100 なんだかんだ言って
意地悪な笑みを浮かべた貴矢が迫ってくる。
祀莉は思わず後ろへと下がった。
部屋の中に逃げ込んでも良かったのだが、そうしたら貴矢が追いかけて入ってきそうで怖い。
(もう! 用が済んだんならはやく帰って下さい……!)
「あれ? なんで逃げるの? 祀莉ちゃ〜ん──痛っ!」
貴矢から痛みを訴える声が漏れた。
「やめなさい。祀莉ちゃんが困ってるでしょ!」
「とっとと失せろ」
続いて桜と要の咎める声。
2人がそれぞれ貴矢に制裁をくらわせていた。
「痛い、ちょっ痛いって。あ〜もう、ごめんって!」
痛みを堪えて必死に謝る貴矢。
踏み出した足の上に桜の足が乗っている。
靴底のかかと部分を体重をかけて押し付けられ、さらに要からは頭上に手刀を受けていた。
「分かったら! 桜、足どけてくれない? 要も手刀を構えないで!」
2発目を喰らわそうとしている要を制しながら、桜に足をどけるようにお願いしていた。
「まったく……」
桜が呆れた顔で足をどける。
踏みつけから開放された貴矢は「地味に痛みが残ってるんですけど……」と涙目になりながら、要の手刀から逃げるべく数歩後退した。
「すみません、祀莉ちゃん。貴矢が変なこと言って」
「い、いえ……」
貴矢の相手をするのはどうも苦手だ。
未だに彼が何を考えているのかが理解できないし、対処の仕方も分からない。
「ほら。用事は済んだし帰るよ、貴矢」
「はいはい。お邪魔しました〜」
桜が貴矢の背を押して外へと誘導する。
貴矢はそれに素直に従って扉を開けて外に出ると、隙間から冷たい風が入ってきた。
四方館から出る時は覚悟しておいた方が良さそうだ。
「……あ」
桜は何かを思い出したような声を出し、貴矢の後を追って外に出ようとした足をぴたっと止めた。
「どうした、桜? え……? ちょ──」
振り向いた貴矢の目の前で扉は閉まった。
オートロックなので、もう一度入るには中から開けてもらうしかない。
すぐに桜が扉を開けると思ったが、貴矢を迎え入れる様子はない。
ドンドンと扉を叩く鈍い振動が扉を通して響く。
防音機能が働いているので、本当にわずかな音しか聞こえない。
「桜さん? どうしました……?」
「あの……祀莉ちゃん、話が……」
桜が靴で入れるギリギリまで進んで手招きをした。
何か用があるのだろうか。
祀莉は呼ばれるままに桜の前へと足を進めた。
「私、覚悟を決めました」
顔を寄せて祀莉にだけ聞こえるように小さな声で呟く。
「自分の気持ちを伝えようと思います」
「え?」
つまりは告白するということだろうか。
まっすぐに自分を見る桜の瞳はとても真剣なもので、言うなればこれは宣戦布告。
覚悟しろと言っている。
(そんな……こんな、いきなり……っ)
指先が震える。
目眩のような感覚に一瞬だけ襲われた。
ちゃんと地面に足がついているのかすら怪しい。
もし要が桜から直接気持ちを伝えられたら……。
きっと要は──
「だ、ダメです!」
衝動的に要の腕に縋り付いた。
両腕でぎゅっと強く抱き込んで自分へと引き寄せた。
「要はわたくしの婚約者で……わたくしの……あの、だから……えっと……」
なりふり構っていられないと体が勝手に動いたが、頭が追いついておらず言葉が出てこない。
「わたくしだって要が……」
自分の気持ちを伝えたいのに声が震える。
告白しようとするヒロインの邪魔をするなんて、本当にライバルの立ち位置になってしまった。
──いや、こんなに口籠っていてはライバルにもなれていない。
もしもの時のためにシミュレーションしていたのに、今では頭が空っぽの状態。
(どうして、わたくしはこうもダメなんでしょう……)
自分の要領の悪さに嫌気がさす。
もっとうまく立ち回れたら、未来が変わっていたのかもしれない。
心には不安が広がるばかり。
これもシナリオ通りなのだろうか。
そして、この先の展開も……用意されていたものなのか。
桜が自分の気持ちを打ち明ければ、要はそれを受け入れてしまうに違いない。
強く抱きしめたこの腕が簡単に離れいくと思うと……
(怖い……っ)
「あの……祀莉ちゃん、ちょっと待って下さい。どうして……北条君?」
「……え?」
きょとんと目を大きくする桜。
祀莉も同じように目を見開いた。
桜は少し考える素振りをした後、「あっ!」と納得した声を出した。
「今の言い方だったらそう思わせちゃうのも無理ないですね。すみません……あの、私が告白しようとしているのはその……貴矢……ですから」
最後の方は顔をほのかに赤くしながら、告白する相手の名前を口にした。
胸に抱えた鞄をさらにギュッと抱きしめて恥ずかしそうにしている。
(え……? 秋堂君ですか? あんなに文句ばかりだったのに?)
どちらかと言うと嫌っているものだと思っていた。
さっき呼び出された時もうんざりした顔をしていたし、好意を持っているようには見えなかった。
「秋堂君に……」
「昨日、話を聞いてもらえてスッキリしました。なんだかんだ言って、やっぱり私はあいつのことが好きみたいで……」
……昨日?
話を聞いたというのは、クッキーをデコレーションしていた時のアレのことだろうか?
(え!? ということは、告白うんぬんの話は要じゃなくて秋堂君のこと……!?)
「あいつも北条君みたいにちゃんとしてくれたら、私も素直になれたんですけど……」
そう言いながら貴矢を閉め出した扉へと視線を向ける。
いつの間にか扉を叩く音は消えていた。
寒い中に1人だけ放り出されて少し気の毒に思ったのか、申し訳なさそうに扉の取っ手を掴んだ。
「ちゃんと気持ち、伝えます。では、今度こそ失礼しますね────うわっ、びっくりした!」
扉を開けると、寒さで鼻を赤くした貴矢がむっとした表情で立っていた。
「ちょー寒いんだけど!」
「はいはい。ごめんごめん。祀莉ちゃん、北条君、また明日」
気持ちを伝えると言いながら、いつもと変わらない態度で貴矢に接する。
今度こそ外に出た桜は、扉が閉まるまでこちらに笑顔を向けて手を振っていた。




