第百二十九話 「【さびついた剣】を試しに強化してみたら……」
ルビィを見て、最初に思ったことは、『あまり変わってないな』だった。
生きていて安心したとか、見つかってよかったとか、それももちろん思ったけど。
三年前の記憶に残っているルビィと、姿や雰囲気がまったく変わっていなくて、僕は少しだけ安堵した。
勇者の右腕とか剣聖ルビィとか色んな異名や噂を聞いていたから、どんな風に変わってしまったのだろうと正直不安に思っていたんだよね。
でも、ルビィはルビィのままだった。
「はあっ!」
そんな彼女が無事に後退したとわかり、僕は勢いを増して蝶羽の魔人――エレミアに斬り掛かる。
奴は十字架を逆さにしたような剣を振って対抗してきた。
凶悪な魔人が現れたとは聞いていた。
それがこの魔人のことを指しているというのは、この目で見た瞬間に気付いた。
間違いなく、七大魔人たち以上の力を持っている、特異種とも言うべき存在だ。
『正直あなたの力は凄まじかった。それでも、あの魔人に勝てるとはどうしても思えないの』
賢者サファイアさんの言った通り、僕も勝てる見込みは薄いと思う。
加えてこの魔人は神器まで授かってしまったらしい。勝機はほぼゼロと言ってもいいかもしれない。
それでも、『絶対に倒す』と強気に宣言したのは……
ルビィの前で、ちょっとだけかっこつけたかったんだよね。
「はあっ!」
僕はいつもよりも前のめりになって相手を攻める。
エレミアの初撃をダイヤが大盾で防ぎ、すかさず僕は前に出た。
右手に握った黒炎の魔剣を、右肩に担ぐように構えて斬り下ろす。
奴はその剣筋を見て、長剣を右腰まで引き、斬り上げるように振るう。
瞬間、僕たちの刃は激しく衝突し、『ガンッ!』と強烈な音を部屋に響かせた。
その後に鍔迫り合いに移行するが、僕はすかさず体を右に回転させる。
左側から力を掛けて来ていたエレミアは、それにより前につんのめり、隙だらけの背中をこちらに晒した。
回転した勢いのまま、黒炎の直剣を水平に斬り払う。
「せ……やあっ!」
無防備な背中を黒い刃で斬りつけると、『ガガッ!』とおよそ生き物の体を斬りつけたとは思えないような音がした。
まるで手応えを感じずに僕は舌を鳴らし、即座にエレミアから距離を取る。
奴は刃が当たった背中を軽く摩りながら、細めた目をこちらに向けてきた。
「やるな。さすがに大口を叩くだけの力はあるようだ」
「……」
それはこっちの台詞だと返したくなる。
最初に見た時から薄々感じていたが、やはり固い。
【黒炎】を付与した魔剣でも傷一つ与えることができなかった。
七大魔人オニキスと戦った時以来の……いや、あの時以上の分厚い壁を感じる。
この魔人の魔装を貫くためには、もっと神聖力を高める必要がありそうだ。
右手に握った魔剣を、左手も加えて両手で握り直し、僕は静かに唱えた。
「付与魔法――【闇雷】」
漆黒の業火を灯す刀身に、新たに黒い雷光が迸った。
後方でハッと、ルビィが息を飲む音が聞こえてくる。
同様にエレミアも少し驚いたように目を見張る。
「ほう、付与魔法とは二つ同時に発動できるものなのか」
二重付与魔法については知らないようだ。
黒炎と黒雷が絡み合う刀身を正中線に構えて、ぐっと脚に力を込めた。
「――っ!」
細く鋭い息を吐き出して飛び出す。
あまりにも真っ直ぐな上段斬りは横に跳ばれて回避されてしまう。
続けて奴は跳ね戻ってくるように地面を蹴って、十字架の剣を振り下ろそうとしてきた。
「せやあっ!」
その刹那、ダイヤが間に入り、十字架を盾で弾き上げてくれる。
強固な壁によって攻撃を阻まれたエレミアは、体勢を僅かに崩して隙を晒した。
僕はダイヤの傍らから飛び出し、【呪われた魔剣】の切っ先を突き込む。
「はあっ!」
奴は寸前で上体を捻り、紙一重で突きを躱した。
だが、剣先が微かに腹部を掠めて、鮮血がじわりと滲む。
素早く何度か地面を蹴って後退したエレミアは、傷付いた腹部に触れながら僕の魔剣を見た。
「なるほど。確かにこれは厄介だ」
同時に僕も自分の神器に目を落として一つの確信を得る。
やはり二重付与魔法なら斬れる。
いくら魔装が強固でも、二つの付与魔法を重ね掛けした刃は防ぐことができないみたいだ。
もちろん付与魔法を複数使わなければならないので、魔力と体力の消費には注意が必要だけど。
「しかし剣というのは扱いづらいものだな。いまいち使い方がわからん」
不意にエレミアが、十字架の長剣を手元で遊ばせながらぼやいた。
「まあ、元は弱小な人間が生み出した得物だからな、魔人の我が上手く使えるはずもないということか」
そう言いながら、奴は突然鋭い視線をこちらに向けた。
「では、試しにこうしてみるか」
瞬間、恐ろしい速度で肉薄してくる。
気が付けば奴は目の前にいて、十字架の剣を大上段から振り下ろそうとしていた。
その危機を察知していたのか、ダイヤが間に入って【不滅の大盾】を掲げていた。
互いの神器が衝突する、その刹那、エレミアが信じがたい行動に出る。
「うっ――」
奴は、神器から手を放した。
ダイヤが掲げていた盾には、力の籠っていない十字架がただ落ちてくるだけ。
一方でエレミアは、剣を振り下ろした勢いのまま視界の端を横切り、ダイヤを越えて僕の裏を取ってきた。
瞬間、強烈な痛みが首裏に襲い掛かってくる。
「がはっ!」
その衝撃でダイヤを巻き込みながら前方に飛ばされて、石畳に何度か体を打ちつけた。
それでもなんとか受け身を取って立ち上がり、手刀を構えているエレミアを睨め付ける。
「……こいつ」
まさか神器を手放すとは露ほども思わなかった。
神器は手元から離れた瞬間、半装備という扱いになり、肉体に宿っていた恩恵が大幅に失われてしまう。
同時にスキルや魔法も使えなくなってしまうので、戦闘中は何が何でも取り落とさないように心掛けているはずなのだ。
でもこいつには、そんな常識を当て嵌めてはいけなかった。
素の身体能力が脅威的に高いからこそ、神器を手放すという離れ業が可能になっているのだ。
「ダイヤ、大丈夫?」
「は、はい。ラストさんの方こそ」
「僕も平気。首を叩かれただけだから」
というこちらの短いやり取りを見て、エレミアがなぜか嬉しそうに笑った。
「首を飛ばすつもりで打ったのだがな、意識までまだ残っているとは少し驚いたぞ」
奴は地面に落ちている十字架を爪先で弾き上げて、行儀悪く手元に戻す。
僕は首裏の傷が浅いことを確かめて、再び神器を構え直した。
神器を囮にした戦法には気を付けなければならないみたいだ。
それに、これ以上時間も掛けていられない。
この魔人が神器の恩恵に慣れてしまうという危険もあるが、何より恐れるべきは魔剣の呪いの方だ。
不用意に付与魔法を連発して、体力を消費してしまうのも避けなければならないし、手早くかつ慎重に、この戦いの決着をつけるんだ。
「頑丈な人間も目の前にいることだしな、そろそろ……これも試してみるか」
十字架の剣を手元で遊ばせていたエレミアが、高々とそれを掲げて唱えた。
「付与魔法――【罪剣】」
その声に感応して、十字架の刀身が赤黒く光り始める。
突然のことに僕とダイヤは身を強張らせて、呆然とその姿を見つめていた。
神器を授かったばかりだというのに、もう付与魔法が使えるのか。
高ランクの神器ならそう珍しいことではないけど、よもやエレミアの授かった神器までそうだったとは不運の一言に尽きる。
それに何とも禍々しい雰囲気を醸し出していて、並の付与魔法ではないと見てわかる。
「簡単に壊れてくれるなよ、冒険者」
十字架を赤く光らせた魔人は、力強くそれを構えて飛び掛かってきた。
半ば姿が消えるような速度で肉薄してくる。
「なっ――!?」
辛うじて反応した僕は、咄嗟に構えた魔剣で十字架を受け止めた。
さっきよりも数段速くなっている。それに一撃の重みも増している。
おそらく付与魔法の効果なのだろうが、いったいどんな能力なのか見当もつかない。
「なるほど、こうなっているのだな。これは面白い」
エレミアが勢いを増して長剣を振り回して来た。
密着を嫌がって距離を取ろうとするけれど、それもできずに魔剣で防ぎ続ける。
そのせいで耐久値もがんがん削られていき、僕は唇を噛み締めた。
エレミア自身の能力だけでなく、神器の神聖力も格段に上昇しているみたいだ。
このままだと、折られる。
神器も、心も、何もかも粉々に打ち砕かれてしまう。
付与魔法一つで、あまりにも強くなりすぎている。
「ラストさん!」
絶え間ない剣戟の一瞬の隙間に、ダイヤが飛び込んで来てくれた。
僕の魔剣の代わりに、大盾で長剣を受け止めてくれる。
僕はハッと我に返り、的確に隙を見つけてから前に飛び出した。
長剣を弾かれて僅かに体勢を崩しているエレミアに、全力で手を伸ばして魔剣を突き込む。
だが奴は、その寸前に爪先で地面を蹴り、切っ先が届かない場所まで後退した。
一息吐く間ができて、僕は長々と細い息を吐き出す。
あの付与魔法、相当強い。
どんな能力かはわからないけれど、ただでさえ圧倒的な強さの魔人を、さらに上の領域にまで昇華させている。
神聖力を底上げしたり、呪いの効果を付与する付与魔法はよく見るけれど、身体能力を向上させる効果は珍しい。
それにあの魔人と驚異的なまでに相性がいいようだ。
でも、大丈夫。
今まで通り落ち着いて対処すれば、戦えない相手ではない。
ダイヤの盾で攻撃を跳ね上げてもらい、その隙を見て僕が攻撃すれば……
「うっ……!」
と、考えているその時……突然、頭が割れるように痛み始めた。
あまりの激痛に膝をつき、頭を押さえて喘いでしまう。
同時に激しく困惑する。
――どうしてこんな時に、最悪のタイミングだ……!
僕の様子が一変したことに、ダイヤが真っ先にハッと息を飲む。
遅れてエレミアが首を傾げた。
「んっ? どうかしたか?」
「……うっ……ぐっ!」
跪いて苦しんでいると、やがて手元の【呪われた魔剣】が【さびついた剣】に戻ってしまった。
後方のルビィがそれを見て、驚愕したように瞳を見開き、エレミアも僅かに目を見張る。
少ししてから奴は、何かに気付いたように頷き、不敵な笑みを浮かべた。
「なるほど。それがお前の神器の、本当の姿だったということだな」
顎に手を当てて、冷静に分析を始める。
「一定時間に限り、人智を超越した強さを発揮できる特異な神器、と言ったところか。そして時間経過と共に体が蝕まれる代償を払っていた。思えばそれ相応の代価がなければ、その歳で我と渡り合うことはできるはずもないからな」
一目で【呪われた魔剣】の秘密に気付かれてしまった。
戦闘的な能力だけではなく、洞察力もなかなかのものを持っているらしい。
しかしどうしてこのタイミングで、【さびついた剣】に戻ってしまったのだ。
魔剣の呪いで力尽きるまで、僕の体感ではまだまだ余裕があったはず。
長旅と連戦による疲れが、思った以上に心体に負荷を掛けていたのだろうか。
他に考えられる要因としては、一度に複数の神器を合成したことくらいだけど、あれで呪いの力が増幅してしまったのか。
わからない。わからないけれど、僕はしばらく戦えないということだけははっきりしている。
「せっかく楽しくなってきたところだというのに、実に興醒めだ。全霊の我と斬り結べる人間などそういないからな、勝手に壊れてもらっては困るのだが」
そう言いながら、エレミアが不気味にゆっくりと近づいてくる。
その危険を感じ取ってか、ダイヤが前に立ってくれた。
「退け。用があるのは後ろの奴だ」
「ラストさんには、指一本触れさせません……!」
大盾の向こうで、エレミアが不敵な笑みを深める。
「安心しろ。そいつを殺すのはしばらく楽しんだ後でだ。それまでは軽く痛めつけるだけにしてやる」
「でしたらなおさら、ここを退くわけにはいきません……!」
ダイヤがいつになく強気な様子で、エレミアの前に立ち塞がった。
対して奴はつまらなそうにため息を吐く。
そして、起き上がれない僕と、それを庇うダイヤを見て、痺れを切らしたように言った。
「早く起きんと、ここにいる女を殺すぞ」
「――っ!?」
「と、こう言った方がお前たち人間には効果的だったのだな」
僕は必死に体を起こそうとする。急いでダイヤを助けに行こうとする。
しかし片膝をつくのがやっとで、全身が鉛を付けられたように重く感じた。
いつも以上に呪いの影響が強い。
こんな状態で戦うことはおろか、魔剣を出すことすら不可能だ。
なんで今なんだ。今だけは絶対に倒れちゃいけないはずなのに。
「そいつのやる気を出させるために、少々小娘には痛い思いをしてもらうぞ」
十字架の剣を振り上げて、エレミアが動き出した。
「や、やめろ――!」
僕の静止の声も届くはずがなく、エレミアがダイヤに斬り掛かった。
「付与魔法――【鏡盾】!」
ダイヤは対抗して付与魔法を使用する。
大盾が純白の輝きを宿した瞬間、ダイヤは僅かに前のめりになって盾を突き出した。
十字架と大盾が衝突するその刹那、甲高い金属音の代わりに鈴のような綺麗な音が部屋に響く。
「んっ……?」
エレミアの十字架は、時間が遡るように同じ軌道を描いて弾き返された。
その不思議な手応えに、奴は怪訝そうに眉を寄せる。
十字架の長剣を跳ね返されて僅かに後退したエレミアは、白く輝く大盾を見つめてやがて頷いた。
「なるほど、神器を跳ね返す付与魔法か。いや、正確には魔法を跳ね返す効果か」
またもや巧みな洞察力でこちらの手の内を暴いてくる。
魔法反射効果を付与する付与魔法――【鏡盾】。
それは付与魔法が掛かった武器系神器も対象に含まれる。
先ほどまでダイヤは通常の状態で防いでいたのに、今回【鏡盾】を使ったのはエレミアが付与魔法を使用したからだ。
と、一瞬でそこまで理解したらしいエレミアが、即座に自身の付与魔法を解除した。
「――っ!?」
元の十字架の長剣に戻して、再びダイヤに斬り掛かる。
これならダイヤの【鏡盾】で跳ね返されてしまうことはなく、奴は気兼ねなく長剣を振り回せる。
「お前など付与魔法なしでも充分だ。せいぜい長く持ち堪えてみせろ」
「うっ……ぐっ……!」
その後、防戦一方のやり取りが行われる。
エレミアの神速の剣舞を、ダイヤは持ち前の危機感知能力で先読みして、なんとか盾で防いでいく。
しかし反撃の手立てがないため、防いだ直後にまた攻められてしまい、次第にダイヤの体に傷が付き始めた。
「ははっ、お前もそれなりに頑張るではないか」
いくらダイヤでも、全力のこの魔人の猛攻を凌ぎ切るなんて困難だ。
いずれ致命的な一撃が届いて殺されてしまう。
だから僕が前に行かなきゃいけないんだ。
早く立てよ、さっさと立てよ、立って大切な仲間を守れよ。
ルビィの前であれだけかっこつけたんだから、最後までかっこつけて戦い抜けよ。
鉛のように重くなった体を、無理にでも起こそうとして力を込めていると……
ビチャ。
不意に、僕の頬に、生暖かい何かが付着した。
それは涙のように顔を滴っていき、やがて雫となって石畳に落ちる。
暗い地面を汚したのは、夕日よりも真っ赤な生々しい鮮血だった。
顔を見上げるとそこには、エレミアの長剣によって腹部を貫かれた、ダイヤが立っていた。
「が……はっ……!」
ダイヤは多量の血を流して、力なく地面に倒れた。
同時に、部屋の隅にいる女の子が悲鳴を上げ、ルビィも絶望したように膝をついた。
か細い息をこぼしながら倒れるダイヤに、エレミアは十字架の剣を向ける。
「これで少しはやる気が出るか、ラスト・ストーン」
「……」
振り下ろされるその刃を、僕は何もできないまま見つめていた。
「だ、誰か……」
誰かダイヤを、助けてください。
魔人に殺されそうになっている僕の仲間を、誰か助けてください。
早くしないとダイヤが、あの魔人に殺されてしまう。
誰か……誰か……誰か……
「誰……か……」
誰か…………じゃないだろ!
僕しかいないじゃないか! 今ダイヤを助けられるのは僕だけなんだ!
いいや、助けるべきなのは、同じパーティーメンバーの僕なんだ!
右手の神器は何のためにある! たとえ【さびついた剣】だとしても戦うことはできる!
だから動け! 動け! 動け!
「う、あああぁぁぁぁぁ!!!」
僕は、【さびついた剣】を握りしめて立ち上がる。
ダイヤの前に飛び込み、エレミアの剣を真正面から受け止めようとした。
そんなことできるはずがないと、わかっていたのに。
だが……
ガンッ!
部屋の中には甲高い音が響き、十字架の剣は止まっていた。
気が付けば僕の手には、錆だらけのボロボロの剣はなく、代わりに漆黒の刀身を光らせる直剣が握られていた。
「なんだ、やればできるではないか」
再び【呪われた魔剣】が顕現したことで、エレミアは満足げな笑みを浮かべていた。
しかし僕は、驚愕の思いで立ち尽くす。
握られている神器は、確かに【呪われた魔剣】の見た目をしている。
だが、いつもと違う点がいくつかある。
あの、魔人の神器にも通ずる禍々しい雰囲気が、まったく出ていない。
それと呪いによる痛みや苦しさもまるで感じず、体は嘘のように軽くなっていた。
この神器は、僕が今まで使ってきた【呪われた魔剣】ではない。
これは……
名前:終末の魔剣
ランク:S
レベル:
攻撃力:500
恩恵:筋力+500 耐久+500 敏捷+500 魔力+500 生命力+500
魔法:【黒炎】【闇雷】【死呪】【悪夢】【金戒】【銀戒】【月刃】
スキル:【神器合成】
耐久値:320/500
「……終末の……魔剣」
頼もしい恩恵の力が、全身を駆け巡った。