第百十八話 「弓と人形」
金髪の魔人と銀髪の魔人が倒れたことで、戦場の空気が一変した。
攻勢に出ていた魔人集団が、困惑した表情で足を引いている。
「サルファ様と、テルル様が……」
「あんなガキ共に、負けた……?」
その様子を見るに、どうやらたった今倒した二人の魔人は、この集団の中でも相当な手練れだったようだ。
そのせいですでにこちらは満身創痍ではあるものの、向こうの魔人の数も残り僅か。
焦るのも無理はない。
これなら行ける。
前線に立つヘリオとアメジストはそう確信し、疲弊した様子ながらも微笑をたたえた。
すると、そんな時……
「やあ、すごいね君たち」
「あっ?」
「あんたはさっきの……」
この魔人集団を率いてきた橙色の髪の魔人――トパーズが、後方から前に出てきた。
ずっと後ろの方でこちらを窺っていたのは知っていたが、なぜ今になって顔を出してきたのだろう?
「まさか寄り集まった冒険者たちがこんなに強いだなんて思わなかったなぁ。僕の徒党がここまでやられるのは初めてだよ」
こちらの疑問に答えるように、トパーズがぐっと背中を伸ばして言った。
「これ以上、大切な戦力を削られるのも嫌だから、ここからは僕が相手をするね」
ようやく集団の頭領がお出ましか。
と思っていると、それに真っ先に反応したのはトパーズの仲間の魔人たちだった。
「ト、トパーズ様が直々に……!」
「お手を煩わせてしまい、大変申し訳ございません!」
「あぁ、別にいいよ全然。それよりも巻き込まれないように後ろに下がっててね。あと、“あれ”持ってきてくれないかな?」
トパーズがそう言うと、他の魔人たちは慌てて後ろの方に戻って行った。
するとすぐに数人の魔人が帰って来て、数人がかりで大切そうに“ある物”を運んでくる。
それは……弓。
豪華な装飾が施された大きな弓で、人の背を優に超えている。
それを『ありがとう』と言いながら手に取ったトパーズは、手慣れた様子で身を構えた。
独特な雰囲気を醸し出しているところを見ると、あれがおそらくトパーズの神器だろう。
「弓の、神器……」
討伐隊の後衛からそれを見たサファイアは、脳裏にある一つのことを思い出した。
過去の文献で見た記憶がある。
二百年前の大戦争――終焉期にて、世にも珍しい弓の神器を扱う魔人がいたと。
その者は人間軍に多大なる被害を与えて、最後にはその正体も掴むことができずに戦争は幕を閉じた。
まさかあの神器が……
「弓の神器って珍しいでしょ。そもそも武器系の神器なのか触媒系の神器なのか、それすらも見ただけじゃわからないよね」
冒険者たちが揃って訝しい視線を向けていると、トパーズがその疑問に答えるように口を開いた。
「答えはね、触媒系の神器だよ」
言うや、トパーズは右手を開いて唱えた。
「【光矢】」
瞬間、トパーズの手の上で、チカッと一瞬だけ光が瞬いた。
それを目にするとほぼ同時に、ヘリオとアメジストの後方から爆発音が鳴り、二人は驚いて振り返る。
そこには一本の石柱が立っていたはずだったのだが、いつの間にか石柱は細かな破片となって地面に散らばっていた。
「「……」」
ヘリオとアメジストは唖然としながら顔を見合わせる。
同様に傍らに立つサファイアと他の冒険者たちも固唾を飲んだ。
石柱を破壊したのは間違いなくトパーズの仕業だ。
しかしどうやったのかまったくわからなかった。というか見えなかった。
他の冒険者たちも同じく、辛うじて目で捉えることができたのは、トパーズが手に灯した光を矢のようにして弓に番えたところ。
そして光の線が一瞬だけ、ヘリオとアメジストの間を通り過ぎた光景だけだ。
間近でトパーズを見ていたヘリオとアメジストも、何が起きたのか理解が追いついていなかった。
「ねえ、一応聞くけど、あんた今の見えた?」
「……見えるわけねえだろ」
ただ、目の前の魔人が何をしたのか、想像することはなんとかできる。
おそらくトパーズは魔法を使い、それを放ってきたのだ。
こちらが視認できないほどの超速度で。
その予想が正しいと言うように、トパーズは額に手を当てて嘆いた。
「あちゃー、やっぱりダメかぁ。いつもそうなんだけど、僕って最初の一矢を絶対に外しちゃう癖があるんだよねぇ。それで調子が出るのか、その後はちゃんと当てられるんだけどさ」
一矢。
ということはやはり、あの魔人は弓の神器で矢を放ってきたのだ。
正確には、矢の形を模した“魔法”を。
改めてそれがわかり、先ほどトパーズが口にした台詞の意味も理解する。
弓の神器が武器系神器なのか触媒系神器なのか。
矢の形をした魔法を放つというところが、触媒系神器たる所以なのだろう。
ただ木を削って鏃と羽を付けただけの矢を飛ばしただけではこう行くはずもない。
「じゃ、今度は外さないからさ、みんな気合入れて避けてね」
「――っ!」
先ほどと同じ魔法が飛んでくる。
そう直感したアメジストは、咄嗟に後方にいる冒険者たちに声を掛けようとした。
「み、みんな避け……!」
だが……
「【光矢】」
それよりも早く、トパーズは右手を開き、再び手中に光の矢を生成した。
手慣れた動作でそれを番えると、恐るべき速度で矢を射出する。
気が付けばアメジストの目の前には、矢の先端が迫っており、避ける猶予がまったく残されていなかった。
見てから避けるのでは間に合わない。完全に矢を放ってくるタイミングを予測して飛ばなければ回避は不可能だった。
アメジストは痛みを覚悟して、ぐっと歯を食いしばった。
「【岩壁】!」
刹那、アメジストの目前の地面から岩の壁が突き出し、間一髪のところで光の矢を遮った。
ハッとなって振り返ると、そこには一冊の本を片手に地面に手を突く、青髪の魔術師がいた。
「二人ともまだ動ける!?」
「勇者パーティーの、賢者サファイアさん……?」
「もし動けるなら、討伐隊のみんなと一緒に一時撤退してほしいの! このままだとあの魔人に全員殺される!」
「「……」」
サファイアにそう言われたヘリオとアメジストは、険しい表情でお互いに顔を見合わせた。
確かにこの場は撤退した方が賢明だと思う。
強敵だったあの金髪と銀髪の魔人を倒せたものの、まさかそれ以上の化け物が後方で控えていたとは思いもしなかった。
それに魔人集団にやられた被害が、想像以上に大きすぎる。
もうまともに戦うことができる冒険者は残されていない。
後衛の治療部隊に怪我を治してもらったとしても、神器の耐久値や魔力が残されていないため、戦闘続行は不可能だ。
向こうの戦力もだいぶ削れてはいるが、それを補って余りある実力を持った魔人が出てきてしまったので、勝機は完全に失われた。
だから逃げろと言うサファイアの意見には同意できる。だが、この恐ろしく強い魔人を……
「ここは私が時間を稼ぐから、急いでみんなと一緒に逃げて!」
サファイアたった一人で食い止めることが、果たしてできるだろうか。
ヘリオとアメジストは同時に思う。それは明らかに無謀だと。
賢者サファイアは現代の魔術師の中で、最強の実力を備えていると言っても過言ではない。
だがそんな彼女の力を持ってしても、あの化け物には手も足も出ないとさえ思えてしまう。
「【光矢】」
ヘリオとアメジストが躊躇っている間に、またトパーズが光の矢を放ってきた。
すると今度は防御のために張った岩壁を粉々に破壊されてしまう。
だけでなく、壁を貫通した矢がサファイアの右脚を深々と抉った。
「ぐっ……!」
灼熱の光線が華奢な脚を灼き、あまりの激痛に思わず膝をついてしまう。
破壊された岩壁の向こうには、その一矢を放った魔人が余裕の笑みを浮かべて立っていた。
「その程度の壁で、僕の矢が防げると思ったの? 完璧に遮るなら十枚くらいは重ねないと」
「やって……くれたわね……!」
サファイアは痛みに顔をしかめながらトパーズを睨め付ける。
そんな光景をトパーズの後ろで見ていた魔人たちが、揃って歓声を上げた。
「さすがトパーズ様!」
「トパーズ様が出てきたら、人間どもに勝ち目なんてありませんよ!」
悔しながら、ヘリオとアメジストもその声に同感してしまった。
サファイアの魔法が通用しないなら、いよいよこの魔人を食い止めるのは困難だ。
このままでは時間稼ぎもままならない。
他の冒険者たちを逃がす隙なんて、とてもじゃないけれど作り出せないだろう。
サファイア越しに背中から射抜かれるのがオチだ。
そうと悟るや、ヘリオとアメジストは逃げるという選択肢を捨てて、サファイアの前に立った。
「私もここに残るわよ」
「えっ……?」
「一人であいつ止めんのはさすがに無理だろうが」
金髪の魔人と銀髪の魔人との戦いで、すでに二人はほとんどの力を使い果たしてしまった。
だが、まだあと少しだけなら戦うことができる。
そして三人で力を合わせれば、サファイア一人で食い止めるよりも時間が稼げるのではないだろうか。
その間に他の冒険者たちには退いてもらい、体制を整え直してもらった方がいい。
という考えを見透かしてきたのかのように、トパーズが微笑をたたえた。
「手負いの三人だけで僕を止めるつもりでいるのかな? 甘いよ冒険者くんたち」
「やってみなきゃわかんねえだろうが!」
ヘリオは地面を蹴り、長槍を構えて突っ込んでいった。
敏捷値の許す限りの速度で疾走する。
トパーズに肉薄するや、走った勢いのままに全力で長槍を突き出した。
「シッ!」
唐突に接近したため、反応が遅れるかと思ったが。
トパーズはゆったりと余裕を持って、頭を狙った一突きを首を傾けて躱した。
思わずヘリオは舌を打ち、すぐに槍を引いてまた突き出す。
だが絶え間ないその連撃も、トパーズはまるで踊るようにひらひらと回避した。
「乱暴な槍術だね。いったい誰に習ったのかな?」
「うっせえ我流だよ!」
毒を吐きながらヘリオは槍を突き出し続ける。
一向に当たる気配がない。だが、これでいい。
そう密かに思っていると、その内心を見透かしてきたかのようにトパーズが微笑んだ。
「そんな腕じゃ僕には一生かけても当てられないよ。けど、狙いは悪くないね」
「……」
「矢を射るには弓に番えて打つまでの動作が必要だ。なら番えさせる隙を与えなければいい、って考えたんだろ」
見透かされたところでどうということはない、と密かにヘリオは思う。
そもそも触媒系神器の使い手の弱点は、近接戦闘に弱いというところである。
ヘリオはその弱点を突くようにしてトパーズに接近し、矢を番える隙を与えないようにしようとした。
トパーズの本来の戦闘能力が高いせいで、こちらの攻撃は確かに当たっていないが、向こうも矢を番える隙がないはず。
事実、奴はヘリオに近づかれてから、まったく魔法を使えていなかった。
これなら時間を稼げる。今のうちにサファイアかアメジストに指揮をとってもらって、冒険者たちを逃がせば……
「【光矢】」
ヘリオの思惑は、すぐに瓦解することになった。
矢を番える暇もないはずなのに、トパーズはなぜか右手に光の矢を生成した。
いったいそれをどうするつもりなのか。
と、疑問に思った直後――
「うっ――!」
トパーズは目の前のヘリオを目掛けて、光の矢を“剣”のようにして振った。
予想外の行動に、ヘリオは一瞬だけ反応が遅れてしまう。
それでも無茶な体勢をとったことで、間一髪でその一撃を躱すことができた。
だが、そのせいでヘリオの連撃は中断され、トパーズに幾分かの余裕が生まれてしまう。
それは矢を番えて放つのに、充分すぎる時間だった。
「シッ!」
超至近距離からの射出。
ヘリオはほとんど勘で後ろに飛び退さり、その一撃を運良く回避できた。
しかしまたトパーズとの距離が空いてしまい、奴に矢を番える暇が生まれてしまう。
まさか光の矢を剣のようにして使ってくるとは思わなかった。
「あくまでこの矢は魔法だからね。これで直接攻撃しても問題はないんだよ。弓の神器はそれを飛ばすための道具ってだけ」
接近戦による圧力は無意味だと証明された。
それならどうすればいい。と最前線の三人が必死に頭を回していると、さらに絶望を告げるかのようにトパーズが動いた。
「あんまり手間取るとチャロに愛想尽かされちゃうかもしれないし、そろそろ全力で行かせてもらうよ……【光雨】」
トパーズはまたも光の矢を手中に生成した。
しかし先ほどと違って、矢から放たれている光の加減が強い気がする。
より一層強い魔法だろうかと考えていると、奴はそれを番えてこちらに放ってきた。
瞬間……
「なっ――!?」
その光の矢は、なんと空中で“十本の光線”に分かれた。
事前に矢の軌道を予測して横に飛んでいた三人だが、よもや途中で矢の数が増えるとは思わず、それぞれ腕や脚を掠めてしまう。
加えて後方にいる冒険者たちの方にも飛んで行き、数人が矢によって深い傷を負わされてしまった。
まるで灼熱の雨を正面から放つような魔法である。
こんな魔法で遠距離から狙撃されてしまっては、足止めも何もないではないか。
数多の魔法をその目で見てきたサファイアも、『いくらなんでも無茶苦茶な魔法だ』と思わざるを得なかった。
「さあ、これを君たちだけですべて防ぎ切れるかな?」
「――っ!」
サファイアは唇を噛み締めて苦渋する。
こんな魔法を使われては、身を挺して光の矢を止めても、後方の冒険者たちを守り切ることができない。
魔法で遮るにしても、先ほど使った【岩壁】が現状で最大の防護魔法なのだ。
それも容易く撃ち抜かれてしまった。
そしてヘリオが実行した接近戦も効果は発揮されなかった。
別の手を考えるしかない。
と、思い悩んでいる間に――
「【光雨】」
トパーズはまたも光の矢を弓に番えて放ってきた。
サファイアは咄嗟に地面に手を突き、ダメ元でまた防護魔法を張ろうとする。
ヘリオとアメジストもなんとかして撃ち落とせないだろうかと、とりあえずは身を構えた。
しかし光の矢は、やはり目で追うこともままならないほど速く、満足に反応することもできなかった。
矢は空中で十の光線に分かれて、光の雨となって討伐隊の元に降り注ぐ。
と、思った次の瞬間――
「【人魂】」
「えっ……」
光の矢は、十の光線に分かれる前に、何かに衝突して空中で四散した。
見ると、光の矢が消えたその場所には、土でできた素朴な人形がゆらゆらと浮いていた。
砂場で子供が一生懸命に作ったような、泥団子を六個繋ぎ合わせた人形。
サファイアがハッとなって後方を振り返ると、そこには戦場に相応しくない、ゴスロリ人形を胸に抱えた幼女が立っていた。
「チャ、チャームさん……」
「ごめんなさいなのですよ〜。お人形を作るのに時間が掛かって〜、出遅れてしまったのです〜」
サファイアとチャームのそのやり取りを聞いて、ヘリオとアメジストは首を傾げた。
人形を作る? 目の前に浮いているあれのことを言っているのだろうか?
いやそれ以前に、光の矢を宙で撃ち落としたあの人形は、まさかチャームの仕業なのか?
トパーズはすぐにそれを見抜いたようで、弓を放った姿勢のまま、口笛を鳴らして感嘆した。
「素晴らしい力だね、お嬢さん。まさか僕の矢をあんな泥人形で撃ち落とすなんて思わなかったな。冒険者としての階級はどれほどのものなのかな?」
「私は冒険者ではなく〜、冒険者の活動を支援するギルド受付嬢なのですよ〜」
「……それは実にもったいないね」
トパーズは再び右手を開いて唱える。
「【光雨】」
瞬間、奴の手元で光が瞬き、また例の矢が高速で撃ち出された。
加えて今度は早めに十本の光線にバラけて、討伐隊の方に飛んでくる。
避け切れない! 誰もがそう確信したその時――
「お願いしますねドロドロちゃ〜ん」
チャームの一声によって、泥人形が空中を飛び回り始めた。
人形は高速で迫ってくる光の矢を、一本一本叩き落とすように打ち消していく。
あまりにも一瞬の出来事だったため、すべての光線が空中で四散した後も、ヘリオとアメジストはしばらく理解が追いつかなかった。
少し遅れてハッと我に返る。
チャームの仕業と思しき泥人形が、一瞬にして光の矢を撃ち落としたのだと。
「はっ、マジかよ……」
「試験官さんって、あんなに強かったのね……」
ギルド受付嬢は立場上、非力な存在に見られがちだ。
付け加えて人形遊びも卒業していないような幼女っぽい見た目をしているので、二人の驚愕は当然のものと言える。
しかし、サファイアは驚かない。
彼女は駆け出し冒険者時代に、幾度もチャームの世話になった。
その中で彼女の強さを知る機会もあり、冒険者間での逸話も度々耳にしている。
かつて黒級冒険者として活躍していた一人の少女が、忽然と冒険者稼業を引退した。
当時、五本の指に数えられるほどの実力者だったため、その報道は冒険者間でかなり噂になった。
単独で活動していたこともあり、理由は誰も知っていない。
ただ、その少女は今、どこかの町の冒険者ギルドで受付嬢をしているらしいという噂だけが、冒険者の界隈に残った。
「ここからは受付嬢さんが相手をしてくれるってことかな」
「は〜い、お手柔らかにお願いするのですよ〜」
この場にいる者たちの中で、サファイアだけは知っている。
その少女こそ、人形使いのチャーム・フローライトであると。




