第百二十四話 「復讐の業火」
生前の記憶はある。
魔人チャロとして生まれる前の記憶が。
チャロは、元々人間だった。
そういう魔人は数少ない。
多くは人間以外の動物から魔人へと転生を果たすけれど、チャロは人から魔人へと移り変わった珍しい存在だ。
動物的な特徴がなく、人に近い見た目をしているのもそれが理由だったりする。
しかしチャロ自身は、自分の見た目を気に入っていない。
人間だった頃の自分も忌み嫌い、怨恨だけをそのままに記憶を消し去りたいと思っているほどだ。
だから生前の記憶がなく、人間への恨みだけを持っているエレミアを見て羨ましいと思ってしまった。
同時に自分も、たとえ記憶が無くなろうとも、人への憎しみだけは決して消えないだろうと密かに思った。
『あなたの名前はシリカ。これからは私が面倒を見るわ』
チャロが人間だった時の名前はシリカ。
シリカは生まれつき、目が見えなかった。
視界が開ける可能性は低いとされ、今後の生活が困難になるのは明らかだった。
そのせいで薄情な両親はシリカのことを見限り、まるでゴミ屑でも扱うように山奥へと捨てた。
昔は捨て子も珍しくはなく、シリカもそのうちの一人として静かに衰弱するはずだった。
しかし彼女の前に、一人の人物が現れた。
『あなた、一人なの?』
その者の名前は、ラリマーと言った。
人里離れた山奥の小屋に住む、素性が不確かな謎の女性。
不幸中の幸いにも彼女に見つけてもらったシリカは、捨て子として育ててもらうことになった。
ラリマーはシリカの盲目も寛容に受け入れていた。
生活でも不自由が出ないように、できる限りのサポートもした。
その甲斐あって、シリカは目が見えないなりにも楽しい日々を過ごし、ラリマーの元ですくすくと育っていった。
やがてシリカが十歳になった頃、ラリマーがこう言った。
『大きくなって、一人で生きていけるようになったら、あなたは町に行きなさい』
目が見えない生活にも慣れてきて、自立できる目処も立ってきた。
町に行けば何かしらの仕事を紹介してもらえるだろうということで、あと数年で家を出るようにラリマーから言われたのだ。
主な理由としては、こんな山奥の小屋でひっそりと暮らすより、町に行った方が幸せな暮らしができるからということだった。
しかしシリカは反対した。
『嫌だ。お母さんと一緒にいる』
目が見えない自分が町で暮らしていけるのか。仕事を紹介してもらえるのか。
などの色んな不安はもちろんある。
しかしシリカは、“お母さん”と呼ぶくらい大好きなラリマーと、離れ離れになってしまうことが何よりも嫌だった。
何だったら一緒に町に行こうと提案までしたけれど、その時初めてシリカは、母に怒られた。
我儘を言うんじゃない。十五になる前には必ず家を出るようにと約束を結ばされた。
だからシリカはその日が来るまで、できる限り母との暮らしを大切にしようと、心に固く誓ったのだった。
それから二年が過ぎ、十二歳になったシリカに変化が訪れた。
『見え……る……』
生涯盲目だと言われたシリカの視界に、景色が広がった。
朝起きて、目を開けて、木造りの天井が視界に映って、それがシリカにとっての初めての景色になった。
どうして突然見えるようになったのかはわからない。ただシリカはこれまで不明瞭だった世界が明らかなものになって、とても新鮮な気持ちになった。
自分が眠っていたベッドを見た。近くにあった戸棚を見た。鏡があったので自分の顔も見た。
こんな風になっているのだと、色とはこういう風に付いているのかと心底感動した。
キッチンの方から音が聞こえて、シリカは反射的に走り出していた。
母はどんな顔をしているのか。何より目が見えるようになったことをいの一番に母に伝えたかった。
母に駆け寄り、彼女の姿を見上げてみると……
母は、骨だった。
肉も皮も瞳もない、“骸骨の体”をしていた。
まだ自分の顔以外見たことがないシリカでも、母の姿が異形であることは一眼見て気が付いた。
そして確信する。
母の正体が、人間の敵である“魔人”ということを。
事情は母の方から説明してくれた。
『人間の真似を、してみたかっただけなの』
魔人の中には臆病な性格の者もいるようで、母もそのうちの一人らしい。
そのせいで他の魔人から迫害を受けて、この山奥に逃げ込み、以来ずっと孤独に暮らしてきたとのことだった。
そんな中で捨て子のシリカと出会い、寂しい気持ちを紛わすために育ててくれたのだという。
目が見えないことも魔人であることを気付かれないので都合がよかったらしい。
きっと本当の姿を見たら怖がらせてしまうからと不安に思っていたようだ。
そして今、その恐れていた事態が起きてしまった。
『隠していてごめんなさい。お母さんが魔人なんて気持ち悪いよね。もう充分楽しかったから、冒険者に通報でもなんでもしてくれていいよ』
覚悟を決めて母のラリマーはそう言ったが、シリカはかぶりを振って笑顔を見せた。
『そんなことするはずないよ。お母さんはお母さんだもん。魔人とか全然関係ない。これからも一緒に暮らそう』
ラリマーは骸骨の姿をした魔人だ。
だが、それがなんだ。
シリカにとってラリマーは、魔人である以前に大好きな母親だ。
その事実だけは揺るぎようがない。
だから真実が明るみになった後も、二人は山奥の小屋で一緒に暮らし続けた。
だが、そんな幸せな日々も、長くは続かなかった。
『ハハッ、本当にこんなところにいるじゃねえか、骨の魔人がよ』
どこからか噂を聞きつけた、野蛮な冒険者たちが小屋に押しかけてきた。
彼らは魔人討伐の報酬欲しさに、無抵抗なラリマーに神器を向けて、躊躇なく殺そうとしてきた。
そこをシリカが機転を利かせて助け出し、間一髪で山小屋から連れ出してくれた。
『私のことはいいから、あなたはもう人の町で生きていきなさい』
魔人である自分といると、これからきっと苦労をさせることになる。
今回はたまたま逃げ出すことができたけれど、次に冒険者に襲われたらシリカごと斬られてもおかしくはない。
ゆえにシリカの身を案じて決別を覚悟するが、シリカは断固として母の手を放さなかった。
『お母さんは私が守る。絶対に殺させたりしないから』
自分もたくさん母に苦労をさせてきた。
目が見えない自分のために献身的に世話をしてくれたし、義務も義理もないのに十二年も面倒を見てくれた。
だから今度は自分が恩を返す番だ。
むしろその機会をもらえて、シリカはとても嬉しく思った。
けれどたった十二の子供が、魔人を連れて腕利きの冒険者から逃れるのは至難の業だった。
結局、山中を冒険者に追われた彼女たちは、最後には人の住む村まで追いやられてしまった。
そこで二人は大勢の人間に取り囲まれてしまい、母と繋いでいた手も無理矢理引き剥がされてしまった。
『なんで村に魔人がいるんだよ!』
『すぐにその害獣を殺せ!』
『早くしないと俺たちが殺されるぞ!』
母は魔人だというだけで憎悪にも似た敵意を向けられて、村中の人間たちから攻撃を受けた。
やめろと叫んでも誰も聞いてくれず、非力な子供の腕力で引き止めることもできなかった。
最後には、優しかった母が死に、その周りで人間たちが歓喜の声を上げていた。
シリカにとってその景色は、狂気に満ちた地獄絵図にしか見えず、周りの人間こそが自分にとっての害悪だと思った。
『害獣は……どっちだ……』
こんな悲惨な現実を見るくらいだったなら、ずっと目なんか見えなくてよかった。
世界がこんなにも残酷で真っ黒だったなら、自分の景色に色なんていらなかった。
シリカはその日、魔人と一緒にいた人間ということで独房に入れられて、以来食事を拒み続けて餓死した。
そして目が覚めると、魔人の姿となって転生を果たしていた。
同時に、魔人チャロとして目覚めた瞬間に、自分が転生した意味を悟った。
『あの害獣どもを、この世から根絶やしにする……!』
人間は屑だ。ゴミだ。排除すべき害獣だ。
物心ついていない赤子を山に捨て、無抵抗な魔人を一方的に痛めつけて殺すような存在。
そんな人間たち、いや害獣どもを一匹残らず、苦しみの限りを味わせて殺すことが、自分に与えられた使命なのだ。
そのためにチャロは魔王グランディディエの配下にもつき、大戦争では死力を尽くして、人類滅亡のために手段を選ばなかった。
人類を終わらせて魔族の時代にするためには、魔族同士の協力が必要不可欠。
そうと考えているチャロは、一時自ら魔王になろうとまで考えていたが、自分よりも相応しい魔人が現れて考えを改めた。
エレミアこそが新の魔王に相応しい魔人であり、人類を終わらせるための重要な鍵となる。
エレミアが力を覚醒させれば、魔人側の時代が確約させるのと同義だ。
だから今、ここで負けるわけにはいかない。
エレミアの首に刃を掛けようとする冒険者を、ここで確実に潰してみせる。
「行きなさい飛竜たち! 目の前の二人を殺すのよ!」
四匹の飛竜のうち、二匹がチャロの上空に残り、二匹が少年と少女に飛び掛かっていった。
この少年は確かに脅威だ。
遺跡の入口前で戦っているのを見た時も思った。あまりにも強すぎると。
それこそ、初めてエレミアを見た時と似たような感覚を覚えたほどだ。
この少年の剣は、エレミアの首に充分届き得る。
しかしさすがに、上空を舞う飛竜を相手にするのは慣れていないようだった。
何よりこの飛竜たちは、クォーツが捕まえてきた上位種の魔物たちだ。
東西南北の果てにある孤島に、長年住み着いている四匹の飛竜。
北のソウギョク、南のコウギョク、東のスイギョク、西のオウギョク。
魔王軍が結成される以前から存在は確認されており、一時は終焉期にも駆り出す計画が立てられたほどだ。
だが当時は調教が進んでおらず、まるで言うことを聞かない暴れ馬だったので、結局大戦争には登場しなかった。
そんな飛竜を、兼ねてから少しずつ調教していたらしいクォーツが、新生魔王軍の役に立ててほしいとこちらに差し出してきた。
(この飛竜たちがいれば、冒険者どもを追い払うのも難しくない)
少年の方は懸命に跳んで飛竜を落とそうとしているけれど、綺麗に躱されたり息吹で追い払われたりしている。
少女も飛竜を落とす手段はないようで、手に持った盾を構えてこちらを見ているだけだった。
もちろん、飛竜を無視してこちらの四階層に繋がる階段に突っ込んでくる可能性もある。
だがその場合は、残している二匹の飛竜で迎え撃ち、さらに上空の二匹も引き戻して挟み撃ちにするだけだ。
この階段だけは何としても死守してみせる。
(飛竜に攻撃を続けさせて、その隙に石化させられれば一番いいんだけど……)
チャロの眼鏡の神器に宿っている石化魔法――【蛇眼】。
対象者の全身を視界に収めることで、石化の呪いを掛けるという魔法だ。
相手の生命力やこちらが石化している人数に応じて、魔法の効力が変わるようになっている。
現在こちらが石化している人間は勇者パールティただ一人なので、ほぼ全開の力を使えると言ってもいい。
だがあの少年が持っている神器からは多大な力を感じるので、おそらく生命力の恩恵も計り知れないほど受けているに違いない。
手足の一本でも石化できればいい方だろう。
だからこそ飛竜を使って体力を削り、生命力が弱まったところに【蛇眼】を叩き込む。
という思惑を抱いてはいるが、如何せん一つだけ障害がある。
(あの銀髪……)
終始こちらに鋭い視線をくれている盾を持った少女。
あの少女の持っている盾には、魔法を弾き返す力がある。
遺跡前でトパーズと戦っている時、彼の魔法の矢を不思議な力で反射していた。
おそらくはそれが、あの盾に宿っている付与魔法の能力。
そしてどうやらこちらの石化魔法についても割れているみたいで、少女は少年を守るように、終始視界の狭間を位置取っている。
あれでは少年を石化しようにも、逆に石化魔法を反射されてこちらが石にされてしまうかもしれない。
まさに少女はそれを狙って目を光らせているのだろう。
迂闊に魔法を使うことはできない。非常に厄介だ。
少年を弱らせる前に、あの娘をどうにかした方がいい。
「あの娘から先に殺しなさい!」
前に出ている青飛竜と赤飛竜に命令を出すと、二匹は勇んで盾の少女に息吹を掛けた。
凍りつかせる息と焼き尽くす息。
その二つが同時に華奢な少女の元に迫っていく。
しかし少女は慌てることなく盾を構え続けて、叫び声を上げた。
「付与魔法――【鏡盾】!」
刹那、彼女の構えている盾に、銀白色の閃光が迸った。
ただでさえ純白な大盾が光によって輝きを増し、そこに飛竜の息吹が直撃する。
瞬間、信じがたいことに、息吹が逆風を受けたかのように飛竜の元へと跳ね返された。
「グオオォォォ!!!」
自ら放った息吹をその身に受けて、青飛竜と赤飛竜は呻き声を轟かせる。
全身を強固な魔装と鱗で守っている飛竜なので、大したダメージにはなっていないが、チャロは苛立ちを覚えて舌を打った。
「チッ……!」
飛竜の息吹も反射対象に含まれるとは予想外だった。
触媒系神器の魔法だけを反射する能力かと思っていたが、魔法的な攻撃はすべて反射されてしまうらしい。
あれでは上空からの攻撃は無意味になる。
むしろ下手に息吹を反射されて、飛竜が傷付けられる危険があるくらいだ。
爪や牙で直接攻撃しに行く手もあるが、そうなると地上で待ち受けている剣を持った少年に返り討ちにされてしまう。
逆に向こうも飛竜を落とす術はなく、歯痒い均衡状態が続いた。
こちらとしては時間が稼げるだけでも充分にいいのだが、できればこの二人はここで殺し切ってしまいたい。
と、チャロが顔をしかめて手をこまねいていると……
「……あれ試すか」
不意に少年が地上にいながら、漆黒の直剣を振りかぶった。
そんなところで何をするのかと疑問に思って見据えていると、少年は静かに唱えた。
「付与魔法――【月刃】」
瞬間、黒々とした剣に、青白い光がほのかに灯った。
続けて少年は振りかぶった剣に力を込めて、遺跡の天井をぎりぎりで飛ぶ青飛竜に向けて剣を振り抜く。
「はあっ!」
その一撃は虚しく、ただ風切り音を鳴らして空を切るだけに終わった。
と、思いきや……
青白い光が灯った刀身から、三日月の形をした光の塊が撃ち出された。
「なっ――!?」
まるで、斬撃そのものが形となって放出されたような一撃。
それは飛翔する青飛竜の右翼に直撃し、強固な魔装を引き裂いて鮮血を散らした。




