81 今日って何かありましたっけ……?
祀莉が西園寺邸へと戻った日の翌朝。
登校の準備をすませて家を出ると、見知った車が門の前に停まっていた。
その車の中には当然、彼の姿が──
「お、おはようございます……要」
「早く乗れ。遅れるぞ」
「……はい」
祀莉に乗るように促す。
外で待っていた運転手のエスコートで車の中へと乗り込んだ。
「……」
「……」
「…………祀莉」
「は、はいっ!」
必要以上に動揺した声を出してしまった。
荷物をまとめている時のことがあってから、要と一緒にいることに気まずさを感じて、つい構えてしまう。
時間が経てば自然と接することができるが、突然顔合わせるとこうなるのだ。
(落ち着かないというかなんというか……)
でもそれは祀莉だけのようで、要の態度は特に変わることはなかった。
いつも通り──
それはそれで落ち着かない。
「……どうしたんだ?」
「い、いえ……あの、要。わざわざ迎えにきてくれなくても良いんですよ? 要のところからだと遠回りですし……」
要が実家を出て学園の近くに住んでいることを知っている今では、面倒じゃないのだろうか?と思う。
「車だからそんなに変わらないだろ。それに今更別々に登校したら、また学園中で噂になるぞ」
「う……それは……」
以前に1人で登校した時のことを思い出して、言葉を詰まらせた。
校外学習の後のことだ。
あの時は軽率に行動してしまい、いろいろと噂がたって注目を浴びた。
学園中で様々な憶測が飛び交い、クラスメイトにも「どうした?」「何があった?」と心配されたほどだった。
「それでもというなら……そうだな、お前が指輪をつけて登校するなら考えなくもないが?」
「え? それは……」
入学当初ではかなりの注目を浴びていた登下校が、今ではすっかりお馴染みの風景になって、周囲の興味をそそることはなくなった。
だというのに、祀莉が指輪をつけているなんて知られたら、また学園中の噂になって騒がれるに違いない。
平穏になってきた登下校を壊すことになる。
(それは困ります……!)
「というより、学校にアクセサリーなんてダメに決まってます! 先生だって黙ってませんよ?」
「別に……申請したら問題ない」
「申請……?」
「両家の親の承認を得て申請すれば、婚約指輪を付けてもいいことになってる」
「はい!?」
校則にもその旨が記されているらしい。
この学園に通う生徒は、それなりに家柄の良い子息令嬢が多い。
中には婚約している者もいて、学園に申請して指輪をつけていると要は言った。
学園内のそういった人間関係には疎いので、誰のことを言っているのか祀莉には分からなかった。
「良い機会だな……せっかくだから申請するか?」
「え……っ!?」
要がとんでもないことを言い出した。
申請が受理されて指輪を付けさせられたら、また注目されるに決まっている。
「いえ、このままで! このままでいいです!!」
ぜひこのままで!と言ったところで要が満足そうにこちらを見たので、うまく誘導されたのだと気づいた。
(しまった……っ!)
***
早く授業が終わってほしいと思う日に限って、ホームルームでの先生の話は長かった。
今日は待ちに待った小説の発売日だというのに。
明日のことについていくつか注意があると言っていたが、祀莉の耳には全く入っていない。
話が終わり次第、すぐに席を立てるように帰り支度を進めていた。
もし大切な話なら諒華や要から聞けば良いだろう。
後は帰るだけという状態になっても時計を気にして、先生の話は上の空だった。
「──は放課後のみ許可します。以上」
一通りの話を終えた先生は、最後にもう一度「分かりましたね?」と念押しした。
真剣に聞いていたクラスメイトたちが「はい」と声を揃えて返事する。
それを合図に祀莉のスイッチが入った。
(よし、終わりました!)
先生が教室を出ていったのを見計らって祀莉は席を立った。
すぐに行動できるよう準備していた鞄を持って、早足で要の席へと向かう。
「要、今日は先に帰らせてもらいますね。大事な用事がありますので」
どうせ、いつものように一緒についてくるんだろうなと、半ば諦めての報告だ。
そろそろ頼んでおいた西園寺家の車が到着した頃だろう。
今日は放課後に買い物がしたいので、授業が終わる時間に迎えにきて欲しいとお願いしていた。
「分かった」
要は短く答えただけだった。
席を立つどころか、帰り支度をする気配がない。
「…………あの、要? 早くして欲しいんですけど……」
「ん? 一緒に行ってほしかったのか?」
「え……!? い、いえ。ではまた明日! お先に失礼しますね」
要が同行しようとしないなんて初めてだったので戸惑った。
なんだか機嫌が良いように見えたが、それが関係しているのだろうか。
(今日って何かありましたっけ……?)
考えながら祀莉は要に背を向けたが、特に思い当たることはなかった。
それよりも小説の新刊だ。
祀莉はウキウキした気分で送迎駐車場へと急いだ。
迎えの車はエンジンがかかった状態で祀莉を待っていた。
すぐに出発できるようにしてくれているとはありがたい。
充分に暖められている車内に祀莉は乗り込んだ。
「お待たせしました」
「お待ちしておりました。祀莉お嬢様。では、出発致しましょうか」
「はい」
要が一緒じゃないことについて何か問われるかと思ったが、運転手は特に気に留めることなく車を出した。
今日は要に続いて運転手もなんだか変だ。
昨日、放課後の買い物のことを父親には内緒にして欲しいとダメ元で頼んだ時も、「分かりました」と頷いてくれた。
いつもならもっと渋るか、父親の許可がないとダメだと言い張るのに。
拍子抜けだ。
「お買い物はどちらの百貨店に致しましょうか?」
「え? いえ、ショッピングモールでお願いします」
「ショッピングモールですか? 百貨店の方が良いかと思うのですが……」
「百貨店では買えないものが欲しいので」
「そうですか? 分かりました」
祀莉が行くとしたらショッピングモールだということを知っているはずなのに、なぜか運転手は百貨店を勧めてくる。
百貨店にも本屋はあるが、漫画や小説の品揃えはイマイチなので、多くの種類を扱っているショッピングモールの方が都合が良い。
“本当に良いんですか?”と何度も確認してくる運転手に、祀莉も“良いんです!”と同じ返事を繰り返した。
そうこうしているうちに、車はショッピングモールの駐車場へ到着した。
「では、行ってきますね」
「お1人で大丈夫ですか? 私も一緒に……」
「ここへは何度も来ているので大丈夫です。時間が掛かると思いますので、家に戻っていてください」
「しかし…………分かりました。迎えが必要になったら呼んでください」
納得したような、していないような。
不安な表情を隠さない運転手に、にっこりと笑ってみせてショッピングモールに足を踏み入れた。
目指すはお馴染みの本屋。
ここへ来るのは冬休み以来なので、新刊コーナーに並べられている本の雰囲気もがらりと変わっていた。
(今日は何かキャンペーンでもあるんでしょうか?)
通常よりも客が多いように思える。
特に女性。
手作りのお菓子や小物が流行っているのか、それらの特集コーナーに集中していた。
祀莉はそのコーナーを通り過ぎて、小説の新刊が並べられている棚へと足を運んだ。
タイトルや表紙を見て気になったものを手に取ってじっくりと眺める。
いつもは要の存在が気になって必要なものだけを買っていたので、普段立ち寄らない本棚も見て回ろうと思った。
(今日はゆっくり見れますね〜〜!)