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残業しか知らなかった社畜が、ピンチヒッターでライブに出たら人生が変わっていた話  作者: Soh.Su-K


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第1話 社長命令

 いつからだろう、歌わなくなったのは。


 音楽が好きだった。歌うことが好きだった。プロを目指していたわけじゃない。


 ただ、好きでしょうがなかった。それがいつの間にか——連日の残業、自宅と会社の往復、週一の休みは疲れて一日中寝るだけ——そんな生活の中で、気づかないうちに消えていた。


 何を忘れたのかすら、たまに気づく事すらなくなっていた。



「やっぱり残業してるぅ」


 定時を1時間過ぎた頃、社長が現れた。就任初日に、だ。


 俺——加藤成正、入社5年目——は画面から目を離せなかった。処理しなければならないデータがまだ山積みだ。いくら片付けても、書類の山はクレームやバグ報告で一層高く積み重なっていく。脳みそはとっくに思考を諦めている。ただ手だけが動いている。


「業務がまだ残っていますので」

「……思った以上に重傷だな。うん、今日はみんな帰って。社長命令」


 社長、上原カンバル。30代後半、人懐っこい笑顔の男だ。ただし瞳の奥に何かを秘めている。M&Aでこの会社を買い取り、今日就任したばかり。


 午前中に全員が社長室に集められた時、開口一番「みんな酷い顔だ」と言われた。社長室の空気が一瞬で凍り付いたが、「悪気があって言ったんじゃない、ホントにみんな憔悴してる」と続けた。面と向かって他人にそう言われると、かなり凹む。


 そのまま会社の再編計画が一気に語られ、俺は気づけば主任に昇格していた。課の人数を3倍に増やし、出向組やアルバイトの教育・監督が俺の仕事になるらしい。今日一日で頭に詰め込まれた情報量が多すぎて、まだ追いついていない。


「対外的には、M&Aで一部業務に遅れが出ているという事にする。社内には俺から言っとくから」


 誰も動けずにいると、課長がこっそりUSBメモリを引き抜いた。隠れ残業をする気だ。


「それもダメ。持ち帰り仕事はセキュリティ上も問題がある」


 見抜かれていた。課長は観念したようにUSBをデスクに置いた。


「全員帰るまで俺は動かないよ」


 結局、社長の勢いに負けた。入社5年目にして、初めて定時で退社した。


 コンビニに寄って、思わず足が止まった。品揃えがこんなに多かったのか。チルド弁当、チルド麺、スイーツの種類まで豊富だ。いつもは商品補充前の寂しい棚しか見ていなかった。ついフライドチキンまで追加してしまった。しみじみと、自分が世の中からかけ離れた生活をしていたことを思い知らされる。


「なんか、変な感じ……」


 帰り道、住宅街の明かりがまだ煌々と点いていた。いつもは暗い道なのに。賑やかで、どこか自分だけが浮いているような感覚がした。この街にとって自分が異物みたいな気がして、思わず自宅に逃げ込んだ。


「ヤバい……」


 シャワーを浴びながら少し落ち着いてきた。社長の言う通り、かなりの重症なのかもしれない。ボディソープの泡が排水口に流れていく。何か大切なことをずっと忘れている気がした。忘れてしまったこと自体も、忘れていた。


 浴室から出て、発泡酒を開けた。テレビを点けると見慣れない番組が流れる。何もかもに違和感を覚えながら、ぼんやり飲んでいると——ふと気づいた。


 さっきから、鼻歌を歌っていた。

 いつの間にか。

 5年ぶりに。

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