97 結末はすぐそこに……
──あんな人が恋人だったらなぁ……って、思っちゃいますよね。
自分の言葉に頷くように首を縦に振る桜。
(桜さんと要が恋人に……?)
祀莉は襲い来る不安に体を震わせた。
ついにここまで進んでしまった。
結末はすぐそこに……そんなふうに感じてしまう。
このまま流れに身を任せてしまえば、遠くないうちに要と桜はくっつくだろう。
(そうなったら、わたくしは身を引くべき?)
張り裂けそうになる胸に手を当てると、布越しに硬い感触。
指先でチェーンに通して首にかけている婚約指輪に触れていた。
(要の気持ちは、あの頃と変わってしまっているのでしょうか……)
「昨日の電話だって……、祀莉ちゃんのことがすごく心配だったみたいで……」
「…………はい?」
「“本当に大丈夫だったのか?”とか“何もされていなかったか?”って、何度も確認してきたんですよ?」
「わたくしを心配? それはどういうことでしょうか?」
桜の話はまだ続いていた。
それも、祀莉が想像していたものとはまったく違う方面に。
桜はニコニコと笑いながら、きょとんとした表情の祀莉へとさらに畳み掛ける。
「ショッピングモールのことですよ」
「ショッピングモール……?」
「ほら、祀莉ちゃんが男の人に無理矢理──」
「おい! 鈴原!!」
背後から要の怒声が響いたかと思ったら、両耳を手で覆われた。
(ひゃあ……っ)
触れる手は氷のように冷たかった。
振り払おうとしたが、頭を固定している手の力は強く、後ろを振り向くこともできなかった。
「はい。なんでしょう?」
向かいに座る桜は要の呼びかけにとぼけたように答える。
祀莉だったら畏縮してしまうというのに、堂々と振る舞う桜は本当にすごい。
「お前……」
「いやですね〜。ちゃんとわかってますから、怒らないで下さいよ」
ぼかした言い方なので、祀莉には何のことを言っているのかまったく分からない。
それに、塞がれた耳では2人の会話はまともに聞こえない。
聞き耳を立てながら、こもった音から情報を必死に拾おうとした。
「昨日のことは祀莉には言うなって俺が言ったのを忘れたのか?」
「忘れてませんよ?」
要の咎める口調に、桜は動じることなく受け答えしていた。
確かに桜は“祀莉には内緒にしてほしいと言われていた”と前置きしていた。
しかし何の意味があって口止めしたのか……。
(やっぱりわたくしに聞かれるとまずい話題を!?)
身動きが取れない祀莉は、頭上で交わされる会話を冷や冷やしながら聞くことしかできなかった。
「ならどうして」
「だって祀莉ちゃんが知りたいって言ったので、本人が希望するなら教えてあげても良いかと」
桜は悪びれることなく祀莉の名前を出して説明した。
それから要を見据えていた視線を祀莉へと移す。
「私と北条君が2人でこそこそしているのが気になったんですよね? 祀莉ちゃん」
「え……っ!? あ、ぅ……っ」
同意を求められてドキッとした。
どう返答して良いのか分からず、祀莉は視線をさまよわせた。
顔を逸らしたいのに要の両手によって頭部は拘束されている。
どこにも視線の逃げ場がない。
(あー……もう! どうして桜さんはそう察しがいいんですか……っ!?)
自然と顔に熱が集まってくる。
気にしていることは気にしていたが、今回はその理由が違う。
2人の仲の進展を覗く好奇心ではなく、嫉妬まじりの感情からだ。
以前なら臆面もなく“もちろんです!”と答えていたんだろう。
もちろん、好奇心の方で。
そこでふと過去の自分を振り返った。
(──ていうか! この場面で「もちろんです!」なんて答えたら、完全にわたくしが要のことを好きと言っているようなものじゃないですか!)
そんな行動を繰り返していたのだと気づいて、さらに恥ずかしさが増した。
頭を無理矢理に動かすと耳を覆う両手が離れて、聞こえる音がクリアになった。
「だから祀莉に気づかれないように……」
「北条君が祀莉ちゃんに気を遣っているのは分かりますけど!」
要は桜と会話を続けながら祀莉の隣に腰掛けた。
近すぎてぴたっと腕同士がくっついている。
自分に関する話の内容よりも触れている部分を意識してしまい、熱心に話す2人に頭が追いつけない。
「心配ならなおさら本人に聞いた方が良いと思います。昨日だって……」
「もうその話は良いから! それよりも鈴原、貴矢が呼んでたぞ」
要が話を無理矢理遮り、貴矢の名前を出した。
勢いよく話していた桜は言葉を止めて顔を顰めた。
そこから会話は途切れる。
──まただ。
桜が昨日の話をしようとしていたところで話をそらした。
そんなにも祀莉に聞かれたくない内容だったのか?
しばしの沈黙。
祀莉も口を出せずに時間が過ぎるのを待っていた。
「……分かりました。行きます」
桜はうんざりした表情でため息をつく。
「はぁ……もう……。祀莉ちゃん、今日はここで失礼しますね。ちょっと用ができたので……」
「あ、はい」
「最後まで勉強を見てあげられなくて、すみません……」
謝りながら渋々と机に広げたものを鞄にしまっていく。
用事というのは要の言う「貴矢が呼んでる」と関係があるのだろう。
気が進まないのか、ひとつひとつの動作が遅い。
桜は手を動かしながら要に視線を送っていた。
そして要も桜を見ていた。
目で会話する2人に、言い知れない疎外感が胸に広がる。
「あ、ああ、あの……要!」
どんどん親密になっていく2人に焦りを感じて、祀莉は縋り付くようにギュッと要の袖を掴んで引いていた。
「なんだ?」
「あ……えっと……」
何を聞くでもないのに呼びかけてしまったことに今更ながら慌てる。
ただ交わされる視線を外したかっただけ。
そんなことを言えるはずもなく、なんでも良いから話を続けようとするが、言葉が出てこない。
「その……ですね……」
要は静かに祀莉の言葉を待っている。
頭の中がこんがらがって、まともに考えることもできない。
袖を掴む力が強がるばかり。
「えー……と、申し訳ないのですが、私はこれで失礼しますね」
「ぅえ!? ああ、はい!」
桜の声が聞こえて跳び上がりそうになりながら、咄嗟に要との距離をとった。
机を挟んだ向かいに桜はいない。
声がした方に目を向けると、桜は部屋の扉の前にいた。
しっかりとコートを着て、扉を少し開けた状態で遠慮がちにこちらを見ている。
「邪魔しちゃってすみません。でも黙って出ていくのも……と思って……」
「い、いえっ」
じっとしていられなくて、その場で立ち上がった。
見送るために桜の方へと近づく。
「桜さん、今日はありがとうございました」
「いえいえ、こちらこそ。あ、部屋の外は寒いので見送りは大丈夫です。では、失礼しますね」
部屋の外は寒いらしく、開いた扉から冷たい空気が入ってきた。
その温度差に体を震わせた祀莉は、桜の言葉に甘えて部屋の中から見送った。




