20.面会の後で
女性たちが部屋を出てから、クラリス夫人も部屋に入ってくる。
「ブランシュ嬢、この度は兄のせいでブランシュ嬢を傷付けるようなことになり、申し訳なく思っています。わたくしもオーギュストお兄様が断罪されたときには子どもだったのでよく分かりませんでしたが、オーギュストお兄様がしたことは許されることではありません。妹としてブランシュ嬢にもアデライド嬢にも謝罪いたします」
「クラリス夫人がしたことではありませんから」
「クラリス夫人は心を入れ替えてアルシェ公爵領のために尽くしていると聞いています。もうご両親のことも兄君のことも忘れていいのではないですか」
クラリス夫人が頭を下げるのに、わたくしが言えば、お義兄様もクラリス夫人に恩情を見せる。クラリス夫人が断罪されてからもう何年も経っている。その間にクラリス夫人はセドリック殿に教育し直されて、正しい常識を身に付けたのだ。非常識だった母親や兄の罪をいつまでも背負うことはないというのは、わたくしはお義兄様と同意見だった。
「わたくしに言ったのと同じようなことを他の方にも言っていた……」
ハンカチで目元を押さえながら、ブランシュ嬢が呆然と呟く。
その呟きに、お義兄様が静かにティーカップを持ち上げて、紅茶を一口飲んで、ブランシュ嬢に言った。
「ブランシュ嬢、あなたに言っていたようなことを、他の少女たちにも言っていたのですよ」
「わたくしを、特別だって……愛しているって言ってくださったのに……。わたくし、愛されていなかったの?」
魂が抜けたように呟くブランシュ嬢に、バロー伯爵夫妻が両側からブランシュ嬢を抱き締めるようにする。
「ブランシュ、ずっとあなたと向き合うことができなくてごめんなさい」
「ブランシュは傷付いていたのに、わたしたちは何もできなかった」
「あの男の話をすればブランシュが壊れてしまうような気がしたのです」
「あの男のことを話すとき、ブランシュは明らかに態度がおかしかった」
懺悔するように謝るバロー伯爵夫妻に、ブランシュ嬢はハンカチで新しくにじんできた涙を拭っている。
「ブランシュ嬢はあの男の被害者だったのです」
「違います! わたくしは愛されていた!」
「本当ですか? 今日あの男の被害者に会っても、そう思えましたか?」
お義兄様に倣ってわたくしもできるだけ冷静に静かな声でブランシュ嬢に語り掛けた。
涙を拭っているブランシュ嬢は、すぐには答えを出せない様子だった。
「犯罪の被害者となったものは、自分がされたことを直視したくないがために、加害者のしたことを正当化してしまう場合があるのだとお義兄様から聞きました。ブランシュ嬢、あの男はブランシュ嬢を本当に愛していたのでしょうか?」
わたくしの問いかけに、アルシェ公爵家の応接室に沈黙が落ちる。
暖炉の火がぱちぱちと燃える音だけが室内に響いていた。
かちゃりとソーサーの上からカップを持ち上げて、クラリス夫人が紅茶を一口飲む。
カップをソーサーに戻したクラリス夫人は、ブランシュ嬢の方をオーギュストと同じ緑の目で見つめていた。色は同じだが、オーギュストのぎらぎらとしたいやらしい目と違って、クラリス夫人の目は穏やかで澄んでいた。
「オーギュストお兄様は、何人もの年端も行かぬ少女に卑劣なことをしました。そこには真実の愛などなかった。わたくしはオーギュストお兄様がしたことは決して許されないと思っているのです。ブランシュ嬢、あなたは、愛されていなかったのです」
オーギュストと同じ色の目で告げられる真実に、ブランシュ嬢はふるふると受け入れられないように首を振っていたが、バロー伯爵夫妻が大粒の涙を流しながら、ブランシュ嬢を抱き締める。
「ブランシュ、真実を受け入れてくれ」
「あなたには治療が必要なのです。そのことをわたくしも旦那様も分かっていた。それなのに、ずっとあなたの傷と向き合うのが怖くて、目を反らし続けていました」
「ブランシュ、よく考えてほしい。自分が今、どういう状況なのか」
両親の涙を見て、ブランシュ嬢の心も動いた様子だった。ずずっと鼻を啜って、ブランシュ嬢が涙声で小さく呟く。
「わたくしは、愛されてなどいなかった……」
「ブランシュ」
「わたくしは、あの男に騙されていただけだった。わたくし、苦しかった。つらかった。でも、愛されているのだから我慢しなければいけないと思っていた。でも、違ったのですね。あの男は愛など持っていなかった。わたくしから搾取するためだけに愛を囁いただけだった」
そこまで言うと、ブランシュ嬢はハンカチに顔を埋めて激しく泣き出してしまう。
これでブランシュ嬢がずっと認められなかった、自分の傷に向き合えたのではないだろうか。
わたくしはお義兄様の方をちらりと見る。お義兄様は静かに頷いて、バロー伯爵夫妻に向き直った。
「ブランシュ嬢はこれから回復していくでしょう。そのためにも、学園を休学して静養するのがいいと思います。カウンセリングを受けて、いい医者にかかって、ゆっくりと心の傷を癒してください」
「ありがとうございます、マクシミリアン様」
「どれだけ時間がかかろうとも、ブランシュはわたくしたちの大事な娘。回復するまで治療を続けます」
バロー伯爵夫妻の言葉に、お義兄様は静かに頷いていた。
泣き疲れたブランシュ嬢を休ませるために、バロー伯爵夫妻はブランシュ嬢と一緒に客間に案内されて行った。
ブランシュ嬢はこれから学園を休学することになって、治療に専念するだろう。
被害に遭ってから十年も放置されていて、思考が歪み切っていたので、簡単には精神的な傷が癒えるとは思えないが、バロー伯爵夫妻はそんなブランシュ嬢と向き合って、治療をさせていくに違いない。
ブランシュ嬢の件が落ち着きそうで、わたくしは安堵のため息を漏らし、少し冷えた紅茶を口にした。香りのいい紅茶は、渋みもなく、口の中に爽やかな果物のフレーバーが香った。
「オーギュストお兄様がしたことの重大さを今更ながらに感じます」
「クラリス夫人は関与していなかったのですから、責任を感じることはないです」
「ですが……」
「セドリック殿が被害者にはアルシェ公爵家からしっかりと慰謝料を払っていると聞いています。それが被害者に対しての償いになるでしょう」
オーギュストのことを気にしている様子のクラリス夫人に、お義兄様は大人の対応をしていた。
断罪されたときにはまだクラリス夫人もお義兄様も子どもだった。あのときにはオーギュストの悪事を公にすることと、クラリス夫人とお義兄様の婚約を解消することしか考えていなかったが、年月が経って、こんな風にクラリス夫人と話せる日が来るとは思っていなかった。
クラリス夫人もセドリック殿に再教育されて変わったし、お義兄様も成人して大人になって変わった。
わたくしは前の人生で生きていた十三歳という年を越えて、少しだけ成長できた気がする。
その結果が、ブランシュ嬢の救済に繋がったのかもしれない。
「ブランシュ嬢が今後、治療を受けて傷を癒すことを願います」
「わたくしもそれを願っています」
わたくしがブランシュ嬢の回復を願えば、クラリス夫人も同じことを考えていたようだった。
ブランシュ嬢はバロー伯爵夫妻と共に王都に戻り、わたくしとお義兄様も王都のタウンハウスに戻った。
翌週になって学園に行くと、ブランシュ嬢が静養のために休学するということが広まっていた。
ブランシュ嬢の受けた傷は治るまでに時間がかかるだろう。学園に復帰することは難しいかもしれないが、ブランシュ嬢が心の傷を癒して社会復帰できるようになるまで、バロー伯爵夫妻はしっかりとブランシュ嬢を支えてくれるだろう。
ブランシュ嬢が学園からいなくなってから、わたくしに関する噂はほとんど聞こえなくなった。
ミレーヌ殿下と話をする条件は整った。
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