57 心臓に悪いですっ!
事件から4日後。
祀莉は自室のベッドの中にいた。
といっても眠っているわけではなく、上体を起こして静かに小説を読んでいる状態だ。
肩から落ちてくる髪を無意識に耳にかけながら、物語を紡ぎ出す文字を追っていた。
うっかりベッドヘッドに背を預けると内出血した部分が痛むので、意識的に姿勢は前のめりになっている。
腫れはひいてきているはずだが、痛みはしばらく続くだろうと言われていた。
(背中の画像を見せてもらった時は驚きました……)
くっきりと……とまではいかないが、靴の形だと分かるくらいの青あざが背中にできていた。
特にかかとに当たる部分が酷かった。
強い力でぐりぐりと圧迫されていたことを思い出す。
あれは痛かった。
(花園百合亜さん……ですよね? 要のことが好きって諒華から聞いた人……)
要によってBクラスに落とされて、しばらく学園に登校しなかった女子生徒。
祀莉を見て顔を歪めた女子生徒の姿が頭によぎる。
憎いと、全身からにじみ出ていた。
祀莉が要の婚約者と知った上で——だからこそ、あんな風に乱暴に扱ったんだろう。
(わたくしは名ばかりの婚約者なんですけどね……)
もし要が桜とつき合うからと言って祀莉と婚約を解消していたらどうだったのか。
彼女の嫉妬はすべて桜へと注がれていたのかもしれない。
そのことを思うと、やはり要は祀莉を隠れ蓑として婚約を維持していたのだろう。
(よく考えてますよねー……)
桜に対する要の配慮に感心しながらも、祀莉の意識は小説の中へと集中していた。
「——おい、祀莉っ!」
「え……? うぁ……っ!」
大きな声で名前を呼ばれて祀莉ははっと顔を上げた。
そして驚いた。
要の顔が目の前まで迫っていたのだ。
何度呼んでも返事をしない祀莉に苛立ったのか、ベッドに乗り上げて覗き込むように体を近づけていた。
祀莉くらいの体型の人間なら、3人ほど余裕を持って寝られるサイズのベッド。
そのど真ん中に祀莉は座っていた。
にもかかわらず自分に近づいてくる人物の気配を感じとることができなかった。
(また本に夢中になって……)
警戒はしていたつもりだったが全く気づかなかった。
いつもなら誰かが扉を開けた瞬間に本を閉じる。
漫画ではなく小説だったから気が緩んだんだろう。
「来てたんですね……」
「あぁ」
やっと祀莉と目が合った要はそのままの姿勢で問いかけた。
「体調はどうだ?」
「もう大丈夫なんですけど、お父さまの言いつけで部屋から出してもらえなくて……」
熱中症で倒れかけた日、家に帰ってからまた熱が出た。
たくさんかいた汗が涼しい場所で冷えて、過剰に体を冷やしてしまったらしい。
桜は無事のようなのでこれは祀莉の体力の問題だろう。
その熱は1日で引いたが、しばらく学園には行くなと父親に厳しく言い渡されてしまった。
「本当か? ちょっと診せてみろ」
「ほ、本当です! 大丈夫ですって!」
大丈夫だと言っているのに要はさらに体を寄せて、ぐいっと顔を近づけた。
「おい、大人しくしろ」
手で熱を計るならまだ大人しくしているが要の動きからして違う。
まるでキスでもされるのではないか、という近さまで2人の顔の距離が一気に縮まった。
その近さに逃げるように後ろに仰け反ったが、体を支えきれずベッドに倒れ込んでしまった。
背中に痛みを感じたが、それよりも——
(ちち、近い……っ!)
いつぞやの四方館の時みたいに顔の両横に手が降ってきて逃げ場がなくなった。
ぶわっと顔に熱が集まる。
「大丈夫ですからぁっ」
「なに言ってんだよそんなに顔を赤くして。やっぱり熱があるんじゃねーのか?」
「うっ、え……っ。そ、それは……っ!」
整った顔がすぐ近くにあれば、誰だって顔を赤くするだろう。
しかもこの体勢だ。
端から見れば押し倒されているようにも見える。
(あぁ、もう……! 心臓がうるさいですっ!)
バクバクと大きく、そして速くなっていく心臓の音。
要も祀莉が動揺しているのが分かっているのだろう。
嫌味ったらしい笑みを浮かべながらさらに顔を近づけて、音を立てずにぴたっと額同士をくっつけた。
(ひゃあぁぁっ……!)
心の中で叫びながら祀莉は完全に固まっていた。
手元にあった要の服をぎゅっと掴む。
もういいだろう、はやく退いてくれ!と訴えたくても、ぐるぐるした頭でうまく言葉が出てこない。
ふっと要が笑ったように感じた。
いつのまにか額は少しの距離を置いて離れていた。
無意識に止めていた息を吐いてそっと目を開ける。
「熱はないみたいだが……顔が真っ赤だぞ」
「なっ!」
その言葉にさらに顔を赤らめる祀莉を見て、楽しそうに呟く。
熱は測り終えたというのに要の顔は近いままだ。
そろそろ体を離してほしい。
(はやく退いてください〜〜〜っ!)
逆に要は鼻が触れるくらいにまで近づけている。
「目くらい閉じろよ」
(はい……っ!? な、なな、なぜ目をっ!?)
意味が分からない。
それにまた近い!
吐息を感じるほど近い。
視界いっぱいに要の顔があり、その瞳は祀莉をじっと見つめていた。
その間も目の前は要が落とす影で暗くなっていく。
(何が! 何が起こってるんですかーーっ!! これはどういった嫌がらせなんですかーー!?)
頭の中がパニックで目の前の状況が理解できない。
思わずギュッと目を閉じた。
「——イチャついているところ悪いんだけど」
「っ!!」
もう心臓が持たない!と思ったその時、部屋の入り口から声が聞こえた。
声の主は祀莉の親友、織部諒華。
片手に花束を持ち、反対側の手を腰に置いてこちらを見据えていた。
(諒華〜〜!!)
諒華の登場により要の動きが止まった。
祀莉を見つめていた瞳はギロリとそちらに向けられる。
「——ちっ」
舌打ちとともに要が上体を起こし、ベッドから降りた。
やっと息苦しい体勢から開放されて祀莉はほっと胸を撫で下ろした。
(なんて……なんて心臓に悪いっ!)




