96 2人だけの時間が存在する?
「さて、勉強に戻りましょうか!」
鞄を体の後ろに置いた桜が、パンッと手のひらをあわせた。
雑談を挟んでしまったので、祀莉のノートのチェックはまだ終わっていない。
「祀莉ちゃんは文系は大丈夫みたいなので、やっぱり苦手な理数系科目の強化ですかね」
「あの、桜さん。わたくし、別に文系科目が得意というわけではなくて、理数系科目よりはマシというか……」
理数系の出来が良くなくても、なんとか文系でカバーできる程度には点数がとれる。
……が、得意というわけではない。
油断しているとケアレスミスを連発してしまうので、本当に油断大敵だ。
「点数は充分にとれていると北条君から聞いてますよ。理系の方も頑張りましょうね!」
返ってきたテストは強制的に要にチェックされるので、点数は全てバレている。
無言でチェックされる時の気まずさが半端ない。
それが桜にまで伝わっているとは……。
「はい、頑張ります!」
「いい返事です」
気合いを入れた祀莉に返事に桜は頷いて笑った。
(ん……? 要から聞いているって……え? それっていつですか!?)
祀莉は全く知らない。
ということは、祀莉のいないところでそういった話題が上がったということだ。
……そんなタイミングがあっただろうか?
あったとしても、朝来てから授業が始まるまでの時間や休み時間くらいだ。
(ん〜〜、でも……)
祀莉は自分の知っている限りの彼らの行動を思い返してみる。
朝は挨拶程度。
場合によっては祀莉もその場にいる。
ならば休み時間に?
……いや、会話している場面は見るが、まさかそんな短い時間で祀莉の点数にまで話が及ぶとは考えがたい。
(やっぱりわたくしのいないところで? …………あら? そういえば! 今日の勉強のことも、わたくしは知りませんでした!)
様子からして絶対にどこかで示し合わせていたはず。
やはり2人だけで話す機会があったということか!
「あの……桜さん。ちょっといいですか? 聞きたいことがあるんですけど……」
「はい、なんでしょう? だんだん難しくなるので、分からない問題があったら遠慮なく聞いてくださいね」
「いえ、そっちではなく……」
「……?」
勉強の質問でないことに桜は首を傾げた。
「今日の勉強はいつから計画していたんですか?」
「えっ…………やっぱり気になっちゃいます?」
祀莉の問いかけに桜は一瞬、顔をこわばらせた。
「はい。わたくしは知らなかったので……」
「あ〜……うん、そうですよね。今日、突然でしたもんね……」
桜は気まずそうに視線をさまよわせている。
──怪しい……。
「ん〜〜……そうですねぇ。えー……っとぉ」
適当に言葉を繋ぎながらなかなか返答してくれない桜。
知られてはまずいことでもあるのか。
そう考えてしまうとますます怪しく思える。
祀莉は目を細めて桜を見つめて静かに返答を求めた。
桜はその視線に居心地が悪そうにしていたが、やがて観念して口を開いた。
「……北条君には、祀莉ちゃんには内緒にしておいてほしいって、言われてたんですけどね……」
“内緒”という言葉に反応して体に力が入る。
覚悟していたことだが、実際にそう聞かされると心に突き刺さる。
──2人だけの時間が存在する。
祀莉の知らないところで着々と距離を縮めていたのだ。
「実は昨日、北条君から電話をもらったんです」
祀莉の様子に気づくことなく桜は続けた。
2人は会っていたのではなく、電話をしていた。
夏休み前にお互い連絡先を交換していたし、昨日も祀莉のことで桜から要に連絡を入れていた。
帰宅してから電話をしていたのだったのなら、祀莉が知らないのは当然だ。
「そう……電話ですか」
「はい。祀莉ちゃんのことで相談を受けまして」
(昨日の夜に……しかも、わたくしのことで……?)
それはどういうことなのか。
今は何を聞いても嫌な予感しかないが、ここまで来たのなら覚悟を決めるしかない。
……が返ってくる答えが怖い。
自分の気持ちを自覚した要が、婚約者の祀莉をどうしたものかと桜に相談を持ちかけた。
そんな考えばかりが浮かんでくる。
「北条君は優しいですね……。祀莉ちゃんが羨ましいです」
「え……?」
「誰かさんと違って真面目だし、一途だし……。……本当、なに考えてんのか分かんない。なんなのよアイツは……」
桜の言う“誰かさん”とは要のライバル、貴矢のことだろう。
彼に対する文句を並べ立てているが、ぶつぶつと呟く声は小さくなっていき、祀莉は途中で聞き取る事を諦めた。
(まずいです! 桜さんの中で秋堂君の印象がどんどん悪く……!)
数ヶ月前の自分なら諸手を上げて喜んでいた事柄が、今ではピンチを招いている。
途中までリードしていたはずなのに、今や桜の好感度はだだ下がりになっている。
(うぅ……このままでは桜さんに要をとられてしまいます……──はっ、ダメです! そんなふうに考えては……!)
悪役令嬢として振る舞えばますます不利になる。
そんな気がしてならない。
「はぁ……。北条君を見ていると……」
貴矢に対する文句を呟いていた桜は、言葉を止めてため息をつく。
祀莉は恐る恐る顔を上げてその表情を見た。
「──あんな人が恋人だったらなぁ……って、思っちゃいますよね」
うっとりとした表情に、祀莉の鼓動が大きく跳ねた。
桜は要の恋人になりたいと──そう言っているのだ。




