高槻:「え?学年共通だから多分お前の所もあるぞ」
柴谷:「…まじ?」
高槻:「連絡票見てみろよ」
柴谷:「。。。」
高槻:「。。。」
柴谷:「マジじゃんっ!どーしてくれんだよ高槻ぃ!」
高槻:「いってぇなこっちの台詞なんだよボケ凡ボケ!」
柴谷:「やべぇって!俺先週も課題逃げてんだよっ。いよいよやべぇって!」
高槻:「…いい案がある」
柴谷:「え?」
高槻:「今から俺とお前は親友だ」
柴谷:「え?」
高槻:「俺のことはイチと呼べ」
柴谷:「え?」
高槻:「俺はお前事をシバと呼ぶ。」
柴谷:「え?」
高槻:「で、溺れろ」
柴谷:「ぇえぇぇ…」
0:
柴谷:「うぽぉあっ!おごぇっ!溺れてますっ!ああ!寒い!寒くてどうしようもないっ!ああっ!うぼぉっ!足つったァ!」
高槻:「ああ!先生大変ですっ。見てください!僕の大親友のシバが溺れてますっ!助けないとっ。親友だからっ!」
柴谷:「イチぃーーっ!助けてくれぇーーっ。」
高槻:「今行くぞーーー親友のシバっ」
柴谷:「あぁっ。親友のイチっ。ありがとうっ!」
高槻:「スクロールっ!スクロールっ!スクローーーールっ!」
柴谷:「ありがとぉぉおっ。ああっ!イチっ。大変だ」
高槻:「なんだシバっ。あーーーっ!俺達の課題を完璧にこなしたバッグが流されていくっ!下流にっ!取り返しのつかない方に流れていくっ!」
柴谷:「俺の事はいいっ!あのバッグを取りに行けっ!」
高槻:「ばかやろうっ。バッグより親友だろうがっ」
柴谷:「イチーーっ」
高槻:「シバーーーっ」
0:
柴谷:「と、言うわけで。俺は今日1日体操服で過ごさせてもらいます」
高槻:「と、言うわけで。俺達は課題を提出出来ません。全て完璧に終わらせていた課題達ですが、下流の取り返しのつかない方に流れてしまっては文字通り既に海のもずく」
柴谷:「藻屑な。」
高槻:「ですがっっ」
柴谷:「言い訳は致しませんっ。溺れたのは俺の責任ですっ」
高槻:「俺達のバッグが流されたのは一刻も早くシバの元へ行こうと激しくスクロールし過ぎた俺の責任ですっ」
柴谷:「どーーーぞ何卒っ!」
高槻:「御容赦なき処罰をっ!!」
柴谷:「…え?まじすか?不問?ほんとに?」
高槻:「感動しました?してますね?俺達の友情に。ね?先生?」
柴谷:「…」
高槻:「…」
柴谷:まったく、お前は本当の天才らしいなイチ。こんな手を考えつくなんてよ
高槻:なぁに簡単なことよ。頭を使って走ってたってことだな
柴谷:まて。イチ。誰か来やがった
高槻:俺と同じクラスのやつだな
柴谷:待て、あいつが持ってんの
高槻:ああ。俺らのバッグだな。なんか感動してるわ
柴谷:俺達の行いを見てバッグを回収してきやがったってのか…?なあ、俺達のために…?
高槻:ああ。まずいぞシバ。あのバッグには
柴谷:課題なんて入ってない
高槻:…
柴谷:…
高槻:「行くぞシバっっ。」
柴谷:「おうイチっっ。」
高槻:「誰よりも早く走れっっっ!」
柴谷:「凡人の底力見せたらァァァァっ!」
0:
0:
高槻:「怒られてんじゃねぇかちゃんと。ふざけんな」
柴谷:「ほんとだよ。補習分、練習時間減っちまった。」
高槻:「またやんのかおまえ」
柴谷:「やんねぇとな。俺は凡人だから」
高槻:「はぁ。あったまおかしい」
柴谷:「…なあ。イチ」
高槻:「なんだよ」
柴谷:「お前もう走らねぇの?」
高槻:「……しばらくはいいや。」
柴谷:「はぁ。つまんね」
高槻:「あ?」
柴谷:「なんでもねーよバカたれ。お前今日こそカラオケ行くんだろ。じゃーなイチ」
高槻:「おう、シバ」
0:
0:ストレッチをする柴谷
柴谷:「…くそ、まじで遅くなっちまった。まあしゃあないっ。その分ハードに行くぞ。お。スパイクボロくなってんな。そろそろ替え時かなっ。と
柴谷:(深呼吸)…。よし、よーーーい。どんっ」
柴谷:息を吸って吐く、この単純作業が、限界まで速度を上げた心拍数に対して異常に負荷のかかる作業になる。鋭く、短く、駆け抜けろ。フォームを崩すな。足を上げろ。地面を蹴れ。地道に、一歩ずつでいい、一歩ずつ、前にっ
柴谷:「――はぁ。はぁ。ああ、しん、どい。何秒だ…」
高槻:「13.2秒。昨日より落ちてんじゃねーか」
柴谷:「っ。だから、何でいるんだよお前。カラオケ行ったんじゃなかったのかよ」
高槻:「俺の自由だっつってんの」
柴谷:「あーーーっ!ムカつく、なんだ。今日も高みの見物かよ」
高槻:「そーだよ。せいぜい頑張れ凡シバ」
柴谷:「とんでもねぇあだ名付けてんじゃねぇよ」
高槻:「…」
柴谷:「よっと、あぁ。やっぱ結構ボロくなってんなぁ。2日後、ちっちゃいレースがあるんだよ。なんとかそれまでに追い込まないと」
高槻:「追い込んでどーすんだ」
柴谷:「は?一着取るんだよ。お前だってそうだろ」
高槻:「俺の走る目標は、一着になることでも、早く走ることでもねーよ。ただただ、楽しいから。楽しんで楽しんで、ひたすらに前に向かって走ってたらいつの間にか横には誰も居なくて、そのうち天才って言われるようになっただけ。結果なんてのはただのおまけなんだよ」
柴谷:「はぁ〜また嫌味ですか。天才はいいですね、好きなことして生きていく」
高槻:「お前だって走るのが好きだから走ってんじゃないの」
柴谷:「いいか?凡人ってのはな、結果欲しさに努力する生き物なんだよ。努力に結果が着いて来なけりゃ何かのせいにする。でも辞めることも出来なくてズルズル続けるんだ」
高槻:「だっさ」
柴谷:「だせーよっ。凡人、超だせー」
高槻:「じゃあ何でそんなに頑張ってんだよ。無駄じゃん、才能ないんだから」
柴谷:「バカお前、才能無いけど結果残してやった時ってのが、凡人にしか味わえない最高のえくすたしぃなんだぞ」
高槻:「あほだな、お前」
柴谷:「うるせ。」
高槻:シバは凄い。努力家の鏡みたいなやつだ。頑張ってる、きっとこんな風に俺にはできない。報われるべきなのはこういうやつだと思った
高槻:それでも
0:2日後
柴谷:「…ふぅ。」
高槻:「よお。シバ」
柴谷:「なんだ、わざわざ見に来たのか」
高槻:「わざわざな。調子はどうだ」
柴谷:「ああ、悪くない。見てろよ、今日のレース。全員ごぼう抜きにしてお前のレコードも破るっ」
高槻:「レース直前でもその意気込み残ってんのは逆にすげぇよ」
柴谷:「馬鹿にしてる?」
高槻:「してる。まあ、せいぜい頑張れ、凡シバ」
柴谷:「おうっ。見てろよクソイッチ」
高槻:スタートラインにシバを含む八人の選手が並ぶ。顔を見りゃわかる。シバは冷静だ。きっと、努力の結果を遺憾無く発揮できるだろう。こいつは凡人の自覚がある。だから、反復をやめない。だから練習通りの結果を出せると分かる。レース開始の合図が会場に鳴り響く。
柴谷:「――っ」
高槻:走り出しは悪くない。さっき言った通りだ、練習通りに出来てる。いつもの様に出来ている。ラストスパートまでの足も上手く貯めてる
柴谷:「はぁ、はぁっ、はぁっ、ぉおおおああああああああああっ。」
高槻:お前には無理だと思った。俺は天才で、お前が凡人だから。努力なんてのは報われないもので、天から与えられた才能には根性どうこうじゃ対抗できないものと思った
柴谷:「――はぁ、はぁ。はぁっ、はぁ。」
高槻:現実は、非情だとも思った
柴谷:「――っ。く、そ。」
高槻:タイム、12.75秒。結果は四着。文字通り、練習と同じ結果を出せた。上々だ。喜ぶべきだ
柴谷:「くっそぉおおっ!!」
高槻:凡人は、主役にはなれない。一番にはなれない。表彰台に上がることすら許されない。
高槻:わかってたことだって言うのに。どうしてそんなに悔しそうに出来るんだ
高槻:俺には、理解できない。
0:
0:
柴谷:「―はぁっ。はぁっ。はぁっ。っ。」
高槻:「レース終わったばっかで走り込みかよ、凡シバ」
柴谷:「そーだよ。悪いか」
高槻:「結果はどうだった」
柴谷:「四着だよ、知ってんだろ。俺からしちゃ上々だ。」
高槻:「分かってんじゃねぇか。だったらもうやめとけ、これ以上はオーバーワークだ」
柴谷:「なんだよ、同情でもしに来たのか。俺はなぁ、負けるのとか、挫折すんのは慣れてんだよ。でも次は、次こそはって頑張るしかねぇんだ、凡人だからな。分かったらほっとけ。」
高槻:「なんでお前はそこまで頑張れるんだ」
柴谷:「は?」
高槻:「才能も無い、体格にだって恵まれてない。体力も、技術も、何もお前にとって有利なもんは無い。何がお前をそこまで突き動かすんだよ、何がお前をそこまで馬鹿にさせる」
柴谷:「そんなの分かんねぇだろ。頑張ってりゃいつかお前より速くなるかもしんねぇ」
高槻:「はは、マジで言ってんのか。だとしたら本当に馬鹿だな、お前が俺より速くなることなんてねぇよ。絶対にな。短距離走において二秒差は一石二鳥、努力根性うんぬんでどーにかなる数字じゃない」
柴谷:「…イチ」
高槻:「なんだ」
柴谷:「ちょっと走らないか」
高槻:「断る。膝壊してるっつってんだろ」
柴谷:「嘘つくなよ。バレねぇとでも思ってんのか。ほぼ治ってんだろ、足。」
高槻:「……」
0:
0:
柴谷:「――はぁ。はぁ、はぁっ。」
高槻:久しぶりに走った。通り抜ける風は、以前よりも緩やかだった。それでもやっぱり
柴谷:「――はぁっ。はぁっ。くそっ!!」
高槻:俺の目の前には、誰一人居なかった。
柴谷:「…はぁ。…はぁ。負けた。ぼろ負け」
高槻:「だから言ったろ。お前はどんだけ頑張っても俺に勝てねぇの。分かったか凡」
柴谷:「……俺さぁ。中学の頃から、超憧れてた奴がいたんだ。」
高槻:「…」
柴谷:「そいつまじ凄くってさ。そいつが出たレースは出来レースだって言われるくらい凄くって。誰もそいつの背中に張り付くことすら出来ねぇんだ。でも当の本人は何食わぬ顔で、ただ走ることを楽しんでるんだよ。そんな姿に、まじでかっけぇって。思った。憧れた。俺もあんな風になりたかったんだ」
高槻:「…あ。そ」
柴谷:「でも、俺。凡人だった。
柴谷:何しても駄目だった。そいつみたいに颯爽と走れなかったんだ。センスが無いって何度も言われた。大会に出ることすら出来ないのなんてもう慣れた。それなのに、俺みたいな。やりたくても出来ない凡人がいるのに。そいつ、その天才は。ちょっと膝壊して陸上辞めやがった。まじで。まじで、ムカつくよな。」
高槻:「……」
柴谷:「なあ。なんとか言ってみろよ。天才くん」
高槻:「…お前に何が分かるんだよ」
柴谷:「なんも。天才の気持ちなんて分からん」
高槻:「何となくではじめた陸上で、天才だのなんだの言われて、俺だってどうやって自分がこんなに速いのかイマイチよく分かってない。それなのに期待ばっか積もってってさ。走るのが、楽しくなくなった」
柴谷:「…」
高槻:「そんな時に足を故障した。ぶっちゃけ、半年もしない内に完治する怪我だ。お前の言う通りもうほぼ治ってる。でも、いい機会だと思っちまった。走るだけで妬まれる。走るだけで期待される。足取りが重かったんだよ」
柴谷:「嘘だな。」
高槻:「…はい?」
柴谷:「いや、嘘だろ。まあ半分は本当なんだろうけど」
高槻:「なにがだよ」
柴谷:「お前。ただ単に、自分が最上の瞬間の内に消えちまいたかっただけじゃねぇの」
高槻:「…!」
柴谷:「天才の気持ちなんざ分かんねぇけど。今走った感じでなんとなく伝わった。お前やっぱり、天才のブランドが無くなるのが怖かったとしか思えねぇよ」
高槻:「……帰る」
柴谷:「イチ。俺、来月のレースで一着取る。絶対にとる。」
高槻:「無理だって」
柴谷:「約束しろ。俺が来月、一着でゴールライン超えたら、お前。復帰しろ」
高槻:「…はぁ?」
柴谷:「プライド高いもんなぁ。周りに流されてやめちまうんだもんなぁ。よかったじゃねぇか。優しい凡人の俺のおかげでお前、もっかい走る理由付け貰えてるんだぞ」
高槻:「…」
柴谷:「約束しろよ、イチ。お前がそんだけ無理だって言うなら出来るだろ。言ってみろよ、「お前が一位取れるなんてできっこない。出来たら陸上復帰したっていい」って。そんくらい言ってみろ。俺に発破をかけてみろ。」
高槻:「…膝を上げんのがとにかく遅い。蹴りも弱い、ただでさえ足短いんだから回転数上げろ。あと右足だけ引きが遅すぎ。フォームは、綺麗だと思う」
柴谷:「……は?」
高槻:「…」
柴谷:「……は?」
高槻:「なんで二回言ったんだよ!いいからさっさとやれっ!意識してやってみろ、だいぶ変わると思う!精々足掻けよ、凡」
柴谷:「…あぁーーーいいぜやったらぁ!!後悔すんなよボケイチボケ!!」
高槻:走るのが速くなる。ただこれだけが、なかなか出来ない。走るだけっていう単純な運動だからこそ、技術うんぬんが一番表に出にくい。余りにも残酷に、才能がものを言う。こんな世界で、お前は
0:
0:
柴谷:「――っはぁ、はぁっ」
高槻:「12.75。ダメだな」
柴谷:「ひぃ、ひぃいいっ」
高槻:「もっと足上げろ短足。前に踏み出してもっと速く足引け」
柴谷:「お前、いつから俺のコーチになったんだよ、殺す気か、この野郎」
高槻:「じゃあ死ねっ。こんくらいで死ぬなら死ねっ。」
柴谷:「ひぃいいいっ」
0:
高槻:「12.95。どーなってんだお前」
柴谷:「んな、こと、言われたって、一番悔しいの、おれ、はぁ。くそっ」
高槻:「お前はそもそも体力が無い。まず食え、そんで絞れ。死ぬほど食え」
柴谷:「もくずが嫌いなんだよぉ、嫌いなんだよなぁ」
高槻:「好き嫌いすんな凡っ」
0:
柴谷:「――っはぁっ。イチ!何秒!?」
高槻:「12.66。悪くは無い、けど」
柴谷:「え、なに」
高槻:「ふくらはぎ周りの筋肉を鍛えるトレーニングだ。回転数上げるならここの筋肉は外せない。それ、もっと。もっと頑張れシバ。シバんばれ!」
柴谷:「なんだシバんばれって!」
高槻:「ばんばれ!!」
柴谷:「うるさぁい!!」
0:
柴谷:「12.44…!いい、いいぞっ。やれば出来るじゃねぇか柴谷 真琴!天才!いよっ、天才!」
高槻:「凡、フォームの改善だ、まず体幹がごみ。左右に揺れ過ぎてガソリンスタンドのテーマキャラみたいになってる」
柴谷:「ああ、あれな。なんかな。手足バタバタしてるやつな」
高槻:「喋んなッッ!!!」
柴谷:「ひいぃい」
0:
0:
柴谷:「――はぁ。はぁっ、はぁ。はぁ、イチ、何秒!?」
高槻:「12.46。」
柴谷:「くっそ!!昨日より遅い!」
高槻:「いや。ここ数日12秒後半に乗らなくなった。安定してきてるから悪くない」
柴谷:「そうかぁ?まあ、お前がそう言うなら、いっか」
高槻:「ああ。正直みくびってた。たった半月で安定して0.5秒縮まるのは凄い。もう天井かと思ってたけど、まだまだ伸びるな、お前」
柴谷:「まじで!?まじでまじでっ!?やっぱ!?お前もそう思う!?」
高槻:「ちょーしのんな。」
柴谷:「うっせぇ乗らせろ。」
高槻:「さ、どーする。21時か。」
柴谷:「今日は帰ろう。」
高槻:「珍しいな。腹減ったか」
柴谷:「明日だからな。レース。沢山寝て、万全な状態で挑みてぇ」
高槻:「おう、それならいい。今日は終わりにしよう」
柴谷:「…なあ、イチ」
高槻:「なんだ」
柴谷:「俺。一着、取れると思うか」
高槻:「知らねえ」
柴谷:「お前なぁ、ちったぁ激励とかねぇのか」
高槻:「でも。俺ができる所まで教えてやったんだ。負けたらまじで殺すからな」
柴谷:「……。誰に向かってもの言ってんだ。俺は大凡人、柴谷 真琴だぞ。黙って全額投資しとけ」
高槻:「融資しか無理。絶対返せ」
柴谷:「ふざけんなよてめぇイチてめぇっ」
0:柴谷が躓く
柴谷:「っとと、あぶね」
高槻:「だせぇな。さっさと行くぞ」
柴谷:「…。おう!」
0:レース当日
高槻:レース当日。スプリントの世界は、僅かゼロコンマの先を削り合う世界。削って削って削って、最速を目指す。ほんの少し削り損ねただけで勝ちは転がってこない
高槻:シバ。お前の今出せるベストを出すことが出来たら、この程度の選手層なら勝てるかもしれない。
柴谷:(深呼吸)「…ふぅ。」
高槻:集中できてる。一ヶ月前と同じ顔だ。でも、あの時とは違う。こいつはきっと、やれる。コーチなんてやったこともねぇが、お前のタイムが縮まるとまるで自分のことみたいに嬉しかった。口が裂けてもお前には言わねぇがな。
高槻:俺はお前のことを、割とマジで凄いと思ってんだぞ
柴谷:レース開始まで、あと数秒。このレースさえ、このレースさえ耐え抜けばいい。大丈夫だ、耐えるのは俺の専売特許だから
高槻:レース開始の音が鳴り響く。クラウチングは元々悪くなかった。あれから足首と膝のバネを強化したことで出だしは好調、前月比のタイム差0.03秒くらいか
高槻:削って削って、限界まで振り絞れ、シバ
柴谷:「――はぁ、はぁっ。はぁっ。はあ、はぁっ。はぁっ」
高槻:息が上がるのが早い、加速区間まで足残してんだろうなボケ。
柴谷:「――、はぁっ、はあっ。」
0:柴谷は笑っている
高槻:…。問題ないな、しんどいのを、削っていく工程を、楽しんでる。
柴谷:「―はぁ、はぁっ、はぁっ。」
高槻:そう、走るのは楽しいんだ。何も難しいことなんてない。ただ、前へ進むだけ
柴谷:「――っ!ぁああっ!」
高槻:速く、速く、それがスプリントの醍醐味。誰よりも
柴谷:「―――速く…!」
高槻:なんだよ、かっこいいじゃねぇか
柴谷:息が苦しい。今までにないのほど血液が酸素を回してるのが分かる、鼓動がうるさい、風を切る音と、周りの足音と、目の前の背中を追うのに必死だ、肺が爆発しそうだ
高槻:先頭が加速っ。ラストスパートにかけて後続も加速してきたっ。くらいつけ、絶対に逃がすな、絶対に追い付かせるな、削れ!
柴谷:速い、どいつもこいつも、速すぎるだろっ。こっちはこんなに全力で、息絶えだえで、もう足腰限界だってのに、本当に容赦がない
高槻:シバのペースも上がったっ。やっとエンジンかけたか、おせぇんだよぼけ!
柴谷:前に、前に前にっ。一歩でも多く、前に!!
高槻:現状三位。100メートルは他とは違ってカーブがない、ただただ真っ直ぐ走るだけだっ。ただただ、速く、速く
柴谷:前にっ。前にっ。
高槻:「いけ」
柴谷:前に、前に進むんだよっ。あんだけイチに啖呵切ったんだ、やってみせろよっ、柴谷 真琴っ!!
高槻:「いけっ、シバ」
柴谷:見てろよ天才、これが凡人の…
高槻:「いったれぇ、凡シバぁあああっ!!」
柴谷:「底力だぁぁああああああああっ!」
高槻:一気に前に出たっ。行ける、行ける行ける行ける、シバ、お前、行けるじゃねぇか…っ!
柴谷:目の前から背中が消えた。聞こえるのは自分の鼓動と、風を切る音だけ。
柴谷:ああ、この会場って。こんなに広かったんだな
高槻:崩れそうな体勢でも、なんとか前に出てるっ。凄い、凄いぞシバっ。そのまま走れ、真っ直ぐ、前だけ見ろ!
柴谷:腕も足もちぎれそうだっ。こんなに早く走ったことないっ。足首なんて今にも飛んでいきそうな程痛いっ
高槻:それでも
柴谷:誰も居ない、向かい風しかない景色も、匂いも、感覚も
高槻:最高だろっ!シバぁっ
柴谷:最高だっ!イチぃっ
高槻:その光景を知ってる。気持ちいいんだ、最高に。競走ってことを忘れるくらいに
柴谷:俺は遅い、とろい、鈍い、後ろから誰かが視界に入ってくるのが怖い。でもそれ以上に、楽しい
高槻:ああ、良いな。
柴谷:視界がぼやけてきた。そりゃそうだ、ずっとスパート体勢で走ってる。そうでもしないと一着が取れない。今じゃなきゃダメな確信がある。俺は天才じゃないから、削って、削って、削り切って、無くなるまで…!
高槻:シバ…?なにしてんだ、なんでこっちに向かってんだ
柴谷:行ける、行ける、一着。一着一着っ!!一番最初に、ゴールラインを切るのは――
高槻:「――なにやってんだ、前見ろっ!!」
柴谷:―――あれ。イチ?なんでこんな近くに
高槻:「シバァっ!!」
0:柴谷、転倒
柴谷:……あれ。足、動かない。前に進まなきゃ。折角、一着のチャンスなのに。もう、限界なのかよ。なにしてんだよ
高槻:その光景を知ってる。足の感覚が無くなって、まるで落とし穴にでもはまったんじゃないかって思うくらい自然に。先頭から転げ落ちるんだ
柴谷:「――っ、あ。れ、なんで。空」
高槻:「シバっ!!」
柴谷:なにやってんだイチ。まだレース中だぞ。入ってきたら怒られるって。
高槻:「足見せろっ、ちっ、聞いてんのかシバボケおい!!」
柴谷:なんでお前が怒ってんだ。それより、お前、見てたか。見てたろ。一着、とったんだ。誰の背中も見えなくなって、俺が一番前を。先頭を走ってて、それから―――
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柴谷:ブツっと意識が途切れた。次目が覚めた時、俺は病院のベッドに居た。
柴谷:足の違和感はあった。痛みもあった。ボロいシューズで練習続けてたのもひとつの要因だったらしいが、何よりも先生に怒られたのは
柴谷:オーバーワーク。俺に許された。たった一つの救済措置が、俺に牙を向けやがった。
柴谷:何一つ与えなかったくせに。才能も、体格だって、特別頭がいい訳でもない、陸上以外の趣味だってない。好きなことを打ち込んでいただけなのに。ふざけんなっ。
柴谷:――でも、なんだか少し。解放された気もした
高槻:それから一ヶ月後、冬休み手前。そいつは、病院から帰ってきた。
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柴谷:「おぉ、久しぶり。あー、ちょっと怪我しちゃってさ。うん。暫く練習もできねぇな。まじでまじで、ウケるな。お?カラオケかぁ。いやいいけど、俺松葉杖だぞ?邪魔じゃね?まじ?じゃあ行くわ。おう、また後で。ほいー」
高槻:「…よお。カラオケ行くのか」
柴谷:「…久しぶり、イチ。たまにはな」
高槻:「へぇ。まあ、いいんじゃねぇの。俺に何の連絡もなしにのうのうと戻ってきたのはよろしかねぇがな」
柴谷:「いやあ、わりぃな。」
高槻:「病院の先生から聞いた。右足関節骨折だろ。手術も必要だ、全力で走れるのは一年かそこら」
柴谷:「…ああ」
高槻:「で、陸上部の顧問からも聞いた。やめるんだってな、陸上」
柴谷:「…ああ。もう三年だしな。どの道もう走れねぇんだからしょうが(ない)」
高槻:(食い気味に)「ざまぁみろ」
柴谷:「……」
高槻:「俺さぁ。凡人嫌いなんだよ。努力だの友情だのって一丁前に主人公きどって騒ぐ癖に結局天才の足元にも及ばない。だっせぇのなんのって」
柴谷:「懐かしいな。意趣返しかよ」
高槻:「なんで諦めた」
柴谷:「……はっ。一瞬だったけど。俺、一着になれたんだよ。」
高槻:「ゴールするまでがレースだ」
柴谷:「分かってる。でも、誰の背中も目の前に無い。あの光景が見れただけでも、努力した甲斐があった。満足だ」
高槻:「満足だぁ?」
柴谷:「…おう。」
高槻:「なんの結果も残せてない。誰にも勝ててない。負けてばっかりだ。何がそんなに満足なんだよ」
柴谷:「……」
高槻:「あの時は、あんなに悔しそうにしてただろ。なのに何で今はそんなに満足してんだ。怪我してんだぞ。一着になれなかったんだぞ」
柴谷:「お前と一緒だよ、イチ」
高槻:「あ?」
柴谷:「…お前が走るの好きかって聞いた時。俺、答えられなかった。だって才能ないし。遅いし。負けてばっかだし。嫌いになるのが普通だろ。でも俺、負けず嫌いなんだ。お前が最上の瞬間に消えちまいたかったのと同じで、努力が実った。その上で、もう努力しなくていい言い訳が、欲しかったのかもしれない。だから、すっげぇ満足してる。あの光景に縋って、努力は無駄じゃないって惨めに生きてく。これが凡人の、精一杯の抵抗なんだよ」
高槻:「……嘘だな」
柴谷:「あ?」
高槻:「嘘つくなよ。それも思ってんだろ。でも、本当はちゃんと悔しいだろ。なんでそんな未練ない顔出来んだ。悔しいなら悔しいって言えよ」
柴谷:「お前にそんなこと言われるとは思わなかった。」
高槻:「……いつもの場所、来い。」
柴谷:「いやだから、カラオケ行くって」
高槻:「さっさと来い。」
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柴谷:何度も走った俺の練習場所。顧問に頼み込んで放課後使っていいと言われた体育館裏のコンクリートも。体育館から聞こえるバスケ部だのバレー部だのの声も。フェンスから通ってくるほんの少し肌寒い風も。よく知ってる。
柴谷:誰が書いたかも分からない体育館落書き。ここから向こうに見える三番目の駐車用白線。これが、俺だけの、100メートル。
高槻:「相変わらず元気だなぁ、バスケ部」
柴谷:「なあ。カラオケ遅れるんだけど」
高槻:「…」
柴谷:「聞いてのんか、イチ」
高槻:「俺は努力とか頑張るとかが嫌いだ。辛いししんどいし、意味ねぇから」
柴谷:「俺が一番知ってる。」
高槻:「でも、お前は意味があるって証明したよな。たった1ヶ月ちょいで13秒が12秒台になった。だろ?」
柴谷:「…もういいって、その話」
高槻:「スプリントにおける一秒は、何日、何ヶ月、何年っていう価値がある。お前はそれを努力だけでもぎとった。才能も体格にもチャンスにも恵まれなかった。努力なんてなんの保証も無い、なんの確証も、根拠も、意味すらないかもしれない繰り返しを。お前がやって来たんだ。それが一秒だ。」
柴谷:「だからなんだよ。なあ、なんだってんだよ。何がわかるんだよ。俺にとっての一秒は、これから先の、何年何十年って人生で誇り続ける一秒なんだよっ。お前はどうだ?お前が誇るのはなんだ?とった賞の数か?勝ったレースの数か?残した結果の数か??お前と俺は違う、そんなお前がさぁ、俺を励ますなよ。俺をこれ以上惨めにさせんなよっ。」
高槻:「うっせぇんだよゴチャゴチャピーピーピーピーっ、お前の事情なんて知ったことか。同情なんてするわけねぇだろっ。俺が言いたいのは、てめぇはまだゴールしてない。一着だってとってないっ。」
柴谷:「だからぁ!もうあの景色で満足してんだって」
高槻:(話を聞かない)「どーーーすんだよっ。このままじゃ俺、陸上復帰できねぇじゃねぇかっ」
柴谷:「………は?」
高槻:「お前が言ったんだ。一着とったら陸上復帰しろって。俺はお前に乗った。凡人のてめぇが、努力なんかで一着取れるわけねぇって思ったからな。どうしてくれるんだ、俺の足は、お前に預けたままだ!融資だってつってんださっさと返せぼけっ」
柴谷:「俺に、どうしろってんだよっ!こんな足じゃ走れない。俺は凡人だから、人より練習しなきゃならないのに走れない。これから一年先、俺はもっと遅くなってるっ、そんな俺にどうしろってんだよ!!」
高槻:「…いい案がある」
柴谷:「あ?」
高槻:「俺とお前は親友だ」
柴谷:「…は?」
高槻:「俺のことはイチと呼んでる」
柴谷:「…」
高槻:「俺はお前事をシバと呼ぶ。」
柴谷:「…」
高槻:「お前の自己ベスト、何秒だ」
柴谷:「12.38だ」
高槻:「余裕だな。余裕すぎて死ぬわ。」
柴谷:「なにがだよ」
高槻:「俺は誰だ。そう、俺は高槻 一々。自己ベストは10.8秒。全国一位の男だぞ」
0:高槻はストレッチを始める
高槻:「俺がこの練習場の、ニューレコード出す。ここで走ってきた二年半のお前らから、一位をもぎ取ってやる。
高槻:だから言ってみろよ「お前が一位取れるなんてできっこない。出来たら陸上復帰したっていい」って。発破をかけてみろよ。凡凡」
柴谷:「おまえ、ずるいな」
高槻:「知ってる。」
柴谷:「…」
高槻:「俺を信じろ。全額俺に、投資しろ」
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柴谷:「高槻 一々(たかつき いちい)」
柴谷:一番になる為に生まれてきたみたいな、そんな名前。世の中は凡人で溢れかえってる。だから皆努力するんだ。泥だらけになって、生傷作って、前へ前へと必死に努力するんだ。
柴谷:そんな努力が無駄だと分からせる天才が、居るんだ。そんな天才の走りってのは、まるで翼が生えたみたいに綺麗で、速くて、なによりかっけぇ
高槻:「――はぁ、はぁ、はぁっ。」
柴谷:そいつは、三番目の駐車用白線を踏み抜いた。振り返ったそいつの顔には、汗ひとつない。余裕綽々と言った具合で、殴りたくなるほどムカつく顔
高槻:「―――何秒だ、シバ」
柴谷:「……11.8秒。」
高槻:「…はっ。ゲロ遅」
柴谷:ああ。やっぱり俺は。天才が嫌いだ。