54 イヤな予感
(あっつぅーいー……)
熱気がこもる体育館で諒華は下敷きをうちわ代わりに使い、ひたすら自分を扇いでいた。
空調がちゃんと効いているか確認しにいこうかと本気で考えた。
(もしついてなかったり壊れてたりしたら、親に言いつけてやる……)
大事な子息令嬢を預かっているんだ。
熱中症の生徒が出たら親からのクレームは絶えないだろう。
寄付金もたんまり頂戴したんだから、ちゃんと我々生徒のために使ってもらわないと困る。
「織部。祀莉は?」
「へ?」
突然の後ろからの問いかけに振り向くと、体操着の上にゼッケンを着ている要が立っていた。
首筋を伝う汗を肩にかけたタオルで拭いている。
無愛想だとしてもイケメンは何をしても絵になるなぁと諒華はのん気に考えていた。
要が2階席に上がってきたことによって、周囲の女子生徒が騒ぎはじめた。
「きゃーーっ、北条様よ!」
「汗をかいた姿もステキっ!」
「誰かっ! カメラを持ってる方! シャッターチャンスですわよ!」
多方向からカメラのシャッター音が鳴り響いた。
向かいの応援席からも大きなレンズを向けられているのに、要は動じることはなかった。
「祀莉なら、飲み物を買いにいったわよ」
「いつ出ていった?」
「えっと……10分くらい前かしら? いえ、もっと……」
休憩時間になる前にここを離れた。
正確な時間は分からないが、ここを離れて10分は過ぎている。
遠くまで買いに行っているのだとしても、時間がかかりすぎている。
(ついでにお手洗いにでも行っているのかしら……?)
諒華の言葉に要は眉をひそめた。
2階席の手すりから身を乗り出し、下にいる人物に向かって叫んだ。
「貴矢! 俺の鞄からスマホを取ってくれ!」
「んあ? あーはいはい」
ドリンクを飲んでいた貴矢が要の鞄に手を入れてスマホを取り出した。
そのまま2階席の要に放り投げる。
(うわっ! 受け取り損なったらどうするの!?)
諒華の心配は杞憂に終わり、要はそれを余裕綽々とキャッチした。
親指をスマホの画面に滑らせていくつか操作をした後、耳元に当てる。
祀莉に電話をかけているようだ。
「どう? 繋がった?」
「……いや、呼び出してはいるんだが……」
待っても祀莉が通話に出ることはなかった。
祀莉の携帯は制服のポケットに入っているはずだから、着信があればすぐに分かるはず。
どこかに落としたか、本当に気づいていないのか。
(あの子の場合、両方ともありえる……)
「念のため、GPSで居場所を探すか……」
「やっぱりその機能ついてんのっ!?」
祀莉のお子様ケータイを見た時、もしかして……と思ったが、まさか本当に活用しているとは。
常に自分の居場所を知られていると知ったら祀莉はなんと思うやら。
(……今役に立ってるから別に良いか。北条君の気持ちも分かるし)
いったいあの娘はどこまで飲み物を買いにいっているのだろうか。
祀莉の場合、学園内の構造が頭に入っているとは思えないから、着信に気づかないほど必死になって自販機を探しているに違いない。
もしくは財布にお金が入ってなかったというドジもありえる。
(小銭がなくても、ICカードのついている学生証があれば食堂で買えるものね……)
きっとそこまで買いに行って、今はこちらに向かっているだろうと諒華は考えた。
「で、祀莉は今どのあたり?」
「……」
「ん?」
無言でスマホの画面を差し出される。
祀莉の居場所を知らせる赤い点滅は学園の体育館近くに表示されていた。
地図が曖昧すぎて正確な場所を特定できない。
「これ以上拡大できないの?」
「……これが限界だ」
「そう……」
これでも性能の良いアプリを使っているのだから仕方がない。
どこにいるのか、どこへ向かっているのかを調べる機能だ。
とりあえず学園内にいることは分かった。
──しかし変だ。
「あれ? 動いていない?」
「……だろ? 移動しているのなら少しくらい動くはずだ」
動く気配のない点滅を2人してしばらく見つめていた。
「なになに〜? どうしたの?」
下にいた貴矢が2階席に上がってきた。
要と諒華の間に顔をつっこんでスマホの画面を覗き見た。
「祀莉が飲み物を買いにいったきり、戻ってこないの」
「え、そうなのっ!? そういえば桜もいない。どこいったんだろう?」
貴矢も自分のスマホを取り出して電話をかけた。
数秒してから近くで音が鳴っている。
耳を澄まして音の出所を探ると桜の鞄に行き着いた。
「鈴原さんの鞄の中から……」
「おーい。携帯を携帯してくれよ、桜……」
電話の呼び出しを止めて項垂れる貴矢。
桜は諒華の斜め後ろに座っていたはずだ。
鞄を置いて出ていったということは、彼女も飲み物を買いに行っているのだろうか。
「外に出たのは確かだから、一度出てみる?」
未だにスマホの画面を見つめる要に提案する。
「……そうだな」
「点滅しているおおよその場所に行ってみましょう」
「あ! 俺も行く!」
下の階へ降りて出口へと向かう。
その途中で、試合進行の手伝いをしていた女子生徒が要たちを呼び止める。
「北条様、秋堂様。どちらに? もうすぐ次の試合ですわよ?」
「俺は辞退する! これ、返しておいてくれ!」
「え……えぇ!?」
この人、狙ってるのか?と言いたくなるほど、格好いい仕草でゼッケンを脱ぐ。
そのまま顔を赤くしている彼女に手渡して出ていった。
「俺のもよろしく〜」
「え? えぇ??」
貴矢も同じようにゼッケンを渡した。
2人に続いて諒華は困惑気味の女子生徒の横を通り過ぎる。
その際に「北条様と秋堂様の汗……」という彼女の呟きは聞かなかったことにしよう。
体育館は実質2階にある。
そのまま校舎へ入れる通路と1階に降りる階段があり、要と貴矢はすでに階段を半分ほど下りていた。
遅れまいと慌てて諒華もその後を追う。
(あぁもう、暑いわね……!)
外の方が暑いので館内の空調設備は機能しているらしい。
それでも中にいる生徒にとっては快適に過ごせる気温ではない。
数人の生徒が新しく購入した飲み物を持って体育館へと戻っていく。
今日は一日中天気が良いと予報されていたので、準備万端の女子生徒は日傘をさしている。
祀莉はそんなものは持っていかなかったが、念のために生徒の顔を一人一人確認した。
そんな中で2人の女子生徒が目についた。
試合の合間の休憩に出ていた生徒たちは上履きで移動するための通路を歩いているが、その2人は違った。
わざわざ靴を履き替えて、少し離れた場所を歩いていた。
(あれは……間宮さんと花園さん?)
かつて同じ教室で3年間を過ごしたクラスメイト。
学園に来ているとは聞いていたが、生徒がいる時間帯に校舎の外に出ているとは珍しい。
要と貴矢の活躍を聞いて見学しにきたのだろうか。
それにしても様子がおかしい。
対照的な表情を浮かべる彼女たち。
香澄は不適に笑い、百合亜は怒りを含んだ眼差しですれ違う諒華をギロリと睨みつけた。
(なによアレ! 愛想がないわね。私が祀莉と仲良くしてるからって──)
そこまで考えて謂れのない不安が諒華の脳裏をよぎる。
花園百合亜は要が好きで、彼の婚約者は祀莉。
──イヤな予感がした。
よくよく考えれば2人が歩いてきた方向はあきらかに他の生徒たちとは違う。
諒華たちが今向かっている先──要のスマホが、祀莉の居場所を示していた方向からだった。




