第40話【しぐれの忠臣蔵】
深夜三時。
「いいですか、大庭さん。赤穂浪士の討ち入りは裏門からですが……私たちは二階の窓からの奇襲です」
部長が暗闇の中で軍師のように囁く。彼女に肩車をしてもらい、私は梶原邸の重厚な塀を乗り越えた。
直後、表門の方から部長の叫び声が響き渡る。
「火事だ! 火事だー!!」
私は庭の木を伝い、雨樋を掴んで二階のベランダへよじ登った。
幸い鍵の開いていた窓をそっと引き、暗い部屋へと足を踏み入れる。
「――!? 誰っ……」
ベッドの上で、膝を抱えていた人影が跳ねた。景ちゃんだ。彼女は驚愕に目を見開き、悲鳴を上げようと大きく息を吸い込んだ。
(マズい……!)
私はなりふり構わず彼女に飛びつき、シーツの上へと押し倒した。
両手で彼女の手首を押さえ込んだが、それでも叫ばれそうだったので、私は咄嗟に――
「……んぐっ!?」
反射的に、彼女の唇を自分の口で塞いだ。
――ガブッ!!
「……っ!!」
火花が散るような激痛が走った。
景ちゃんが、私の下唇を思い切り噛んだのだ。
口の中に、鉄のような、生々しい血の味が広がる。私は痛みに悶えながらも、彼女の両手をベッドに押さえつけたまま離さなかった。
「うううん! うん!」
話す意思を示したので、私はゆっくりと口を離した。
「……何のマネ」
「話を聞いてほしくて、侵入したんだよ」
「バカじゃないの……」
「逃げるのが悪い。いつも武士、武士って言ってるなら、堂々と出ればいいじゃん」
「逃げたのはそっちじゃん」
「……ごめん。ちゃんと話をしようよ」
「……」
暗闇に目が慣れてきて、景ちゃんの顔の輪郭がよく見えるようになった。
「ないがしろにしていたのは、本当に悪かったよ。ソフィア様にどうしても生きてほしくて、それで……」
「わかってる。わかってるけど……寂しいものは寂しいんだよ」
景ちゃんがぽつりとこぼす。
「一人でご飯を食べていて、ふと思ってしまった。私ばっかり好意を向けていて、そっちは全然向けてくれない。アナスタシアさんとの関係もやっぱり気になるし……遠くなっている気がした」
「時間があって一緒にいても、どこか上の空だし……本当に好きなのか、私のこと」
その問いに、ハッとした。言葉ではなく、行動で示すべきだと。
私はもう一度顔を近づけて、行動で示した。
「景ちゃんは私のものだと思ってる。これだけは確か」
「……優柔不断」
「う……今まで、人を好きになる感情がよくわからなくて。でも、景ちゃんがここ数日、私以外のバンドの人たちと話したりご飯食べたりしていたのは、正直妬いた」
「あの人たちはそういうのじゃない……」
「そんなの知らないよ。景ちゃんは私のものなのに、って思った」
「わがまますぎる」
「わがままで悪い?」
「悪い。そっちだって、ソフィア様の件があって一緒に寝たり、ずっと一緒じゃん」
「一緒に寝たのは、あの日は危ないと思ったから。それに寝てない、ずっと話をしてただけ」
「でも、寝たのは事実じゃん。その時の話とかもしてくれないし」
「それは、プライベートの話だったから、話すわけにはいかなくて……」
私たちは、お互いの不満をぶつけ合った。そうか、お互い圧倒的にコミュニケーションが足りなかったんだ。
「戻ってきてよ。私、景ちゃんがいないあの家に価値を見出せないよ」
「アナスタシアさんがいるじゃん。寂しいなら二人でよろしくすればいいでしょ」
「アナスタシアさんと一緒にいるのがダメなの?」
「無理。妾は三百歩譲っていいとしても、一緒にいるのは無理……」
三百歩も譲ってくれるのか、と思いつつ私は頷いた。
「わかった。その辺もアナスタシアさんと話すから、戻ってきて」
「……そうするなら、戻ってあげてもいい」
「本当!? わかった、その辺は何とかするから! 戻ってくれるの、うれしい!」
「本当に……その無邪気な顔をするのは、しぐれの悪いところです」
なんとかいつもの景ちゃんに戻ってくれた気がした。それと同時に、彼女がちゃんと私たちの関係について考えてくれていたのに、私は何も考えていなかったと深く反省した。
その後、私は入ってきた窓から外へ戻り、近くのポストを目印に部長と合流した。
「部長……なんとか仲直りしました」
「よかったです! 私もおうちの人たちにバレずにうまくできました……なんだか、本当の忠臣蔵の隊士みたいで興奮しました!」
「部長……興奮してる……。楽しかったならよかった?」
「はい。やはり本ばかり読んでいてはダメですね……隊士たちもこのようにしていたのかと思うと……」
「あんまりよくないことなんだけどね……。でも本当にありがとうございます。このご恩は、大庭しぐれ、一生忘れません」
変なスイッチが入ってしまった部長と共に、私たちは寒川駅へ向かった。
翌朝。学校で別々の教室に向かう。
「あれ、しぐれ早いじゃん?」
「よしの、おはよう。ちょっと野暮用でね」
「ふーん、そうなんだ。そうだ、今日、梶原とうちとしぐれで放課後寄り道しない? あんたらの関係を改善するため!」
私は席を立って吉野に抱きつく。
「ありがとうぉ……あんたは親友だよぉ」
「ちょっと、朝練したばっかで制汗剤してないから……離れて!」
その後、景ちゃんも登校してきた。
「おはよう、景ちゃん」
「おはよう……」
「今日、私がご飯作るから、何食べたい?」
「うな重」
「うな重!? わかった……スーパーにあるかな……じゃあ、うちで食べてようね」
「うん」
まだ少し怒っているようだけど、うちに戻ってくれるようだった。
そして放課後。私は今回の件の最大の功労者がいる場所へ向かった。
「部長!」
「こんにちは。ドアは静かに開けてください」
朝の時と違ってちょっとドライな対応をされた。他の部員たちがいるからだろうか。
「昨日と今日、本当にありがとう……。それで、パフェは今度行くとして、ちょっとした恩返しをしたいと思ってまして」
「私も楽しんだので……パフェの件はお願いしますね。それで、なんでしょうか」
「ちょっと二人きりになりたいから、庭のベンチに行こう」
「え、はい」
私は、ある人に電話をかけた。その人はもう午後だというのに、眠そうな声で電話に出てくれた。今回の顛末を話すと――
『まったく、罪な女ね。まぁ配信も軌道に乗ったから、これからは帰ってもいいわよ。メイドの仲が悪くなるのは雇い主としては見過ごせないもの』
そう言う声を聞きながら、私は部長に自分のスマホを渡した。
「部長、はい」
「え、あ、はい……えーと、どちら様ですか?」
『……』
「え! VTuberの!! ええと……はい! 配信見てます……えっと……一人でいることが多いので、その時に配信を見て……元気をもらってます……え! はい! ……そんな! ありがとうございます……!」
数分話しが終わったようで、顔を紅潮させた部長が私にスマホを渡してきた。
「あ、ソフィア様、今日はお休みします」
『あら、そうなの? まぁ今日は特にないから大丈夫よ』
電話を切る。
「あの……大庭さん……なんで……知り合いだったんですか!!」
「うん、友達なんだよ」
「ありがとうございます……まさか推しと1on1で話せるなんて……」
「こちらこそ、本当にありがとう。また歴研に行くので仲良くしてください」
「もちろん。ほぼ、大庭さんは歴研のメンバーですから」
私はスーパーに向かい、うな重の材料を買って、景ちゃんが待つ家へと急いだ。




