第百二十二話 「強くなるために」
『お待たせ、ラスト。遅くなってごめんね』
そう言って助けに来てくれるのが印象に残っている。
鮮やかな深紅の長髪を靡かせて、華奢なのに頼り甲斐のある背中で庇ってくれて、見る間にいじめっ子たちを追い払ってくれた。
僕の恩人であり、幼馴染であり、憧れの始まりの英雄。
ルビィ・ブラッド。
そんな彼女の名前が不意に出た瞬間、僕の脳内は一瞬にして真っ白になり、自らの耳を疑ってしまった。
でも、聞き間違いじゃない。
確かに青髪のお姉さんはそう言った。
長い赤髪の女の子。僕たちと同い歳くらい。さらに気力旺盛。
たまに元気がありすぎるのが困りもの。
思えば特徴が一致しすぎている。
紛れもない、僕の思い出の中にいるルビィそのものだ。
「……ルビィ」
それじゃあ今、あの遺跡の中にルビィがいるのか?
魔人たちの動向を探るために潜伏していて、討伐隊に魔人の居場所を教えたのも彼女。
それきり音沙汰がなく、現在行方がわかっていない。
生きているかどうかさえも、誰にもわからない。
じわりと額に汗が滲む。心臓がうるさく鼓動する。頭の中が真っ白になる。
「……」
「ラ、ラストさん? 大丈夫ですか?」
顔を強張らせて黙り込んでいると、それを心配してダイヤが声を掛けてくれた。
その一声のおかげで僅かに平静さを取り戻し、僕は鈍い頷きを返す。
「だ、大丈夫だよ。なんでもない」
「そ、そうですか」
さらに落ち着くために、息を深く吸ってゆっくりと吐き出す。
落ち着け。大丈夫だ。ルビィならきっと生きている。
危険な遺跡の中に長期間潜伏しているみたいだけど、あのルビィなら平気な顔をして笑っているに違いない。
僕もお姉さんのように、自分自身に言い聞かせるように心の中で呟き続ける。
すると途端に目の前のお姉さんのことが気になり出し、僕は反射的に尋ねていた。
「もしかしてお姉さんは、勇者パーティーの『賢者サファイア』さんですか?」
「えっ? そうだけど、もしかしてまだ言っていなかったかしら?」
初耳だった。
思えばこの人はいったい誰なんだろうと考えもしたが、結局聞く機会はまったくなかったから。
勇者パーティーのメンバーで、青色の長髪の美しい女性。
三角帽子と片眼鏡が特徴的な、聡明に見える彼女は……
「サファイア・グリモワール。勇者パーティーで後方支援を務めている魔術師よ。ごめんなさい、伝え忘れていて……」
「い、いいえ、それは別にいいんですけど。サファイアさんがいるということは、他のメンバーの『勇者』さんや『聖女』さんもこの場所に?」
サファイアさんはふと治療部隊の方に目をやってかぶりを振る。
「全員は来ていないわよ。エメラルドだったらあそこで怪我人の治療をしているけど。でもパールティーは、話にあった例の魔人に負けて、今は戦闘に参加できていないわ」
「えっ……」
勇者が負けた?
たった一人の魔人に?
現代において最強の冒険者に与えられるのが『勇者』の称号なんだぞ。
耳を疑う事実である。本当にあの勇者が負けたのだろうか?
確か、話に出てきた魔人って、まだ神器を授かってすらいないって……
ぞくりと背筋を凍えさせていると、サファイアさんが僕の顔を見て険しい表情をした。
「どれだけ危険な魔人かは、改めてわかってもらえたかしら」
「……は、はい。無理に単独で倒そうとは、考えない方が良さそうですね」
皆がその魔人を恐れている理由が改めてわかった。
勇者が敗北した。その一言だけで事態の危うさは嫌というほど伝わってくる。
やがてすべての情報を頭に染み込ませると、僕は今一度サファイアさんに向き直って大きく頷いた。
「事情は全部わかりました。ルビィ・ブラッドさんの捜索、やらせていただきます」
「えぇ、よろしくお願いするわね」
これはもはや、サファイアさんのためではない。
ここにいる討伐隊のためでもない。
全部、僕のためだ。
大切な幼馴染を助けたいと願う、僕自身のため。
まあ、あのルビィのことだから、本当にけろっとした顔で遺跡から出てきそうだけど。
きっと僕の助けなんかいらないんじゃないかな。
それを改めて確かめるためにも、僕はダイヤと一緒に、ルビィの捜索を開始することにした。
「あっ、あと最後に一つだけいいですか?」
「……? 何かしら?」
僕は思い出したようにそう言い、サファイアさんにあることを尋ねた。
野営地で話を終えた僕とダイヤは、遺跡の入口まで戻って来た。
先ほどと同じく魔人の姿はない。
あるのはここで倒されてしまったのだろう魔人たちの、遺品とも呼べる神器だけだった。
これから遺跡の中に入って、行方知らずのルビィを探すんだけど。
その前にまず、やっておかなくてはならないことが一つある。
「武器系の神器を集めればいいんでしたっけ?」
「うん、そうだよ。正確には武器系神器で『付与魔法』が宿ってるものかな」
僕とダイヤは各々、落ちている神器を順々に触っていった。
僕の神器【呪われた魔剣】には、『神器合成』という特殊なスキルが宿っている。
魔人の神器を取り込むことができるというもので、取り込んだ神器に宿っている付与魔法を吸収して使えるようになるのだ。
それはこの辺りに散乱している神器も対象である。
「まあ、見ると触媒系の神器が多いみたいだから、あんまり期待はできないかな。武器系の神器もそれなりにはあるけど、そもそも付与魔法が宿る方が稀だし」
ここら一帯の魔人の神器は、すべて『神器合成』の対象である。
しかし神器に付与魔法が宿っていなければ、合成するだけ無駄になるのだ。
僕の【呪われた魔剣】は、あくまで魔人の神器に宿っている『付与魔法』のみを取り込むから。
「ていうか正直、こういうのってあんまり気乗りしないんだよね」
「えっ、どうしてですか?」
「なんか人の成果を横取りしてるみたいな感じがしてさ」
言葉足らずだったのだろうか、ダイヤが不思議そうな顔できょとんと首を傾げる。
「この神器の持ち主を僕が倒したなら、そこまでの罪悪感はないんだけど、他の人が倒した魔人の神器を自分のものにするのはすごく気が引けるんだよね。なんか横から掻っ攫うみたいになるし」
「あぁ、そういうことですか」
「それに、魔人の神器は冒険者ギルドに持っていけば討伐証明にもなって、性能に応じて報酬も出るからさ」
ここに落ちている魔人の神器は、そもそも僕が自由に扱っていいものではないのだ。
本来ならば魔人たちを倒した冒険者たちに一任されている。
その成果を横取りする形になるので、罪悪感は必然のものと言えるだろう。
それがお金に換えられるものなら尚の事。
ここに落ちている魔人の神器は、どれも性能が高いので一つ一つが高額になるだろうし。
「あっ、だから先ほどあの青髪の女性に神器を自由にしていいか聞いていたんですか?」
「そそ」
さっきサファイアさんに聞いたのは、遺跡前に落ちている神器を自由にしていいかどうかだ。
討伐隊の状況を見るに、今すぐに町の方に帰ってしまうと思ったので、神器は放っておくのではないかと思った。
まるで混乱に乗じて神器を横取りするみたいになるから、まったく気は乗らなかったんだけど、一応サファイアさんに聞いておいたのだ。
すると彼女は、放っておいてもどうせ消滅してしまうから好きにしていいと言ってくれた。
というわけで現在、ダイヤと二人で使えそうな神器がないか探している次第である。
「確かにそう言われると、すごく悪いことをしている気になりますね。でも、それならどうして賢者さんに確認をとってまで、使えそうな神器を探そうと思い直したんですか?」
「えっと、それは……」
改めてダイヤにそう聞かれて、僕は少し言い淀む。
あまり格好のいい理由ではなかったため、即座に返答することができなかったのだ。
それでも僕は正直にダイヤに話す。
「強くなるためには、手段を選んでいられないなって思ってさ。ここで変な意地を張って、強くなる道を自分から断つのは、やっぱり違うかなって思って。……それに、『必ず追いつく』って約束してるし」
「……」
誰とですか、とダイヤは聞いてくることはなかった。
ただ彼女は納得したように『そうですか』と小さく呟き、神器の捜索作業に戻った。
そう、僕は強くならなきゃいけないんだ。
少しでも憧れのあの人に近づくために。
その後、二人で手分けして落ちている神器を調べていった。
調べる、と言っても落ちている神器に触れて性能を覗いていくだけなので、手間も時間もほとんどかからない。
実際にそれはものの数分で終わり、結局使えそうな神器はたったの二本しか見つからなかった。
「意外とないものなんですね、付与魔法が宿っている神器って」
「まあ、二本もあっただけ運が良かったかな」
前にも何度か魔人の集団と戦ったことはあったけど、一本も手に入らないとかザラだったし。
ともあれ手に入れた神器を今一度確認してみる。
一つは金色の斧の神器。
もう一つは色違いの銀色の斧の神器。
どちらもAランクである。
そして肝心の付与魔法はというと……
「うーん、なんかよくわからない付与魔法だなぁ……」
【金戒】・付与魔法
・神器に『神器加熱効果』を付与
【銀戒】・付与魔法
・神器に『神器加重効果』を付与
神器加熱と神器加重。
見たところ、神器を熱くしたり重くしたりする効果ってことかな?
神器本体に熱を宿したりするのではなく、たぶん他の人の神器を熱くできたりするってことだと思うけど。
それって果たして強いのだろうか? あまり実用的だとは感じない。
実際に使ってみないと何もわからないけど、これだけを見たらそこまで強力だとは思わないけどなぁ。
魔人には効果が薄そうだし、魔物にはそもそも効かないし。
「……まあ、ないよりかはマシか」
もしかしたらいつかは僕を助けてくれるかもしれない。
それに、僕が思っている以上に強い効果を出してくれるかもしれないし、実戦で使ってみてから評価を決めることにしよう。
「あっ、ラストさん。もう一つありましたよ」
「えっ?」
少し離れたところにいたダイヤが、一本の剣を持ってこちらに駆け寄ってきた。
直剣とは違って湾曲した刀身が特徴的な、なんとも独特な剣。
ダイヤから受け取ったその神器の性能を見てみると、確かに中には付与魔法が宿っていた。
しかも、それなりに役に立ちそうな付与魔法が。
【月刃】・付与魔法
・神器に『斬撃放出効果』を付与
・斬撃の放出に伴い耐久値消耗
斬撃放出効果。
見たところ、付与魔法の発動中は斬撃を飛ばすことができるみたいだ。
たぶん、触媒系の神器みたいに遠距離の相手に攻撃を届かせるための付与魔法なんじゃないかな?
それがどのくらい飛ぶのか、はたまたどのような感じで斬撃が放たれるのかは使ってみないとわからないけれど、さっきの斧の付与魔法よりかは使い勝手が良いのは間違いない。
今は魔力の無駄遣いができないから試すことはできないけど。
最後にその湾曲した神器も合成して、無事に三つの付与魔法を習得すると、僕はまた一段と強くなれたことに笑みを浮かべた。
名前:呪われた魔剣
ランク:S
レベル:
攻撃力:500
恩恵:筋力+500 耐久+500 敏捷+500 魔力+500 生命力+500
魔法:【黒炎】【闇雷】【死呪】【悪夢】【金戒】【銀戒】【月刃】
スキル:【神器合成】
耐久値:500/500
「……よしっ」
改めて自分の神器を確認した僕は、それを【さびついた剣】に戻して鞘に収める。
その姿を横目に見ていたダイヤが、なんだか今さらのことを口にした。
「やっぱり、いくらなんでも強すぎませんか?」
「えっ? 何が?」
「ラストさんの神器のことです」
僕の神器って、【呪われた魔剣】のことを言っているのかな?
強すぎるってどの辺が?
「色んな魔人の付与魔法を使えるなんて、なんと言いますか、その……ちょっとずるい気がします」
「ず、ずるいかぁ……。うん、まあ、そうかもね」
少なくとも真っ当な成長の仕方とは言えない。
他人の神器を食い物にして強くなっていくなんて、どこからどう見ても悪者だ。
ダイヤはたぶん、単純に魔剣の能力が強すぎるという意味で“ずるい”と言ったんだろうけど。
「でもその代わりに魔剣には“呪い”があるからさ、それで釣り合いが取れてるんじゃないのかな?」
なんてテキトーなことを言ってみる。
強すぎる能力の代償として、僕は毎回呪いに苦しめられているのだ。
という今さらの解説をすると、ダイヤは思い返すように空を見つめて言った。
「ですけど最近は、その呪いにもあまり苦労していないように見えるんですけど。もう呪いは完全に克服したってことでいいんですか?」
「いいや全然。やっぱりまだ長時間使ってると苦しくなるし、最悪【さびついた剣】に戻っちゃうよ。ただ魔剣を出していられる時間は増えたかな? 二時間……いや、今なら三時間くらいは余裕かも」
と言った後で、僕はすかさず補足をする。
「でもそれは呪いに慣れてきたからで、最初からこんなに長くは使えなかったよ。本当にほんの十分とか二十分とかが精一杯で……」
「あの、これも本当に今さらなことなんですけど、呪いって“慣れる”ものなんですか?」
「……う、うーん」
呪いに慣れる。確かに今になって考えたらそれも変な気がする。
使っているうちに苦しむまでの時間が延びていたから、勝手に呪いに慣れているんだと思っていたけど。
それってやっぱりおかしいよね。
呪いってそもそも克服できるようなものじゃないはずだし。
「なんで僕、呪いが効きづらくなってるんだろう?」
呪いは本来、特殊な魔物や他者の神器から与えられるものとされている。
対象者に何らかの影響を及ぼすため、毒と同質に見られることが多いけれど、本質はまるで違う。
薬や治癒魔法で治せる毒と違って、呪いは必ず術者本人か元となった神器を破壊しなければ解除ができないのだ。
また、毒と違って様々な効果があり、免疫が付くこともないので“慣れる”という概念がそもそもないはず。
でも僕の体は、次第に呪いが効きづらくなっている。
これってどういうことなんだろう?
そもそも神器が呪われているということ事態、意味不明だ。
誰が僕の神器にこんな呪いを施したんだろう?
考えられるとすれば神器を授けてくださった神様だけど、なんでそんなことをわざわざ……?
「……ま、まあ、それはともかくとして、早く遺跡の中に入ろうか。色々とやらなきゃいけないが多いからね」
「あっ、ごめんなさい。変なこと言って止めてしまって……」
今さらのことを考えるのをやめて、僕とダイヤは遺跡の調査を開始することにした。
邪神の祭壇と、大切な幼馴染を探すために。




