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第2話「貴婦人の身だしなみ、灰色の悪夢」

「……これ、すご」


リネン室で手渡された制服を広げ、私は思わず声を漏らした。 ずっしりと重い。 まえにしていた単発のアキバのメイドカフェで着ていた、ポリエステル製のペラペラな衣装とは訳が違う。厚手の黒い生地は光沢を抑えた上品なもので、縫製もしっかりしている。


「サイズは合うはずです。着替えてみてください」


アナスタシアさんに促され、私は袖を通した。 くるぶしまである長いスカート。首元まで詰まった禁欲的な襟。そして、飾り気のない実用的な白いエプロン。 鏡の前に立つと、そこには現代の女子高生ではなく、まるで19世紀の英国からタイムスリップしてきたような「使用人」が映っていた。


「……意外と、悪くないかも?」


スカートの裾を少し持ち上げてみる。 本格的な映画のセットに迷い込んだみたいで、少しテンションが上がる。 でも、ふと疑問が湧いた。


「あの、アナスタシアさん。ひとつ質問いいですか?」


私は鏡越しに、背後に立つ彼女を見た。 アナスタシアさんは、私が着ているようなメイド服ではなく、今日もシャーロック・ホームズのような、カッチリとしたクラシカルなスーツ(ドレス?)を着ている。


「アナスタシアさんは、着替えないんですか? 私と全然服が違いますよね」


もしかして、古株だから特別扱いなのだろうか。それとも、あの服が「アナスタシアさん専用のメイド服」なのだろうか。


アナスタシアさんは、私のエプロンの紐を結び直しながら、淡々と答えた。


「しぐれ。貴女のその服は、『ハウス・メイド(House Maid)』の制服です。館の清掃や雑務を行うための、機能的な作業着ですね」


「はうす……めいど?」


「対して、私の役職は『レディース・メイド(Lady's Maid)』。お嬢様の身の回りのお世話や、外出の付き添いをするのが仕事です」


アナスタシアさんが、自身のエレガントな襟元を正す。


「歴史的にも、レディース・メイドは制服を着用しません。主人の品位を損なわないよう、流行を取り入れたドレスや、こうした上質な服を纏うのが習わしなのです」


「へ、へぇ〜……! つまり、アナスタシアさんはメイドの中でもエリートってことですね」


「エリート……ふふ、まあ、当たらずとも遠からずです」


アナスタシアさんは少し口元を緩めたが、すぐに教育係の顔に戻った。 彼女の手が、私の首元のボタンをきっちりと留める。


「ハウスメイドとしての自覚を持ちなさい。その服は、貴女がこの館の『所有物』であることを示すものでもあるのですから」


「はい! 頑張ります!」


所有物、という言葉に少し引っかかりを覚えたけれど、私は元気よく答えた。 アナスタシアさんの瞳は、新品の道具を検品するような、冷たくも熱っぽい光を帯びていた。


2


その後、私はアナスタシアさんに連れられ、広い屋敷の中を案内された。


広すぎて迷子になりそうな廊下。 何百冊あるのか分からない古書が眠る図書室。 銀食器がずらりと並ぶキッチン。


「そして、あちらに見える扉が地下室への入り口です」


廊下の突き当たりにある、鎖で閉ざされた重厚な鉄扉。


「あそこには近づかないように。古いワインの貯蔵庫で、有毒なガスが溜まっている可能性があります」


「りょ、了解です。絶対近づきません」


お化けが出そうな雰囲気満載だ。言われなくても近づきたくない。


「今日のところは、顔合わせと説明だけですので、これで終了です」


「えっ、もう終わりですか? まだ1時間も経ってないですけど」


「構いません。お嬢様も執筆に集中モードに入られましたし……貴女には明日から、本格的に働いていただきます」


その時、書斎の奥からソフィア様の不機嫌そうな、でもどこか楽しそうな声が微かに聞こえた。


『……ふん、このインク、悪くないわね。昔嗅いだ、あの戦場の匂いに似てる……』


「……お嬢様?」


「独り言です。気にしないで」


アナスタシアさんはピシャリと言って、私を玄関へと促した。


3


玄関まで見送ってくれたアナスタシアさんは、帰り際に「手を出して」と言った。


私が左手を差し出すと、彼女はポケットから可愛い絆創膏を取り出し、さっき契約で傷つけた人差し指に丁寧に貼ってくれた。 その手つきは事務的だが、私の指を見る目線が、一瞬だけ獲物を狙う肉食獣のように鋭くなった気がした。


「……傷は塞がっていますが、念のため。貴重な『資材』を無駄にするわけにはいきませんから」


「は、はい……(資材?)」


「それと、これは本日のお手当です」


手渡された茶封筒。中を覗くと、福沢諭吉が二人、こっちを見ていた。


「に、2万!? 1時間で!?」


「手付金のようなものです。……明日からも、よろしくお願いしますね」


「はいっ! こちらこそ!!」


私は現金の厚みに感動し、ペコペコと頭を下げた。 日給5万は嘘じゃなかった。 怪しい洋館だけど、お嬢様はワガママだけど、アナスタシアさんは美人で(ちょっと怖いけど)優しいし、何よりこの給料だ。 これはもう、骨を埋める覚悟で働くしかない。


私はホクホク顔で、夕暮れの切通しを抜けて帰路についた。


4


その夜。 久しぶりにお腹いっぱいご飯を食べて、私は泥のように眠った。 安心しきっていたせいだろうか。 私は、見たこともない「悪夢」を見た。


――熱い。 足元が、熱い。


気がつくと、私は石畳の広場にいた。 どこだろう、ここ。 ヨーロッパの古い街並みみたいだ。木組みの家が並び、灰色の空が低く垂れ込めている。


「■■■■!! ■■■■!!」


周りには、たくさんの人がいた。 汚れた服を着た群衆が、私を取り囲んでいる。 彼らは何かを叫んでいた。言葉は分からない。でも、それが私に向けられた「罵声」であることだけは分かった。 石が飛んでくる。腐った野菜が投げつけられる。 どうして? 私が何をしたの?


動こうとして、気づいた。 動けない。 私は、広場の中央に立てられた、太い木の柱に縛り付けられていたのだ。


「――Ego te absolvo……」


目の前に、立派な法衣をまとった男が立っていた。 高い帽子を被った、偉そうな神父様――いや、司教様だろうか。 彼は私を見下ろし、何か厳粛な言葉を唱えている。 それは祈りのようであり、死刑宣告のようでもあった。


カラン、コロン。 足元に、何かが投げ込まれる乾いた音がした。 松明だ。 赤い炎が、積み上げられた薪に燃え移る。


「や……やめて……っ」


声が出ない。喉がカラカラに乾いている。 パチパチと薪が爆ぜる音。 煙が目に染みる。 そして、圧倒的な「熱」が、足元から這い上がってきた。


熱い。熱い。熱い熱い熱い熱い!!!!


皮膚が焼ける。肉が焦げる臭いが鼻をつく。 呼吸ができない。肺が煙で満たされる。 誰か、助けて。 誰か。 誰か――!


ふと、歪む視界の端に、誰かが立っているのが見えた気がした。 群衆の中に一人だけ。 燃え盛る私を、ただじっと見つめている、銀色の髪の――。


「ギャアアアアアアアアアッ!!!!」


「ハッ……!?」


私はガバッと体を起こした。 心臓が早鐘を打っている。全身が汗でぐっしょりと濡れていた。 自分の部屋だ。 見慣れた天井。安物のカーテン。


「……夢……?」


荒い呼吸を整えながら、私は自分の体を抱きしめた。 まだ、足の裏に焼かれるような熱さが残っている気がする。 ただの夢じゃない。もっと生々しい、死の感触。


「……なんなの、今の……」


窓の外では、カラスが不吉な声で鳴いていた。 私の新しいバイト生活は、どうやら平穏無事にはいきそうにない。


(第2話 完)

最後まで読んでいただきありがとうございます!


【メイド豆知識】 作中でアナスタシアと主人公の服が違う理由について、少し解説です。


レディース・メイド(侍女): 女主人レディの着替えや化粧、話し相手を務める上級使用人です。主人の品位に関わるため、制服は着ず、流行のドレスや私服を着用するのが特権でした。アナスタシアはこれにあたります。


ハウス・メイド(家女中): 掃除や力仕事を担当します。服が汚れないように「プリント地のドレスと白いエプロン」という、いわゆる「メイド服」を着用しました。しぐれはこちらです。


Ego te absolvoエゴ・テ・アブソルヴォ」は、ラテン語で「我、汝をゆるす」という意味です。


カトリック教会において、司祭が信徒の罪を許す際(告解の秘跡など)に唱える「赦しの定型句」の一部です。フルセンテンスでは「Ego te absolvo a peccatis tuis(我、汝の罪を赦す)」となります。





もし「続きが気になる!」「アナスタシアさん良い…」と思ったら、 下の【☆☆☆☆☆】から評価や、ブックマーク登録をしていただけると執筆の励みになります! よろしくお願いします!

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