第7話「鎌倉ノ本体ノ武士」後半
鎌倉の地形は天然の要塞だ。 三方を山に囲まれ、外部からの侵入を拒むために「切通し(きりどおし)」と呼ばれる、山を切り開いた狭い通路が設けられている。
「……馬ではこれ以上進めませんね」
北鎌倉の洋館へと続く細い切通しの前で、梶原景さんは苦渋の決断を下した。
「全軍、下馬! 徒歩にて館へ進軍!」
ザッ、ザッ、ザッ。 鎧武者たちが馬を降り、狭い坂道を登っていく。 湿った苔の匂いと、鉄の擦れる音が響く。 その異様な緊張感の中、私は景さんの後ろをついて歩いた。
そして、視界が開け、洋館の正門が見えた時だった。
「……あらあら、ずいぶんと物騒ないでたちじゃないの?」
門の前には、予想外の光景が広がっていた。
「な、なんだあれ……バリケード?」
門の奥には、アンティークの椅子や高級なテーブルが積み上げられ、即席の砦が築かれていた。 その頂上に、優雅に足を組んで座る女性が一人。
「ようこそ、鎌倉武士の末裔さんたち」
ソフィア様だ。 だが、いつものゴスロリ服ではない。 真っ赤な軍服に、白いズボン。頭には飾り羽根のついた帽子を被り、肩には抜き身のサーベル(軍刀)を担いでいる。 まるで某ディ〇ニーの海賊映画に出てくる、大英帝国の将校のようだ。
そしてその横には、いつものロングドレスの上に、無骨な西洋甲冑をまとったアナスタシアさんが、巨大な剣を構えて立っていた。
「本当はローマ帝国の鎧を着たかったのだけど、クローゼットの奥にあってね。手前にあった独立戦争の頃の軍服で妥協したわ」
ソフィア様はふふっと笑い、私に視線を向けた。
「と・こ・ろ・で・しぐれ? これはどういうことかしら? 説明できる?」
「え、えっと……これは、その……相模湾より深い訳がありまして……」
私がしどろもどろになっていると、景さんが一歩前に出た。
「問答無用!!」
景さんは震える手で刀の柄を握り、大声を張り上げた。
「わ……我こそは、鎌倉権五郎景正が末裔!梶原景だ!!」
その声は裏返っていたが、気迫は本物だった。
「頼朝公の悲願! いざ、尋常に勝負!!」
しかし、ソフィア様はつまらなそうに欠伸をした。
「カジワラ? ……ああ、あのゲジゲジの子孫ね」
「ゲ、ゲジゲジ……!?」
「カエルの子はカエルね。仕事はできるのに…本当に,,,ソックリだわ」
ソフィア様は冷ややかな目で景さんを一瞥し、再び私を見た。
「それで、どうするの? しぐれ。貴女は私たちの味方になるの? それとも、そっち(武士)の味方なの?」
「えっ」
「今、メイド長と警備メイドたちが不在なのを狙ったあたり、色々と調べてるのね。……その情報を流したのは、しぐれ?」
ドキリとした。 情報なんて流していない……はず。 いや、待てよ?
『はぁ……義乃、聞いてよぉ。今日からメイド長たちがいるらしいんだけど一度もみてないのよ、館には私とアナスタシアさんしかいないの。マジで人手不足でさぁ……』
あ。 先週、教室で親友の義乃に愚痴った記憶が蘇る。 あの時、後ろの席で寝ていた(フリをしていた)のは……景さんだった。
(……情報漏洩しちゃったかもです)
私が青ざめていると、ずっと蚊帳の外にされていた景さんが、しびれを切らしたように叫んだ。
「問答は無用!!」
彼女は涙目で、自身の刀を振り上げた。
「これ以上、私を愚弄するか! ……放てッ!!」
景さんの悲痛な叫びとともに、武者たちが一斉に弓を構えた。 ヒュン、ヒュンッ! 放たれた矢が、バリケードの二人へと降り注ぐ。
「! ダメ!!」
私が叫んだ、次の瞬間。
フッ、と門の中にいた二人の姿がかき消えた。
「――え?」
ドスッ。 鈍い音がして、私の後ろにいた武者が崩れ落ちた。 振り返ると、武者の鎧の隙間にサーベルを突き刺している、ソフィア様がいた。
「ひっ!」
その瞳は、いつもの気だるげな色ではない。 獲物を前にした獣の、狂気を帯びた「紅」だった。
「物騒じゃないの...」
そこからは、一方的な蹂躙だった。 乱戦となった狭い切通しで、ソフィア様とアナスタシアさんが舞うように武者たちをなぎ倒していく。 剣が閃くたびに、屈強な男たちが悲鳴を上げて吹き飛ぶ。 地面には血が飛び散り、うめき声がこだまする。
「け、景! もうダメだ! この化け物たちには勝てない!」
生き残った一人の武者が、血まみれの手で景さんの肩を掴んだ。
「せめてお前だけでも逃げろ! 本家を連れて!」
「そんな! それなら私も一緒に戦う!」
「逃がさないわよ」
お嬢様が、聞いたこともないようなドスの効いた低い声で言った。 サーベルを振るい、血糊を払いながらゆっくりと近づいてくる。
「突然の宣戦布告はマナー違反よ。……躾が必要ね」
「ひっ……!」
残る武者は、景さんを含めてあと3人。 景さんの腕からも血が流れている。
「 一緒に逃げますよ!」
景さんは突然、私の手を強く掴み、走り出した。
「えっ! なに!?」
「走って!!」
前を走る彼女の背中から、荒い吐息と心臓の音が聞こえる。 繋いだ手は、小刻みに震えていた。 怖いんだ。本当は、景さんも怖くて仕方がないんだ。
私たちは来た道を無我夢中で走った。 この狭い切通しを抜ければ、公道に出られる。そうすれば助かるかもしれない。 しかし――。
「……逃しませんよ」
切通しの出口に、銀色の髪のメイドが立っていた。 アナスタシアさんだ。
「ひっ……」
彼女のドレスの裾は汚れ、手首には誰かの返り血がついている。 鉄の甲冑には刀で斬られた凹みがあるが、本体は無傷のようだ。 その瞳は、兜越しでも分かるほど真っ赤に発光していた。
「しぐれ。状況はなんとなく察しがつきます。……だから、その者(景)を渡しなさい」
普段の丁寧な言葉遣いが、今は氷のように冷たい。 景さんは出血が酷いのか、私の肩にもたれかかり、もう自力では動けそうになかった。
「あの……アナスタシアさん……怒ってますか?」
自然と、震える声が出た。
「ええ。とても怒っています」
即答だった。 抑揚のない声が、逆に怒りの深さを物語っている。
「あの……これには色々と理由があって……話を聞いてください……」
「理由は、その者(景)を処理してから聞きます」
処理。 その無機質な響きに、繋いだ景さんの手がギュッと強くなった。 彼女はガタガタと震えながら、それでも私を守るように前に出ようとする。
「先に手を出したのはこっちだから……悪いのはこっちだって分かってます……。でも、もう勝負はついたと思います……これ以上は無意味だと……思います……」
私は必死に言葉を絞り出した。
「私の主に危害を加えた者を逃しては、使用人の恥です」
アナスタシアさんは一歩、踏み出した。
「貴女もうちの使用人であるならば、こちら側に着くのが道理でしょう?」
「そ、そうなんですけど……! でも、もう景さんが死んじゃう……!!」
私は泣き叫んだ。
「誰かが死ぬのは嫌なんです……!!」
ぶわっと涙が溢れ出し、視界が歪む。 どうすればいいのか分からない。 板挟みになって、ただ泣くことしかできない自分が惨めで、情けなくて。
「……貴女は、私の味方にはなってくれないのですね」
ボソッと、アナスタシアさんが呟いた。 その声には、怒りよりも深い悲しみが滲んでいた気がした。 彼女はゆっくりと、巨大な剣を景さんへと振り上げた。
(あ、終わっ――)
「――ナースチャ、もういいわよ」
スッ、と。 振り下ろされようとした剣の柄に、後ろから白い手が添えられた。 ソフィア様だった。
「お、お嬢様……」
「私なら大丈夫よ。貴女とは色んな死線を潜り抜けてきたんだもの。……久しぶりにいい運動になったわ」
ソフィア様は、強張っていたアナスタシアさんの手を優しく包み込み、剣を下ろさせた。 その声は、さっきまでの狂気とは違う、いつもの慈愛に満ちたものだった。
「それに、しぐれをこれ以上泣かせたら、血の味が塩っぱくなっちゃうじゃない?」
ソフィア様は私を見て、ニッと悪戯っぽく笑った。 私はへなへなと地面に座り込んだ。
「ともかく、そこの捕虜二人(しぐれと景)を館に連れて行くわよ。……お茶でも飲みながら、ゆっくり『言い訳』を聞かせてもらいましょうか」
その後、館の応接室。
景さんは別室でアナスタシアさんに治療を受け(悲鳴が聞こえた気がしたが)、包帯グルグル巻きの状態でソファーに座らされていた。 私もその隣で正座し、ソフィア様と向かい合った。
「……さて」
ソフィア様は優雅に紅茶を一口すすると、私たちを見下ろした。
「説明してもらいましょうか、総大将さん?」
私は意を決して、景さんから聞いた「梶原家の伝承」と「頼朝の遺言」、そして「大きな勘違い」について話し始めた。
「……なるほどね」
ソフィア様は紅茶のカップを置き、ふぅ、と息を吐いた。 その反応は、親友に裏切られていたと知ったにしては、あまりにも軽かった。
「あの……ソフィア様。悲しくないんですか?」
私は恐る恐る尋ねた。
「800年前の親友に、実は命を狙われていたなんて……」
「ふふ。しぐれ、貴女は優しいのね」
ソフィア様は窓の外、暮れなずむ鎌倉の山々を見つめて、寂しげに微笑んだ。
「人間というのは、とても弱い生き物よ。……頼朝は特に、疑り深くて、臆病な男だった。強大な力を持つ私を恐れるのは、彼にとって『王としての責務』だったのでしょうね」
「それは……そうかもしれませんけど」
「でもね、彼と一緒に酒を酌み交わして、腹を抱えて笑い合った記憶……。その時の感情は、紛れもない事実よ」
ソフィア様の瞳が、夕焼け色に揺れた。
「武衛が私をどう思っていたとしても、私にとっては大切な『思い出』であることに変わりはないわ。……だから、特に悲しいとか、恨めしいとかいう感情はないの」
悠久の時を生きる吸血鬼にとって、人間の裏切りなど、瞬きの間の出来事に過ぎないのかもしれない。 あるいは、それを全て許容できるほど、彼女の愛は深いのか。
「しぐれの事情も分かったわ。……板挟みで辛かったわね」
「い、いえ! 私こそ……!」
「今度からは気をつけるのよ。……それと、そこのグルグル巻きのゲジゲジ(景)も、今回は不問にしてあげる、当分は私の館に監禁するけどね」
「……は、はい……」
景さんは小さくなっていた。 圧倒的な武力と、器の大きさを見せつけられ、完全に戦意喪失していた。
景さんがフラフラと監禁部屋?に向かったあと。 私はドッと疲れが出て、メイドたちの待機部屋へと戻った。
「はぁ……終わった……」
ソフィア様は許してくれた。 でも、まだ解決していない問題が一つある。
ガチャリ。
ドアが開き、銀髪のメイド――アナスタシアさんが入ってきた。
「っ……」
気まずい。 先ほどの戦闘で、私は彼女の呼びかけを拒否し、敵(景)を庇ってしまった。 『貴女は、私の味方にはなってくれないのですね』という悲痛な呟きが、耳に残っている。
「あの、アナスタシアさん……さっきは……」
私が謝ろうと立ち上がった、その時だった。
ズカズカズカッ!
「えっ?」
アナスタシアさんは私の言葉を無視し、無表情のまま一直線に歩み寄ってきた。 そして――。
「わっ!?」
私の体を軽々と持ち上げた。お姫様抱っこ、なんて生易しいものじゃない。まるで荷物のように担ぎ上げられた。
「な、なんですか!? 離してください!」
「……」
彼女は何も答えない。 そのまま部屋を出て、隣にある「仮眠室」へと入っていく。
「ちょ、アナスタシアさ――」
ドサッ!!
私はベッドに投げ出された。 スプリングが軋む音と共に、視界が回る。 逃げようとした瞬間、私の両足の間にアナスタシアさんの足が割り込み、ガッチリと太ももをロックされた。 両手首も掴まれ、頭の上に押し付けられる。
完全な拘束状態。 上から見下ろすアナスタシアさんの瞳は、冷たい氷のようであり、同時に燃えるような熱を帯びていた。
「しぐれ」
「は、はい……」
彼女の顔が近づいてくる。 整った鼻筋、血の気を失った白い肌、そして薄い唇。 彼女は私の抵抗を許さない絶対的な力で、静かに、しかし有無を言わせぬ口調で命じた。
「……舌を出してください」
「え……?」
思考が停止した。 舌? なんで?
「聞こえませんでしたか? 舌を出しなさい、と言ったのです」
アナスタシアさんの瞳が、妖しく赤く光った。 逆らえない。 本能がそう告げていた。
「は、はい……」
私は震えながら、ゆっくりと口を開き、舌を突き出した。 無防備で、あまりにも情けない姿だ。
アナスタシアさんは、私のその様子を値踏みするように見下ろした。 そして、満足げに目を細めると、ゆっくりと顔を近づけてきた。
「……」
その吐息が私の唇にかかる距離まで近づき――。
チュッ……。
「んっ!?」
不意に、私の舌先が、彼女の唇に捕らえられた。 熱い。 冷たい肌をしているはずなのに、口付けられた場所だけが火傷しそうなほど熱い。 彼女は私の舌を、まるで極上のスイーツでも味わうかのように、丁寧に、そして執拗に吸い上げていく。
「ん……んぅ……っ」
恥ずかしさと、奇妙な感覚で頭が真っ白になる。 混乱する私の思考を断ち切るように、アナスタシアさんの瞳が鋭く細められた。
「……動かないの」
次の瞬間。
ガリッ。
「あぐっ……!?」
鋭い痛みが走った。 アナスタシアさんの犬歯が、容赦なく私の舌に突き立てられたのだ。 鉄の味が口いっぱいに広がる。 私の血だ。
「ん……ちゅ……」
彼女は離れない。 傷口に唇を押し当て、溢れ出る鮮血を、一滴残らず啜り始めた。 痛みと、血液を吸い出される独特の浮遊感。 私の体から力が抜け、シーツを掴んでいた指先が解けていく。
「……ん、ぷはっ」
ようやく唇が離れた時、私の口元からは、赤い糸のような唾液と血が垂れていた。 アナスタシアさんは、口元の血を指で拭い、妖艶に微笑んだ。
「はぁ……はぁ……」
息も絶え絶えな私の胸元に、彼女の手が這う。 ドレス越しに、私の心臓の真上――命の鼓動を刻む場所を、冷たい掌が強く、確かめるように押さえつけた。
「……」
彼女の指先が、心臓の鼓動に合わせて、じわりと肉に食い込む。 それは愛撫というよりも、私の命そのものを掌で握りしめているような、絶対的な支配の証だった。
「この高鳴る心臓も、口から溢れる言葉も、流れる血も……全て私のもの」
アナスタシアさんは、私の耳元で甘く、重く告げた。
「他の誰かのために使ってはなりません。……わかった?」
「は、はい……」
「よろしい」
彼女は満足そうに微笑み、私の胸から手を離した。 だが、解放されたわけではなかった。 次に彼女の視線が止まったのは、私の右手だった。
「……ん?」
彼女の眉がピクリと跳ね上がる。 私の右手首をガシッと掴み、目の高さまで持ち上げた。 そこには、さっき景さんと手を繋いで走った時についた、乾いた血の跡がこびりついていた。
「……臭いますね」
アナスタシアさんの声が、絶対零度まで冷え込んだ。
「気にいらないわ」
「あ、あの、これは……」
「黙りなさい」
彼女は私の言葉を遮り、有無を言わせぬ圧力で私を睨みつけた。
「不潔です。消毒が必要」
「えっ――」
言うが早いか、アナスタシアさんは私の右手を口元に引き寄せ、その血の跡に舌を這わせた。
「ひゃっ!?」
ザリッ。 猫のような、少しザラついた舌の感触。 彼女は私の掌、指の隙間、そして手首についた他人の血を、丁寧に、執拗に舐め取っていく。 まるで、汚らわしい汚れを自らの唾液で上書きするかのように。
「ん……ちゅ……れろ……」
濡れた音と、熱い吐息が右手にまとわりつく。 恥ずかしさと恐怖で、背筋がゾクゾクと震えた。
「あ、アナスタシアさん……もう……」
「まだです。……まだ臭いが残っている」
彼女は私の指先を軽く噛み、恨めしそうに見上げた。
「あんな者と手を繋ぐなんて……。貴女の手は誰でも気安く触れていいものではない」
「ご、ごめんなさい……」
「謝罪は言葉ではなく、態度で示しなさい」
アナスタシアさんは、ようやく綺麗になった(唾液で濡れた)私の手を離すと、覆いかぶさるように顔を近づけた。 その赤い瞳が、私の視界を埋め尽くす。
「いいですか、しぐれ」
彼女は私の頬を両手で挟み込み、逃げ場を完全に塞いで告げた。
「貴女には、私と、お嬢様以外の匂いをつけることすら許しません」
「……」
「……返事は?」
強烈な「がん詰め」だった。 拒否権など、最初から存在しない。 私は涙目で、震える唇を開いた。
「……はい、アナスタシア様……」
「『様』はいりません。……いい子です」
彼女は満足そうに目を細め、最後にチュッと私の額に口付けた。 その口付けは、所有印を押されたかのように熱く、私の魂に深く刻み込まれた。
(第7話 完)




