56 医務室にて
「ごく、ごく……ごくっ……──ぷはぁっ」
祀莉はスポーツドリンクをまるまる1本飲み干した。
(冷たい水が美味しいです……)
涼しい場所に移動すると、あんなに苦しかった頭痛はすっと治まった。
熱冷ましに貼られたおでこの冷却シートが気持ち良い。
たまに目眩がするが、冷えたタオルや保冷剤でだんだんと体調も回復してきた。
「西園寺様、お加減はいかがですか? まだ具合が悪いようでしたら病院の方へ……。点滴も必要でしたら……。あ、もっと飲み物を持ってきましょうか?」
「いえ、もう大丈夫です……」
やっと落ち着くことができた祀莉とは逆に、医務室に常勤している保険医はオロオロと対応していた。
医務室に入った時、彼女は笑顔で迎えてくれたが、訪問した生徒が西園寺祀莉と北条要だと認識した途端、顔が真っ青になった。
(先生の方が倒れるんじゃないかと思いました……)
先生は同じくここへ運ばれた桜にも優しく問いかけていた。
「鈴原さんも具合はどうですか?」
「大分良くなってきました。ありがとうございます、先生」
桜も隣のベッドに腰掛けて、少しずつ水分を摂っている。
疲れきっていて水を飲むのも億劫といった感じだったが、今は大丈夫そうだ。
(桜さんも元気になって良かったです……)
結局、自分の力で歩けなかった桜は、貴矢に抱きかかえられてここまで運ばれた。
なんであんたが運ぶんだ!それは要の役目だろう!と、叫んでやりたかったが、そんな度胸も余裕もなかった。
要に抱えられながら、ムッとした表情で見ているだけが精一杯。
暑くて倒れそうなのに、嫌がらせのようにぎゅうぎゅうと締め付けてくる要にも、文句を言ってやりたかった。
(秋堂君に役目をとられて悔しかったんですね。わたくしなんかに構っていたからですよ……!)
見捨てずにここまで運んでくれたことには感謝だが、祀莉にとっても貴矢が桜を運ぶのは面白くなかった。
しかし要が桜を運ぶとなると、祀莉を運ぶのは貴矢になってしまうわけで、それはそれで勘弁してほしい。
なら、どうして要は大丈夫なんだろうという疑問が頭に浮かぶ。
(──いえ、要には昔から強引に運ばれているので、体が慣れたというか諦めたというか……)
要は不機嫌丸出しで電話をかけている。
内容からして学園の人間だろう。
この学園のセキュリティーはどうなっているんだ!と怒鳴りつけていた。
「要が怖いです……」
「なに言ってんのよ、当然でしょ。危ない目に遭わされたんだから!」
「そう……ですよね」
「倉庫だけセキュリティーの高い鍵に変えてなかったなんて……」
学園内のほとんどの鍵は電子錠だ。
体育館倉庫は朝練や放課後遅くまで、部活で使用するので、未だに“鍵”を使っていたのだ。
生徒も使うので、指紋認証やパスワード制にすると設定などが面倒で、誰でもいつでも解錠できるということもあり、なかなか変更に踏み切れていなかったらしい。
「学園側にも事情があったみたいですし……」
「なに言ってんの! それでこんな事態になったのよっ!」
諒華の目もギリッとつり上がっていた。
まだ電話に向かってネチネチと文句を言っている要に向かって、もっと言ってやりなさい!と小声で煽っていた。
(鈴原さんが危ない目に遭ったんですから、当然ですよね……)
特待生の桜と西園寺家の令嬢である祀莉が倉庫に閉じ込められた。
そのせいで熱中症による脱水症状を起こしかけていたという連絡を受けて学園側は大騒ぎ。
もちろん試合どころではなく球技大会は中止となり、生徒の間でもその噂は広がっていた。
学園中では“誰が?”“どうして?”“なんのために?”と、それぞれの憶測が飛び交っていた。
「……祀莉」
「はいぃっ!」
電話を終えた要は冷酷な表情のままこちらに目を向け、低い声で祀莉を呼んだ。
凄みのある声に反射的に体が強張り、手からペットボトルが落ちる。
幸い中身は飲み干していたので制服を濡らすという失態は免れた。
迫力のある雰囲気を纏い、ゆっくりと近づいてきた。
(怒られる……っ!)
ギュッと目をつぶって身構えた。
近づく足音に恐怖を感じていると、ぽんっと頭の上に手のひらが乗った感触。
「……?」
「無事……なんだよな?」
「え?」
そっと目を開けると、祀莉の顔の位置に合わせるようにしゃがんでいる要と目が合った。
頭の上の手が離れたと思ったら、今度は両手で祀莉の顔を包み込んだ。
「なにか……変なことはされていないか?」
要の顔が近い。
殺気立っていた表情は消えていて、祀莉の身を心配していることが窺える。
整った顔で正面から真っ直ぐに見られて、ぶわっと顔に熱が集まる。
(あ、あんまり見つめないでくださいっ!)
両手で顔をホールドされているので、こちらからは顔を背けられない。
触れられている場所から熱が広がって顔全体が熱い。
この状況から脱するには質問に答えるしかない。
「は、はい!」
「──そういえば、背中が痛いって言ってたわよね?」
大丈夫ですと頷こうとすると、諒華が横から割って入ってきた。
要に抱き上げられた時に痛いと訴えていたのを覚えていたようだ。
運ばれている時も痛みを感じていたが、運んでもらっているのにそんなことを言っては悪いと我慢していた。
「背中、か……。今も痛いか?」
「……少し」
じっとしていれば平気だが、体をひねったり、大きく動こうとすると鈍い痛みを感じる。
転んだ時に上から踏みつけられた背中。
女の子の足だからすぐに抜け出せると思ったが無理だった。
(体重をかけるとあんなにも強い力になるんですね……)
髪を掴まれる等、要にもされたことがないほどの乱暴な扱いを受けた。
引っ張られた頭皮もまだ少しだけ痛む。
ついでに膝と手のひらも。
「織部」
「はいはい。祀莉、ちょっと背中見せて」
「あ……はい」
要に促されて諒華が祀莉の後ろに回る。
邪魔になる髪を束ねて体の前に流し、背中のファスナーを下ろした。
そこにあるものを見てギョッとする。
「うわっ、何これ! 先生見てください!」
「……まぁ。なんて、おいたわしい……西園寺様の背中にこんな……」
祀莉の背中を見た保険医はふらっと2、3歩よろめいた。
その驚きように、大げさな……と思ったが、更に驚くべきことが起こった。
遠慮するように顔を背けていた要が素早く近づき、諒華を押しのけて背中を覗き込んだのである。
「え……、要っ!?」
「動くな。これは……」
祀莉は自身で確認することはできないが、背中にくっきりと痣ができていたらしい。
花園百合亜に踏みつけられた時のものだろう。
要がそっと背中に指を這わせる。
「ひゃん……っ」
冷たい感触が内出血した部分に触れると、鈍い痛みを感じた。
が、それよりもくすぐったさを感じて体が震えてしまった。
要が指を動かすごとにビクビクと反応してしまう。
「ちょっと北条君」
「……悪い」
諒華に目で諌められ、要は制服のファスナーを元に戻した。
(……あれ? 服が軽い?)
今更になって胸元のリボンが外れていることに気づいた。
上に着ていたベストも脱いでいる。
常にあるものがないとなんだか落ち着かない。
「諒華。わたくしのベスト、知りません?」
「あぁ、それならそこに置いておいたわよ」
「そうですか……。少し肌寒くなってきたので着ようかと──」
(──……えっ?)
諒華が指差す方に顔を向けると、とんでもないものを目撃してしまった。
視線の先は隣のベッド。
そこに座っている桜と、側の椅子に座っていた貴矢の距離が近い。
「桜、もう大丈夫そうか? 熱、計ってやるよ」
「大丈夫だって! ちょ、触らないでよっ」
桜の額に自身の額をくっつけようと迫る貴矢。
(何してるんですかぁ────っ!!)
熱を測ってやるなんて言っておきながら、唇を狙っているんじゃないかと邪推してしまうほどの近さである。
逃げてくださいーー!と叫びそうになる。
桜に覆い被さっている姿はまるで、周りに見せつけているようだった。
その行為に祀莉は思わず叫んだ。
「なな、何してるんですかっ! 近いですよ!」
「そう? そんなことない──ぐふっ」
「どう考えても近いっ!」
桜の拳が無防備な貴矢のみぞおちに入った。
容赦ない攻撃に祀莉は“さすがです!”と心の中で親指を立てた。
「私は見ての通り元気よ!」
「それは……良かった……」
絞り出すような声を出して、貴矢はベッドから落ちた。
ドスンッと大きな音に先生がまたまた大げさに驚いていた。
(今の……見ちゃいましたよね?)
ちらりと要の様子を盗み見る。
鋭い目が腹をおさえながらゆるゆると立ち上がった貴矢を、じろりと睨みつけている。
見せつけられて不機嫌が戻ってしまった。
「あいつ……なにやってんだよ」
「まったくです!」
本当、余計なことをしてくれたものだと要の言葉に同意する。
「……いや、あんたらも同じようなことしてたでしょ」
貴矢に不審の視線を送る祀莉と要を見て、諒華が呟いた。




