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87 安心する手の温もり

 桜の家の近くに迎えの車があると思ったが違うらしい。

 街灯が照す歩道を要は無言のまま歩いていた。


(機嫌が悪そうなのはいつものことですが、それとは別に何か違うような……)


 祀莉は要の数歩後ろを歩きながら、ひっかかる違和感に首を傾げた。

 いつもより背中が遠い。

 歩く速度も速い。

 祀莉の歩幅と速度ではみるみるうちに離されていく。



「待っ……」


 待って下さい、と右手を伸ばそうとして違和感の正体に気づいた。


(手が繋がれていない?)



 足の遅い……というより、行動が鈍い祀莉をいつも要が引っ張っている。

 その上、祀莉のペースに合わせて歩く速度を落としてくれていたんだろう。

 だから要から離れることなく歩けていたのだ。

 今、要の両手は祀莉を拒絶するように、コートのポケットに収まっていた。



 気を抜くとどんどん距離を離されていく。

 祀莉は要の後を必死に追った。



(怒らせてしまいましたし、無理もないですね……)


 声を掛けるのも気が引けて、何も言わないままただその背中を見つめながら追いかけた。

 距離が開いては小走りで近づいての繰り返し。


 中途半端な小走りに足が疲れてきた祀莉は、もう一度要に手を伸ばしかけて──




(なんで手を繋ぐのが当たり前みたいになってるんですか!?)


 コートの袖に触れかけたところで手を引っ込めた。

 無理矢理引かれて嫌だと思ったことは何度もあったが、今はその手が……



(──何を考えているんですか!? そそそ、そんなことあるはずないです!)


 ぶんぶんと頭を振って余計な思考を追い出す。



 桜が自覚して好意を向けるようになれば、要が祀莉に興味を失くす。

 現に今だって祀莉を置いて先へ先へと進んで行ってしまっている。

 少し気を抜いただけで、その後ろ姿は随分と小さくなっていた。


「あ……」



 ──もうこんなに距離が開いている。



 祀莉の足では走って追いかけても、すぐには追いつけない。

 伸ばしかけて宙に浮いていた手をそっと下ろす。

 手袋をしていない手は、指先が凍るほど冷たくなっていた。


(なんか……おかしいです)



 要と桜がお互いの気持ちに正直になって惹かれ合う。


 ここが小説の中の世界と気づいてから、待ち望んでいた展開だ。

 ずっと夢見ていたのに以前のように華々しい妄想ができない。

 それどころか、要の方から距離を置かれるのを実感して、寂しく感じている。


(どうして、わたくしは…………)









「────遅い」

「きゃあぁ……っ!?」


 俯いてゆっくりと歩いていると、突然壁が現れた。

 いや──現れたのは、祀莉を置いて先を進んでいった要だった。

 腕を組んで電信柱に寄りかかっていた。


 あと一歩踏み込めば、ぶつかってしまいそうなくらいに近い距離だ。


(びび、びっくりしました……!)



「ちゃんと前を見て歩け。お前、俺がいなかったらこの電信柱に激突してたぞ」

「え!?」


 祀莉は要の後ろにある電信柱を見上げる。

 確かに、要がいる場所に向かって一直線に進んでいた。

 広い歩道を歩いていたが、ひとつだけ飛び出るように立っていた電信柱に気づいていなかった。



「歩くのが遅ぇんだよ。ゆっくり歩いてほしいならそう言え。手も繋いでやるから」

「あ……え、……え?」

「ほら、行くぞ」


 要を見上げて固まっている祀莉の手から鞄が消えた。

 代わりに温もりを持った手に包まれて、歩くように促される。

 ゆっくりと、今度は祀莉のペースに合わせた歩調で。


 いつもと変わらないその仕草を、嫌だとは思わなかった。

 それどころか──


(どうして……今、わたくしはこんなに安心しているのでしょう……)



 




 しばらくまっすぐに歩いて大きな道に出ると、見覚えのある建物が目に入った。



「え? ここって……」


 暗くなってきたのではっきりとは見えないが、確かに知っている。

 この建物は……


「俺のマンションだ。気づいてなかったのか?」

「……ですよね」


 祀莉が考えていたことを要が肯定した。

 ショッピングモールからこのマンションへ行くのと、桜の家に行くのとは道筋が違うものだったので、気づかなかった。

 それに樹と話しながら歩いていたので、景色なんて見ていなかった。



(びっくりするくらい近いです!)


 場所的には桜の自宅の裏側。

 マンションの敷地自体が大きく、入り口も逆だったので随分歩いたように思えるが、実際はかなり近かった。



「もしかして、要はそれを知ってこのマンションに……」

「んなわけねーだろ! 俺が鈴原の家を知ったのはさっきだからな」

「いた、いたたたっ、分かりました! すみませんっ」


 ポロッと出てしまった思考を要は聞き逃さなかった。

 包み込むように繋がれていた手に力が込められた。

 押しつぶさせるんじゃないかと思うくらいの痛みが5秒ほど続く。

 見上げると祀莉を見下ろす目が物言いた気に睨んでいた。


(ひぃいいい……っ)


 鋭い眼光に思わず数歩後ずさるも、がっちりと手が繋がれているので一定の距離以上は離れられなかった。





「…………まぁ、いい。ほら、歩け」


 マンションのエントランスを進み、エレベーターに乗った。

 車で家まで送ってもらえるのだろうか。

 そう思っていたが、エレベーターは駐車場がある地下へは向かわずに上の階を目指した。


(どうして上に……?)



 頭に「?」を浮かべているうちに、要が生活しているフロアへ着いた。


「あの〜……要? どうしてここに?」

「……」


 どうしてここに連れられてきたのかという問いに、答えは返ってこなかった。

 どころか、無言で手を引かれて中に入るように誘導される。

 鞄が要の手にある上に繋がれた手を離してもらえそうもないので、仕方なく部屋に上がることにした。



 外の寒さが嘘のように部屋は温まっていた。


「座れよ」

「はぁ……」


 気の抜けた返事とともに、マフラーとコートを脱いでソファーへと腰を下ろした。

 久々の感触。

 冬休みはよくこのソファーに座って、春江の淹れてくれた紅茶でお菓子を食べたものだった。


(そういえば、今日は春江さんはいないのでしょうか……)


 この時間なら夕食の準備をしていそうなのだが、キッチンに人の気配はない。

 今は不在のようだ。

 せっかくここに来たのだから挨拶をしておきたいと祀莉は思った。


「あの要、今日は春江さんは──」



 目の前に立つ要を見上げた祀莉は、一瞬で体を強張らせた。


「あ、あの……要?」


 無表情で祀莉を見下ろす要の威圧感に、“あ、これは怒られる……”と身構えた。


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