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 本日は晴天なり。

 しかし、この事務所は客が来ておらず、二人は暇を持て余している。

 とあるビルの一角に、請負事務所というシンプルな名で、この場所は存在している。

 従業員は二人だけ。

 この世界の外側からやってきた、二人組だ。


『降雨量が例年より少なく、一部地域では断水を要する場合も……』

 小さいテレビから、そんな声が流れる。

 ソファーにだらけるように座っていた少年は、そのニュースに耳を傾けた。

 名は砥上利鎌とがみとがま

 歳は高校一年生くらい。しかし学校には通っていない。

 赤みがかったショートヘアに、顔に印のようなタトゥーのようなもの。

 暑いので、サンダルに半ズボンに、半袖のシャツと上着だ。

「そうだ。人間どもに洪水をぶちまけてやるのもいいな」

 にやりとして、そんな危険なことを呟く。

「また悪巧みですか。余り力の無駄遣いはいけませんよ」

 事務所に響く凛とした声。

 名は瑠々理瑠璃子るるりるりこ

 金髪で長い髪を髪留めでまとめている。出る所は出ていて、それでもすらっとしたスタイル。背も砥上よりやや高い。

 事務所らしく女性用スーツ。

 彼がこの事務所の設立者で、彼女はその補佐役だ。

 綺麗な姿勢で椅子に座り、あってないような雑務をこなしている。

(まあ、どうせまた良い事をしてしまうんですけれど)

 瑠々理は今までの付き合いから、そう推測する。

 砥上とは小さい頃からずっと一緒にいる。

 この事務所を作ったときも、顔とスタイルがいいからお前を秘書にする、とか言っていたが、ただの幼馴染ゆえだ。

 そして砥上はいつも悪ぶる。自身を悪い魔法使いだと信じているように。

 向こうの世界では、砥上は随分と魔力が強く、そこだけは評価されていた。

 しかし、わがままで自分の好きなように魔法を使うので、こちらの世界に飛ばされてしまったのだ。

 まるで島流し。

(それについてきてしまった私も私ですけれど)

 瑠々理が思考に入っている内に、

「瑠璃子、地図あるか?」

 と、砥上は聞いた。さらに砥上はがりがりと、チョークのようなもので床に落書きしている。

 相変わらず決断が早い。

「地図。日本地図でいいですか?」

「ああ、おっけーだ」

 素早く瑠々理はそれを用意し、砥上に渡す。

 書いているのは円、中心に幾何学模様のようなもの、この世界のものには読めない字。

 地図からその場所を見つけ、指を置く。

 さらに呪文。大きな魔法なのか、それは長い。

 あの陣をあとで消すのは私なのだろうな、と瑠々理は肩を落とす。

 砥上が何をしようとしているのかは、ここまでの流れで大体分かるので、瑠々理はいちいち驚かない。

「ふっふっふ、こんなもんか」

 怪しげな笑みを浮かべて、満足そうな砥上。

 彼が悪く見えるような笑みを練習していたのも、瑠々理は密かに知っている。

 やりたいことを終え、またソファーに座り直す砥上。それから少し経つ。

『今入った情報によりますと、突如ダムの上に雲が現れ、大雨が降ったようです。異常気象ともいえるこの光景……』

 テレビの中で、キャスターが慌てたように述べている。

 砥上の魔法はしっかりと発動していたようだ。

 離れた場所の天候を操る。これでも、砥上にとってはさほど大したことではない。

「ふう、少しつかれたな。甘いものよこせ」

「はい」

 この程度だ。瑠々理は緑茶と羊羹を用意して机に並べる。

「うまい。悪いことをしたあとに食う甘いものは最高だな。しかし、洪水で人間を巻き込む程ではなかったか。もっと頑張らねば」

 満悦そうな顔。

 人間達は喜んでいそうだが、砥上はそう言う。

 今までも、食糧難のニュースを聞いては、デブ大国にしてやる、と言ってこっそり食べ物を増やしたり、火事のニュースを聞いては雨を降らしたりしていた。

(まあ、あちらの世界では勝手に魔法を使うこと自体が悪いことだから、間違ってはないないですが)

 瑠々理も共に羊羹を食べる。

 結局今日は魔力を多く放出しただけで、客は一人もこなかった。

 ろくに宣伝もしていない二人の隠れ家のようなものなので、それも仕方のないことだ。


「ふむ、警備の依頼ね」

 砥上は、話を聞きそう応えた。

 珍しく、客が来たのだ。白いスーツで恰幅がいい。そして見るからに、目つきが悪い。

 人を見た目で判断するのはあまり良くないことだが。

 客が言うには、今夜大事なイベントが家であるので、邪魔が入らないように、とのこと。

 ちゃんとした警備会社に頼めばいいと瑠々理は思うのだが、何か事情があるのかもしれない。こんなところに頼むなんて。

 それとも、この事務所に変な噂でも立っているのか。

 しかし、どうみても未成年の砥上を見て、やや難色をしめした。

 瑠々理としては別に帰ってもらってもかまわないのだが、砥上はこの依頼を受けるつもりらしい。

「瑠璃子」

 と砥上に言われて、それだけで何をすればいいかを察する。

 対面するように座る二人。砥上の後ろにいた瑠々理は、その場からふっと消えて、依頼人の背後に現れる。

 そしてそのまま、曲がっていたネクタイを治した。

 驚き顔を引く男。何が起きたかわからないといった様子。

 しかしすぐに口元を歪め、依頼が正式に決まった。

 報酬は大きく、これだけあれば羊羹がたくさん買える、と瑠々理は身近な事を考える。

 

「退屈だな」

「そうですね」

 依頼人の家は、やたらと大きく、敷地も広く、塀も高かった。洋式で三階建て。横にも広い。一体中は何部屋あるのやら。

 その門の内側から、ぼーっと外を眺める二人。

 とっくに陽は暮れている。

 住宅街からは離れた場所で、あまり人通りも車通りもない。

「あれと遊んでいいか?」

「だめです。仕事ですよ」

 砥上が指さしたのは、敷地内をうろうろしている大型の犬。ちゃんとしつけられているのか、二人には襲いかかってこない。

 といっても、飼い主の指示でそれはすぐに変わるだろうが。

「暇だなー。これでは身体が訛ってしまう」

 呑気に体操をはじめる砥上。しかしどっちにしろ、事務所にいるのと大して変わらない。

 好きな時に甘いものが食べられないくらいか。

 砥上が眼を離している間も、瑠々理はしっかりと見張りを続ける。

「しかしよく、この依頼を受けましたね。見るからに胡散臭そうなのに」

「おいおい、悪の秘密結社はむしろそういうのを進んで受けるべきだろう。別に困ってる人を助けようとか、善人みたいなことしたいわけじゃないぜ」

「はいはい」

 砥上はどこまでそう思っているのかわからないことを言う。瑠々理は悪ぶる発言に慣れているので、軽く流した。

「まあ、俺が悪人だからって、悪人に手を貸すかどうかはまた別だけどな」

「?」

「はは」

 小さくてよく聞こえなかったので瑠々理が振り向くと、砥上は何がおかしかったのか小さく笑う。

 二人は暇と戦いながら警備を続けた。

 そこで、瑠々理は気づく。

「利鎌、あの車、ずっと止まっていますね」

 当然のように、お互いを名前で呼び合う。と言っても、こちらの世界のために用意した偽名だが。

「んー、ただの違法駐車じゃねえの。そのうちレッカー車につれてかれるんだろうよ」

 地面にしゃがみ込み、草だか虫だかを見ている砥上。

「いえ、中に人がいるようですね。それも二人。こちらを睨むように見ています」

 それほど近い距離ではなかったが、瑠々理には解る。

「はん、そいつは穏やかじゃねえな。やはりあの依頼人……。瑠璃子、こっちだ」

 砥上はそう言って、移動した。

 ここなら塀と木で、外からも家の中からも見えないだろう。

「警備はいいので?」

「いーよんなもん。どうせ依頼人はいなくなる。はは、依頼を途中で反故ってのも、悪人っぽいな」

 楽しそうに笑う。瑠々理としては依頼料が少し気になったが、砥上の意見を優先する。

 砥上はまた、地面に陣を書き始めた。

 前回もそうだったが、砥上の魔法は準備に時間がかかる。

 効果の大きい魔法だから仕方がない、と言うより、効果の大きい魔法しか覚えていない。

 基礎的な魔法、簡単な魔法は、最初から砥上の眼中にはなかった。

 自身の魔力を活かせる、どでかい魔法、そんなものばかりを記憶していった。

(向こうの学校の成績はそれはもう酷いものでしたね)

 砥上は書き終わり、さらに呪文を唱える。

「その呪文は……」

 さすがの瑠々理も少し驚く。何をするかは予想できたとしてもそこまでは、だ。

 呪文が完走すると、急に気温が下がったように、冷えてきた。

 夏の服装だったので、肌で感じる。

 夜だからハッキリとは分からないが、暗雲も立ち込めている。

「いけいけー」

 砥上が楽しそうに腕を振ると、空から氷が降ってきた。

 ただのグラスに収まるような小さいものではない。

 ヒョウやアラレでもない。

 一つ一つが、砥上と同じくらいの大きさで、円錐のように先が尖っている。

 それが、夜空の星が降ってきたかのように、数多く家に向かって降り注いだ。

 当然、窓も壁も壊れる。いくら大きい家とはいえ、これにはひとたまりもない。

 中の人が心配になるほどだ。

「随分派手にやらかしましたね」

「まー、これくらいなら、中の人間共も生きてるだろ。見張ってた車は警察だろうな。はは、俺の縄張りの街で、治安を乱すようなことはさせねえ。大人しくするか、遠くに逃げるんだな」

 そうは言っても、当然相手には聞こえていない。

「はじめからこのつもりだったので?」

「いんや、こいつらが本当にまともなイベントをしていたのなら、邪魔する気はなかったぜ。俺はそこまで小悪党じゃねえ」

 向こうにしてみれば、違法な取引のさなか突然の災害といったところ。

「おおっと」

 威勢よく喋っていたと思ったら、急にふらついた。

「はん、さすがに使いすぎたか。瑠璃子、おぶってくれ、逃げるぞ。正義のヒーローの如く、警察が駆けつけるだろうからな」

 巨大な魔力を持つがゆえの、大魔法好き。しかしそれでも、大きすぎて砥上の魔力を食いつぶしてしまう。

(このクラスの魔法を唱えようとしたら、一体成熟した魔法使いが何人必要になるのやら)

 改めて、幼馴染の無鉄砲な凄さに感服する瑠々理。

「はいはい。帰ったら、甘いものも用意しますよ」

 軽々と砥上を担ぎ、素早くその場を後にする。

 派手なことをしたわりに、女の子におぶられて去る砥上。

 その後すぐに警察が駆けつけ、軽症ですんでいた犯罪者達を取り押さえていった。

この出来事は新聞の端っこに小さく載った。

 さらに普段宇宙人がどうのと書いてあるおかしな雑誌には、氷が家を破壊したと記事になっていた。

 信じる者はいるだろうか。

 

 とある日。いつものように客は来ない。

「暇だなー。見回りでもするか」

「はい」

 砥上はたびたび、街を見て回る。

 俺の支配する街に反乱分子がいたら潰しとかねーとな、とか言って。

 特に支度というほどでもない支度をして、二人は外に出た。

 街の人間達は平日の昼間らしく、忙しなく動いていた。車も結構通っている。

「はっは、愚民共はちゃんと働いているようだな」

「私達はとても暇なんですけどね」

「だからこそこうして下々の者を観察できるのだ」

 と言っても、勿論街の住民たちはほとんど彼らの事を知らず、支配などもされていない。

 二人は適当に、歩き出す。

「お、クレープ屋だ。十個買うぞ」

「ダメです。五個まで。お金だってあまりないですよ」

 人間の世界はお金の入手法がめんどうなものだ、と二人は常々思う。

 あっちの世界では、強ければなんとかなった。

 そして二人はそこそこ強い。

「なに?」

「まったく、あの依頼をちゃんと遂行していれば少しはましだったんですが」

「仕方ない。あいつらがふざけた事をしなければな。俺は悪く、いや悪いのが俺なんだが」

 そこで思いついたような顔。

「よし、魔法で金を出そう」

「やめてください。経済が破綻します。そもそもそんな魔法知ってるんですか?」

「知らねーな」

「そのへんの人間から奪ったらどうです?」

「そんな小悪党みたいな真似できねえ」

「そうでしたね」

「俺が目指すのはビッグな悪党。悪の親玉だ」

「早くクレープを好きなだけ買えるようになるといいですね」

「ふん、すぐに店ごと買い取ってやるわ。待っておれ、店」

「それで、クレープ五個買うんですか? 買わないんですか?」

「買う。行くぞ瑠璃子」

 金髪と赤髪に驚くが、店員はちゃんと仕事をした。生地を薄く伸ばしていく。

「チョコ三つと、イチゴとバナナな」

「それと、ツナサラダを」

「はいよー」

 砥上が瑠々理に向き直り、

「なんだツナサラダって」

「文字通り、ツナサラダのクレープですよ。ほら、ここ」

 メニューを指さす瑠々理。

「甘くないのも存在するのか……」

「目に入らなかったんですね」

 やがて完成したようで、お金と引き替えに受け取る。

「うむ、美味い。生地とクリームの絶妙なバランス。焼きたての香りがいい」

 瑠々理が一つ食べる間に、砥上は全部食べてしまう。

「口の周り汚いですよ」

 瑠々理は言いながら手早くハンカチで拭き取る。

「おう、悪いな」

 間食もすませ、また街を行く。

 公園には主婦と子供が何人かいた。

「まだまだこの街には危険な遊具が存在するようだな。よきかなよきかな。無垢な子供が何も知らずに遊んでおるわ」

「ええ、楽しそうですね」

「瑠璃子も遊びたいか?」

「違います」

 にべもなく一蹴する。

「そうか。俺は遊びたいぞ」

「えっ」

 砥上は猛烈な勢いで、遊具に行ってしまう。

 そして、丸い網のような回転する遊具の上に乗ったり、ブランコに乗り勢いをつけてジャンプしたり、滑り台を逆から上り、飛び降りたり。

「瑠璃子。楽しいぞー」

 ジャングルジムの頂点から声をかける。

「あなたに恥じらいはないんですか」

「何を言ってる。これも悪行の一環だぞ。子供に危険な遊びを教える事によってだな」

「もう子供達、親に連れられて逃げましたよ。変な人が暴れてるって」

「なに?」

 言われてようやく気づいたように、公園を見回す。位置が高いおかげで見やすい。

 そこには二人以外いなくなっていた。

「ふ、ふふ。また悪をなしてしまった」

 半笑いのまま、大人しく降りる砥上。

 その様子はどうみても小悪党以下だったが、瑠々理は突っ込まない。

「さて、見回りを続けるか」

 すぐに立ち直り、あさっての方角を指さす。

「ええ、そうですね」

 公園を出て、街を練り歩いていたら、中学生くらいの女の子が不良に絡まれていた。

 今時めずらしいリーゼント、それとソリコミ、茶色いロング。

「おうおう、俺達と遊ばねえ?」

「ッツア。いいっすよ。その台詞。いちころっすよ」

「ごめんねー大人しくしてたら、危害は加えないよー」

 異様なテンションに、怯える女の子。

「なんだ、あれは」

「平たく言えば、街のゴミですね」

「ならば、掃除してやろう」

「ちょっとまってください」

 瑠々理は止めるが間に合わず、砥上は男たちの一人を後ろから蹴った。

 不意打ちは見事に決まり、しかし、よろける程度。

「ああん、なんだてめーは」

「ッツア。こいつ今蹴りましたよ。生意気っすよ」

「君勇気あるねー。でも、後悔するよー」

 そう言って、茶髪が襲いかかる。大人しい口調の割には意外だ。

 その手が砥上に到達しそうになったところで、瑠々理が掴み止めた。

「全く、魔法で肉体強化できないんですから、あまり無茶はしないでください」

「はは、ついな」

 そういう基礎魔法も、使いこなせない砥上。

「お、凄い美人。君僕達と来ない? そんなひょろぐべっ」

 腕をとられても余裕ぶっていたが、腹に一撃くらってあっさり撃沈した。

「お、おいぐっちん」

「こいつやべーっすよ。まじやべーっすよ」

 逃げるかと思われたが、瑠々理にあっさりのされてしまう。

 逃げる隙もあたえなかった。

「どうだ、俺の右腕は強いだろう。はっはっは」

 何もしていないが砥上は高笑いを浮かべている。

「大丈夫だったか? なあに、悪はより強い悪に滅ぼされるものさ」

「あ、ありがとうございました。助かりました。それでは」

 ぺこぺこと頭を下げて、そそくさと去ってしまう。

 髪の色のせいか、顔の印のせいか、それとも目の前の暴力のせいか。

「請負事務所をよろしくなー」

 去る少女の背中に向けて、砥上はちゃっかり宣伝しておく。

 場所を言っていないので、効果のほどは不明だが。

「そろそろこれくらいの魔法覚えたらどうです? 教科書はないけど、教えますよ」

 倒れている男達を放っといて話を続ける。

「そういうの苦手なんだよなー。でかい水風船から水を少しだけ取り出すというか。やっぱ俺はそのまま投げつける方が好きだ」

「こればかりは感覚によるものが大きいから、仕方ないですね」

 周りの人間には理解できない会話だ。

 それでも周りの人間は倒れている男が気になるようで、騒がしくなってきた。

「そろそろ逃げましょう。利鎌。めんどうなことになります」

「そうだな。正義のヒーローは遅れてやってくるからな」

 そんな言葉を残して、二人はこの場を去る。


「そろそろ暗くなってきたなー」

「そうですね。このあたりで戻りましょうか」

「それもそうだな」

 薄暗くなってきた路地を歩く。その時突然、車のブレーキ音が響いた。

「なんだ?」

 二人は音のする方へいく。その場につくと、既に車は走り去った後。

 小学生くらいの女の子が、犬を抱えてしゃがみこんでいた。

 その身には血の跡。首にはリードがついている。

 おそらく散歩の途中に車に轢かれたのだと、ひと目で分かる。

 周りに人はなく、この騒動に駆けつけるものもいない。

「おい、どうした?」

 砥上は少女に近づき、尋ねた。

「メロが……、メロが車に……」

 多大なショックを受けたせいか、最後まで言えない。

「どれ、見せてみろ」

 砥上がそれらを見過ごすことができないのは、普段の行動からわかる。

 そのまま、犬の様子を確認した。

(あれはどうみても……)

 瑠々理と少女が砥上を見つめる。やがて砥上は首を振った。

 本当はわかっていただろうに、第三者に確かめられることで、理解が追いついたのか、少女は泣き出した。

 瑠々理にはどうすることもできない。

 少女を家に送ってやるくらいか。

 しかし、砥上は違ったようだ。

「瑠々理、これから悪いことをするぞ」

 彼がそう言う時は、大体良い事、人助けをする時だ。

「何をする気なので? これでは、いくら治療をしても」

「治療? そんなぬるいことは言わない。蘇生だ」

 一瞬瑠々理は、砥上が何を言っているのかわからなかった。治癒する魔法なら、瑠々理だって知っているし、多少は使える。

 しかし蘇生ともなれば、それはもう禁呪の類だ。

 いくら対象が動物とはいえ。

「法式、知ってるんですか?」

「ああ、俺のでかい魔力を活かす術を見つけるために、結構探したぜ。まあそれほど、警備は硬くなかったがな。手続きが面倒だっただけだ」

 言われて、瑠々理も思考する。確かに、魔法を勝手に使うだけで捕らえられてしまうあっちの世界では、わざわざそんな禁忌のものを知りに行こうとする者はいないのかもしれない。

 それに、知ったとしても一人では使えないだろう。

 もう一つ、瑠々理には気になることがあった。

「もしそれができたとして、それはその少女を救うためですか?」

 そういうことになるはずだ。しかし、

「いんや、これは神に背く大罪だ。それに、もしここであっさりこの犬が生き返ったら、この少女は動物が簡単に生き返ると、勘違いするだろう。命の重みを感じなくなるはずだ。人間性の成長にも支障がでる。一人の人生を狂わすなんて、こんな悪いことはない。だろう?」

 にやりとして、そんな事を言う。

 少女に聞こえるように言ってしまったら、その言葉の効果が薄れるのだが。

 当の少女は、彼らが何を言っているのかわからないといった様子。

「……ええ、そうですね。あなたは悪い人です」

 瑠々理はそう返す。彼にとっては褒め言葉になる。神にとってはいい迷惑かもしれない。

 口では何と言っても、やることは犬と少女を救うことだった。

「よし、瑠璃子、人が来ないように見ててくれ」

「ええ」

 頷き、少し離れる。確かに、邪魔が入ったら面倒だ。少女や砥上を見つつ、遠くを確認しておく。

 誰も来る気配はない。

 砥上は路上に陣を書き始めた。いつものものより大きく、線や字の量が多い。

「ちょっと、悪いな」

 砥上は一言いって、少女から犬を預かり、陣の中心においた。

 少女は混乱しているのか、流されるままに従う。

 そして瑠々理も聞いたことないような、長く複雑な呪文を唱え始めた。

(本当に、できるんでしょうか)

 砥上の資質は知っているが、それでも不安になる。

 こんな事がほいほいとできたら、世界のバランスが崩れてしまう。

 その不安を打ち消すように、場の空気が変容しはじめる。心なしか、砥上と犬のまわりに光が集まっているような。

 反対に砥上の顔に汗や疲れが見え始めた。

 片膝をつくが、呪文をやめない。

 最後は両膝をつけて、空を見るように仰いで、呪文を唱え終えた。まるで祈るように。

 今度ははっきりとわかりやすく光が降り注ぐ。

 その光が散ったところで、中心にいた犬は、立ち上がった。

「凄い……」 

 瑠々理はその光景をみて、ただ一言洩らす。

「メロ!」

 少女は犬に抱きつく。犬の方も、少女に気づいたようで、嬉しそうに鳴いている。

「はは、どうだ。恐れいったか。わかったら、怯え跪け」

 犬と少女をみて、砥上は言う。へろへろで、今にも倒れそうだが、口調は偉そうだ。

「うんっ。ありがとう、おにいさん。メロを助けてくれて、本当に、本当に、ありがとう」

 極上の笑顔と感謝を貰った。

「けっ、違う。俺が欲しいのは、そんな反応じゃない。まあ、いずれ分かる時が、くるさ」

 そこまで言って、砥上は気を失い倒れる。

「利鎌」

 瑠々理はすぐに駆け寄り、砥上が地面にぶつかるのを未然に防いだ。

「おにいさん、大丈夫なの?」

 瑠々理が突然目の前に現れたことには触れず、ただ砥上の心配をする少女。

「ええ、彼は少し疲れただけです。すぐに元気になりますわ。貴方は、気をつけてお帰りなさい」

「う、うん」

 魔力が底をつき気を失ったといっても、理解できないだろう。瑠々理は砥上がここまで疲弊するさまを見たことがない。

 動物とはいえ、やはり蘇生は重いものだ。

 これが人だったら、一体どれほどのものなのか。

 禁呪だというのに、ついそんな事を考えてしまう。

 少女は言われた通り帰ったので、残されたのは二人。

(急いでベッドに寝かせたほうがいいですね。この陣は、仕方ないので、後で消しに来ましょう。人間が見たところで、オカルト好きが書いたと思うくらいのはず)

 一度陣をみて、それから砥上を担いだまま、全力で事務所に戻るのだった。

 

 事務所にて。

 テレビがある部屋とは別の部屋で、砥上はベッドに寝かされている。

 魔力を使いすぎて、意識を失ったままだ。

「全く、少しは魔法を使ったあとの事も考えて欲しいものです」

 瑠々理がいなかったら、路上に放置されていただろう。

 それだけ瑠々理を信用しているのだろうが。

 手を握り、様子を伺う。ただ心配だから握っているのではなく、たとえ魔力の型が違えど、こうしていれば少しずつ魔力を供給できるはずだ。

 眠っているように静かだ。顔の印、まつ毛、整った顔立ち、やや幼さが残っている。

 それから丸一日、瑠々理は砥上の手を握り続けた。

 魔力を供給し続け、疲労する。瑠々理の魔力は砥上と違って、それほど逸脱したものではない。

 食事は魔力がつきない限り、普通の人間よりはとらなくても平気だ。

 膨大な器に、どれほど魔力が回復したかわからないが、ようやく砥上は目覚めた。

「う、ううん。お、瑠璃子。ここは、……事務所か」

「やっと起きましたね。何があったか、ちゃんと覚えていますか?」

「ああ、勿論だ。少女に悪いことをして、倒れた。悪いな、手間をかけた」

「いえいえ。私は常に、貴方の側におりますので」

「うむ。いい心がけだ。それでこそ我が右腕。……瑠璃子、疲れておるようだな」

「これくらい平気です。食事にしましょうか。体力を回復するにはそれが一番かと」

「ああ、そうだ。出前をとろう」

「それは高いですよ」

「いいさ。こんな時くらい。電話してくる」

 そう言って、砥上はベッドから降り立ち上がる。まだやや身体がふらついている。

 そのまま電話の場所まで行こうとして、まだ手を繋いだままだということに気づいた。

「……おい、もういいから離せ」

「はいはい」

「ふん」

 照れたようにそそくさと去ってしまう。

 一人になった瑠璃子は、ベッドに腕と頭を預けるように、しばらく目を閉じた。

 

 また客のこない平凡な日々。

 テレビでは、グルメ番組や天気予報やニュースが流れている。

 それをぼんやりと眺める砥上と、書類を整理している瑠々理。

「お、これこの街じゃないか」

 砥上が身を起こす。瑠々理もテレビに意識を向ける。

 内容を要約すると、機械が暴れているらしい。

 工事現場のショベルカーや、クレーン車。倒れた電柱もテレビに映っている。

 その近辺のパソコンなども不具合を起こしているようだ。

「はあん。なんだろうな。人間どもが困っているのはいいが、何者のしわざだ」

「雷でも落ちたんじゃないですか」

「そんなんでこんなこと起きねーだろ。それに、そんな話はでてないし」

 人間にこんなことができただろうか。

 それはわからないが、瑠々理はこの後の展開は予想できた。

「よし、街を見回りにいくぞ」

 人を救うのはいいが、瑠々理としては、それよりも砥上自身の安全を考えて欲しいと思う。

「ええ」

 まあ、何か起きたら守ればいいだけの話だ。


 ビルを出て、

「とりあえず、テレビにで言っていた工事現場にでも行ってみるか」

 そちらに向かう。

 特に何事もなく、現場にたどり着いた。

 現場の周りに折れた電柱が見える。これを治すのは大変だろうな、と人事のように瑠々理は思う。

 もしかしたらこの辺で停電でも起きたかもしれない。

 現場はまだ地ならしの段階で、それほど建築物はできておらず、ほとんど更地だ。

 自分たち以外にも、野次馬のような人だかりが来ている。

「なんか殺風景だな。あれが動いたのか」

 大きく無骨なショベルカー。土をえぐりとり別の場所に移動させるもの。

「あんなものが無造作に動いて、人に危害を加えたら大変なことになりますね」

「ああ、俺の下僕の数が減っちまうぜ。原因はなんだ」

 二人は近づき、点検していく。

「見たところ、普通のショベルカーですね。……いえ、少しだけ、感じます」

「何でこっちの世界で、こんなもんが?」

 うっすらと残っていたそれは、魔法のオーラだった。

「もしかして、ここらに雷落としました?」

 じとっとした目で砥上をみる。

「ちげーって。ずっと一緒にいたんだから知ってるだろ。それにこの魔力の型は俺のともお前のとも違う」

「ええ、そうでしたね」

 しれっとそう返す。

「で、どう思う?」

「やはり、他の魔法使いがいるとしか……。たまたま同じ世界ではちあわせたのでしょうか」

 この世界、瑠々理達が産まれた世界の他にも、数多の世界がある。

 何も、島流しにする場所はここだけではないのだ。あちこちの世界に悪者を捨てていく迷惑な魔法の世界。

「俺らを追いかけてきたってわけでもねーだろうしな」

「そもそもそんな事する人に心当たりはありません」

 勿論、個人が勝手に別の世界に行くことも許されていない。

 二人で考えていると、突然目の前のショベルカーが動き出した。

 アームを振り上げ、そのまま二人の位置に振り下ろす。

「危ない!」

 瑠々理がとっさに砥上を抱え跳び避ける。元いた位置は、硬い地面があっさりと削れていた。

「あーあ、外れちゃった」

 高い声とともに、奥、ショベルカーの影から現れたのは、少女だった。

 青いショートの髪、半袖のジャージに青いシャツ。片耳に目立つ石のようなピアス。

 口調のわりに、全然凹んでるように見えず、むしろ笑っている。

 二人はすぐにそれが魔法使いであることがわかった。

 そして、突然動き出した機械にざわめく人々。

「おい瑠々理、この場から人を遠ざけろ」

「人払いの魔法ですか。わかりました」

 砥上はそんな細かいことできないので、瑠々理に任せる。ただ短い呪文を唱えるだけで、それは発動し、すぐに人々が、

「あれ? 何でこんなところにいるんだ?」

 などと口にしながら去っていく。

「へー、うちは別に見られてもいいけどね。たかが人間共でしょ」

「ふん、あの下僕共には、悪の秘密を知るのはまだ早い。もっと深く支配されて初めて、己の世界が侵略されていることを知るのだ」

(本当はこの不穏な少女に巻き込みたくなかっただけですね)

「お前、魔法使いだろう。なぜここにいる。流刑にでもされたか?」

 聞かれて、少女はにやにやしたまま応えた。

「あれ? 知らないの? この世界にばかり、悪い魔法使いを送って、潰し合わせようってことになったんだよ。沢山潰した魔法使いには、魔界の偉い人が優遇措置をとってくれるってさ。ほんと、あいつら自分勝手だよねー」

 優遇措置、犯罪を免除でもしてくれるのか、ボディガード等特別な仕事を与えられるのか。

(何にしろ、あまりあっちの世界の方々の言うことは信じられませんが)

「つまり、お前も向こうの世界から弾かれたのか」

「そうね。潰し合わせるのが目的だから、皆その説明は聞いてるはずだよ。あんた、聞いてないの?」

「……」

 砥上は答えない。

 砥上と瑠々理が送られた時は、そんな説明はなかった。普通の流刑として送られただけだ。

 どうやら巻き込まれたのは、人間ではなく瑠々理達の方だったらしい。

 それとも、他にも何かあるのか。

「まったく、変に複雑な陣が張ってあったから、できればこの辺で会う魔法使いは一撃で仕留めたかったのに」

 砥上が書き、瑠々理が消し忘れていたあの陣のことだろう。

 何の魔法かまでは理解できなかったようだが、警戒させてしまった。

「つまり、お前は俺と戦う気か」

「もっちろん。うちはどんどん戦果をあげて、ご褒美もらっちゃうもんね」

「ふ、ふふふふ」

「利鎌?」

 感極まったように、不敵な笑みをもらす砥上。

「いいだろうっ、お前と俺、どちらが格上の悪党か、教えてやろう」

 やる気満々らしく高らかに宣言した。

 確かにこの戦いを勝ち抜けば、自他共に認める強い悪になれるだろう。

 そして優遇措置。名は広まる。

(しかし……)

 砥上は大魔法しか使えない。発動まで手間がかかる。体力も人間より少しあるくらい。

 一対一では、とても勝てそうにない。

(と言っても、一対一でないといけないわけではなさそうですね)

 少女も砥上の言葉をうけて、構える。お互いが臨戦態勢に入った。

 すぐさま少女は魔法を発動する。

 呪文も陣もみるかぎり無い。ただピアスがぼおっと光っただけ。

 直後、少女の周りが髪の色と同じように青白く光った。

 さらに、スタンガンのような音。

「電気の魔法、ですか。そのピアスで、術式を省略しているのですね。しかし、よほど使い慣れた魔法でないと不可能なはず」

「そんなものもあるのか」

 砥上は初めて知ったように、妙に納得している。

「そう。よく知ってるね。ほら、いくよっ」

「ぐは」

 余裕ぶって会話してはいても、少女が何をしようと瑠々理は初撃を止めるつもりでいた。

 しかし、少女はあまりに速く、瑠々理が止める間もなく、砥上をふっ飛ばしてしまった。

「よわっ」

 グーを突き出した姿勢で止まった少女が、驚いている。

「こんなのただの牽制。普通の魔法使いだったら、多少痛い程度で倒れることもないのに、なんなのこの男」

(確かに普通の魔法使いだったら魔力強化していますからね。しかし、速い割に威力はないんですかね)

「はん、なかなかやるじゃねーか」

 地面に倒れた砥上が、ゆっくりと起き上がった。

 衝撃のダメージが残っているのか、ふらふらしている。

「あの陣、ほんとにあんたが書いたの? でも、一応魔力の型はあってるみたいだし……」

 この弱さと、あの陣とのギャップを感じているのだろう。

「あれは偉大なる悪事の痕跡だからな。注目したい気持ちもわかるぞ」

 ふらふらのまま強がりのように言う。

「利鎌、あとは私がやりますよ」

「はん、そこまで言うのなら仕方ない。行け、我が右腕よ」

 瑠々理の提案を、あっさりと受ける砥上。誰がどうみても、手に負えない少女を女の子に任せている図だ。

「うちは別にいいよ。どうせ両方潰すんだしね」

 少女も瑠々理に向き直る。もはや砥上は眼中にないといった様子。

「ほらよっと」

 また先程とおなじ一撃をくりだした。咄嗟に瑠々理は手のひらでそのパンチを受け止める。

 先ほどのように体ごとは間に合わなくても、手で止める事はできた。やはり、重みのないパンチ。

「そうよね。普通なら、全然効かないわよね。それでも、受け止められたのは初めてだったけど」

「随分速いですね。その電気と何か関係が?」

 戦いの最中にも構わず尋ねる。

「関係は、あるわね。大したことじゃないけどねー。周りと自分の磁界をちょっといじっただけよ」

(詳しくは知りませんが、リニアモーターカーのようなものでしょうか)

「いつっ」

 まだ手を合わせていたが、受けていた手に痛みが走る。

 素早く少女から離れ、自身の確認。手を少し振る。しびれて動きが鈍い。

「さあ、どんどんいくわよ」

 少女がふっと目の前から消えた。かろうじて見えたのは、右側への移動。

 だが、右を向いても姿は見えない。と思ったら、その右から衝撃を受けた。

 ぐるりと円を描くように元々向いていた方の後ろへ回ったか。

 いや。

 初期位置と、右の強く残った足あと、さらにその右も。

 もしかしたら、直線にしか動けないのかもしれない。

 つまり円ではなく菱形。

「くっ」

 右腕に受けたのは衝撃だけでなく、電気による痺れもだった。二度も受けて満足に動かせなくなる。

 さらに、少女の行動に推測を立てている内に、背中にも一撃。

 上半身が、五割ほど重くなったように感じる。

 余裕そうに、少女は瑠々理の目の前に戻ってきた。

「どう? 随分動きにくくなったでしょ。我ながら便利だわ、この魔法。そろそろ必殺技と行こうかしら」

 確かに言うとおり、この状態では元のパフォーマンスは発揮できそうにない。

 少女が手のひらを向け、さらにバチバチと電気が流れるように音を放つ。

 その先にはショベルカー。

「こっちの世界にこんなイイモノがあってよかったわ。今のあんたに避けられるかなっ。ん?」

 そのまま瑠々理に向かわせると思われたが、ショベルカーはキャタピラを回し、別の方向へ向かう。

「と、利鎌っ」

 その方角に焦る瑠々理。

 しかし、あっという間にたどり着き、振り下ろし、地面を抉った。

「うおっ」

 間一髪避ける砥上。だが、せっせと書いていた地面の陣は見事にぐしゃぐしゃにされてしまった。

「あんたこそこそ何してんのよ。あっ、わかった。この女に時間を稼がせて、その間に魔法使おうとしたのね。そうはさせないんだから」

 さらにアームを振り下ろし続ける。砥上が一撃でも食らったら、皮膚が裂け骨が折れ、四肢がもげるかもしれない。

 なんとか必死に避けている。

 重い体を動かして、操作に集中していた少女に近づき、瑠々理は左腕で、裏拳のように殴り飛ばす。

「利鎌っ」

「瑠璃子」

 少女が倒れているうちに、呼び合い目を合わせる二人。

「いたた、まだそれだけ動けたのね」

 少女が起き上がると、砥上は脱兎のごとく逃げ出していた。

「あ、待ちなさいよあんた! いいの? あんたの相方逃げたけど」

「問題ありません。貴方一人くらい、私だけで何とかなります」

「ふ、ふうん」

 あっさり言われて、口の端がひきつる。

「だったら、もっと徹底的にやってあげるわよ」

 少女は掛け声とともに、消え去る。

 怒りのせいか速度があがり、瑠々理には見えない。

「ぐ」

 今度は左腕、さらにまた背中。

 腹にも一撃。

 嬲るように、じわじわとせめてくる。

 これでも瑠々理は、砥上の側にいられるため、砥上を守るために鍛錬をしてきていた。

 しかしそれでもここまで一方的にやられては。

 だが、身体のダメージとは裏腹に、頭は働く。

「なっ」

 瑠々理は少女が動く直前に身体を反らし、攻撃を避けた。

「これだけ直線的なイノシシなら、予測して避けるくらいできますよ」

 息を整えながら、淡々という。

「強がっちゃって」

 さらに少女は攻撃を続けるが、当たらない。加速するほんの一瞬前に、目標の位置がずれる。

 フェイントをかけようとするが、そもそもそんな細かい芸当はできない。

「このまま続けますか? そろそろあなたの魔力も減ってきたのではないですか」

「なによ偉そうに。だったらこれよ」

 少女はその場から高速で遠ざかり、ショベルカーを動かす。

 さすがにその一撃は少女のものとは比べ物にならない。

 しかも予測の再計算をしなければならない。なるべく安全に、身体を大きく動かし避けに入る。

 その分体力の消費も激しい。

 キャタピラの音と地面が削れる音が響く。

 身体の痺れ、地面の悪化、アームを伸ばしての回転行動。

 ショベルカーの可動域から動きを予測し、なるべく荒れていない地を選びぬく。

 しかし状況は悪くなるばかり。

 仮に反撃できたとしても、機械にどれほど効果があるのか。

「しぶといわね」

 瑠々理は痺れ邪魔な腕を折りたたむようにしながら、足だけでかわしてく。

 いつまで続くかと思われたが、瑠々理が声をかけた。

「随分、暗くなって来ましたね」

「そうね。そんなに長く戦ってたかしら?」

 少女は答えつつ、空を見ると、

「な、なによこれ。雲?」

 さきほどまで晴れていたのに、今は暗雲が立ち込めていた。そのせいで二人は影に包まれている。

「どうやらそろそろ終わりが近そうです」

 長く避け続けていた瑠々理は嘆息するように呟く。

「?」

 訝しがる少女。その背中、当たるかギリギリのところに、雷が落ちた。

 音が鼓膜を打ち、地面はショベルカーの一撃など比ではないほど削れ、閃光は視界を覆い尽くす。

 この雷にくらべれば、少女の電気など月とスッポンだ。

「きゃあああ」

 少女のそんな声も誰にも聞こえない。

 その神の鉄槌のような一撃が去ってみると、少女は頭を抱えてしゃがみこんでいた。

 瑠々理は後ろにある低めのマンションを見る。

 そこの屋上で、砥上が手を振っていた。

 瑠々理がひきつけている間に、砥上は少女に邪魔されず、かつ見やすい位置まで行き、大魔法を発動させたのだ。

 少女がショベルカーの操作に集中していたので、狙いがつけやすかったはず。

 最初から瑠々理は砥上が逃げたなどと思っていない。

 あの時目を合わせただけで、この作戦は決まっていた。

「次は当てる、そうですよ」

 トドメの一言。

「や、やめて、もう降参よ」

 少女は元々気が弱かったのか、震えつつ頭を抱えたままだ。

 次の一撃を放つ魔力を砥上が残しているかわからないが、それを少女は知らない。

 こうして砥上、瑠々理は勝利を収めた。

 

「よー。うまくいったみてーだな」

 少女に受けたダメージは回復しているだろうが、魔力の使いすぎでふらついている砥上が戻ってきた。

「ええ」

 瑠々理は治癒魔法を自らにかけつつ、砥上を迎えた。

「負けたわ。やっぱり、あの陣あんたのだったのね。あんな凄い魔法、なんで使えるのよ」

「それは俺が偉大だからだ。格の違いを知っただろう? 悪としても魔法使いとしても」

 ふんぞり返る砥上。

(胸をそらし過ぎて、倒れないでしょうね)

 瑠々理は一人そんな事を心配する。

「ふ、ふんっ」

 言われて、少女はそっぽを向いてしまった。

「まだよく知らねーんだが、この戦い、負けたペナルティはねーのか?」

「そんなちゃんとした管理、あっちの魔法の連中はしてないわよ。怪我したり、死んだり、そもそもこの世界に飛ばされたこと自体ペナルティみたいなものよ。なんなのよここ。ただ生活するだけで精一杯。食べ物も落ちてないし」

 もうこの世界に慣れた瑠々理達にとっては今更だが、最近来たばかりの少女には辛いようだ。

 たしかにゴミばかりで、食べられるものはほとんど落ちていない。

 木々の生い茂る場所まで行けばまた別だろうが。

「はん、だったら店を襲撃すればいーじゃねーか」

 自分では絶対やらなそうなことを砥上は勧めた。

「やだよ。いっぱい人が追いかけてくるんでしょ。それに指名手配されたりして。蹴散らす魔力がもったいないわ。それは最後の手段」

 最後にはするつもりだったようだ。

「つまりお前は弱っちくて一人で生きるのも大変、と」

「……」

 わざわざ意地悪なことを言う砥上に黙る少女。

「だったら、俺の事務所に来い。悪の秘密結社の部下にしてやる。まずは平社員だな」

 手を広げ、迎え入れるように言う。

「いいんですか?」

 突然のその発言に、まず瑠々理が尋ねた。

「ああ、お前も、部下がいたほうが楽だろう。それに悪の親玉には軍勢がふさわしいからな」

「そうでしたね」

(全くこの人は……)

 困っている人を見過ごせないのだろう。自然と小さく微笑む瑠々理。

「事務所?」

 今度は少女が聞く。

「普段私達は請負事務所という場所で寝泊まりしています。現在従業員は私と彼のみ。最も、客は全く来ませんが」

 キャリアウーマンのようにきりっと説明する。

「そういえばあんたたちは、今回の件でここに来たんじゃなかったっけ。ずるいわよ。先に暮らしてて、この世界に慣れてるなんて」

「んなこと言われてもな。こんな事が起きるなんて知らなかったぜ」

「その事務所って……シャワー、ある?」

「ええ」

「ふん、仕方ないから、その提案に乗ってあげるわよ。言っとくけど、一対一なら負けてないんだからねっ」

 と砥上を指さして言う。

「はん、威勢のいいチビだぜ」

「チビって言うなーっ」

「なら、名前はなんて言うんだよ」

「えーと、なんだっけ、そうそう、神名内美鳴みなうちみなりよ」

 当然のように偽名。最近考えたのか、一瞬忘れていたようだ。魔法使いが本当の名前を呼び合う事はめったにない。

「美鳴、ね。なるほどなるほど。喜べ、貴様は我が悪の軍団の第一号だ」

 瑠々理は右腕なので、例外。

「……ところで、なんであんたそんなに悪くなることにこだわってんの」

「気にしないでください。そのうち慣れます」

「なろうとしてるんじゃなくて、俺の悪は既に君臨しているぞ」

「あ、そう」

 さほど興味がなかったのか軽く流す少女。

「では、行きましょうか。案内しますよ」

「どんな所なのかしら」

 神名内と瑠々理が歩き出す。あとに続く砥上。

 

「へー案外広いのね。でも外から全然目立ってない。これじゃあ客が来るわけもないわね」

「何を言う。俺の悪名を聞いてくるものはちゃんとおるぞ」

(その結果が例の潰れた豪邸なんですが)

 三人は事務所についた。神名内はあちこちを見て回っている。テレビにも興味をしめしていた。

 触ったり、スイッチをいれたり、電気の魔法で操りチャンネルを変えたり。

「壊すなよ」

 砥上は一応注意しておく。

「貴方は、どうしてこの世界に送られたんです?」

 あまり悪そうに見えない神名内に、瑠々理は尋ねる。

「これのせいよ」

 そう言って、片耳のピアスを見せた。

「怪しげな人がこれの便利さとお得さを熱弁するから、つい買っちゃって、ただつけるだけじゃもったいないから使ってみたらすぐに奴らが来て」

 ふう、とため息をつく神名内。

「それでそのまま。何なのよ一体」

「ふむ」

 おとり捜査のようなものだろうか。それとも、この戦いの数合わせか。

「はは、そんなのに引っかかったのか」

「笑うなーっ」

「なら、お前は全然悪くねえじゃねえか。どおりで負けたわけだ」

「なんなのよその理屈は」

 呆れたように突っ込む。それでも、人に悪くないと言われて、まんざらでもなさそうだ。

「では、お風呂にします? ご飯にします?」

 一段落ついたので瑠々理は尋ねた。まるで新婚の妻のように。

「う、ご、ううん、お風呂!」

 どちらも切実にしたいらしく、悩みぬいて応えた。女の子らしいといえる選択。

「わかりました。こちらですよ」

 瑠々理はシャワー室に連れて行く。ただ湯船まではついていない。

「ここをひねるとお湯がでます。服はこちらのカゴに」

「へー、湯煎ツムリがいなくてもお湯がでるんだ」

「ええ、こちらの世界ではこれが常識みたいですよ。代わりの服は乾くまで私のものを着てください」

「へへ、あんた優しいのね」

「いえ、ここまで来たからには当然のことです」

 そして瑠々理は部屋に戻った。シャワーの音が聞こえる。

「大人しく入ったみてーだな。まだ一人目だが、悪の軍としては百人以上は欲しいところだよな。はは、そうなったらここにゃ入りきれねーか」

「それだけいたら、兵糧も大変ですよ」

「なあに、そんときゃ俺がなんとかするさ」

 砥上の言うとおり、そんな事もできたか。しかし、

「また倒れても知りませんよ」

「お前がいる限り大丈夫さ」

「全く」

 それからぼんやりといつものようにテレビをみていたら、神名内が戻ってきた。

 その格好は、サイズの合わないシャツにずり落ちそうなズボン。

 特に胸の差のせいか上は危険なはだけ方になっている。

「ちょっとこれ」

「うはは、なんだその格好、誰にサービスしてんだ」

「うっさいわね。しょうがないでしょ」

「すみません。配慮が足りず」

 そう言って瑠々理はベルトを持ってきて、なんとか締める。

「配慮されてもむかつくけどね。はー、なんでそんなあちこちでかいのよ」

「当然だ。俺の右腕だからな」

「日々の鍛錬と、それに見合う高カロリー高タンパクの成果ですかね」

 砥上と違い真面目に答える瑠々理。

「ほんとに? うちも一緒のメニューしてみようかな」

「それは構いませんよ。そろそろ食事の準備をします」

 瑠々理は部屋を出ていく。戦闘で受けた傷はそれほど深くなく、ここまでで完治していた。残された二人。

「あの雷、あんたがやったのよね。あんなこと、一体どうやって」

「俺の中の偉大さが溢れでたのだ」

「やっぱり、魔力が凄いのね。あんなに一度に消費しなくても、普通の魔法使いのように使えば、もっと強くなれるんじゃないの」

 自身の手を見る神名内。魔法の差を痛感しているかのようだ。

「はん。そんなもの俺の性に合わない。まあ強いて言えば、あれを使えるようになるまで相当の年月を費やしたがな」

 そういう砥上をじっと見つめる神名内。

「……ねえ、腕相撲しない?」

「いやだ。結果が見えてるだろう」

 魔力強化をしている者としていない者。

「ふーん。逃げるんだ。まあしょうがないよねー。魔力強化もできないんじゃ、うちみたいな女の子にも負けちゃうもんねー」

「いいだろう。そこまで言うなら、やってやろう。悪い俺としてはそんな勝負を踏みにじることもできるが、どうしてもこの俺と手を触れ合いたいというのならしかたない」

「どうしてもです」

 誰がどう聞いても棒読みだ。お互い机の上に手を合わせた。

(ふふん。さんざん弱いだのチビだのいわれた雪辱戦よ。魔力強化の力を改めて思い知るがいいわ)

「いくわよ。レディ」

「あ、ここからだと胸元丸見えだぞ」

「なっ」

 目線の高さの差、近い距離、ゆるいシャツ。見えてもおかしくない。

「はい。俺の勝ち」

 焦り慌てた神名内の手をあっさりと倒し、机につけた。実際に見えたのか、心理戦なのかは、砥上だけが知ることだ。

「ず、ずるいわよっ」

「勝ちは勝ちだ。お前もそんな魔法に頼ってないで、少しは頭を使ったほうがいいぞ。電気の方もな。上司からのありがたい忠告だ」

「うぬぬぬ」

 そんな風に遊んでいたら、瑠々理が二人を呼ぶ。

 机に、三人なのに五人分はありそうな料理が並んだ。量の割に速い。

「一人増えたので、普段より多少増やしました。足りなかったら言ってください」

「うわあー」

「美鳴、よだれでてんぞ」

 悪ぶってはいても律儀にいただきますをして、三人は食事をはじめた。

 特に屋上まで全力で走って体力を使った砥上と、日常で簡素な食事しかしていなかった神名内は、勢いが凄い。

「あっ、それうちの」

「ふはは、遅い」

「慌てなくてもまだありますよ」

 すっかり神名内は馴染んでいる。砥上の物言いのおかげなのか、瑠々理の気遣いのおかげなのか。

 新しい住人との初日はそんな風に終わった。


 彼女、現在高校二年生。

 彼氏、同じく二年生。

 彼女は現在困っていた。彼氏が誕生日に、手作りチョコを希望したのだ。

 それは良い。甘党なのは知っている。変にお金で買えるものより、手料理を希望されたのは嬉しかった。お菓子づくりだってそれなりにはできる。

 しかし、材料がないのだ。

 彼女が住んでいる街である日突然、チョコが消え去った。

 もうほかの街まで買いに行く時間もない。そもそも残っているかもわからない。

 時間ぎりぎりまで街の店を回ったが、見つからなかった。

 街の他の人も、チョコがなくなったことに驚き嘆いている。

 赤髪の少年も、店員に騒いでいた。それを金髪の女性が窘めている。

 横から青髪の少女がからかい、それに言い返す赤髪の少年。

 つい変な集団に目を奪われてしまったが、現状に目を戻す。

 どうしても、チョコが良かった。他のお菓子や品物で代用するのは違う気がした。

 途方にくれ、店をあとにしようとした時、それが目に入った。

 

「なんか今日、皆騒いでるね。チョコが無くなったとか」

「うん。それでね、誕生日プレゼント、どうにもならなかったの」

 彼女は彼氏を呼び出した。

 彼が褒めてくれた、お気に入りのトマトの髪飾りをつけて。

 人気の無い公園。お互いに学校の夏服のまま。

「そっか。でも、そんなに気にしないでいいよ。こんなこと、予想できるはずもないしね」

「ううん、せめて、私の気持ちだけでも受け取って」

 彼女はそう言って、彼氏のうでをとり公園の水場まで移動する。

 そして、隠し持っていた歯ブラシと、チョコ味の歯磨き粉で軽く歯を磨く。

 彼氏は不思議そうにその行為を眺める。

「誕生日、おめでとう。ん」

 彼女は頬を染めながら、目を閉じ、キスをせがむような姿勢をとる。

 彼氏もそのポーズに、彼女の狙いがわかった。

 二人は唇を重ね、さらに――。

 

 他にも、日課のようにチョコを食べ続けていた青年や、チョコパーティーをしようとしていた若者たちや、チョコケーキの研究をしようとしていたパテシェも頭を抱えていた。

 思わず電車で遠くまで行き、砂漠で得た水のように嬉しそうに頬張る人も。

 時間は少し遡る。

「別にチョコじゃなくていいじゃない。ほら、クッキーとかあるよ」

「ダメなんだよ。お前もテレビで見ただろ? あのチョコ特集をみたら、誰だってチョコが食いたくなるはずだ」

 砥上と神名内が、スーパーのお菓子売り場で言い合っている。

「すみません。お騒がせして。しかし、どうして急にチョコだけが無くなったんでしょうか」

「それが、私共にも全くわからなくて。泥棒が入った様子もないし」

 瑠々理は店員に謝っていた。

 店員も商品が用意できないのを、申し訳なさそうにしている。

 しかたなく、三人は店を出た。

 不満足そうにクッキーを食べる砥上と、反対に嬉しそうに食べる神名内。

「美味しいじゃない。これ」

「そりゃあうめーけどさあ。なんか違うんだよなあ。ったくどこのどいつだよ。チョコを盗んだ野郎は。恐ろしい悪っぷりだぜ。もしかしたら、俺と同等かそれ以上……」

「何言ってんのよ。クッキー、いらないなら全部食べていい?」

「だめだ」

「もしかしたら、同等かもしれませんね」

 瑠々理はこの件を真面目に考えている。

「そうか? さすがに今の俺じゃあ、そこまで悪い自信はねーんだが。無論、未来の俺なら余裕で超えている」

 砥上は自信がないといいつつ胸を張っている。

「いえ、その事ではなくて、犯人は同じ魔法使いだということです。でなければ、これだけの規模でチョコを盗むなんて不可能です。この世界の人間にそこまでの力があるとは思えません」

「はん、そういえば、もうこの世界には魔法使いが何人もいるんだったな。すっかり忘れてたぜ」

「うちが目の前にいるでしょーが」

 神名内が存在をアピールするが砥上はどこ吹く風。

「だったら、俺らが潰さねーとな。悪人には悪人を。魔法使いには魔法使いを、だ」

「ならば、探しましょう」

 三人はのんびりした帰り道から一転、街へと繰り出した。

 しかし、街は広い。徒歩では探せる範囲も狭く、なかなかみつからない。

「はー、見つからねえ。そもそもどこにいるか検討もつかねえ。美鳴、お前の電気で、なんか索敵みたいなのできないのか?」

「そんな事できないわよ。うちができることはほとんどあんた達との戦いで見せたわ」

「ああ、あのひょろいパンチと機械を操る、だっけか」

「そのひょろいパンチでふっとばされたのはどこのどいつよ」

 興奮してきたのか、神名内の周りでばちばちと音が鳴り出す。

「機械、ですか」

 思考に入る瑠々理。

「この世界にこんなに電気で動くものがあるとは思わなかったけどね」

 あちらの世界では、もっと幅の狭い魔法だったことだろう。

「それなら、あれ、使えますか?」

 瑠々理は上の方を指さした。そこには、街を見守る監視カメラ。

「なに? あれ」

「機械ですよ。あそこから見た映像を、別の場所で監視して、犯罪を防ぐ装置です。こちらの世界ではこうしているみたいですね」

「確かに機械だけど……」

「まあ、ものは試しですよ」

 怪訝な表情のまま、神名内はそのカメラの元にいく。瑠々理が指示したコードに触れ、魔法を発動。

「ん? んー、なんか、過去の映像が残ってるわね」

 このカメラが見続けたものだろう。神名内は目を閉じ集中する。

「怪しい者はおりましたか?」

「えー、なんか人間がたくさん通ってる。んんん」

 じっと答えを待つ砥上と瑠々理。

「あっ、変な女の子が、袋にチョコを吸い込んでる。周りは誰も気に留めてないわ」

「不可視の魔法でしょうか」

「そんなのもあんのか」

 砥上は知らなかったようだ。

「ええ、人払いの応用ですね。しかし、魔力を持たない者にしか効果は無いでしょう。魔法使いまで欺くとなると、相当な難度ですから」

 現に、機械を通してとはいえ、神名内には見えている。

「なるほどね」

 それについてなにか思うところがありそうな砥上。

「この変な女の子、あっちにいったわ」

 目を閉じたまま、神名内が方向を指さす。当然そちらをみても、影も形もない。

「その映像がいつ撮られたものかわかりますか?」

「えーと、この日付は、今日の朝頃ね」

 数時間は前だ。もうかなり離れているかもしれない。

「わかりました。では、何度か同じ事をして、位置を特定しましょう」

 それから、三人は街をまわり、カメラをチェックしていった。

 主に人通りの多い所に設置してあり、店を転々とする女の子もよく映っていた。

「なかなかやるもんだな。上司として鼻が高いぞ」

「ふん、もっと褒めなさい」

 段々と、映像の時刻と現在の時刻が近づいていく。つまり、位置が近いということ。

 街の外れ付近まで来て、ようやくその姿が見えた。

 もう夕日が眩しい時間だ。

 その赤みに白を混ぜたような明るいピンクの髪。二つに分けて結い、肩から前側に垂らしている。

 夏だというのにゆったりした長袖の上着に長めのスカート。サンタのように、大きい袋を手に持っている。

 そんな少女が、袋からチョコをとりだして食べていた。

「あの子、みたいですね。確かに、不可視の魔法が身体を覆っています」

「うん。カメラに映ってた子だよ」

「ふえ?」

 少女が声につられて、こちらを向いた。街中のチョコを奪い取ったわりに、体型は普通だ。

 ただ、胸は大きい。ゆったりした服の上からでもわかるほど。

「魔法使いさん? はじめまして。私は譬喩歌ひゆかひゆだよ。こんにちはー? こんばんはー」

「これはご丁寧に。私は瑠々理瑠璃子といいます。こちらは砥上利鎌。そして神名内美鳴」

「ど、どーも」

 瑠々理と神名内が応じる。

「っておい。のほほんと挨拶を交している場合か」

「あ、それいいなー。今日はチョコの気分だったけど、口直しにちょーだい」

 のんびりとした口調でそういったかと思うと、食べ過ぎないように瑠々理が持っていたクッキーを魔法で引き寄せ奪い取った。呪文は短縮しているのか、ひとつの単語のように聞こえた。

 口調と違い速い。

「うーん。美味しい」

 勝手に食べてしまう。サクサクとした食感だろう。

「あーっ。うちのクッキー。勝手に食べるなーっ」

「ひうっ。またやっちゃった。つい目の前に食べ物があるとね。ごめんね」

「やはり、お前がここらのチョコを全て盗んだのか。何処へ隠した?」

「全部たべちゃっただけで、隠してないよー。あとはここにあるのだけ」

 悪びれる様子もなく、朗らかに笑っている。見ているだけで、それが悪いこととは思えなくなってしまう。

「た、食べた? どこかに保管してるでもなく?」

「美味しかったよー」

 チョコだけとはいえ、一体街中のものを集めたらどれほどの量になるのか。

 一つの店だけでも、大変な量だろう。

 それが、この小さいお腹に収まったという。

「そんな馬鹿な。いくら魔法とはいえ、限度があるだろう」

「魔法? 魔法は使ってないよう。私が使えるのはー。初歩的なものとー、食べ物を引き寄せるためのものとー、こっそり食べるためのものとー、あとひとつだけ。美味しい物なら、いくらでも食べられるでしょ?」

 三人とも黙る。

 でしょ、と言われても困ってしまう。体質、のようなものだろうか。

 使える魔法を簡単に話したのは、油断させるためかそれとも単に頭がゆるいだけか。

(彼女には悪いですがおそらく後者でしょう。しかし、まだ何か隠している様子)

 油断しないように様子を伺う瑠々理。

「と、とにかく、俺のチョコを勝手に食ったのはゆるせん。おしおきさせてもらうぞ」

「あれー? 君のも取っちゃってたっけ」

「いえ、まだ購入する前でしたが」

 どっちの味方なのか、瑠々理は冷静にツッコミを入れる。しかし、このまま譬喩歌を放っといていては、困る住民が増えるのも確かだ。

「はん。この街の物は俺の物なんだよ。よし、いけっ、美鳴っ」

 譬喩歌をびしっと指さし、命令する。一瞬、場が静かになった。

「え、ええー。なんでうちなのさ。そりゃあ、今更逃げたり裏切るわけでもないけどさ」

「無論、階級順だ。戦闘員Aとして戦え」

 砥上はそういうが、思う所がある瑠々理。

「利鎌、彼女は……」

 ひそひそと譬喩歌や神名内に聞こえないように耳打ちする。神名内は索敵で魔力を使っているので、全快ではないということについて。

 譬喩歌に聞かせないのは当然、敵だから。神名内には、砥上が恥ずかしがる事を予測して、聞かせない。

「そうか。そうだったな。よし、いけ瑠璃子」

 砥上がそれでも神名内に戦わせるとは思わない。戦闘態勢にはいる瑠々理。

「あれ? うちは?」

「お前はコテンパンにされるだろうから、そこで戦いを見ておれ。勉強だ」

「な、ななな」

 酷いことを言われて、言葉も無い神名内。こうなるのも予測しておくべきだったかと、瑠々理は少し後悔する。

「えー。戦うの? あ、でも勝てばご褒美もらえるんだっけ。ここに連れてこられた時、そんなような事聞いたなー。私、この戦いに勝ったら、もっと美味しい物食べるんだー」

「一回勝っただけじゃ貰えないですよ」

「えー。そうだっけ。まーいいや」

 袋を置き、構えているのかいないのか、ぼんやりと立っている。

(何を隠しているかわからない以上、早めに終わらせたいですね)

 瑠々理はそもそも接近戦が得意だ。発動の遅い砥上を守るためでもある。

 譬喩歌が何かしでかす前に、素早く近づき、後ろにまわり首筋に手刀を入れた。

「あう」

 しかし、倒れない。というか、魔力の厚さに威力を軽減された。

 魔力強化。文字通り魔力で強化するので、質や量に大幅に左右される。

 瑠々理も鍛錬によって大分質を高めているが、譬喩歌のものはそれを上回っているようだ。

 器は砥上のような例外を除けば、大差ないはず。

(例外。彼女はそれこそ例外のように物を)

「良かったー。今日はいつもより沢山食べてたからあんまり痛くないや」

 譬喩歌は言いながら自身の首をさする。

 戦闘中に、物事を考えすぎた瑠々理。悪い癖が出た。そのせいで、譬喩歌の行動に対し反応が遅れた。

 ぱっと手を広げ、さらに例の物を引き寄せる魔法を唱える。引き寄せる力は瑠々理が重いせいか弱かったが、その力にも驚き、なお反応が遅れる。

 一瞬のうちに、二人は抱き合う形になった。

 そして、

「いただきます」

 と囁き、瑠々理首筋に、吸血鬼の吸血行為のように口をつけた。

 もっとも歯を立てておらず血も出ていないが、舌を這わす。

「な、なにを」

 不思議なねっとりとした感触。ぬるぬるとして熱い。

「んっ、やめっ」

 思わず変な声が出てしまう。

 すぐに離れようとしたのだが、力が出ない。というよりこれはむしろ、魔力が出ないという感じだ。

「瑠璃子っ」

 砥上の声が届く頃には、全身の力が抜け、その場に倒れ伏してしまう。

 身体が全身疲労のように動かない。

「あー、美味しかった。とっても強い意志を感じる魔力だったよー。芳醇で洗練されてて、情熱的で」

 満足そうに瑠々理の魔力の味を語る。

 譬喩歌の最後の魔法。あらかじめ陣をセットしておいた舌で相手を舐める事で、その魔力を食い、我が物とする。

 はしたないのであまりしないが、舌を全部出すと、小さい陣が見える。

 呪文は、偶然なのかこちらの世界での、いただきます、と同じように聞こえるものだった。

「と、利鎌」

 なんとか瑠々理は力を込めるが、その言葉を発するのがやっとだ。

「ど、どうするの。やられちゃったよ。うちが時間稼ごうか?」

「いや……、お前だって接近戦タイプだろう。それに、それ以上魔力を失うと危険だぞ」

 砥上は瑠々理が倒れたせいか声が若干震えている。

 しかし、冷静に神名内を止めた。

 瑠々理と譬喩歌の間に何が起こったか、見ている側も理解できたようだ。

「来ないの? じゃーこっちから。と思ったけど、先にこれ片付けちゃおっと」

 そう言って、譬喩歌はチョコの詰まった袋の方に身体を向けた。

 そして食べ始める。砥上らからは口元が見えないが、どんどん量が減っているのがわかる。

 一時の空白の時間。

 しかし案が浮かばないようで、砥上も神名内も動きが止まっている。

 砥上の天候を操る魔法は時間がかかる。それに元々、小さい的に当てるのは難しい。

 周りにも被害が及ぶ事が多い。

 神名内の機械を操る魔法でも、周りにそんなものはない。

 疾風のごときパンチでも、この相手では一撃で倒せなければ逆に危険だ。

 チョコがなくなりかけた時、瑠々理は休んだ分言葉を紡いだ。

「利鎌、私は、貴方の器を信じていますよ」

(最後まで、ちゃんと、聞こえたでしょうか) 

 意識が途切れそうになりながらも、ぎりぎりまで思考を続ける。

「はん。なるほどな」

 さすがに付き合いが長いので、目と短い言葉だけで伝わった。

「え? え?」

 神名内は何が何だか分からないといった様子。

「ふうー。甘くて香りが良くて、クリーミーだったり果物の味がついてたり、気づいたらあっという間になくなっちゃった」

 満足そうに頷く。そして、譬喩歌は振り返った。

 空になった袋。チョコの包装紙も消えている。

 まさか食べたのだろうか。

「さ、次は君たちだねー。どんなお味なんだろう。楽しみー。でも、頑張らなくちゃ。負けたらご褒美もらえないもんねー」

「いや、勝つのは俺だ」

 自信満々にそう言って、うでを突き出す。そのポーズを不思議そうに眺める譬喩歌。

「ほら、舐めたきゃ好きなだけ舐めろ。俺の方が悪としても魔法使いとしても器がでかいってこと教えてやるよ」

 前半の台詞はただの変質者に聞こえなくもないが、突っ込むものはいない。

「いいの? いくら打つ手がないからって、そんな自爆みたいなこと」

 神名内が心配そうにしているが、砥上はポーズを変えない。

 しかし、譬喩歌は予想外の反応を示した。

「えへへ。男の子を舐めるなんて、そんな事できないよう。そっちの子はいいんだけどね。君は別の方法を考えるよ」

 頬を指でかきながら、ゆるく恥ずかしがっている。

 だからといって、直接的な行動にこられたら、砥上は不利だ。

 だが砥上にはまだ手がある。

「ならばしかたない。お前には、俺の最高の料理を食わせてやろう」

「えっ。お料理? 食べたいなあ」

 ゆっくりした口調は変わらないが、それでも目を輝かせて、興味津々なのが見て取れる。

「料理? あんたそんな事できるの?」

「まあ見ておれ。お前も、食べたかったら少し待て」

「はーい」

 手をあげ元気よく返事をする。

 戦いの最中に相手の料理を食うなど有り得ないことだが、譬喩歌は違っていた。

 複雑だが砥上は急ぎ陣を書き始める。

 やがて書き終え、呪文を唱えると、光とともに、現れた。

 路上をうめつくさんとばかりにさらにのった料理の数々。

 こっちの世界に似たものも多い。ざっと百人分か。

「うわあー。すっごーい」

「まだまだ出せるが、とりあえずこんなもんよ。もし食いきれなかったら、負けを認めろ」

「うんうん」

 料理を前にしているせいか、あっさりと承諾する。それとも、自信があるのか。

 瑠々理が元々知っていた砥上の魔法は、天候を操る魔法と、そしてこれだ。

 飢餓に苦しむ人々に活力を与え、農耕の手助けもできる。

 どちらも、大勢の人を救うことができる魔法。

 彼が一人いるだけで、荒廃した村も立ち直るだろう。

 どうしてこの魔法を覚えたのか聞いた時、

「ダイエットにはげんでる村があったからな。そいつらの目論見を潰して、デブ村にしてやろうと思っただけだ」

 とか何とか言っていた。

 物質、しかも肉などの具現化はこれで結構難しい。

 いい匂いが辺りに立ち込める。

 豚の丸焼き、牛の丸焼き、鳥の丸焼き、チャーハンのようなもの、スープ、ハンバーグのようなもの、とんかつのようなもの、カレーのようなもの。

 大皿に盛ったものが雑多に並んでいる。

 手をあわせてから、譬喩歌は食べ始めた。まるで掃除機のように、料理が減っていく。

 後には皿ものこっていない。

「はん、どうだ。俺の料理はボリュームあるだろう」

「し、幸せー」

 あっという間になくなり、おかわりを要求する譬喩歌。

 もう百人前だし、それを三回ほど繰り返したところで、変化が起きた。

「はあ、はあ」

 譬喩歌は見るからに苦しげな表情。

 段々とペースが落ちていく。

「どーした、そろそろギブアップか? まだ三割ほどしか出していないぞ」

「ふ、ふああ」

 その言葉が胸に、いや腹に刺さったのか、あっさりと譬喩歌は倒れた。

「もうお腹いっぱい」

 仰向けで、空に向かって優しく微笑むのだった。悲願を達成でもしたかのように。



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