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第3話「放課後の牙、甘い傷跡」

「……あんたさあ、ゾンビ映画の新作エキストラでもやってきたわけ?」


週明けの月曜日。 鎌倉女学院の正門をくぐるなり、私の背中をバシン! と叩いた親友――三浦義乃みうら よしのが、呆れたように言い放った。


「おっはよー、義乃……。ゾンビって、ひどくない?」


「いや、鏡見てみなよ。顔色は真っ青で死んでるのに、肌だけ妙にツヤツヤしてんのよ。なにそのアンバランス? 高級エステ行って、そのあと徹夜でゲームした感じ?」


ショートボブの髪を揺らし、義乃が私の顔を覗き込む。 さすがスポーツ特待生。動体視力も観察眼も無駄にいい。


「……うん、まあ。ちょっと週末に、新しいバイト始めたからさ」


「へえ、バイト? あんたが? 珍しい」


私は曖昧に笑って誤魔化した。 まさか、「山奥の洋館で指から血を吸われました」なんて言えるわけがない。 昨晩見た、あのリアルすぎる火刑の悪夢のせいで、私の体力は限界寸前だった。それでも肌だけが内側から発光するように潤っているのは……きっと、あの「契約」のせいだ。


教室に入り、自分の席に鞄を置く。 周りはどこを見ても、お嬢様然とした女子生徒ばかりだ。 私がこんな歴史ある名門校に通っているのには、ある事情がある。


『あのお嬢様学校に通うなら、実家での一人暮らしを許そう。学費は全て父さんが出す。だが、それ以外の生活費は自分でなんとかしろ』


海外赴任中の父が提示した、奇妙な交換条件。 「家賃と学費がタダなら余裕でしょ!」と高を括って承諾したのが半年前。実際は、広すぎる古民家の維持費や光熱費、付き合いの出費などで、私の財布は常に氷河期だ。 だからこそ、あの怪しい高額バイトに縋るしかなかったのだけれど。


「あーあ。今日も視線が痛い……」


ふと背中に冷気を感じて振り返ると、教室の最後尾の席から、鋭い視線が突き刺さっていた。 梶原景かじわら けいさん。 黒髪のショートカットで、一見するとクールな美少女なんだけど……動くたびに髪の内側から、鮮烈な紫色インナーカラーがチラチラと見える。


(ヒィッ……今日も睨んでる。絶対、私の財布狙ってるよあの子……)


彼女の目つきは、獲物を狙う野生動物みたいに鋭い。 カツアゲか、それともただの因縁か。 私はなるべく目を合わせないようにして、教科書を盾にして身を潜めた。


「ねえしぐれ、今日駅前にできたカフェ寄ってかない? モンブランが美味しいらしいよ」


「ごめん義乃! 今日もバイトだから!」


放課後。義乃の甘い誘いを振り切って、私は逃げるように教室を飛び出した。 正直、あの洋館に行くのは怖い。 昨日の悪夢も、血を吸われた感触も、本能が「逃げろ」と警鐘を鳴らしている。


でも――ポケットに入っている「日給5万円」の重みと、アナスタシアさんが最後にくれた絆創膏の優しさが、足を止めさせてくれない。


「……行かなきゃ」


私は夕暮れの切り通しを抜け、再びあの「異界」へと足を踏み入れた。


「失礼します……」


「お待ちしておりました、しぐれ」


重厚な扉を開けると、今日も完璧な身だしなみのアナスタシアさんが待っていた。 相変わらず、涼やかで美しい。 でも今日はどこか、彼女の様子が少し変だった。 私を見る目が、いつもより熱っぽいというか……焦がれるような色を帯びている気がする。


「本日の業務は、図書室の清掃です。高い場所の本に埃が溜まっていますから、綺麗にしてください」


「は、はい! 分かりました!」


通された図書室は、体育館くらいありそうな広大な空間だった。 壁一面、天井まで届く巨大な本棚には、古今東西の書物がぎっしりと詰まっている。


私は脚立を持ち出し、最上段の本棚に手を伸ばした。 古い革表紙の本を慎重に取り出し、羽箒で埃を払う。


「……っと」


その時、急に視界がぐらりと揺れた。 昨日の悪夢でうなされて、ほとんど眠れなかったせいだ。 足元がおぼつかない。


「きゃっ……!?」


足がもつれ、体が宙に浮く。 落ちる――! 私は覚悟を決めて目を閉じた。


けれど、硬い床の衝撃はいつまで経っても来なかった。


「……危ないですね」


代わりに私を包んだのは、ひんやりとした冷たい腕。 恐る恐る目を開けると、アナスタシアさんの美しい顔が至近距離にあった。 人間離れした速度で駆け寄り、私をお姫様抱っこで受け止めたのだ。


吐息がかかるほどの距離。彼女から漂う、冷たく澄んだ上品な香水の匂いが、埃っぽい図書室の空気の中で際立って感じられ、私は一瞬クラリとした。


「あ、ありがとうございます、アナスタシアさん……」


助かった。そう思って体を離そうとした、その時。 アナスタシアさんの腕が、万力のように私を締め付けた。


「え……?」


「……近すぎます」


アナスタシアさんが、うわ言のように呟く。 彼女の鼻先が、私の首筋をすぅ、と撫でた。


「甘い……。昨日より、ずっと……」


「あ、あの、アナスタシアさん? 目が……赤いですけど……」


いつもは深い湖のような青色の瞳が、今は血のように鮮烈な深紅に染まっている。 その変化に気づいた瞬間、背筋が凍った。


「……もう、指先だけでは足りません」


「えっ――!?」


次の瞬間、視界が反転した。 私は近くにあった革張りの長椅子ソファに、乱暴に押し倒されていた。 上から覆いかぶさるアナスタシアさんの影。 逃げようとする私の手首を、彼女の細い指が片手で軽々と封じ込める。


「いやっ、待っ……」


「ごめんなさい、しぐれ。……怖がらないで」


震える声で謝罪の言葉を口にしながら、彼女は私の首元に顔を埋めた。 熱い吐息がかかる。 そして。


ガブリ。


「あ、ああっ……!?」


鋭い痛みが、首筋を貫いた。 何かが突き刺さる感触。 けれど、痛みは一瞬で消え去り、代わりに脳髄を痺れさせるような、強烈な快楽と脱力感が津波のように押し寄せてきた。


「ん……ちゅ……っ」


首元で、血を啜る音がする。 体の中の血液が、熱い塊となって彼女に吸い出されていく。 怖いのに、気持ちいい。 嫌なのに、もっと欲しいと思ってしまう。


(なに、これ……力が、入らない……)


視界が白く霞んでいく。 天井のシャンデリアが、ぼんやりと滲んで見える。


薄れゆく意識の中で、私は彼女の唇から覗く、鋭い「牙」を見た。 そして、あの赤い瞳。 人の生き血を糧とする、伝説の怪物。


(……そっか。そういう、ことなんだ……)


私の雇い主は、ただの変わり者なんかじゃない。 彼女たちは――。


(……ヴァンパイア……)


その単語を最後に、私の意識は深い闇へと落ちていった。


(第3話 完)

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