第百二十八話 「お待たせ」
『先に行って待ってるよ。でも絶対、ラストも頑張って冒険者になってね。私に追いついてね。これが、次の約束』
この約束を交わしたのが、随分と昔のように感じてしまう。
レッド村で祝福の儀を受けたその日、ラストは【さびついた剣】を授かってしまった。
そのせいで周りからは嘲笑をもらい、勇者パールティからは冒険者になれないと夢を否定された。
でもラストは諦めずに、『先に行って待っていてほしい』とルビィに言った。
奇しくもこの瞬間、三年の年月を越えてその約束が果たされたというわけだ。
冒険者になったのかどうかはわからないけれど、強くなったということは、一目見てわかる。
「ラス……ト……」
涙を流すのは、随分と久しぶりのように感じる。
だからだろう、大粒の涙が次々と溢れてきて、その止め方がまったくわからなかった。
約束を果たしてくれたという喜びはもちろん、彼がこれまでに重ねてきた苦労を思うと、感涙は禁じ得ない。
何より、ただ純粋に、命を助けてもらったことが嬉しかった。
本当は辛かった、心細かった、死ぬのが怖かった。
誰も助けてくれる人がいないこの場所で、たった一人で凶悪な魔人と戦って、最後には神器も壊されてしまった。
そんな窮地に突然駆けつけてくれたのが、弱虫で泣き虫で意気地なしだったはずの、“幼馴染の男の子”。
こんなの……ずるい。
「間に合ってよかったよ。他の討伐隊の人たちは、みんな遺跡の外で安静にしてるから心配しなくて平気だよ」
「……」
覚えよりも、ほんの少しだけ大人びた声でラストは言う。
自分が呼び寄せた討伐隊の人たちが無事だと聞いて、ルビィは心の底から安堵した。
懐かしい幼馴染とも再会することができて、その安心感からか緊張の糸が解けてしまう。
途端に感じる疲労感のせいで地べたにへたり込んでいると、目の前のエレミアが訝しい視線をラストに向けた。
「……誰だお前は?」
「冒険者のラスト・ストーンだ。七大魔人チャロが率いる徒党の制圧に来た」
という台詞をラストの後ろで聞いて、ルビィが先ほど抱いた疑問が解消される。
(そっか、冒険者になれたんだね……)
人知れず安心する一方、自分が過保護にも似たお節介焼きということが途端に恥ずかしくなってくる。
冒険者勧誘制度でラストのことを冒険者に推薦しようと考えていたけれど、彼は自分の力だけでその夢を叶えたのだ。
たとえ【さびついた剣】を授かったとしても、諦めずに全力で夢を追い続けた。
もういじめっ子たちから守ったり、面倒を見る必要はないみたいだ。
そのことに少しの寂しさを感じていると、エレミアが首を傾げた。
「チャロ・レギオンを制圧に来た、か。……で、そのチャロはどうした? 他の党員も上層で待ち構えていたはずだが」
ラストは僅かに顔を曇らせて、やがて意を決した表情で答える。
「チャロは、上の階層で“眠ってるよ”。神器も壊して回収したからあいつはもう戦えない。他の党員も同じようにできたらよかったんだけど……眠らせるのは数人が限界だからな」
あのチャロを倒した、という事実にまたぞろ驚かされてしまう。
だが、そうと語るラストの表情に、喜びの感情は一切ない。
聞いたところ、チャロ以外の魔人たちは殺して来たみたいで、ラストはそれを悪く思っているようだった。
しかし、エレミアは……
「そうか。で、あるならば、お前もそれなりには戦えるということだな」
「……」
仲間の魔人が殺されたというのに、眉一つ動かさずに淡々とそう言った。
ラストは驚いたように目を見張り、次いで鋭い視線でエレミアを射抜く。
「『お前の頭にはそれしかないのか』、とでも言いたげな顔だな。徒党の魔人が殺されたことに怒り乱れればそれで満足か?」
「……別に。魔人の大半が心ない連中だっていうのはもうわかってる。戦いにしか興味のない奴が多いっていうのも。ただ、奴らは最後まで最下層にいる魔人……お前の身を案じて僕の前に立っていたぞ」
少なからず思うところがないのか、とラストは言いたいみたいだったけれど、エレミアは一貫して無感情な表情を浮かべていた。
「チャロたちと行動を共にしていたのは、ここで時間を潰して神器を獲得するという意見に賛同したからに過ぎない。だが、その目的もすでに果たされた。今の我にあるのはただ、人間を滅ぼすという一心のみ。何より新しく得たこの力を、今は全力で試してみたい」
途端、エレミアが不気味に微笑む。
「実験体になってもらうぞ、ラスト・ストーン」
奴は石畳が陥没する勢いで地を蹴り、いきなり飛び掛かって来た。
十字架の長剣を振り上げてラストを狙う。
凄まじい気迫と殺気。
ルビィとの戦いで神器に慣れてしまったエレミアは、その力を全開で振れる機会が巡ってきて歓喜しているように見えた。
「ラストッ――!」
人類の歴史を終わらせるかもしれない圧倒的な存在。
それが神器を授かったことでさらに手の付けられない化け物に変わってしまった。
ラストがここに駆けつけて来てくれたのは素直に嬉しかったし、強くなったのだということも見てわかる。
それでも、どうやったってこの魔人には、勝てる想像が微塵もできなかった。
いっそのこと、ラストにはここから逃げてほしかった。
ルビィの願いは届かず、エレミアの長剣がラストの頭上に振り下ろされる。
ルビィはその姿を、ただ後ろで見つめていることしかできなかった。
「はあっ!」
刹那、目を疑う光景が視界に飛び込んでくる。
エレミアが振り下ろした十字架の剣が、ラストに直撃する寸前……
彼は右手に持っていた剣を振り上げて、その一撃を見事に弾いてみせた。
ルビィは甲高い金属音に耳を打たれながら、火花散る光景に目を奪われてしまう。
あの、勇者パールティをも圧倒した凶悪な魔人の、神器を授かったことでより強力になった破滅の一撃を……
ラストは片手の一振りで、完璧に跳ね除けてみせたのだ。
(……強い)
明らかに人間の限界を超えた力を有していると、今の一撃だけで痛感させられた。
故郷の村ではいじめられっ子で、何をするにも臆病だったあの少年が、見違えるほどの成長を遂げている。
というか、ずっと気になっていたのだが……
(あれが、ラストの神器なの……?)
ルビィの覚えでは、彼は祝福の儀で錆だらけの【さびついた剣】を授かっていたはず。
それがどういうわけか、今は禍々しい雰囲気を放つ“漆黒の直剣”を握っていた。
まるで魔人のような神器である。
何らかの方法で神器を取り替えたのだろうか? もしくはあれこそが、【さびついた剣】の本当の姿なのだろうか?
とにかく凄まじい威圧感がここまで伝わってくる。
(ラストなら、もしかしたら……)
エレミアも同じ予感を抱いたのか、奴は不敵に笑ってみせた。
「なるほど。これは楽しめそうだ」
初撃を押し退けられたエレミアは、またすぐに地を蹴って肉薄してきた。
再び十字架の長剣を高々と振り上げる。
対してラストはその一撃を迎撃するために剣を掲げた。
だが、エレミアは続け様に床を蹴って横に跳び、唐突にラストの隣に回り込んだ。
(フェイント――!)
振り上げていた十字架を左脇まで引き、彼を両断するように水平に薙ぎ払う。
ラストは、その惑わしの一撃、しっかりと目で捉えていた。
しかし彼は、それを避けようとはしなかった。
反応が遅れた、というわけではない。
その攻撃が自分に届かないと、すでにわかっていたのだ。
ラストとエレミアの狭間に白い影が飛び込んだ。
「はあっ!」
ガンッ! と甲高い金属音が大部屋に響き渡る。
ラストに向けられていたエレミアの長剣が、白い何かによって阻まれてたのだ。
その隙にラストは白い影の裏から飛び出し、硬直しているエレミアに黒剣を突き出す。
反撃のその一手は紙一重で回避されてしまったが、初めて奴を退かせることができた。
その立役者となった白い影の正体は……
「遅くなってごめんなさい、ラストさん」
「ううん。いいタイミングだったよ、ダイヤ」
新雪のように純白の大盾を持った、銀髪の女の子だった。
(……誰だろう?)
ラストと背中を合わせるその少女を見て、ルビィは内心で首を傾げた。
幼なげながらも整った顔立ちをしており、女の子らしい華奢な体つきをしている。
対照的に彼女が構えている、神器と思われるそれは、屈強な大男にこそ似つかわしい壁のような大盾だった。
珍しい神器を持っていることも不思議に思ったが、ラストと少女の二人の関係性の方がルビィは気になった。
レッド村ではろくに人付き合いもできていなかったというのに、少し見ない間にこんなに可愛い子と行動を共にするようになっていたなんて。
「ルビィ、女の子がいる部屋の隅まで退がってて。戦いに巻き込まれないように」
「えっ……?」
ぼぉーっとラストとダイヤのことを見ていると、急に話しかけられて戸惑ってしまう。
それを聞き逃しと思ったのか、ラストがこちらを振り返って再び言った。
「安心して。この魔人は絶対に僕たちが倒すから、今日は僕の背中を見ててよ」
「……うん、わかった」
あの頃の、気弱で臆病だったいじめられっ子の面影はすでにない。
そのことに驚きと若干の寂しさを感じながら、ルビィは立ち上がって後ろに退がる。
「絶対に倒す、か。大きく出たな、出来損ないの人間風情が」
それを合図にするように、三人の斬り合いが始まった。
ラストとダイヤの見事な連携を尻目に、ルビィは密かに顔を曇らせる。
自分も一緒に戦いたかったけれど、神器を破壊されてしまったのだから仕方がない。
何よりあの見事な連携に割って入るのは憚られてしまう。
いい仲間を持ったのだと、ルビィはやや複雑な安心感を抱いた。
(ラストも、隅に置けない奴だな……)
たった三年、されど三年経ったことで、ラストは色々と成長したのだとわかった。
やはりそのことに少しの寂しさを感じながら、エレミアと剣を交えるラストの背中に、心中で語りかける。
(勝ってねラスト。話したいこと、聞きたいこと、まだ山ほどあるんだからさ)
幼馴染の少年に勝負を託して、傷付いた炎龍は翼を閉じた。




